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11. 知らない人

□◆□◆

11



 車が三栗谷邸に到着した。

 後部座席から降りた舞花はひんやりとした風を感じて空を見上げる。


「分厚い雲。これは一雨きそうだな~……」


 星を隠す黒い絨毯が広がっていく空、湿気を含んだ風の匂いにそうつぶやく。

 すると運転席から降りた晴夏が、時雨側のドアを開けながら空を見上げた。


「もうすぐ梅雨入りですからね。これからはジメジメとした時期が――」


 ――続くのでしょうね。と言った晴夏の言葉を、突如激しく開かれた扉の音がかき消した。


「時雨っ、無事なのですか時雨っ!」


 玄関から飛び出してきたのは久恵。今にも泣きそうな顔で、車から降りた時雨の無事を確認する。

 扉を出たところで立ち止まったのは木島。少し遅れて権蔵が飛び出してきた。


「母さん、ただいま戻りました。この通り、私は無事ですよ」


 時雨はなだめるように久恵の肩に触れる。

 すると安堵したのか、久恵の瞳からひとすじの涙がこぼれた。


「取り乱してごめんなさい。警察の取り調べは厳しいと聞いているので、心配で心配で……」


 涙を拭う久恵。

 この時代、まだ警察には自白を強要するのに拷問まがいの事をする者もいるという。そういった刑事が時雨を取り調べているのだとしたらと、久恵は心配でたまらなかったのだ。


「晴夏もいてくれましたし、なにより私はまだ『三栗谷』です。警察も手荒なことはしませんよ」


「……まだ三栗谷だなんて、そんな言い方はやめておくれ。私がきっと父を……あなたの祖父、重康を説得してみせますから」


 力強い久恵の言葉。その背中に影が差す。


「誰が誰を説得するのだ?」


 その男性の声に久恵はビクッと身を震わせた。


「お、お父様!? な、なぜこちらに……」


 振り向いた久恵は、そこに重康の姿を見ると伏し目がちになり、怯えながら道を開ける。


 今の時代、家長というのは絶対的な存在である。意見することも、歩む先を塞ぐことも許されない。

 久恵は生まれた時からこのような環境で育ってきた。この行動は条件反射なのだろう。

 屋敷の使用人をしている木島と権蔵も並んで頭を下げる。


「おじい様。ただいま戻りました」


 目の前まで歩み寄ってきた重康に、時雨はうやうやしく頭を下げた。


「ふんっ。金ほしさの欲に狂って美琴を殺した愚か者が、よくこの家の敷居を跨げるものだ。このままどこへなりとも消えてくれて構わんのだぞ」


 脅すような口調。重康の目からは蔑みしか感じない。

 時雨はゆっくりと頭を上げ、重康の視線を受け止めた。


「おじい様、私は美琴を殺してなどいません。それに先日も申しあげた通り、私は子会社への引き継ぎをせねばなりません。それが陀鬼の人々のためにもなりましょう。なにより、まだ美琴の四十九日が済んでおりませんので、私はどこへも行きません。それらを全て終えれば、お望み通り私は三栗谷を出ますので、もうしばらくご辛抱ください」


 そう言った時雨は再び頭を下げる。


「ふんっ、生意気言いおって……」


 ギリっと奥歯を噛んだ重康は踵を返し、肩を震わせながら屋敷内へと戻っていった。

 美琴殺しの犯人は時雨だと、最初に言いだしたのは重康なのだという。重康が時雨と縁を切ると言った数日後に、美琴は遺体となって発見された。その事からも、重康は財産目的に時雨が美琴を殺したのだと思っているのだろう。

 ただ、その証拠がない。

 重康は時雨を追い出す決定打がないことにいきどおっているのかもしれない。


「待って! お待ちくださいお父様!」


 久恵が重康の後を追う。

 先ほど言っていた通り、なんとか時雨犯人説の考えを改めてもらい、時雨が『三栗谷』として残してもらえるよう説得に行ったのかもしれない。


 久恵が屋敷内に入った時、舞花は初めて見る人物を目にした。


「あの、すみません。あちらの方は?」


「あちらの方?」


 舞花が小声で話しかけたのは晴夏。


「ほら、扉の陰にいる――ちょっと怖そうな人」


 そこには三十代半ばの目つきの悪い男性がいる。それは時雨のような厳しい目ではなく、人を見下しているような印象を受ける。


「あの人は綿わたつとむさんといって、普段は重康様や時雨さんの運転手をしている方ですよ。まあ、運転手というより用心棒と言った方がいいかもしれませんね。気を付けてください、女癖も悪いしかなり気の荒い人ですから。近づかない方がいいですよ」


 晴夏の耳打ちに、舞花はコクコクと頷く。

 どうやら見た目通りの性格をしているようだ。この時代、人の良さだけで財閥を維持してきたわけではないだろう。綿世は三栗谷家の裏側を担当してきたのかもしれない。


「木島に権蔵。心配かけたな」


 重康と久恵を見送った時雨が歩み寄ると、二人はゆっくりと頭を上げる。


「時雨様……おかえりなさいませ」


「時雨さん、おかえりなさい」


 木島は目じりを拭い、権蔵もその顔に皴を増やした。


「木島、世話をかけたな。晴夏を呼んでくれて助かった」


「いえ、私自身は何もできず……申し訳ありません……」


 流れ出る涙を拭いきれない木島は、顔を隠すように頭を下げた。


「泣くようなことではない。その涙は晴夏との祝言までとっておけ。美琴も、姉妹のように想っていた木島が幸せになれば喜ぶだろう」


「時雨様……」


 時雨の優しい声と言葉に頭を上げた木島は、何とも言えない複雑な表情でもう一度深々と腰を折った。

 時雨が一番つらいはずなのに、それでも自分を気遣ってくれることへの感謝、あるいは自分だけが幸せになっても良いのだろうかという思い、その両方や他の感情も入り混ざっているのかもしれない。


「へっ……」


 その声にならない漏れた息は綿世のものであった。

 舞花は時雨と木島のやり取りを見ていたのだが、それでも初めて見る綿世も気になっており、横目でその様子を見ていた。

 なので、その漏れた息に気付いたのは舞花だけ。


 綿世はニヤニヤとしながら時雨たちの方を見ていたが、舞花に見られていることに気付くとその目を細める。そして時雨への挨拶もしないまま、最後に含み笑いを残して屋敷内へと去って行った。


「なにあの人……すっごく感じ悪い……」


 誰にも聞こえないくらいのつぶやき。

 舞花は自分とは相容れないものしか感じない綿世の背中に鼻を鳴らした。


 木島が晴夏の前に立つ。


「大樹さん、時雨様のこと、本当にありがとうございました」


 深々と頭を下げられ、晴夏は困ったような笑みを浮かべた。


「よしてください陽子さん。連絡をもらってすぐに陀鬼署には行きましたけど、僕は何もしていないんですから……。さ、頭を上げて下さい」


 晴夏が肩を抱くと、木島は頭を上げ、目が合った二人は互いに微笑んだ。

 その頬を赤らめる二人の様子に舞花の顔も綻ぶ。


「うん。やっぱりお似合いのふたりだね」


 時雨が繋いだ縁は、やはり良縁だったようだ。





「うわ~、これこれ。この感触。やっぱり着慣れたものは落ち着くな~」


 用意されていた二階の部屋に、舞花の歓喜の声が響く。

 部屋に入ってまず先に目についたのは、ベッドの上に置かれていた舞花の着物であった。

 さすが安物というべきか、生地の薄い着物だけに、洗濯をしても半日足らずで乾いてくれたらしい。初夏の日差しと山風もその助けとなったに違いない。


「そうだ、木島さんにお礼を言いに行かなくちゃ」


 舞花は半日お世話になったワンピースのしわを伸ばし、きれいに折りたたむ。


「ついでに、重康さんにも話を聞いてこようかな。あの綿世っていう目つきの悪い人にも……会いたくないけど、会っておいた方がいいんだろうな~……」


 できれば綿世とは会いたくないのだが、真相究明のためには話を聞いておいた方が良いと自分に言い聞かせる。


 ワンピースを抱えて部屋を出た舞花は、一階にある木島の部屋へと向かった。

 階段を降りたところで権蔵と出会った舞花は一言二言挨拶を交わす。美琴の部屋とはエントランスを挟んだ逆側の廊下へ入る。そして木島の部屋が見えた時、できれば会いたくなかった人物と出会ってしまった。


「おう。あんた、探偵なんだってな」


 ドアを開いて出てきた綿世である。木島の斜め向かいが彼の部屋らしい。


「ど、どうも……こんばんは。綿世さんですよね? 晴夏さんから用心棒……じゃなくて、三栗谷家の運転手をされていると聞きしました」


 舞花のぎこちない愛想笑い。

 綿世はニヤつき顔で品定めをするような視線を舞花に送っている。


「あんた、美琴お嬢さんの事件を調べてるんだって? 犯人は誰なのかわかったのかい?」


「いえ、今日来たばかりなのでまだなんとも……。現在調査中なんですよ」


「くくく……そうだろうなぁ……」


 舞花は困った顔を返すと、綿世は喉を鳴らして笑みをうかべる。

 その不謹慎さに、舞花は軽蔑の顔になるのをグッと堪えた。

 本当の事を言えば、舞花の頭にはある仮説が浮かんでいる。だが、まだ言うべき確証は得られていないので言うわけにはいかない。

 もし屋敷内に犯人がいるのなら、もしかしたらこの綿世が犯人なのかもしれないのだ。それに舞花の経験上、この手の人間は自分の知っていることを話したがっているという読みもある。下でに出た方が良いと判断した。


「あとでお話しを伺おうと思っていたんです。でもせっかく会えたので、お尋ねしたい事があるのですが……いいですか?」


「いいぜ。なんだって答えてやるよ――」


 綿世は即答した。読みは的中である。しかし――


「さあ、入りな」


 だらしない笑みを浮かべる綿世が自室へと招こうとしたところで舞花の表情が凍りつく。

 舞花の経験上、この手の人間は女にも見境がない。


「い、いえ、立ち話で結構ですよ。夜も更けてきましたし、長話をするわけでもありませんし……」


 なんとか部屋へ入るのを回避しようとする舞花。

 これまでの調査時は父の正彦と一緒だったので、女としての身の危険を感じたことはあまりないのだが、今回はその父もいない。自分の身は自分で守らなければならないのだ。

 しかし、綿世がそんな思いを汲むはずもない。


「いいから来いよ。大きな声じゃ言えないが、あんたに美琴お嬢さんの秘密を教えてやるからよ」


「美琴さんの秘密?」


 綿世の言葉で舞花の選択肢が一つになってしまった。


「興味あるだろ?」


 そう言って自室へと入っていく綿世。


(こんな事なら、克己さんにも来てもらえばよかった……)


 舞花は胸の内でつぶやく。ここで断れば、綿世は二度とその秘密を教えようとはしないだろう。

 仕方なく、舞花は渋々後に続いて部屋へと入って行った。




□◆□◆

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