第1話 火葬
『泣くのは五分間だけだ。朝食にオムレツを焼く準備をしろ』
父の葬儀の翌日。
死んだはずの父にそっくりの声を、美月は聞いた。
誰もいないはずの、父の書斎で。
机の上の、無機質な円筒形のデバイスから。
ふと、葬儀の日のことを、思い出す。
そう、あの時からすべて父に仕組まれていたのだ。
葵があの封筒を手渡したときから。
***
火葬炉の扉が閉まる音は、思っていたより事務的だった。
美月は、その音をどこか遠くで聞きながら、係員に渡された案内札の番号を二度確かめた。十七番。口の中で繰り返した。
待合室は薄いカーテンで仕切られた個室になっていて、壁掛けのモニタには遠隔参列者の小さなウィンドウがいくつか並んでいた。画面の上端に〈故 佐倉 健一郎 告別式 二〇二六年九月二日〉と細い書体で表示が出ていた。父の同僚だという海外の研究者たちが、黙って画面の隅に座っている。
「美月」
声をかけてきたのは、高校の親友の莉子だった。喪服の袖を引っ張られて振り向くと、莉子は紙コップの茶を差し出してきた。
「飲みなよ。冷めるから」
美月は受け取ったが、口はつけなかった。莉子はその横にそのまま座り込んで、しばらく何も言わなかった。
「泣いていいよ」
ふと莉子が言った。誰にともなくこぼすような言い方だった。
「うん」
美月は答えたが、首は横に振った。莉子はそれ以上は言わなかった。代わりに、自分の紙コップを両手で包み込んで、何かを温めるように長く息を吐いた。
向かいの伯母が、香典返しの段取りについて小声で聞いてきた。美月はスマホを取り出し、父が生前に残した葬儀メモの該当ページを開いて見せた。父は想定される質問と回答を、几帳面に箇条書きで揃えていた。
「美月さん」
別の声がした。顔を上げると、見覚えのない女が一人、頭を下げていた。年齢は二十代の半ばだろうか。襟元のきっちりした喪服に、銀縁の眼鏡。瞼の下に薄く青い隈があって、それが化粧で隠されきっていなかった。
「室田葵と申します。佐倉先生の、対話型AI研究室にいた者です」
ああ、と美月は曖昧にうなずいた。父が生前、何度か名前を口にしていた気がする。たしか、博士を取ってからも研究室に残って、父の仕事を間近で継いでいるという人だった。
「先生から、預かっていたものがあります」
室田葵は、内ポケットから封筒を取り出した。表書きはなかった。糊もきちんと閉じられていた。
「中身は、私は存じません。書斎のものは、美月さんに直接、と」
葵はそれ以上の説明はせず、深く頭を下げて、自分の席に戻っていった。美月は封筒を膝の上に置いた。重さはほとんど感じられなかった。
放送が、十七番のお骨上げを案内した。
骨は、思っていたより白かった。父はもう少し茶色いものになる気がしていたのに、係員が長い箸で示してくる骨は、どれも淡く、作り物のようだった。喉仏のかたちを教えられて、美月はうなずいた。父はそれを最後まで「のどぼとけ」とひらがなで呼んでいた。父らしい、と思ったところで、まばたきが遅くなった。
霊柩車の運転席には式場の運転手が座り、助手席にもうひとりスタッフが乗っていた。出発するときに「直線で帰路に入ります、十二分ほどで到着します」と前の席から低く告げられた。
美月は窓に額を押し当てた。骨壺は膝の上にあって、白い布で覆われていた。莉子が隣の席で何も言わずにいてくれたが、美月は莉子の顔を見られなかった。見たら何かが崩れる気がして、ずっと窓の外を見ていた。葵は同じ車には乗らなかった。後ろから別の車で追ってくると言っていた。
膝の上の封筒は、骨壺の隣で、まだ閉じられたままだった。
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