第1話 未知との邂逅、既知との遭遇
第1話 未知との邂逅、既知との遭遇
だだっ広い草原に寝そべって、天高く舞う鳥の鳴き声を聞くなんて経験が、自分の人生にあるとは思っていなかった。
あの異様な体験からどれほどの時間が経ったのか。俺は明らかに学校敷地内ではない場所で目を覚ました。
(気を失ってた?まあ、あれだけショッキングなことがあればそうか)
体の感覚ははっきりしているものの、寝っ転がったまましばしの時間を過ごす。さっきも言ったが、正確な時間経過は分からない。ポケットに突っ込んでいたスマホは健在だったが、何故か時計はフリーズしていた。
首を動かしただけで得られる情報は、赫赫たる太陽と土の香り。あとは身をよじると感じる、チクチクした雑草共の自己主張くらいだ。
しかし、いつまでも草の上で大の字決め込んでるわけにもいかない。俺は弛緩したままだった脳から指令を下し、ゆっくり体を起こす。
とりあえず持ち物確認か。思いっきり圏外だがスマホは無事、肩に掛けてたスクールバッグにも損傷はない。スマホが入っていたのとは逆のポケットを探ると財布がしっかり出てきた。一応中身見ておくか。
財布を開いて札、小銭の枚数を確認する。クラスの男子の間では長財布が流行っているが、俺は入学当初からの二つ折り派だった。
「あ、やべ」
カード類のチェックに差し掛かったとき、白地でプラスチック製のものを一枚取り落とした。学生証だ。拾い上げて表裏目を通す。
"〇〇県立希望戸高等学校
2学年F組
智歳葉 菊真
本校の生徒であることを認める"
うん。問題無し。
ひと段落したところで改めて周囲を見渡す。瞳に映るは大草原。どこまでいっても人っ子一人いない。建物もない。聞こえてくるのは鳥の声だけ。ピーヒョロロロ。
やっべ〜、超怖い。なんだよこの状況。俺が何したって言うんですか。
持ち物確認とか有りがちなことして心を落ち着けてみようと思ったけど全然駄目。状況飲み込むどころか不安と恐怖でむしろ吐きそう。
原因を探るなら、あの部屋で起こったことが今の事態を引き起こしていると考えて間違いないだろう。というか、それすら関係ないとか言われたら混乱しすぎて頭パンクする。
しかし原因の所在が分かったところで対処の方法まで湧いてくる訳じゃない。つまり、ほぼほぼノーヒントで今から動かなければならないのだ。
(ここどこだ?扉は?そもそも日本か?他の連中は?怪談の正体がこれか?なんで圏外?どーすんの?戻れんの?)
答えようのない疑問だけが頭を占領し、思考の余地を与えてくれない。足の先から順に震えが駆け上がってくる。混乱が物理的な変調となって自分の体を揺らしているのが分かった。
イメージだけで言えば、周囲の風景はサバンナを思わせる草原だ。日本の何処かにもこういう場所はあるのかも知れないが、今は数多ある可能性を少しでも絞っていきたかった。おそらくは海外、サバンナがある地域に自分はいると仮定する。いや、訳わからんな。
獣の気配はないので、とりあえず食い殺されるなんて結末は想定しないでいいだろう。そうなると次は水と食料?
サバイバル経験などもちろんないので、こういうときの優先事項がさっぱり分からない。テンパりすぎてて忘れていたが、このまま状況が好転しなければ死の危険すらあるのだ。
「勘弁してくれ...」
わかりやすく弱音を吐いて俺はへたり込んだ。あの時噂を確かめたいなんて思わなければ... もし自分が女子たちのお喋りを注意していたら。クラスメイトにちょっとでも警告出来ていたら?
「………」
万事執着なく。それが俺のモットーだ。理想思想にこだわって押しつけて、悪い方に転ぶくらいなら自分が妥協した方がいい。
場の空気を壊す発言はしない。集団の流れを乱す行動はしない。リターンが無くとも被るダメージは最小限に。
小学生くらいまではこうじゃなかったんだけどね。歳を追うごとに無駄に達観した考え方をするようになった。周りからはただの捻くれ者くらいのもんだろうが。
そんな生き方に疑問も恥じらいもなかったが、今はそのせいでよくわからん事態に巻き込まれている。
こういうときのネガティブ思考は厳禁だと分かっていたが、止められない。むしろ矛先があの女子たちや扉を開けたクラスメイトに向かないだけ偉いと思う。
「はあ〜...あーあ!」
再び大の字に身を投げ出し、地面に寝っ転がる。ため息と大声のコンボを繰り出してストレスの軽減を図ったが、もちろんそんなことで気分は晴れない。
もういいや。一回ふて寝と洒落込もう。目が覚めた頃にはちょっとリフレッシュしてやる気も出るだろ。
俺は駄目人間特有の駄目思考になって目を瞑る。過去この方策をとって事態が好転したことなど無いが、気にしないことにした。こういう時はいつもどおりにすごすのさ。ルーティンてやつだ、ルーティン。
「困ッテルカ?」
「ふゅお?」
意識を途切らす間もなく唐突に投げかけられる声。それは顔の真上からのものだった。驚きのあまり声ともいえない気色の悪い音が漏れてしまったが、そんな事はどうでもいい。
俺の眼前に人がいた。日差しを遮る形で俺の顔を覗き込んでいるので、詳しい特徴は掴めないが明らかに人の顔。
誓って言うが俺は嘘を吐いたつもりはない。さっきまでのうだうだしてた数分間、人の気配など微塵もなかった。つまりこいつはその数分の間で視認もできない距離から音もなく接近し今こうして人様のマヌケ顔を見下ろしてる訳だ。
「困ッテルカ?」
同じ問いをもう一度。返答がないので聞き取れなかったのかと気を使われたか。人の話が聞き取れなくて「はい?」って聞き返すやつ、1回ならいいけど2回以上繰り返すと失礼かなと思って結局聞き取れないまま「そうですね」とか返しちゃうよね。
「超困ってる」
簡潔かつ明確な答え。驚きと混乱がブレンドされた気分だったが、声はすんなりと出てきた。
「ヨーシ!」
俺の返答のどこにそんなテンションあがる箇所が合ったのか分からないが、問いの主は掛け声に伴い勢いよく体をそらすとそのまま飛び上がる。
え?とか短いリアクションを挟む間もなかった。瞬間前まで中腰の姿勢だったはずなのに、今はもう水族館のイルカもビックリの超高度バック宙を決めている。何その瞬発力。バッタ?
そいつが巻き上げた砂煙のなか目を細めると、元いた位置から数メートルほど後方に美しく着地するのが見えた。
体操選手もかくやと言わんばかりの空中姿勢と着地姿勢。覚えのあるもので照合してみたが、トンデモな光景には違いなく驚嘆せずにはいられない。
そいつはパタパタ衣服をはたき居住まいを正すと俺に向き直る。そこでようやく不明だった顔に光が差して表情が露わになった。
「ジャーサッサト起キアガレ!」
その少女はニッコリ笑って、アホみたいに口を開けていた俺に指示を出す。
言われて気づいたが、ずっと仰向け大の字のまま今のショウを眺めていたらしい。どおりで首が無駄に痛む。
「フッ」
俺はと余裕のある笑みを作ると足に力を込めようとする。何となくこの子に気圧された感を出したくなかったので、精一杯イキッて対抗してみよう。今みたいな大道芸は望むべくもないが、せめてクールに起き上がる...。
あ、腰抜けてるわこれ。
*
「ジャーキクマハコウコウ2年ナンダナ!」
「うん、そう」
あの衝撃の邂逅から1時間と少し。俺たちは広大が過ぎる草原をてくてく歩いていた。
目の前を行く少女は独特のリズムでステップを踏みながら俺を先導する。彼女の頭に乗っかっているかごの中では、色とりどりのフルーツ?が不安定かつ絶妙なバランスで踊っている。
俺たちが今歩いているのは人の足で踏みならされたであろう行路。注意して見れば草の生え具合で気づきそうなものだが、やはりテンパっていた様だ。あ、ちなみに何故正確な時間経過が分かるかというと...
「なぁアルル、出発してからどのくらい経った?」
「ン?1時間ト8分ダナー」
こんな感じで彼女、アルルが分単位で時間を伝えてくれるためだ。精度を確かめる術はないが、返答の淀みなさに疑いより信用が勝った。
アルル・アンルール。目の前にいる少女はそう名乗った。艶のある黒髪に褐色の肌。身に纏った丈の短い白のワンピースとのコントラストがとても眩しい。見た目的な年齢はピカピカの一年生くらいだろうか。
それにしても1時間か。革靴で歩き続けているのでいい加減足がやられそうだが、アルルとの出会いは事態が好転したと見ていいだろう。
自分より年の頃が10は下の女の子に安心させられるとは情けないにも程があるが、なけなしのプライドはさっきクシャクシャにしてその辺に捨てた。私もう何も怖くない!
「デモアンナトコデ寝ルトハキクマモフテー奴ダ!」
「気をつけるよ... あそこら辺は危ないの?」
「ソンナコトナイ。タマニ"ルサイザウ"ガ出ルクライダ」
「なんて?」
「アトハマア、"ウゾバヤ"トカ"シムノメョシキ"とか...」
「いや、わからんわからん」
聞き覚えが無いにも程があるだろ。質問した側のくせに申し訳ないが、話題を変えよう。
「その果物何処から取って来たんだ?あの辺り木も生えてなかったろ?」
「何ユッテル。アノ辺ハアナバナンダゾ?」
「もしかして土の中でできるものなの?掘り起こして取って来たとか?」
「馬鹿カ?果物ハキホン木ニナルダロ」
「いやそうなんだけど...」
どっから俺の常識が通じるのか分かんねーよ。駄目だ、これもギブ。えーと、じゃあ趣味でも聞きます?
「コノ辺ダッテ近クニ森ガアルゾ。食エル物ハアンマリナイケド」
「はあ?」
「見エルダロ?アノ辺リ」
「......」
流石に聞き流すのも辛くなってきた。今のセリフは文化圏の違いから出るものじゃない。見えてるものが見えないってそれはもう生物として出来が違うとしか...
「...アルル。お前いつもこうやって果物とか取って来てるのか?」
「ソウダゾ」
「いつもどれくらい時間かけてる?」
「1時間モシナイナー。今日ハキクマヲ拾ッタカラ時間クッテル。オマエモット速ク歩ケナイノカ?」
「......」
ありえない思考が頭をよぎる。いや、既にありえない事態ではあるんだが、それ以上に馬鹿らしくて荒唐無稽な分析結果。目の前にいる少女はもしかして。俺が今いるこの地はひょっとして。
不安がぶり返しそうになるのを軽口でごまかしたくなる。会ったばっかの女の子に聞かせられるわけもないので口に出すことは無いけれど。
「家まで案内してくれてるんだよな?」
「ウン。トクベツ今夜ハゴチソウニシテヤル」
「ありがとう。あとどれくらいで着くんだ?」
「ソーダナ。走レバ15分クライカナ」
「そうか。俺今ちょっと走れそうにないからこのままでいいか?」
「仕方ネーナー」
1時間前から全く代わり映えしない景色を今一度見渡し、俺は靴ずれを起こしている足を潰す覚悟をした。
*
ひんやりした空気と日の光にいじめられた瞳を潤すかのような緑。肌に当たる風が清く感じるのは俺がこういう場所に慣れていないからか。どの植物たちも手前勝手に絡み合っているようで、どこか調和を感じさせる。
アルルの自宅は森林の中だった。複雑に巡る蔦やらおかしな形の葉っぱやら、数時間ぶりに更新された景色に、思わずキョロキョロしてしまう。予想はしていたが、いざ目の前に現れると圧倒されるのが大自然てもんだ。高速のトンネル抜けて見えた山にテンション上がる都会人と同じ。
それなりの生い茂りっぷりだが、全く太刀打ちできないほど無秩序ではない。山登りとか全然しない俺でもどうにか進める程度には歩ける森だ。ただまあ今は体が大分アレでして...
結局ここに到達出来たのは、元気溌溂だった太陽が大きく傾いた頃だった。久々に酷使した足腰がこれでもかと震えている。情けない。
アルルはといえば、平地よりこっちがホームですと言わんばかりに、顔色ひとつ変えず移動していく。あっ今ターザンみたいな動きした!
森に入ってからしばし、俺の恩人兼先導役はようやく目的地への到着を宣言した。枝と蔦と葉とを丁寧に組み込んで作られた、自然いっぱいの小屋だ。10人近く入っても問題なさそうな大きさがある。
「トリアエズ、中入レ。飯ハソノアトナ」
「はぁ゛っ う゛ん」
振り向かず声をかけてくるアルルに、えずき気味に返事を返すとその場に腰を落とす。もう服が汚れるとか意識する余裕はなかった。深呼吸してずっと溜まっていた不安を森の空気と入れ替える。
(生き残った...)
アルルに出会ってから大分和らいでいたが、やはり安全地帯を得るまでの緊張は凄まじかった。数時間に及ぶ行軍も、全身の疲労感もこの安堵には変えられまい。問題は山積みだが、あの絶望的な状況から考えれば十分すぎる進展だ。
と、ここですっかり自分があの少女を信頼しきっていることに気がついた。知らん人間に声掛けられたら警戒心MAXで対応するのが普段の自分だが、それほど追い込まれていたわけか。こんな簡単に他人に縋るなんて、所詮ただのガキだなあ俺も。
もし仮に。彼女が悪意を持って俺をここに連れてきたとしたらどうする?偶然拾った都合の良い獲物をアジトまで連れてきたとか。だとしても俺の調子に合わせて移動するのは効率が悪すぎるし、金品が狙いならその場で奪っていけばいい。じゃあ今から俺は恐ろしい儀式の生贄にされるとか?何だそのB級ホラー。
もういいよ。俺はあの屈託なく笑う少女を信用すると決めてしまった。後のことは後で考えよう。
「キクマ!」
「ぶっ」
耽っていたのも束の間、顔面に重みのある何かをぶつけられる。質感的に布?
「ゴチソウマデ時間カカルカラ水浴ビシテコイ。チャント体綺麗ニシテコイヨ」
アルルはそう言うと顎の先で水場を指し示してくれる。会った時から思っていたが、時々男勝りというか格好いいんだよなこいつ。自然の力がそうさせるのか?
「ああ、ありがとう」
投げつけられた着替えを小脇に抱えて水場に向かう。どうせなら洗濯までしてしまいたいところだが、手洗いはしんどいな...
窪地に突き当たったので歩みを止めると小さな川が見えた。水の底がわかる程度の深さで、流れはそこまで速くない。川縁に岩がゴロゴロしていて、水に浸かるまでには注意が必要そうだ。
地元では拝めないくらい澄んだ水のせせらぐ音がなんとも心地良い。ベタベタの体を流したい気持ちが強くなり、勢いよく制服を脱いでいく。が、ベルトを外したところで手が止まった。
外で裸になるという行為に対するとてつもない抵抗感。水浴びが目的なんだから、これはやましい行為ではない。アルルにもちゃんと綺麗にして来いって言われたし。羞恥心も当然あるが、人の目が無いなら屋内も屋外も大差はない。でも...
今更どうにもならんのだし、早めに覚悟を決めよう。これからこういうカルチャーショックを乗り越えていかなきゃならんはずだ。待つか?おれのメンタル。
「うおお!脱げ!晒せ!俺の全てを!」
掛け声と共にスラックスをずりおろし、パンツに手をかける。刹那の逡巡があったものの、勢いに任せて脱ぎ捨てた。あれ?これ普通に変態行為では?
己を縛るものがなくなった以上、あとは清らかな水に身を委ねるまで。今行くよ、俺のヴェルツァスカ。
「あ、やっぱり智歳葉だ」
寝耳に水。窓から槍。青天の霹靂。
最初はアルルが様子を見に来たのだと思った。けどあいつは俺を下の名前で呼ぶ。近くに別の住人がいたのか?アルルが一人暮らしかは確認していないので、家族か、誰かしらご近所さんがいたっておかしくない。でも名前呼んだよな?アルルが知らん間に俺を紹介していた?だとしてもやっぱりっておかしいだろ。じゃあ俺を前から知ってる誰か...
「わたしわたし、楯椅子柑奈!」
そこにいたのは本当によく見知った顔。クラスメイトの中でもさらに身近な存在。出席番号11番。俺の前の席の女子。クラス1の人気者、楯椅子柑奈だった。




