第111話:不動の盾、沈黙の誓約
「言葉は不要。この盾こそが、私の誓約だ。」
選別試験の大トリを飾るのは、超寡黙な大盾使い・グロリア。
アスタロトが突きつける過酷な試練、フラウロスが放つ不可視の音響弾、そしてアイシャが用意した難攻不落の合金人形。
次々と襲いかかる絶望を、彼女はただ静寂の中に沈めていきます。
鉄壁の守りと、芯を穿つ一撃。
レゾナンス最強の「盾」が産声を上げる、魂の選別が始まります。
フラウロスによる「音の迷宮」の喧騒が去り、メイとアイシャが咆哮させた重機「テツクズ号」の黒煙が晴れた、レゾナンスの中央広場。
最後に残されたその場所には、前の二つの試験場とは明らかに質の異なる、重厚で、刺すような緊張感が漂っていた。
そこは、アスタロトが試験官を務める「騎士団・再選抜」の場。
広場の一角には、アスタロトが団長として、これまで騎士団が培ってきた規律と、これから必要となる「荒野を生き抜く強さ」を融合させた、四つの過酷な試験項目が提示されていた。
「……我らが求めるのは、ただ剣を振るう者ではない。……荒野の混沌から民を守り抜く、不動の『意志』と、……それを体現する、圧倒的な『力』だ。……己のすべてを、……この盾と剣に賭ける覚悟のある者だけが、……我が前に立て。」
アスタロトの放つ、騎士団長としての圧倒的な威圧感が、広場全体を圧迫していた。彼女が腰に佩げた大剣はまだ抜かれていない。しかし、その存在だけで、志願者たちの精神を内側から磨り潰すには十分だった。
「……メイ。……アスタロトのベクトルの向きが、……今、……この街全体を『境界』として定義しようとしている。……ざぁこな威嚇ではないな。……己の魂を、……そのまま盾の形にリペアしようとする、……純粋な守護の意志だ。」
メイの膝の上で、フェネクスが緋色の瞳を細めた。
「……うん。……アスタロトさんは、……誰よりも、……この街のみんなを愛しているから。……だからこそ、……半端な覚悟の人は、……門前払いにするつもりなんだ。」
志願者の列には、かつてエデンでアスタロトの部下だった者、あるいは賊から足を洗った者、そして力自慢の住人たちが並んでいた。だが、アスタロトの前に立った瞬間、彼らの多くは蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
「……次。……志願者は、前へ。」
アスタロトの声に応え、一人の女性が、足音一つ立てずに歩み出た。
使い古された、けれど一点の曇りもない大盾を背負った、寡黙な女性・グロリア。
彼女は、アスタロトの放つ重圧を、まるで存在しないかのように受け流し、試験官であるアスタロトに深く、静かな一礼を捧げた。
「……ほう。……我が圧力を、……その沈黙だけでねじ伏せるか。」
アスタロトの瞳に、初めて微かな、けれど確かな興味の光が灯った。
「……貴殿の『意志』は、しかと受け取った。……では、……その意志を具現化する『力』を、……我に見せてみろ。……第一試験、……【剛:防御力】。」
アスタロトが顎で示した先。
そこには、メイがリペアした「高圧蒸気砲」が、鈍い光を放って設置されていた。蒸気の圧力によって、巨大な岩塊を音速で撃ち出す、簡易的な防衛兵器だ。
グロリアは、背負っていた大盾を静かに構えた。
身の丈ほどもあるその盾は、エデンの装甲材と荒野の廃材を継ぎ接ぎして造られた、無骨な塊だった。彼女は盾の裏に左腕を通し、右手を盾の縁に添え、腰を低く沈めた。
一言も発さず、ただ盾の「境界」を現出させる。
「――撃て。」
アスタロトの号令と共に、メイが蒸気砲のレバーを引き絞った。
ドォォォォォンッ!!
爆発的な音と共に、蒸気砲から、大人の頭ほどもある堆積岩の塊が、白い煙を引いて射出された。
広場にいた住人たちが、悲鳴を上げる。
直撃すれば、並の騎士なら甲冑ごと粉砕される、暴力的な質量。
しかし。
――ガァァァァァァンッ!!
堆積岩がグロリアの盾に直撃した瞬間、鳴り響いたのは、金属と岩石が激突する、澄んだ共鳴音だった。
グロリアの盾は、堆積岩のエネルギーを、その表面で完璧に拡散させ、左右へと弾き飛ばした。
彼女自身の身体は、微塵も揺らがなかった。
足元の砂が、衝撃によって円形に吹き飛んだだけ。
一言も発さず、グロリアは盾を下げ、再びアスタロトに一礼した。
彼女の瞳には、微塵の揺らぎも、傲慢さもない。ただ、「守った」という、冷徹な事実だけが宿っていた。
「……見事ね。……ただ耐えるんじゃなくて……衝撃の方向をを読み、盾の角度だけで『逃がした』わ。……単なる防御とは一線を画す。……メイ、……あの女の盾、……今までに見た騎士の誰よりも……ずっと『生きてる』感じがするわね。」
訓練場の隅で、フラウロスが集音器をいじりながら、感心したように呟いた。
「……ふん。……メイ、……次のベクトルは、……『鋭:反応速度』だ。……フラウロス、……貴様の『音』で、……あの沈黙の盾を、……ノイズの海に沈めてみせろ。」
フェネクスの黄金に輝き始めた瞳が、次なる試練を告げた。
グロリアの沈黙の進撃は、まだ始まったばかりだった。
蒸気砲の衝撃を、まるで春風でも受け止めたかのように無造作に弾き飛ばしたグロリア。その大盾の表面には、堆積岩が砕け散った白い粉塵が薄く積もっているが、彼女自身は呼吸一つ乱していない。
「……ふーん、やるじゃない。でも、一点に集中した馬鹿正直な衝撃なんて、盾の角度さえ合わせれば誰だって防げるわよ。……ねぇ、ざぁこな志願者さん? 今度は『どこから来るか分からない』絶望を、その鉄屑で防いでみなさいよ!」
コンテナの上で脚を組み、生意気な笑みを浮かべたフラウロスが、手元の集音器に直結した「音響投射装置」のレバーを跳ね上げた。
それは、メイが廃材の超音波ユニットをリペアして造り上げた、指向性音波銃。不可視の「音の塊」を、ライフル弾のような速度で連射する、回避不能の物理干渉兵器だ。
「……フラウロス。……あまり遊びすぎるなよ。……その振動のベクトルは、……人体の内臓を容易に共鳴させ、……内側からリペア不能なまでに損壊させる。」
フェネクスがメイの膝の上で、黄金の瞳を細めて忠告する。
「分かってるわよジジイ! ほら、いくわよグロリア! ざぁこな耳で、私の愛を受け取りなさい!」
フラウロスの指先が、トリガーを激しく叩いた。
――ヒュンッ!!
空気を切り裂く高周波の「弾丸」が、目に見えぬ速さでグロリアを襲う。一発、二発、そして十発。フラウロスは笑いながら、不規則なリズムで射撃の方向を散らした。正面、頭上、足元、そして地面に反射させての死角からの狙撃。
「……っ!?」
周囲で見ていた志願者たちが、空気が震える音だけで震え上がった。
だが、グロリアは依然として沈黙を貫いていた。彼女は目を閉じ、視覚というノイズさえもシャットアウトする。
――カカッ、キンッ、カンッ!!
グロリアの身体は、ほとんど動いていない。
ただ、左腕に固定された大盾の「角度」だけが、まるで精密な時計の歯車のように、コンマ数秒の狂いもなく変化し続けていた。
斜めに構えれば音波は空へ逸れ、垂直に立てれば衝撃は霧散する。
フラウロスが放つ「音の矢」は、グロリアが展開する「静寂の領域」に触れた瞬間、すべて無力な空気の揺らぎへとリペア(再編)され、消えていく。
「な、何よそれ……キモいんだけど! なんで全部当たらないのよ! ざぁこ! ざぁこ! もっと激しくしてあげるわ!!」
フラウロスが顔を赤くして連射速度を上げるが、グロリアの盾は磁石に引き寄せられる砂鉄のように、常に音波の「重心」を捉えて離さない。
「……見事だ。……彼女は耳で聴いているのではない。……盾に伝わる空気の微かな『予兆』を、……全身の皮膚で観測しているのだ。」
アスタロトが、感嘆の溜息を漏らした。
「……メイ。……あの女の盾捌きには、……迷いがない。……守るべき対象と、……自分との間に、……絶対的な『境界』を引く覚悟が完了している。」
「……うん。……グロリアさんの盾は、……ただの鉄板じゃない。……彼女の心が、……この街の『門』になろうとしてるんだね。」
フラウロスがついに地団太を踏み、装置を停止させた。
「……はぁ、はぁ……。……もーいいわよ! 合格! 合格よ、ざぁこ! あたしの最高傑作を無視するなんて、……性格悪いにも程があるわね!!」
フラウロスの罵声を背に、グロリアは静かに一礼し、次なる試験場へと向かった。
そこには、メイとアイシャが協力してリペアし、組み上げた、異様な威容を放つ「試験体」が設置されていた。
「……さて。……お次はアタシが用意した、特製の『木人形』だ。」
アイシャが、ニヤリと不敵な笑みを浮かべてレンチを回した。
そこに立っていたのは、太い丸太を芯にし、その表面をアークの合金廃材で幾重にも補強した、高さ二メートルを超える無骨な案山子。
「……グロリア。……あんたの防御が超一流なのは分かった。……だけどさ、荒野には『守ってるだけじゃどうにもならねえ壁』ってのが、山ほどあるんだよ。……例えば、この合金の皮膚を、その盾だけで叩き割れるかい?」
アイシャの問いかけに、グロリアは初めて、大盾を右手に持ち替えた。
防御の姿勢ではない。
それは、獲物を屠るための「凶器」としての構え。
「……第三試験、……【砕:攻撃力】。」
アスタロトの鋭い声が、広場に響く。
グロリアは、木人形の前で深く腰を沈めた。
彼女の全身の筋肉が、まるで弓の弦のように限界まで引き絞られていく。
沈黙を貫く彼女の喉の奥から、初めて、空気を震わせるほどの低い「呼気」が漏れた。
「…………。」
メイの膝の上で、フェネクスが黄金の翼を僅かに広げた。
「……メイ。……観測しろ。……今、……あの女の全エネルギーのベクトルが、……大盾の『エッジ』一点へと収束したぞ。」
次の瞬間、グロリアの影が爆発した。
「――行けッ、グロリア!!」
メイの叫びが、広場の静寂を切り裂いた。
その瞬間、グロリアの足元で、乾燥した地面が爆発したかのように砂塵を巻き上げた。
彼女の予備動作は皆無。静止した彫像が、次のフレームで音速の弾丸へとリペアされたかのような、物理法則を無視した突進。
右手に持ち替えられた大盾。その無骨な鋼の縁が、空気の壁を切り裂き、鈍い銀色の残像を描く。
対するは、アイシャが「壊せるもんなら壊してみな」と不敵に笑って用意した、合金補強の巨大木人形。その装甲は、アークの隔壁廃材を何重にも積層したもので、並の槌では表面に傷一つ付かない代物だ。
だが、グロリアが放ったのは、ただの「殴打」ではなかった。
――ズ、ゥゥゥゥゥンッ!!
激突の瞬間、鳴り響いたのは、金属のぶつかり合う高い音ではない。
建物の基礎が崩れるような、腹の底を揺さぶる重厚な「振動音」だった。
グロリアは、盾の面で叩くのではなく、その鋭利な下縁を、木人形の「重心」のわずか一点へと、全身の体重と突進の慣性を乗せて叩き込んだのだ。
「……っ!? ……嘘でしょ、あの女……!」
アイシャが驚愕に目を見開く。
グロリアの盾が触れた瞬間、合金の装甲がまるで紙細工のように内側へ向かって「陥没」した。
衝撃波は装甲を透過し、芯であるはずの巨大な丸太を、内側から粉砕していく。
グロリアはそこで動きを止めない。
めり込んだ盾を軸に、彼女の身体がコマのように鋭く回転した。
遠心力を乗せた左の裏拳が盾の裏面を「打撃」し、さらなる衝撃を木人形の奥深くへと流し込む。
パリィィィィィンッ!!
合金の装甲が、耐えきれずに四散した。
そして、芯の丸太は――。
根元からへし折れるどころか、グロリアの盾が当たった箇所を中心に、粉々の木っ端となって弾け飛んだ。
「…………。」
グロリアは、砕け散った木屑が舞い落ちる中、静かに盾を引き戻した。
彼女の右腕は、激突の反動で赤く充血しているが、その構えに一点の揺らぎもない。
「……はぁ、……ざぁこじゃない……。……あんなの、まともに食らったら、内臓がスクラップになっちゃうじゃない……。」
コンテナの上で、フラウロスが初めて本気で引きつった笑顔を見せた。
「……メイ。……観測したか。……彼女は、……物質の『共振周波数』を、……その盾の重さと速度で叩き出した。……防御の際に見せた『逃がすベクトル』を、……今度は『一点に閉じ込めるベクトル』へと反転させたのだ。」
フェネクスがメイの肩で、黄金の瞳をかつてないほど激しく輝かせる。
「……リペアの極致だな。……破壊という名の、……構造の再定義だ。」
「……すごい。……アイシャさんの重機の一撃にも、……負けてないよ……。」
メイは、グロリアの背中に、沈黙という名の圧倒的な「言葉」を聴いていた。
アイシャは、粉々になった自慢の木人形の残骸を拾い上げ、呆れたように、けれど最高に満足げに笑った。
「……へっ、合格だよ、合格! ……あんた、最高にイカレてるね。……その盾があれば、テツクズ号の予備パーツもいらねえかもな。」
だが、広場の緊張感はまだ解けない。
むしろ、これまで以上の「熱」が、会場の中心へと収束し始めていた。
カツ、カツ、と重厚な金属音が響く。
アスタロトが、ゆっくりと歩み出た。
彼女の腰にある大剣が、鞘の中で微かに鳴る。
「……剛、鋭、砕。……三つの試練、すべてにおいて我が期待を上回った。……貴殿の盾は、もはや単なる防具ではない。……レゾナンスの意志そのものだ。」
アスタロトは、グロリアの正面十歩の距離で足を止めた。
彼女の手が、ゆっくりと柄にかかる。
「……だが、……騎士の魂は、……実戦の中でしか磨かれぬ。……最終試験。……【智:戦術眼】。……そして、……我が大剣を受け止めるだけの、……『覚悟』の真贋を問う。」
アスタロトが剣を抜いた。
夕陽を反射した刀身が、緋色の閃光を放つ。
「……我と、打て。……沈黙の騎士よ。」
グロリアは、初めてアスタロトの瞳を真っ向から見据えた。
彼女は一言も発さず、大盾を再び左腕に固定し、重心を極限まで低く保った。
それは、レゾナンス最強の守護者への、最大級の敬意。
メイ、フェネクス、フラウロス、アイシャ。
そして広場を埋め尽くしたすべての住人たちが、息を呑んでその「境界」を見つめる。
三翼の選別、大トリ。
アスタロト対グロリア。
伝説の始まりとなる模擬戦が、今、幕を開けようとしていた。
ご愛読、ありがとうございました!
グロリアの「沈黙の打撃」、凄まじい破壊力でしたね。フラウロスのメスガキ的な煽りさえも、その圧倒的な実力で黙らせてしまう姿には痺れました。
剛、鋭、砕。三つの試練を完璧に超えた彼女の前に、ついにアスタロトが剣を抜いて立ち塞がります。
次回、第112話「境界の響き、二つの盾」。
団長アスタロトvs新星グロリア。
レゾナンスの空の下、最強の守護者たちが激突する、伝説の模擬戦が幕を開けます!




