表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
置き去りにされた王太子の婚約者は拾われて幸せになる  作者: 朝山 みどり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/10

06 アレクとデイビス

  06 アレクとデイビス


「船に一緒に乗せてしまったな」


 窓の外に広がる海を眺めながら、アレクは静かにつぶやいた。


 部屋の向かいで紅茶を口にしていたデイビスは、小さく肩をすくめる。


「仕方ないさ。あの状況で港へ置いてくるほうが、よほど非情だ。捜索願いも確認した。どこからも届け出は出ていなかった」


「そうだよな……」


 アレクはため息をついた。


「身なりや言葉遣いから見て、あの子は間違いなく貴族の令嬢だ。それなのに誰も探していない」


「考えられるのは二つだ」


 デイビスは指を折った。


「意図的に捨てられたか、自ら逃げ出したか」


 その言葉に部屋の空気が重く沈む。


「栄養状態も良くない。骨ばっているほどではないが、痩せすぎだ」


 医師らしい目で診察した結果を思い返しながら続ける。


「体に殴打の痕はない。骨折の治り跡もない。しかし精神的な虐待を受けていた可能性は高い。保護が必要だった、と私は堂々と主張できる」


 しばらく沈黙が流れた。


 船底を打つ波の音だけが静かに響いている。


 やがてデイビスはアレクへ視線を向けた。


「これから、どうするつもりだ?」


 アレクは少しも迷わなかった。


「せっかくできた縁だ。最後まで面倒を見る」


 その声には決意しかなかった。


 デイビスは穏やかに笑う。


「それでいい」


 一拍置いてから、


「あと五日は船旅だ。焦る必要はない。事情を聞く時間はいくらでもある」


「無理に聞き出すつもりはないよ」


「それでいい。話したくなるまで待ってやれ」


「もちろん」


 アレクは窓の外へ目を向けた。


 夕日に照らされた海は、まるで新しい人生の始まりを祝福しているようだった。



 いつの間にか眠ってしまっていたアリスは、控えめなノックで目を覚ました。


「アリス様、お食事のお時間ですよ」


 ラズベリーが優しく声をかける。


「……はい」


 まだ少し眠そうな顔で返事をすると、夕食は部屋まで運ばれてきた。


 甘く煮たりんごと柔らかな豚肉。


 湯気の向こうから漂う香りだけで、お腹が鳴りそうになる。


「美味しい……」


 思わず小さな声が漏れた。


 久しぶりに安心して食べる食事だった。


 食べ終える頃、再びラズベリーが部屋へ入ってくる。


 今度は両腕いっぱいに荷物を抱えていた。


 机の上へ次々と置かれていく。


 新品のノートと筆記具と本が何冊か。


「とりあえず、港でご用意できたものです」


 ラズベリーは微笑んだ。


「他に必要なものがございましたら、どうか遠慮なくお申し付けください」


 そして、クローゼットへ視線を向ける。


「お洋服も船に乗る前に急いで揃えたものです。十分とは申せませんが、どうか数日はご辛抱ください」


 アリスは慌てて首を振った。


「そんな……。こんなにしていただいて、本当にありがとうございます。十分すぎます」


 アリスは素直にお礼を言っている。


 それが、ラズベリーにつらかった。



 一人になると、アリスは早速ノートを開いた。


 真っ白な一ページ目。


 少し考えてから書き始める。


『これからやること』


『仕事を探す』


『勉強を続ける』


『お金を貯める』


『迷惑をかけない』


 文字を書いているうちに、不思議と頭の中が整理されていく。


 嫌なことも、口惜しかったことも、悲しかったことも、全部文字に変えてしまえば、少しだけ小さくなる気がした。


 船を降りたら働こう。


 誰にも迷惑をかけず、一人で生きていこう。


 本当に遠くまで来てしまった。窓から見える海の向こう……


 もう侯爵家も、城も幼い頃を過ごした場所も見えない。


 ——遠くへ行きたい。そう願った。


 そして今、文字どおり手の届かない場所になっていた。


「……これで、いいのよね」


 誰に言うでもなく、小さくつぶやいた。



 夕食は食堂ではなく、アレクの部屋で一緒に食べることになっていた。


 身支度を終えたアリスは静かに迎えを待つ。


 コンコンコンコン、控えめなノック。


「アリス、迎えに来たよ」


 聞き慣れた優しい声だった。


 扉を開けると、アレクが柔らかく微笑んでいる。


 自然な仕草で右手が差し出された。


 なにも考えることなく、そっと手を重ねる。


 背筋を伸ばして、視線は少し前。


 顎をほんの少しだけ上げる。


 自分をきれいに見せる歩幅。


 それは美しく完成された令嬢の所作だった。


 アレクは思わず目を細める。


(やっぱり……)


 間違いない。


 この子は徹底した教育を受けている。


 努力して身につけた動き。


 それが何も考えず自然に出てくる。


 アリス自身はそんな視線にまったく気づかず、いつも通り歩いていた。



 夕食は香ばしく焼かれた鶏料理だった。


 甘酸っぱいベリーソースが添えられ、香りが広がる。


「いただこうか」


 アレクは手際よく鶏肉を切り分け始めた。


「アリスは、まだ脂の少ないところがいいね」


 そう言って柔らかなささみと胸肉を皿へ乗せる。


「ソースは好き?」


 デイビスが尋ねる。


「はい、とても好きです」


「じゃあ多めにしてあげよう」


「ありがとうございます」


 アリスの皿いっぱいにソースがかけられる。


 嬉しそうに笑う顔を見て、アレクとデイビスはそっと顔を見合わせた。


(ようやく笑った)


 二人とも同じことを考えていた。


 食後、アレクがデザートの皿を眺めながら聞く。


「アップルパイとコンポート、どちらにする?」


 アリスは悩んだが、


「……コンポートにします」


「いい子だ。夕食のあとにパイは少し重いからね」


「そう思いました」


「昼だったら好きなだけ食べてもいい」


「本当ですか?」


 ぱっと顔が明るくなる。


「もちろん」


 その無邪気な笑顔に、部屋の空気まで柔らかくなった。


 食事が終わり、お茶が運ばれてくる。


 カップを両手で包むように持ったアリスは、少しだけ視線を落とした。


 そして意を決したように口を開く。


「アレク様」


「うん?」


「……わたくしのことを、お話ししてもよろしいでしょうか」


 その声は小さい。


 けれど、逃げる声ではなかった。


 アレクは優しく微笑む。


「話してくれるの?」


 少し間を置いて、


「もちろん聞く。でも、無理に話さなくてもいいんだよ」


 アリスはゆっくり首を横に振った。


「いえ……お話しさせてください」


 一度息を吸う。


「愚痴になるかもしれません」


 また少し考える。


「愚痴というより……恨み辛みです。聞いていて嫌な気持ちになるお話かもしれません」


 アレクは静かに答えた。


「何を聞いても驚かない」


 その一言だけだった。


 安心させるためでも、励ますためでもない。


 ただ、受け止めるという意思だけが込められていた。


「デイビス様もいいですか?」


 とデイビスを見てアリスが言った。


「もちろん、聞かせてもらうよ」



 これから、自分の人生を初めて誰かに話す。


 その重さを、アリスは静かに噛みしめていた。



いつも読んでいただきありがとうございます!


誤字、脱字を教えていただくのもありがとうございます。

とても助かっております。

楽しんでいただけましたら、ブックマーク・★★★★★をよろしくお願いします。

それからもう一つ、ページの下部にあります、「ポイントを入れて作者を応援しよう」より、ポイントを入れていただけると嬉しいです。

よろしくおねがいします。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ