第8話 現在地に触る
◇
小説上の主人公サイドをピックアップすると、久保が特に印象に残っているキャラクターは主人公を除くと6名の若き男女である。
井上 雅代 能力:能力共振
葛 恭士郎 能力:血液燃焼
黒谷 甲斐 能力:儀魂銃
三宮 巫実 能力:地脈接続
白石 勇亮 能力:等価交換
美南 深幸 能力:視覚強化
小説投稿サイトにあるマイページの非公開情報の一部には設定と称して、登場人物が連ねられている。
内、裏切りや退場により最終決戦を迎えられたのは、葛恭士郎という人物と美南深幸の2名だ。葛は敵対サイドをまとめる人間と、美南は神の一角と対峙した。そして、その2名ともが最終決戦から生存し、帰還を果たす。
その状況だけで、美南と葛が後に結ばれるのは十分だった。何かと悪態をついていた2人だが、生存者故の強固な絆が形成されているはずだった。
久保の目の前には創作されたキャラクターの1人がいるが、何を言われたか理解できなかった。
「……付き合っている? 誰と誰が?」
「わたくしと耀壱さんが、ですよ」
再度聞いても、理解を拒否している。
今もなお設定の中で生き続けている、美南深幸という存在の根幹にはあってはならない要素であるからだ。久保は恐る恐る、美南の認識を訊ねる。
「いやいや。深幸さんは元々別に彼氏がいましたよね?」
「……? いませんけど」
完全否定が入る。こうもきっぱり否定されると後が続かなくなり物怖じするが、思い切って踏み込む他ない。認識のずれに焦燥感が沸き立っている。
「少なくとも高校自体の話ではありましたよね? その……、葛との仲はどうだったのですか?」
「あの男とですか? 確かによく知っている間柄ではありますが、好きになったことは一度もありませんよ。頼もしいとは思っていましたが、そういった恋愛を挟んだ雰囲気には一切なりませんでしたよ」
葛の名前を出してみたが、美南は少し不機嫌そうに唇を尖らせるばかりだ。彼女の反応に、久保が持つイメージが崩れていく音がした感覚を持つ。
唖然としている久保に何を思ったのか、美南がそのまま追い撃ちをかける。
「耀壱さんの持っている設定上ではそうだったのか、それともその予定であったのかは不明ですが、残念ながらわたくしの中ではあの男とお付き合いした事実はありません。関わりのあったタイミングでは現を抜かせる程、わたくしに余裕もありませんでした。それに――。いや…………、これは今申し上げることではありませんので聞き流してください」
前のめりになる美南に、久保の重心が後ろに下がる。ミニテーブルを挟んでいるため、接触は無いのだが、彼女のプレッシャーに気圧されている。
「もしや、嫌ということでしょうか?」
どうしてこの状況になっているのか汲み取れず、美南の問い掛けに言葉が詰まる。
言語化自体はできるのだ。しかし、感情論の押し付けになってしまうような気がして、説明に躊躇う。加えて、予期せぬ事実を久保は受け入れ切れていない。
久保は数分間の苦慮の果て、やはり伝えておくべきかと決断した。
「嫌とか、そんな意味ではありません。ただ、僕の書いてきた作品に於いて、美南深幸と葛恭士郎は最終的に結婚し家庭を築くんです。そこに認知できないはずの作者である僕が割り込んで、奪い取るような真似はしたくない。配慮に欠けています」
そういうジャンルが恋愛作品の中で存在するのは知っているが、現実で実行するわけにもいかない。フィクションだから許されているのだ。
実際は異なる世界で異なる結果に変わっているのだから良いじゃないかと思われても、作者たる本人には受け入れがたい実情だ。
久保の意見を聞いて、意見を変えない意思を悟ったのか美南は「かしこまりました」と目を伏せた。久保は意外とあっさり了承したことに内心驚きつつ、美南の仕草にばつが悪くなり目を逸らす。
「しかし、困りましたね」
そんな中、美南は演技を含んだような物言いで呟いた。彼女の声に、久保の言い分で美南が尊重し退いた態度が、久保にはその瞬間幻想に感じた。
「……何がですか?」
「大学内では同級生の間で認知されているように結果が書き換わっているのです」
恐る恐る訊ねたところで、逃げ道を塞ぐ言葉の槍が久保に直撃する。
想定は直ぐにできただろうが、元からある意向が反映され過ぎて久保には考えつかなかった。普通に考えれば、そうだろうなとなるに違いない。
シリアスな展開から想像できない、なおも演技臭い美南の棒読みが久保を追撃する。
「耀壱さんの意思を汲み取って、別れたと周囲に説明ないしは立ち振る舞いが求められますね。そうなりますと、今後の付き合い方、護衛状況にも支障を来すかもしれません。勿論、耀壱さんがポーズだけでも認めていただけるのであれば、そのあたりを考慮しなくて良くなるのですが……」
動揺し唖然とする久保に否定の言葉は見つからなかった。
結果が塗り替わったお陰で、この先の久保の未来は少しの判断ミスが命取りになりかねない。過去の久保はそれが妥当だからと許容したのだろう。理解はできる。理解はできるが――。
目をきつく閉じ、考える。
今の久保自身の心情と生存のための正着を天秤にかけていく。ただ、その天秤は命を秤に乗せた時点で釣り合いが取れなくなっている。
「んんん。うーん。……えっと、…………はい。わかりました」
久保は呻きながら、辿々しい意思の弱い言葉を放つ。よもや一択に絞られていたが、久保が出した結論に対し、美南はにこやかに微笑んでいた。
美南の表情の意図を不審に思いつつも、久保は結果を変えたであろう浅はかな過去の自分自身を猛烈に呪う。
こうなってしまうと、下手なことはせず現状維持寄りに貫き通すしかない。
激変する久保の日常の中で、今はたったの1日目でしかないのだから。
◇
久保の部屋から退出した美南は、遠くの空を見上げるように目を細めた。昨日の事件から数時間経っているが、世界の様子は何ら変化が無く続いている。青々とした空が象徴しているようだった。
結局、美南は久保の家に泊まり、朝を迎えることになった。
理由は単純で周囲の危険性を加味した結果である。いくら美南の能力が優れていようと、ふとした隙に後手を踏めば対応が危うくなる。それを危惧した美南は半ば強制的に滞在を押し切ったのだが、久保からは異論は特になかった。
できる限り何かの間違いも犯さないように、久保はせっせと布団を離して眠りについていたのを思い出し、美南はふふふと微笑む。特に深い意味は全くないが、久保からすれば人生初の、身内以外の異性と一夜を共にしたことになるのだ。久保が疚しい気持ちを押さえているのだと妄想するのは意外にも面白い。
緊張のせいか眠りが浅そうな様子や、美南が先に起床し朝食の準備をしているタイミングで寝ぼけ眼で起きてきた様子、次第に覚醒し事態を再度理解しようとしていた様子を、美南は他人事に眺めて楽しんでいた。
話は変わって、実は美南の家が久保の住むアパートの隣だったことは、既に久保に共有している。これも結果の改変の影響を受けたのだろう。美南の存在が確立し、それに合わせて都合よく久保の周囲が改竄されている。この場で偶然出会い、久保との関係を築くようになったのだと、美南の記憶にも侵食してきているのだ。
それでも、美南はこの影響を不快には感じていない。割り切っているからとは違う、美南の本心だ。
現状、美南の護衛対象が久保であることを優先しているのは変わりない。他の許容できる変化は些末だと捨て置いているのだ。
ただ、久保の方はというと、どこか負い目がある様子だった。
大方、以前に隣の住民と顔を合わせる機会があったことを思い出していたのだろう。その記憶も抹消されるように世界が書き換わっている事実があるならば、消えた誰かの存在も併せて後ろめたさが芽生えていてもおかしくはない。
美南に罪があるわけでもないので、久保からこの件で言葉を発することもなかったが、そういった現象で悩まされる時がこれからも来る可能性はあると、美南は心に留めておく。久保自身も同様な考えを持つだろうが、サポートの体制を用意しておくのは悪くはない。
それが久保に能力を使わせないようにすることにも繋がる。この先、一貫して厳守させねばならない制約となるのだから。
(……さて)
あくまでも護衛優先だと説き伏せた結果、一夜を共にした美南は思考を巡らせる。
朝食を終えた後、漸く隣の自室から荷物を纏めるために外に出てきたのだが、美南はその場から動かない。
見つめる先を隈なく探索しているのだ。
(昨夜から警戒はしていましたが、付近には追手はいないようですね。撤退というよりかは体制の再構築が目的でしょうが)
美南自身の能力により、どんなに死角になる場所でも光の通り道になれば、事実上射程内すべてを目視することが可能である。そして、視界に収まるすべての情報を洗い出して、瞬時に敵の動きかどうかを判別できる。
護衛の補助の面から言えば、これ以上ない能力なのだ。
(耀壱様があの男と邂逅した場所には、戦闘の痕跡が1ミリもない。どうやらそれなりの能力者がついているみたいですね。再生か、修復か、時間遡行か、記憶改竄か、はたまた別系統で同様なことを満たせるものなのか。……昨夜、あの男のバックアップにいた人物は2人。武装はありましたが、介入が無い時点でサポート特化が本線になりますか。能力の有無は不明ですが、少なくとも1人は能力持ちだと判断して良いでしょう。男の動きからして、情報支援か能力補助を受けていた可能性も浮上していますね)
昨夜の戦闘が終了してから、美南が分析した結論がそれになる。
前線に出ていた男は物質の形状変換が有力なため、残りのメンバーと動き、そして現在の地形情報から割り出したものとなる。
ただ、1日でそこまで分析したとしても美南の顔色は余裕がなく芳しくない。
(能力の行使までは見落としましたが、戦闘の痕跡を消滅できるほどの地形操作であった場合、危険度はかなり上がります。警戒を引き上げなくては。…………それに、――)
これ以上の結論は出せないと判断するや、美南は視線をアパートの扉方面に向けた。目の前にあるのは当然アパートが構成する壁になるが、跨いだ先を美南は見ているのだ。
視線の先を直線で引いたとき、あるのは久保の通う大学のキャンパスだ。本日は何事もなく講義に出席する予定の地である。
そして、美南の中に無理矢理捩じ込まれたように、ありもしない記憶が存在している。
構造や外観、今まで受講してきた講義、友人関係等が不気味にインプットされている。久保の力の一端から生み出されてなければ、このおどろおどろしい気持ちや過去の正史も美南から消滅していただろう。
それでも、美南は混在する記憶の感覚を不気味程度に留めている。
(解ってはいましたが、こういう感覚なのですね。しばらくは耀壱様とともに事象の補正に時間がかかるでしょう。改変にいくつもの影響が出ていないと嬉しいのですが……)
記憶の齟齬との擦り合わせも必要だが、相手が学生の多いところで一般人を無視して襲撃された場合の対策も考えておかねばならない。
久保にも必要な点は伝えるつもりではあるが、ありとあらゆる思案は美南の領分になる。
早い時間から足を運ぶ学生の姿が、既に疎らに存在しているのを認めたとき、美南の知覚にアラートが走った。
「へぇ」
不意に言葉が口から漏れるが、聞いている者はいない。
それを確認した後、美南は興味を失い、漸く隣の自室へと足を運ばせた。当然、部屋の鍵も所持しているのは、世界が改変された結果である。
◇
久保の基本的な移動手段は徒歩である。
大学までの距離は徒歩が確定していて、いつもそれを見積もって家を出ている。1人暮らしになってからこれが基本になっているものの、本日から様相が少し変わる。
徒歩であるのは今まで通りなものの、隣を歩く異性の相手がいるのは緊張感が漂う。デートの類では無いとは分かっていつつも、女性経験が乏しい久保には、2人きりの状態は寝泊まりするものとは別ベクトルに意識してしまうものだ。
できるだけ自然さを保とうとするも、ところどころ身体が硬く、動きもどこかぎこちなくなる。足取りが自分ではないような感覚だと錯覚してしまうほどだ。
久保は隣の人物を横目に見るが、美南は久保とは異なり非常に端正とした姿勢で、悠然と歩みを続けている。
彼女から、昨夜付き合っている設定を暴露されたが、美南に緊張の様子はない。寧ろ、久保が意識しすぎていて、今後について頭を悩ませているのだ。
意見交換をして軽い口裏合わせは済ませているが、深く突き詰められれば程よい応対は難しいだろう。誠実なお付き合いへの恥ずかしさよりも、ボロが出ないかどうかの不安が久保の脳内を占めている。別れる選択は取れず、苦渋の決断の末自分自身が変革した世界に恭順していくのだ。自業自得と言われればその通りだが、久保の与り知らぬ結果を受け入れるのはまだ時間がかかりそうだった。
ならば、これらに対して結果を改変してしまうのも最終手段の1つだが、生憎と影響度合いの見込みが読めなさ過ぎて断念している。
考え事が多すぎて無言の中歩いていけば、大学の敷地内に足を踏み入れている。学生用のアパートを借りている性質上、通学距離も非常に近い。
昨日の今日ではあるが、講義は1限目からになる。美南の存在によって生活リズムが正されたお陰か、余裕をもって出てこられているのを端々に感じる。普段は1人暮らしにかまけて惰眠を優先し朝食を取らないのだが、今朝はしっかりと食事も取っていた。
そこで通学中の美南との会話が一切ないことに気付き、久保は苦し紛れに口を開いた。
「深幸さんはキャンパスの中に入るのは初めてですよね?」
「はい。わたくしの記憶には上澄み程度にこべりついていますが、厳密には初通学となりますね。見慣れた風景としてインプットされているのは、些か変な気分ですが」
久保が美南を助けとして喚んだ結果の影響だが、そのお陰で美南本人は喚ばれた形跡が残されているために記憶の完全歪曲まではされていない。恐らく、美南の記憶は現状二重となっているのだろう。
世界が虚構で塗り固められた片方を事実と認定している状況を、照らし合わせて行動していかなければならない。昨夜の時点で会話した内容である。
ならば、より重要なのは久保の方になる。現状、久保が認知できていない世界だからだ。
まずは様子見で同級生や関わりのある人と接して、その感触から行動を擦り合わせていく必要がある。
「一応、僕の方が最低でも2年分のしっかりした記憶があるので、困ったことがあったらすぐに相談してください。深幸さんは必要としないかもしれませんが」
「いえ。そんなことはありませんよ。情報は正義です。周囲へのアンテナはわたくしが張っていますのでご安心ください。ですが、対人における意思疎通はどうしても耀壱さん頼りになってしまいますから」
できるだけ普段のコミュニケーションとなるように注意を払いつつ、キャンパス内を進んでいく。もうすぐすれば、選択した講義がある教室棟へと辿り着く。
周囲は久保と同様に目的地へと静かに歩を進めている。朝からの講義の為、1人で歩いている者が大半だ。それでも、久保と美南の2人組が注目を浴びるなんてことにはならず、100パーセントの無関心が全体を占めている。誰も久保と美南を不思議そうに見る者はいない。
それから簡単な会話を2人でしているとき、ふと美南がどこかに首を向けている。
「……どうかしましたか?」
「こうして普段通りに運んでいる以上、この学び舎が戦場になる可能性もありますから。記憶には流れ込んできていますが、実際の建物の様子等を軽く見ておきたかったのです」
自身の言葉に倣うように周囲をぐるりと見渡した後、美南は最終的に久保と目を合わせた。確かに、護衛の観点ではオブジェクトやアイテムの場所が重要になってくるのだろう。その様子に感心しつつ、余計な気を回していたかもと久保は謝罪を入れておいた。
「警戒してくださっていたのに、支障を来していたなら、すみません」
「邪魔ということはありませんよ。軽く観察したかった程度ですので。こうした情報収集も、わたくしにとっては片手間で十分ですから」
圧倒的な自信のある声音で、美南は表明する。心強い言葉を受け止めつつ、それでも久保は自身にできることは何かを考える。思考停止はイコールで死に繋がる。
「そういえば、現状の様子は耀壱さんから見てどうですか?」
「外観には変わりないですね。周囲の学生にも違和感はありません」
美南の問いかけに久保も周囲を軽く見渡すが、特筆するものは何もない状況だ。これから先の方が変化が見られるであろう分、身構えはするが。
そうこうして、目的の教室棟には辿り着きそのまま自然と中へ入構する。選択している講義は2階の為、すぐ正面に階段をそのまま上がっていく。2階に到着して右手の通路を進んでいけば、講義用の教室がいくつか並ぶ。そのうちの中規模用の教室に入れば、目的地に到着である。
扉付近に取り付けられた打刻機に学生証を翳すと出席確認となるのだが、当然のように美南も学生証を所持している。打刻を手早くした後、できるだけ自然に美南と教室に入る。
けれど、残念というべきか、周囲の目は特に気にした様子はなかった。奇異な目どころか、不審な目ですらない。それを当たり前と思っているような「無」だ。久保が普段、会話をする相手にしても同様の仕草である。
その様子に久保は内心で不気味さを抱く。
更には――。
「おはよう、深幸ちゃん!」
挨拶をする者まで現れる。
「おはようございます。秋山さん」
席の指定もないので空いている場所に座ろうと机と机の合間を歩いていくところで、不意の声かけだった。久保はたじろいだものの、対象の美南は平然と挨拶を返している。
「相変わらず、仲が良さそうだね!」
既に着席してノートを広げている、朝からでも快活に話す秋山という女学生に、美南は微笑む。久保の方は反射的に軽くお辞儀する程度だ。人の出入りがまだある中でそこに留まるのも忍びないと理由付けして、美南を伴って空席にいそいそと進む。
後方の席から秋山を覗くと、久保の態度や美南の存在を特に気に掛けた様子もない。ひとりでに講義の時間を待っている彼女の姿があった。
久保は同級生の位置づけの秋山を知っているが、あくまでも名前としてでの意味合いだ。端的な会話は過去にあれど、稀にあるグループワーク系の講義の中だけで日常風景にはない。交友関係は結んでいないし、交流は皆無な相手だ。
しかし、今のやり取りで、既に確定してしまった。
久保の知る情景が、昨日のやり取りによって崩壊しつつあるということが。
~小話~
秋山 千影 (あきやま ちかげ)
結果の改変の影響で美南の友人という立ち位置になった一般人。性格は外向きは真面目でおっとりだが、仲良くなった相手には快活になる。男子の中で密かに人気がある。比較的男子学生の多い理系学科のため、入学当初はサークル勧誘を手厚く受けていたが、すべて断っている。
当然ながら、美南の存在の真実を知らない。また、久保が仲が良い友人にも小説のことは共有しておらず、人気があるものでもないので例に漏れず秋山さんも完全に知らない状態。そもそも、秋山さんは小説投稿サイトにアクセスしたことはない。




