追放された地図係、白紙の地図を抱えて雨の辺境へ行く
「アルト、お前は今日で勇者パーティを抜けろ」
勇者レギスは、王都ギルドの広間でそう言った。
周囲の冒険者たちが一斉にこちらを見る。酒杯を持つ手が止まり、掲示板の前にいた新人まで首を伸ばした。
僕、アルト・レインは、抱えていた地図筒を握り直す。
「理由を聞いてもいいか」
「簡単だ。お前は戦えない」
レギスの後ろで、剣士と魔法使いが頷いた。聖女ユリアだけは、目を伏せている。
「迷宮の道順、魔物の巣、崩落しそうな床。全部、僕が測ってきた」
「それはもう要らない。王都の公認地図を買った」
レギスは机に一枚の羊皮紙を広げた。金の縁取りがあり、王都地図院の印章が押されている。
確かに立派な地図だった。
ただし、立派なことと正しいことは違う。
「その地図、北側の水路が古い。三日前の地震で地形が変わっている」
「地図係の負け惜しみだ」
笑い声が起きた。
魔導測量士。
僕の職業は、冒険者の中では地味だ。
剣を振れない。炎を飛ばせない。治癒もできない。
できるのは、土地を測ることだけ。
白紙の地図に、地形の真実を浮かばせることだけだ。
「荷物をまとめろ。報酬の分け前はここまでだ」
「分かった」
僕が頷くと、レギスは拍子抜けしたように眉を上げた。
「ずいぶん素直だな」
「測量士は、危ない土地からは早めに離れる」
「何だと?」
「その地図を信じるなら、次の迷宮で東通路へ入るはずだ。あそこは今、地下水が上がっている。足場が落ちる」
広間が少し静かになった。
レギスは鼻で笑う。
「脅しには乗らない」
「脅しじゃない。測量結果だ」
僕は白紙地図を地図筒へ戻した。
その時、ユリアが小さく言った。
「アルト、ごめんなさい」
僕は首を振る。
「謝るなら、東通路へ入る前に止めてやってくれ」
ギルドを出ると、雨が降っていた。
王都の石畳は冷たく光り、馬車の車輪が泥水を跳ねる。僕の荷物は、測量杖一本、折り畳みの測量鎖、白紙地図の束、それだけだった。
さて、どうするか。
王都に魔導測量士の仕事は少ない。公認地図が幅を利かせ、現場で歩く測量士は古い職能だと言われている。
掲示板の端に、濡れた求人票が貼られていた。
『フォルン辺境伯領、臨時測量士募集。街道崩落、水路枯渇、魔物被害あり。成功報酬制』
誰も取らないわけだ。
遠い。
危ない。
しかも成功しなければ報酬はない。
けれど、求人票の下に描かれた粗い領地図を見た瞬間、僕は足を止めた。
川の線がおかしい。
山裾の傾斜と水路の向きが合っていない。
もしこの地図が正しいと思われているなら、井戸が枯れるのも、街道が崩れるのも当然だ。
「測り直せば、まだ生き返る」
僕は求人票を剥がした。
三日後、乗合馬車を降りた僕の前に、灰色の辺境が広がっていた。
フォルン領。
雨に煙る丘、崩れた街道、閉じた市場、遠くでかすかに聞こえる魔物の遠吠え。
出迎えに来たのは、茶色の外套を着た若い女性だった。
「あなたが臨時測量士?」
「アルト・レインです」
「セリア・フォルン。父が倒れているので、今は私が領地代理を務めています」
彼女の目の下には疲れがある。けれど背筋は折れていなかった。
「正直に言います。うちは赤字です。井戸は枯れ、街道は沈み、市場は閉じ、王都からは税の催促だけが来る。報酬はすぐには払えないかもしれません」
「成功報酬制と書いてありました」
「読んだ上で来たの?」
「はい」
セリアは少しだけ目を丸くした。
「逃げても責めませんよ」
「逃げるなら、ここまで測量杖を抱えて来ません」
僕は雨の中で白紙地図を広げた。
紙面は真っ白。
セリアが怪訝そうに眉を寄せる。
「地図は?」
「今から作ります」
測量杖を地面へ突き立て、測量鎖を一歩ずつ伸ばす。泥が靴にまとわりつき、雨粒が紙へ落ちる。
けれど白紙地図は濡れない。
魔力を吸い、土地の声を待っている。
「基準点、設置」
杖の先から淡い光が広がった。
白紙の上に、細い青線が浮かぶ。
セリアが息を呑んだ。
「水脈?」
「はい。枯れたはずの井戸の下を、まだ流れています」
青線は村の中央を避け、古い倉庫の裏へ曲がっていた。さらに灰色の沈みが街道に浮かぶ。
「街道の沈下は、ここから三十歩右へずらせば避けられる」
「そんなことが分かるの?」
「地図に出ています」
セリアはしばらく黙って、白紙地図を見つめた。
そして、雨に濡れた顔で笑った。
「アルトさん」
「はい」
「うちの領地を、測り直してください」
その言葉を聞いた時、胸の奥に残っていた追放の痛みが、少しだけほどけた。
戦えない地図係。
王都ではそう呼ばれた。
でも、ここにはまだ測るべき土地がある。
正しい地図を待っている人がいる。
僕は測量杖を握り直した。
「まずは、井戸を掘る場所を決めましょう」
白紙地図の青線が、雨の中で静かに光っていた。
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