第105話:砂の墓標、反撃の火種
暗闇に沈んだ探索隊。残されたのは、ボロボロになったフラウロスとルサニコフの二人だけでした。
絶望に膝を突き、自責の念に押し潰されそうな少女を救ったのは、メイが「当たり前」に詰め込んでくれた保存食と、一通の短いメモ。
仲間の死を無駄にしない。泥を啜り、砂を噛み、執念で地底の鼓動を聴き分けた先に、ついに彼女たちは「真の鉄」を掘り当てます。
砂嵐を貫き、夜空を紅蓮に染める救難信号。それは、不屈の修理屋たちが放つ、反撃の狼煙でした。
「……はぁ、……はぁ、……っ……。」
フラウロスの呼吸は、肺の奥まで砂が入り込んだかのように重く、熱かった。
洞窟の崩落から命からがら逃れ、砂嵐の海へと叩き出された彼女を待っていたのは、慈悲のない「空白」だった。視界は数メートル先すら定かではなく、吹き荒れる石英の礫が、メイの作ってくれた防砂マントを無惨に削り取っていく。
フラウロスは泥にまみれた杖を杖を杖を支えに、荒野に膝を突いた。
「……ルサニコフ。……あいつら、……どこ?」
震える声で問いかけるが、返ってくるのはゴー、という風の咆哮だけだ。
フラウロスは、自身の「耳」を呪った。
杖を砂に突き立て、最後の波導を放つ。もし仲間たちが、砂の下でまだ息をしているのなら、その鼓動を捉えられるはずだ。たとえ弱々しくても、メイのリペアを受けたあの「皮と鉄の鎧」の軋む音さえ聞こえれば、彼女は素手で砂を掘り返す覚悟だった。
トォン……。
地面に吸い込まれていく振動。
返ってきたのは、……冷徹なまでの、完全な「不在」だった。
岩盤の反響。砂の層のノイズ。
そこに、人間の生命活動が奏でる「揺らぎ」は、微塵も存在しなかった。
「……いない。……誰も、……聞こえないわよ……。」
フラウロスの瞳から、熱いものが溢れ出した。それは頬を伝う暇もなく、吹き付ける熱風によって乾き、肌に塩の跡を残す。
「……あたしが、……無理に連れてきたから……。……『ざぁこな部下はいらない』なんて、……偉そうなこと言ったから……っ!!」
自責の念が、鋭い刃となって彼女の精神を切り裂く。
彼女は隊長だった。メイの期待を背負い、国の未来を担う「資源」を掘り当てるための、絶対的な羅針盤だったはずだ。それなのに、手に入れたのは仲間たちの「死」という名の沈黙だけ。
フラウロスは、砂に顔を埋めて慟哭した。その小さな背中が、嵐の中で消えてしまいそうなほどに激しく震える。
「……お嬢さん。」
背後から、低く、掠れた声がした。
ルサニコフだ。彼は、背中に受けた異形の傷から血を流し、全身を泥と砂で塗り潰しながらも、未だに「護衛官」としての屹立を失っていなかった。
彼はフラウロスの前に跪き、自身の震える手で、彼女の肩を強く掴んだ。
「……泣くのは、……メイさんの元へ帰ってからにしてください。……今はまだ、……任務の途中です。」
「……任務って、……何よ! ……みんな死んじゃったのよ!? ……あたしたち二人で、……何ができるって言うのよ!!」
フラウロスがルサニコフの胸倉を掴み、怒りをぶつける。
ルサニコフは、その罵倒を無言で受け止めた。彼の瞳には、恐怖も絶望もなかった。ただ、アスタロトから授けられた「粘り強さ」という名の、底知れない執念だけが灯っている。
「……彼らの音は、……消えていません。」
ルサニコフは、自分の耳を指差した。
「……彼らが最後の一瞬まで、……お嬢さんを守ろうとして立てた足音。……防具が軋む音。……それは、……お嬢さんの耳の中に、……記録されているはずです。……彼らの命を無駄にするかどうかは、……今、……お嬢さんが立ち上がるかどうかにかかっています。」
ルサニコフは、背負っていたバックパックを、フラウロスの前に静かに置いた。
それは、出発の朝にメイが「重いから」と言って無理やり彼らに担がせたものだ。
「……これを。……メイさんが、……『絶対に役に立つから』と。」
フラウロスは、震える手でバックパックのジッパーを開けた。
そこには、メイらしい、あまりに細やかで「当たり前」の準備が詰め込まれていた。
防水布で二重に包まれた、小分けにされた保存食。
折れた杖の先端を、過酷な環境下でも即座に固定できるように設計された、汎用リペア・クランプ。
砂塵に汚れた目を洗うための、不純物のない清潔な生理食塩水の小瓶。
そして、それらの物資の隙間に、一枚の小さなメモが挟まっていた。
そこには、メイの読みやすい、けれど力強い筆跡で、たった一行だけ書かれていた。
『みんなで、美味しい夕飯を食べようね。待ってるよ。 メイ』
「……バカ、……メイ……。」
フラウロスは、そのメモを胸に抱きしめた。
メイは知っていたのだ。荒野がどれほど恐ろしい場所か。道具がどれほど脆く、心がどれほど折れやすいか。だから彼女は、魔法のような武器ではなく、日常という名の「リペア」を、このバッグに詰め込んだのだ。
フラウロスは、保存食の包みを破り、パサついた干し肉を無理やり口に押し込んだ。
喉は焼け付くように痛んだが、噛みしめるたびに、メイの温もりが、そして死んでいった仲間たちの「生きた証」が、冷え切った彼女の回路に熱を注ぎ込んでいく。
「……ルサニコフ。……あんたの言った通りね。」
フラウロスは、泥だらけの袖で涙を拭った。
その瞳から、絶望が消え、冷徹な「観測者」としての光が戻る。
「……あたしたちは、……まだ死んでない。……なら、……やることは一つよ。……地底に眠る『お宝』を引きずり出して、……あいつらの墓標に、……最高の鋼鉄を供えてあげるわよ!!」
フラウロスは、メイが用意してくれたクランプで、ガタの来ていた杖の先端を締め直した。
カチッ、という確かな手応え。
それは、失われた絆を、もう一度繋ぎ直すための「再起動」の音だった。
「……ルサニコフ。……杖を、……支えて。……あたしが、……全力で波導を放つわ。」
フラウロスの声には、先ほどまでの迷いは微塵もなかった。
メイが用意してくれた保存食の塩分と熱量が、凍りつきかけていた彼女の思考回路を再び急速に加熱させていた。彼女は、メイがリペアキットの中に忍ばせておいてくれた予備の導電グリスを指に取り、杖の接続部に丁寧に塗り込んだ。それは、微細な振動のロスさえも許さない、プロの「修理屋」としての執念の儀式だった。
ルサニコフは無言で頷き、フラウロスの細い肩を背後から支えるようにして、その杖の柄を両手で固く握りしめた。彼の背中の傷からはまだ血が滲んでいたが、メイの皮鎧がその傷口を圧迫し、彼を辛うじてこの場に繋ぎ止めている。
「……いきますよ、お嬢さん。……吹き飛ばされないように。」
「……ざぁこな心配。……あたしを、……誰だと思ってるのよ。」
フラウロスは、首から下げた空き缶の集音器のゴム管を、奥歯で強く噛み締めた。
全身の細胞を一つひとつ、特定の周波数に同調させる。彼女の細い身体が、まるで巨大な音叉のように共鳴し、周囲の砂粒がその振動に弾かれて、彼女の足元で幾何学的な模様――クラドニ図形を描き始めた。
「――波導、……最大出力!!」
ドォォォォォォォォン!!
杖が地表を叩いた瞬間、物理的な衝撃波が全方位へと炸裂した。
吹き荒れていた砂嵐さえもが一瞬だけ押し戻され、フラウロスの周囲に数メートルの「無風の真空」が生まれた。波導は砂の層を貫き、地殻の深部へと直進し、岩盤を震わせ、密度が異なるあらゆる物質の「影」を跳ね返してくる。
(……砂、……岩、……空洞、……違う、……これじゃない……。)
集音器を通じて届く情報は、情報の洪水だった。
だが、フラウロスの脳は、それらのノイズを電光石火の速さで演算し、切り捨てていく。
そして。
地底、約十五メートル。
それまでの「軽い」岩石の反響とは明らかに異なる、重く、粘り強く、そして圧倒的な存在感を持った「何か」が、彼女の波導を真っ向から受け止めた。
ゴォォォォォォォォォォォォン……。
それは、巨大な鐘を、深海の底で鳴らしたような音だった。
「……つかまえた……。……これよ、……これなのよ!!」
フラウロスの瞳が、歓喜と執念で大きく見開かれた。
「……ルサニコフ! ……足元よ! ……この真下、……十五メートルの深さに、……巨大な『芯』があるわ!!」
ルサニコフは、その言葉が終わるよりも早く、背負っていた超硬度ピッケルを引き抜いた。
「……十五メートル……。……掘り抜いてみせます。」
「……待ちなさい、ルサニコフ。……力任せに掘っても、……砂に埋もれるだけよ。……あたしが、……音の振動で砂を『液状化』させるわ。……あんたは、……その中心を、……一気に抉りなさい!!」
フラウロスは杖を小刻みに震わせ、特殊な高周波を地面へ流し込んだ。
固体であったはずの砂地が、振動によって摩擦を失い、まるで水のように波打ち始める。
「――今よ!!」
ルサニコフが、全身のバネを使い、ピッケルをその「渦」の中心へと叩き込んだ。
ガシュッ、という湿った音。
砂が跳ね上がり、穴が急速に深まっていく。
一メートル、三メートル、五メートル……。
ルサニコフの腕の筋肉が悲鳴を上げ、皮の防具が限界まで引き絞られる。
「……見えたぞ!!」
十メートルを超えた辺りで、ピッケルの先が、鈍い、けれど確かな手応えのある「何か」に突き当たった。
ルサニコフが、泥と汗に塗れた手で、その底にある「石」を掴み出し、地上へと放り投げた。
フラウロスは、転がってきたその石を、震える手で拾い上げた。
それは、赤黒く、不気味なほどに重い、歪な形の鉱石だった。
メイが直してくれたゴーグルを跳ね上げ、至近距離でその断面を凝視する。
「……鉄、……だ。……それも、……今までのガラクタとは比べものにならないくらい、……純粋な、……天然の鉄鉱石よ……!!」
フラウロスは、その冷たい石を、自分の頬に押し当てた。
仲間を失い、血を流し、絶望の淵まで追い詰められたその果てに、彼女たちが手にしたのは。
レゾナンスという国が、これから百年、千年と生きていくための「骨」となる、汚れなき大地の恵みだった。
「……やったわ。……やったわよ、メイ!! ……あたしたち、……見つけたわよ!!」
フラウロスは、ルサニコフの泥だらけの胸に顔を埋め、声を上げて笑った。
それは、勝利の笑みではなかった。
仲間たちの「死」を、ただの無駄な犠牲に終わらせなかったという、誇りと安堵が混じり合った、熱い嗚咽だった。
ルサニコフは、重い息を吐きながら、空を見上げた。
砂嵐はまだ止まない。視界は依然として最悪だ。
だが、彼の手の中には、メイから預かった、アーク由来の「最後の手札」が握られていた。
「……お嬢さん。……仕上げをしましょう。……レゾナンスに、……僕たちの『勝ち鬨』を届けるんです。」
二人は、砂の穴の縁で、寄り添うようにして立ち上がった。
「……やるわよ、ルサニコフ。……あたしたちの、精一杯の『ざぁこ、ざぁこ』を、……この空の向こうまで届けてあげるわ。」
フラウロスは、震える手で自身の杖をルサニコフの肩に預け、彼がバックパックの底から取り出した「筒」を見つめた。
それは、アークの非常用コンテナに厳重に保管されていた、旧時代の遺産の一つ。一般的な信号弾とは一線を画す、マグネシウム系超高輝度燃焼剤を充填した「多層式大気貫通弾」だ。本来は成層圏からでも視認可能な救難信号として設計されたそれは、今のレゾナンスには過ぎたる代物だったが、メイは「もしもの時」のために、これに独自の「リペア」を施し、霧や砂嵐を貫くための特殊なスペクトル波長を強化して彼らに託していたのだ。
ルサニコフは、泥と血で汚れた指先で、起動レバーを握り締めた。
「……打ち上げます。……お嬢さん、……光に目を焼かれないように。」
「……あんたこそ。……しっかり、……メイたちのいる方角を狙いなさいよ。」
ルサニコフは、砂嵐の咆哮に耳を澄ませた。
レゾナンス、北東。
そこには、自分たちを信じて門を開けてくれた少女たちがいる。
自分たちを鍛え、この過酷な任務を託した銀髪の騎士がいる。
そして、今はもう聞こえない、砂の下に消えた仲間たちの「帰りたい」という願いが、この一本の筒に凝縮されていた。
「――発射!!」
ドォォォォォォォォォォォン!!
衝撃波が二人の足元の砂を吹き飛ばした。
筒の底から迸ったのは、眩いばかりの紅蓮の炎。
信号弾は、重力と風圧を嘲笑うような圧倒的な推進力で、灰褐色の砂の帳へと吸い込まれていった。
数秒後。
上空数百メートル、視界を遮る砂嵐の最も分厚い層を突き抜けたその場所で。
カッ……!!
世界が真っ白に塗り潰された。
超高輝度の閃光が、砂の粒子一つひとつを鏡のように反射させ、地平線の彼方まで「赤い光の柱」となって立ち昇った。それは、絶望に沈んでいた荒野に突き立てられた、巨大な光の墓標であり、同時に、死の淵から蘇った者たちの不屈の宣言でもあった。
「……見なさい、ルサニコフ。……綺麗じゃない……っ。」
フラウロスは、光に焼かれる目を見開き、天を仰いだ。
赤い光に照らされた彼女の顔は、泥に汚れ、血に塗れていたが、その瞳には失われた仲間たちの誇りと、未来を掴み取った者の執念が、どの星よりも鋭く輝いていた。
同じ頃。
レゾナンスの防壁、その最も高い場所に位置する中央展望塔。
アスタロトは、微動だにせず砂嵐の吹く地平線を見据えていた。
彼女の白銀の甲冑には、吹き付ける砂が薄い膜のように積もっていた。交代の時間は疾うに過ぎている。だが、彼女は一歩もそこを動こうとはしなかった。
「……アスタロトさん。……もう四時間も立たれたままです。……一度、階下で暖を取られては……。」
交代の見張りに来た騎士団の若者が、気遣わしげに声をかける。
だが、アスタロトは答えなかった。
彼女の耳は、風の音の裏側に潜む「何か」を待っていた。
彼女の魂は、あの日、生意気な毒舌を吐きながら門を出て行った、不器用な少女の無事を信じて疑わなかった。
(……来る。……あの子が、……手ぶらで帰ってくるはずがない。)
その瞬間だった。
暗澹たる砂の海の向こう側、北西の空が、あり得ないほどの「赤」に染まった。
一瞬、雷光かと思った。だが、その光は消えることなく、数秒間にわたって砂の帳を内側から焼き切り、レゾナンスの街を紅蓮の影で覆い尽くした。
「――ッ!!」
アスタロトの瞳が、驚愕に、そして直後に激しい「熱」を帯びて燃え上がった。
「……フラウロス!!」
彼女はその場で、手すりを乗り越えんばかりに身を乗り出した。
あの光の色、あの波長。それは、メイが「アークの至宝」をバラして作り上げた、極限の救難信号。
「……生きていたか。……よくぞ、……よくぞ鳴らした、……この不器用な妹め……!!」
アスタロトは、振り返る。その顔には、普段の冷静な「教官」の面影はなかった。
愛する家族を、自らの誇りを、地獄の底から引きずり戻そうとする、一人の戦士の気迫。
「――貴様ら、聞いたか!! 狼煙は上がった!! 資源探索隊は健在だ!!」
アスタロトの怒号が、展望塔を揺らした。
「……騎士団、第一機動班!! ……装備を最小限に絞れ! ……族が置いていった高速バギーを回せ!! ……一秒でも早く、……あの子たちの元へ駆けつけるぞ!!」
アスタロトは展望塔の階段を、文字通り飛び降りるようにして駆け下りた。
彼女の向かう先には、作業場で不安を押し殺し、ハンマーを握りしめて待っているメイがいる。
「――メイ!! 門を開けろ!! ……フラウロスが、……あの子が、……勝利を報せてきたぞ!!」
アスタロトの叫びが、レゾナンスの街中に響き渡る。
砂嵐はまだ止まない。
荒野には依然として多くの脅威が潜んでいる。
だが、レゾナンスという名の国が放った「赤い光」は、絶望の時代を終わらせるための、最初の反撃の火種となった。
アスタロトの銀髪が、風に激しくなびく。
彼女の心臓は、砂塵の彼方で待つ、たった一人の「ざぁこな妹」を助け出すための、爆発的な鼓動を刻み始めていた。
ご愛読、ありがとうございました!
メイの無垢な愛情がフラウロスを立たせ、地底に眠る「鉄の心臓」を呼び覚ましました。仲間の墓標の前で、彼女たちはこの国が生き延びるための、確かな骨組みを手に入れたのです。
そして、その光に応えたのは、誰よりも熱い絆を持つレゾナンスの騎士団長。
次回、第106話「疾風の救出、愛という名の盾」。
愛する「妹」を救い出すため、アスタロトが騎士団の精鋭と共に、超高速で地獄の荒野を駆け抜けます!




