表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この世界の敵になる迄は  作者: 鍵谷 朝霞
守護者と克己心
1/4

第1話 意思と結果

どこまでできるか不明ですが、よろしくお願いいたします。更新は遅いです。シナリオもゆったり進める予定です。

 ◇


 自分が主人公になってみたいと思うことはないだろうか。

 今を生きる現代世界で、はたまた見ず知らずのファンタジー要素が詰め込まれた異世界で。

 始まるならば最初は1人だけの活動においてそこそこの活躍をして、知る人ぞ知る存在になる。そして、何かの大きな転換期とともに自分の能力の最大限を使いこなし、収束する頃には多くの人々に評価され称賛される。最終的には悪と定められたラスボスを目の前にして先陣を切り、道中で受けた絶望の最中でも我先にと諦めない。その姿に感化された多くの仲間たちが続いて、形成を逆転する。そんな中でも困難に対して最上級の活躍をして敵を討ち倒し、そして自分自身の存在証明を確定させたうえで自身の存在を豪語し、華々しく物語の一部を終える。

 そんな憧れを誰しもが抱いたことがあるだろう。


 斯く言う久保(くぼ) 耀壱(よういち)も例に漏れない。

 いつか自分にも活躍の舞台が用意されていて、周囲からは想像もつかない主人公のような活躍を妄想するなんてことは、20年以上を生きてきても何百回とあるし、今もなお時々ある。厨二心を擽られるとまでは行かずとも良い。

 例えば、登校の最中に誰かが暴漢に襲われていて、それを軽快な動きで割って入り巨岩のごとき力で制圧する鮮やかな一連の流れは、妄想と言えどささやかな栄誉が頭に鳴り響くことだろう。勿論、その光景には自分自身は無傷で立っていることだろう。助けたのが可愛い女の子であるならば尚良しだ。謝礼と一時ちやほやされることで、自己肯定感が上昇する。


 類まれない力が今もなお、自分の中に秘められている。そう考えてみるのは楽しいし、生活に彩りが生まれる。男はいつまで経っても少年のままだと言われもするが、実際にそうなのだ。


 ――生きにくいこの世の中で思うのは、そんなことばかりなのだ。

 だから、人生設計が凡夫な久保から見た「平常」の現代社会には希望を抱いてなどいない。ニュースで言うならば、よくある話に「お金がない」が挙げられる。「賃金が上がらない」だの「生活が苦しい」だの「お金のトラブルで傷害事件に発生した」だの事例なんて世の中には腐るほど存在する。

 当然、比較的に現状ではそこまでではない久保から見ても、そういった周囲の状況を知ることが単純に気分を下げる要因になりうるのだ。このまま一生を過ごすことが確定しているのに鬱屈としてしまうのは仕方のないことだろうと言い訳できてしまう類だろう。

 勿論、自分次第で覆せることは現実にもいくつもあろうが、そこまで向上心がない久保からすれば無駄な労力になってしまうのだ。他人が評価すればその思想は最低なものになるだろうが、既に物事を平均的に熟せると自負する久保にはその評価こそ下らないものなのだ。


 つまり、内心に秘めているのは、現代社会とは切り離された好奇心を擽る非現実性への期待と、どうにもならない現実生活への失望なのだ。それぞれの感情を持ち、本日も久保はいつも通りの生活を繰り返す。



 ――その予定だった。



 ◇


 等間隔に刻み続ける時計の針を久保は睨む。

 この感覚はいつも体感が遅くなっていく。決められた時刻に針が進むまで待ち続けるのは苦痛なものがある。特に、今、受講している座学形式の講義ならば尚更で、黒板の文字を自身の手元にあるノートに書き写していく作業はなかなかの面倒臭さがある。

 それも大学の講義となれば、一度話を聞いただけではすぐに理解できない部分も多々あり、復習のためにメモを取っておかなければ後が立ち塞がってしまうのだ。こうして、平坦に続く記述を眠気も堪えて進めていけば、いずれ本日の講義も終盤に差し掛かる。

 ここで気になってくるのが時間なのだ。今か今かと身体が反射的に疼いてくるのを抑えながら、再三、黒板上部にある時計を見直して数分が経った。


「では、今回の講義はここまで。来週またよろしくお願いします」


 教壇に立つ教授が自身が携帯する腕時計を確認すると、不意に講義の終わりを告げた。

 講義の終了に、身体は弛緩する。久保は一息つくと、手元のノートや参考書、筆記用具を片し始める。あれだけ講義の終了をそわそわしながら待ち続けていたのに、だからと言って急ぎの用事があるわけでもなく、淡々と荷物をカバンの中に詰め込んでいく。

 教授も研究室に戻る準備をしているが、講義の質問をしようとしていた学生に足止めを食らっていた。真面目な学生もいるものであるが、久保のスタンスはそこまでではなく成績も普通だ。単位はきっちり取得しているので、評価も差し障りないだろう。


 自身の片付けを終わらせて、そのあたりの興味も自然と無くす。久保にとって、この講義で本日は終了となる。この後はいったん家に帰って、少ししたらバイトへ向かうことになっている。

 久保は立ち上がりバッグを肩から背負う。

 近くに座っていた友人に「お疲れ様」と簡易的な挨拶をすれば、もう用なしと久保は機械的に講義室を後にした。

 友人はいれど、大学のシステム上それぞれに受講している科目が存在する。だから、遊びに行くことはあっても、日常はこうした淡白な対応になりやすい。一人暮らしをしていて孤独に慣れている久保にとって、当然の日常の風景と化しているものになる。


 久保は大学に進学してから一人暮らしとなっている。理由としては単純に実家から通うのが大変になったからだ。実家は比較的に田舎のほうにあって、大学まで通うのに2時間程度を要する。通学できなくもない微妙な時間ではあるのだが、親との話し合いで社会に出ることも考慮して一人暮らしをすることに決まったのだ。

 一人暮らしとなれば、自炊に洗濯、掃除等の家事、バイト、暇があればゲームをしたり、勉強をしたりで時間が過ぎていく。物凄く忙しくもなければ、引きこもりをしているわけでもないので、それなりの時間をゆっくりと楽しんでいるのだ。

 バイト先の先輩からも大学生活は一番時間がある期間であると教えてもらってもいるので、それに倣っている。来年の今頃には就活の連続で悲鳴をあげていることが予想されるので、尚更そのような生活だった。


 学舎を出れば、まだ昼頃を示す太陽の日差しが顔面を照らす。眩しさに目を凝らすも、そのまま歩みは止めない。不意に視線を走らせれば、講義の終了とともに次の講義のある教室へ移動を始めている人や、研究等へと向かっている上級生、小腹を解消するために学食や大学付属の売店に足を運ぶ人、或いは勉強や資料を探しに図書館へ歩いていく人、様々な目的をもって多くの学生らの移動の波が起きていた。

 また、久保のようにもう帰宅する人も中にはいる。


 帰路につくと、人通りも極端に少なくなる。

 電車での通学を補助するための大学バスも存在するが、久保はそれは特に使わずに歩きになる。一人暮らしをすることになったので、必然的に大学キャンパスの近くのアパートを借りていて電車による移動は免れているからだ。

 自転車も特に利用していない。買い物等も基本的に歩きで間に合っており、自宅も大学キャンパスと駅の中間あたりにあるので、駅まで行く場合は大学バスを利用する。スーパーも比較的に近い場所を選んだので、自転車がなくても不足はないのだ。

 そうして徒歩で10分ほどの距離を黙々と歩いている。


 何も考えずに帰路に続く道を一歩ずつ踏んでいく。

 ゆっくり、ゆっくり――。そのうちに信号付きの横断歩道に差し掛かって足を止めた。通りが比較的に少ないところの信号機で何故あるのか疑問に思わなくもないのだが、現時点では歩行者用の信号機は赤を示しているので、そのまま待つ流れになった。


 その間に、不意に背後から自転車の気配を久保は感じ取った。気配というよりも独特のタイヤを走らせる音が耳に届いたからなのだが、久保に迫っている自転車が一台ある。久保同様に帰宅途中の学生なのだろう。久保との距離をぐんぐんと詰め、そして、あろうことかその自転車はそのまま久保を抜いていく。

 信号は依然、赤のままでまだ青には切り替わらない。その大学生は意にも介さずに自転車を進めていく。

 ただ、遠目から見て車がこちらに向かって走ってきているのがわかるが、事故など起こりようもない距離にいるので、安全だと思ったのだろう。左右を入念に確認する仕草すら見せずに平然と横断歩道を踏んでいく。


 久保は偶に、……いや、よくこの光景を見かける。例え赤信号であろうと、車の通りがないのなら渡ってしまっていいだろうと考えているのだろう。逆に、どんな状況でも赤信号を前に横断はしないとしている人は意外と少ないのかもしれないと錯覚してしまうほどだ。当然、そんなことはないとも思ってはいるが、特に学生らの中には「別に良いだろう」という気持ちがある者が多いように見えてしまうのだ。


 そのとき、久保は止まらないその自転車通学の学生に対して苛々が募る。場違いなことは理解しているし、他人事で構わない案件なのだが、こうして信号付きの横断歩道を赤信号でも渡るような輩を目の前で見れば、簡単なルールも守れない人間なのだと勝手に失望して、勝手に蔑まずにはいられなくなる。

 ただ、声を大にして注意する行為自体を久保は取らない。相反して面倒な行為であるし、この学生のために気力を使う義理もない。もっと言えば、それで逆に反感を買ったり奇異な目で見られたりするのも腹が立つし耐えられない。

 結局、久保がしたのは、声に出さないだけの悪態だった。


(……転べ、転べ。……転んでしまえばいい)


 右の道からは一台の車が迫ってきているので、転んで迷惑をかけてしまえばいい。本来の通行の優先はこの車になるのでその邪魔になれば、或いは交通事故の一歩手前までの事態にでもなれば、反省するだろうと久保の悪態は続く。

 却って、そんなことは起きないと久保は解っている。

 日常的に乗っている自転車の運転を、たかが横断歩道を進むのに間違える人なんて早々いないからだ。


 これはただただ久保がしている悪態に過ぎない。



 ――――筈だった。



 目の前の自転車が何かの拍子にバランスを崩す。考えられるのは小石にでも躓いたからなのだろうが、そんな考察をする暇もなく呆気なく、横断歩道の真ん中で突然自転車とともに学生は転倒する。

 初めて、そこで学生の顔からは焦りが見えた。大丈夫であろうと高を括っていたにも拘らず、いざその事象に直面すれば誰でもそうなるだろう。転倒はしたが、身体のほうは何とか持ち堪えていたようで、自身はすぐに起き上がることに成功している。しかし、肝心の自転車は完全に転倒していて、更に、その自転車はカゴ付きのものだった為か、無造作に入れていた荷物が道路に転がっている。


 荷物と一緒に自転車を横断歩道外に寄せるまでに、少なくとも数秒の時間を要する。その数秒で何が起きるかは一目瞭然だ。危険でない位置にいた自動車が、こちらに向かって走ってきているのだ。自動車からすればまだ信号は青であるし、それなりのスピードが出ている。

 このままのスピードで行けば、そのままぶつかる。


 けれど、衝突は実際に起きない。横転した自転車に気付いて、自動車側は急ブレーキをかけたからだ。そもそも、赤信号で渡っていることには気づいていたためか、実際にはより減速をしていたのだろう。そのまま危なげない距離で自動車は停止することができて、学生が自転車を起こして脇に移動するのを待っている状況になった。

 自動車側からすれば危険な状況であることに間違いないせいか、停止直前にはクラクションが甲高く鳴り響いた。どちらかといえば、被害を受けるはずだったのはこちらの運転手の方だろう。自転車側の不注意なのに事故にでもなれば運転手側にも過失がつく。理不尽さを考慮すると、音で事の危険性を知らせるのは当然の行為になる。


 学生は進める状況まで、結局そそくさと自転車に乗って去っていく。車に向かって頭を下げたかどうか定かではないが、恐らくそのようなことはしていないだろう。突然の現象による焦燥と事故を起こしそうになった心疚しさ、それに危険な状況に陥った恐怖に苛まれて、すぐにでもこの場からいなくなりたかったように見えたのだ。更に、クラクションという音の威圧も一助になっているかもしれない。


 目の前の歩行者用信号機が青に変わる。自動車側は赤になってしまっているが、交差点の中央付近で停止してしまったことを考慮して、そのまま直進して行くこととなった。

 流石に久保もこの状況で自分は横断歩道を渡るという選択肢が取れなかったため、それを汲み取って運転手は頭を軽く下げて通り過ぎていった。

 この場には久保しかいなくなる。後続の車もなければ、人通りも特にない。

 状況を把握して久保は踏み出し、横断歩道を渡っていつも通りの通学路を歩いていく。


 今回の一部始終を見てきて久保ができたことと言えば、特に何もなかった。

 自転車の横転を目の前で確認して、助けに入ることは全くしていない。する気も起きてはいなかった。ただ、状況を眺めているだけで、黙って見過ごしたままだったのだ。これが真っ当な善人であれば、恐らく手助けをしていたのだろう。どこかの物語の主人公ならば、咄嗟に身体が動いて飛び出していたかもしれない。

 しかし、所詮は赤の他人だと割り切って久保は何もしなかった。途中でその学生はちらとこちらを一瞬見て、すぐに視線を外していたところも確認できている。それが助けてほしいサインなのか、見られていることへの反射的な行為なのか不明だが、久保は興味を抱かないと装うように無表情で無反応だった。


 これが老人が同様なケースになっていたとしても選択する行動に変わりはないとさえ思う。いや、その老人が正規に青信号で渡っていたところで起きたものであれば助けに入っていた可能性はある。

 ルールやマナーに則って行動している人には手を差し伸べようとするかもしれないが、それらを無視した行動に出ていた場合は、何にせよ助力するには至らなかったと久保自身は思う。

 ここではあくまでも手助けをして自分自身が二次災害に巻き込まれることを考慮に入れていない。咄嗟の行動に至ったときには自分が数秒後にどうなるかの未来を冷静に捉えることはできなくなるだろうと思っているからである。


「…………はぁ」


 何事もなかったように歩を進めていた久保から自然と溜息が出る。


 この状況で何もできなかった自分を悔いているのか?

 ――違う。


 自分がこれ程までに薄情な人間であったことを再確認して失望したのか? 

 ――――違う。


 実は恐怖で足が動かなかったことを隠蔽したくなったのか?

 ――――そもそも、そんな感情は現時点では湧いていない。


 割とショッキングな出来事に頭の理解が追い付いていないのか?

 ――――意外とそうでもない。寧ろ、ざまあみろとさえ思っていた。


 では、何故溜息を吐いたのか。

 それは――――。


(………『転べ』なんて思わなければ良かった)


 何も関係のない筈だ。

 しかし、心の中で自転車に乗った学生への「転べ」という悪態が、目の前で現実に起こったことに遣る瀬無くなったのだ。そう考えても、考えなくとも実際に起きたであろうに、自分がこのようなことを思って妄想していた事象に巡り合ったのだ。久保のせいだと後ろ指を差されている感覚に陥って、底知れない罪悪感が脳内に高速で広がっていく。

 何も思わなければ、事故なんて起きなかったのだろうか。そんな無駄な仮説が頭を過る。


 ただ、仮にそうだとすれば、「事故に巻き込まれてしまえ」とまで悪態を吐いていた場合にはどうなっていたのだろうか。本当に事故現場を見てしまえば、それを何も関わっていない久保のせいだと自責の念に駆られるのか。事を重く受け止め過ぎて思考能力が不安定になってしまわないか。

 『転べ』程度の悪態が現実に起きたのならば、事故にはなっていないことをある意味で幸運だったと捉えられそうだ。それでも元々が悪態なので感情的になったと思ってしまった自身を正当化は無理があった。偶然が呼んだ産物であると断定できるにも声に出して主張するなどできない。


 後々になって吐き気を催して、久保は立ち止まり口を手元で抑える。

 ゆっくりと深呼吸して、息継ぎを整える。軽い立ち眩みも起きて、目を閉じた。酔いのような感覚が表れているが、バランスは保っている。倒れるなんてことにはならないし、そうして気持ちを落ち着かせれば次第に頭はクリアになっていく。

 『これは自分のただの妄想である』と結論付けられるようになると、罪悪感は薄れてくるようになった。あくまでも自業自得、自転車に乗るあの学生の不注意があのような結果を生み出したのだ。


 再び、歩を進める。

 今度は確かに、バランスが崩れることもなく歩道を踏みしめていく。


 今日もバイトがある。

 自宅に着いたら少し休憩して、家を出て、駅に向かって電車に乗り、バイト先まで向かっていくことになる。

 そのうちにでも切り替えられるようにはなるだろう。

 久保はこの後の予定と行動の手順を組み立てながら、今回の事を忘れようとしていた。

 所詮、日常を切り取った一部の現象に過ぎない。遠くない機会にでも大学の同じ学部、同じ学科の友人と講義で顔を合わせることになる。その日の休憩中にでも笑い話のネタとして振る舞ってやれば良い。どんな反応が返ってくるのか楽しみだ。

 ネット上のSNSで公開もしない。後が面倒になりそうだから、身内で完結させておけば良い。


 そう思うことにして、久保の気分は少し晴れた。

中々大変な世界観になりそうで戦々恐々としていますが、難しいことは何も考えずに楽しんでいただければ幸いです。

※後書きで小話を垂れ流す場合があります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ