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『線を引いた男』  作者: GT☆KOU


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12/22

第十二話 線の先

 社長室に呼ばれたのは、夜だった。

 ほとんどの社員が帰った後の時間。成形棟の灯りはまだ一部が点いている。吉山はネクタイを整え、静かに扉を叩いた。

「入れ」

 星崎の声は低い。

 室内は明るすぎず、机の上にだけ灯りが落ちている。資料の山は減っているが、緊張は減っていない。

「座れ」

 吉山は椅子に腰を下ろす。

 しばらく無言が続く。

「半年と言ったな」

「はい」

「本気か」

「本気です」

 間を置かずに答える。

 星崎は吉山をじっと見る。責める目ではない。測る目だ。

「戻せば楽になる」

「はい」

「戻さない理由は」

 問いは単純だ。

 吉山は少しだけ視線を落とす。

「戻せば、また同じことが起きます」

「同じこと?」

「揺らぎを隠す。残業で帳尻を合わせる。慣らしを削る。完璧な数字を作る。その繰り返しです」

 星崎は腕を組む。

「数字は戻る」

「短期は」

「株価も戻る」

「はい」

「それでも戻さない?」

「戻しません」

 迷いはない。

 星崎は窓の外を見る。灰色の工場が広がっている。

「現場は反発していると聞いた」

「しています」

「経営も揺れている」

「承知しています」

「それでも進む?」

 吉山はまっすぐに答える。

「進みます」

 短い沈黙。

「なぜだ」

 経営者としてではなく、一人の人間としての問いだった。

 吉山は息を吸う。

「守りたいからです」

「何を」

「壊れない形を」

 言葉は静かだが、揺れていない。

「定時までが実力だと、若い頃に言われました」

 星崎の目がわずかに動く。

「無理を前提にした成果は、続きません。現場が削られ続ける限り、会社は持ちません」

「理想論だと言われたら」

「理想です」

 吉山はうなずく。

「ですが、理想を捨てた瞬間に、線は消えます」

 星崎はしばらく黙っていた。

 やがて立ち上がり、窓の前に立つ。

「若い頃、私は短期数字を守った」

 静かに語り始める。

「評価は上がった。株価も上がった。だが一年後、ラインは崩れた」

 吉山は初めてその話を聞く。

「人が辞め、設備が壊れ、信用を失った」

 星崎は振り返る。

「戻さない判断は、楽ではない」

「はい」

「市場は理解しないかもしれない」

「承知しています」

「半年で戻せなければ?」

「退きます」

 再びその言葉。

 星崎はゆっくり首を振る。

「退くのは最後だ」

 静かな声だった。

「まずはやり切れ」

 その言葉は命令ではない。託す響きだった。

「揺らぎを含んだままで安定させろ。できるか」

 吉山は一瞬だけ目を閉じる。

「やります」

 短い返答。

 星崎はうなずく。

「私は外を守る」

「ありがとうございます」

「礼はいらない。半年後、結果で話せ」

 吉山は立ち上がる。

 扉に手をかけたとき、星崎が言う。

「線は一人では引けない」

 吉山は振り返る。

「湊を使え」

 若い名前が出る。

「彼は揺らぎを読む目を持っている」

「分かっています」

「ならいい」

 吉山は一礼し、部屋を出る。

 廊下は静かだ。

 灰色の工場は夜の中で揺れている。

 線は、まだ消えていない。

 むしろ、少しだけ太くなった。

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