♪ Nostalgia 21 ♪
夜になると雪でできた街に人が住んでる。
此処は昔からの宿場町で、冬が最も厳しい時だけ、往時の宿屋や商店の建物を雪で制作している。この建物は「雪屋」と呼ばれている。
江戸時代とか、それ以前からの町並みが雪で造られ、通りも町並みも白一色。明かりは、雪屋の内外を刳り抜き、何万と置かれた蝋燭。
雪屋から人が見ている。お土産屋さんがあるし、食事処もある。西洋風の飲み屋さんもある。お客は真四角の氷の椅子に腰掛けて、お酒を飲んでいる。
私達は目抜き通りを歩く。通りに並ぶ雪灯籠の中にも蝋燭。私の右にも、シホの左にも、蝋燭のゆらめきがただよう。
天上には満月。
一面の明るい青昏さの中に、居る。
ああ。なんておしとやかな昏さ。死の迎えが来るにふさわしいね……!
「さよならだね。マミ」
「そうだね」
「送るよ」
シホはそう、挨拶する。呪いに殺される者は「普通」である私だけ。
確かにシホも、十五歳の時、脅迫しに来たおでぶさんを殺した。でもシホは「天才」だから無効。そもそも「呪い」自体、「普通」の行為。シホは、普通さが介入できない、無窮な高さに居る。
街の明るさも背後に遠ざかった。
此処は高く奥深い冬山の麓。
霧氷と同化した林が口を開け、登山口が観えていた。
私達は登って行った。森も、林も、雪に包まれ、黒のいっさいない世界。
登山道は新雪を被ってはいるけど窪んだ筋をうっすらと描いていた。冬山を遊びに来る人達が居るのだろう。私は途中で道筋が無い斜面へ入って行く。一人も来ないような処がいい。死ぬ処や、死ぬ処へのルートは、前もって調べておいた。今、私は、『アイドル』の出力が、かなり高まっていた。質量は三分の一くらいに感じた。冬山装備をしていないのに気温はちょうどよかった。体力は無尽蔵に湧いて、滑るようにルートを進めた。奇跡なんて要らない。いま私にとって奇跡は「普通」に起きている。奇跡を覆っていた氷が解ける。私の前で開け広げになる。吹雪の降り積む音、股関節の前後する動きと、二人の息遣いだけ。奇跡の中に今、私も世界も、浮いている。
山のいっそう白い稜線が観えて、その斜面に擂り鉢のように窪んだ地形をみつけた。私は其処を手で掘ることにした。たえまない雪がすぐに元通りに覆うだろう。『アイドル』の超越的な力なしにも雪は掘れた。此の山の冬は、雪が融けることがなく、凍ることもない。
「手伝おう」
シホも掘るのを手伝ってくれる。
「助かるよ。墓穴を掘るのを手伝ってくれて」
「あはっ。さいごまで自分でやるのは最高だもんね」
「あと2メートル掘るよー。地面の上がいいからねー」
黙々掘る。心地よく汗をかく。ジャンパーを脱いで放り投げる。シホは超人だからか、汗をかいている様子もなかった。メロウグリーンの薄手のウィンドブレーカーだけ。それも投げ捨てたら、暴風の上空にたちまち消えた。奇遇にも、私達の衣装は同じだった。活動初日に着た、色がすこし違うだけの、お揃いの衣装。文脈からは、これ以外の衣装は考えにくい。
ほどなく黒い地面が露出した。最後の方は、圧雪で固まった層があったので、少し超常の力で消した。猛吹雪の外が見えて、とてもしずかな雪洞ができた。夏の夜にテントの中に居るくらいには快適だ。
シホは膝立ちで、私の正面に居た。お茶の中に揺らいで立っている茶柱のように、ゆるやかに、膝立ちしている。特有の、真上に昂然と伸びるいかにも理知的な首筋は、今日もまっすぐで、まっしろだ。
瞳はおだやかに、私を観ている。起きながら寝ているように、透明で、さりげなくて、うるわしい。瞳には何の感情もない。凪いでいた。雪や山や星と同じになって、私のまわりの空気になって、私を無機的に・甘やかに包む。私もおだやかな心持ちで、居た。
私は衣装の袖を捲ってみた。両腕は勿論、掌も炭のように真っ黒になっていた。腕は瘤や溝だらけだった。顔をなでてみたら、顔も同じようだ。呪いはカラダじゅうに回った。脳神経も侵されたから、ココロの中も、人間のきわみを表現していた。三界麻美は「死にたくない!」で、埋め尽くされていた。一人の脳に入って来る百億の脳の黒色……。けれど私は、『アイドル』活動の期間中に、鎮かな上空へと私を移す技術を身に付けていた。いや、それは正確ではない。私が、離れるわけじゃない。私によって、三界麻美が、置き去られる。一個の幻想が、幻想の海へ。
事実、カラダの五感はほぼ失われていたけれど、私は三界麻美であったどの時よりも感覚は開かれていた。世界は、何度も案内された一つの館のように、何処に何があるか判っている。雪や空気やシホの質感も、触らなくともじかに感じる。それらの感覚は私の中に格納されていて、いちいち私が引き出して感じているだけの仕組みなのだけど、普段はカラダによって「カラダの外に有る」と設定されているだけのもの。カラダが剥がれる代わりに、私は、ほんらいの感覚が戻って来ていた。
「よくやったね、マミ。さすがシホの先生だったよ。『普通』のまま『アイドル』に届いちゃおうっていう、難度の高い物語。シホは傍で観ていて本当に愉しかったよ」
「シホの協力があってこそだよ。この共同の脚本は、シホの力を借りなきゃ絶対に無理だったからね。いちど人間に戻って、また『アイドル』に戻るなんて脚本は……。だから、最高の遊びだったよ。シホとの仲の良さの最高さも、改めて味わえたしねー」
「よくやったね、マミ。今回は偉大な仕事だったよ。また別の世界で、同じわたし達で会おう」
「……うん……うん……」
私は、頷く。胸が空疎だー。伝えたい思い。思い残す事。溢れ出る感情。決め台詞みたいな言葉。そういうのは何も無い。
シホや三界麻美への感謝。思い遣り。そんな物も伝えない。
伝えなくても、溢れて、溢れて……その海の、宇宙の、中に、自分は居るんだから。
わたし達の仕組み。世界がどうやってわたしの上で円盤のように回っているのか、っていう有様。全て、解っている。そういうときには、思いも言葉も無い。あたたかく満たされた空疎だけが在るんだ。
「マミ、観ていてね」
シホはその場に座り、衣装のファスナーをみぞおち辺りまで下ろした。そこには、蛇が絡まったような黒い塊があった。
呪い。
なぜ? シホが受けるわけがない……自分で望みでもしない限り……。
じゃあ……。
「うん。じっさいはシホは単体なら生きていられるんだよ。極端な話、何千万人殺したってね。シホには『普通』の設定は無いからね。ココロとカラダの運命を決めるコトはできるよ? 『人を殺しても自分は殺されない』と『決める』こと、それだけだからね」
そう言ってシホは眼を閉じた。
呪いは一気にシホのカラダに広がった。顔を冒し、手足を冒し、白金の髪を枯れ枝にした。ちがう。シホが広げたんだ。予定通りに。衣装は破れて、雪洞の外へ漂った。暴風で散らされ、枯れ木に刺さり、春には谷川に流れるのでしょう。
「でも、マミと一緒にいきたい気持ちを抑えられなくてね。この世界での活動を続けてもいいんだけど、今マミと死ぬなら、もうこれしかないでしょってしか思えなくて。今回のシナリオをみればみるほどにね。愉しさを抑え切れなくなってね」
「そうか……。私の『取引』の前、何かしたとは思ってたけど、シホ、あなたは」
「マミは徐々に想い出す事になっていたけど、シホはシナリオを知っていたからね」
共同のシナリオを想い出した今は、私にも観える。
私は、『取引』をした。その後で少し想い出し、シホを助けた過去で自分は命を使っているから、本当は『取引』できないと気付いた。
共同のシナリオを三界麻美が徐々に想い出す事も、想い出すタイミングとスピードも、共同のシナリオのうち。
三界麻美が『取引』できたのは、伊覇・ルカ・志保がヒジリさんとの間で、或る別の『取引』を前もって済ませていたから。
つまり、シホが自分の命の半分を三界麻美に分け与える、というもの。
これによって三界麻美は『取引』できるようになった。もちろん、その時点では、三界麻美は知る由もない。
「マミだけ先に行かせるのが可哀想ってコトじゃないんだよ? シホはいちばん愉しいシナリオを選びたいんだ。その気持ちはマミと一緒だよね?」
「言うまでもないよね。いちばん愉しいシナリオを二人で書いたんだもんねー」
シホは、もう一つの『取引』も交わしていた。
二人は、命の半分ずつを有するから、同じ時点で命が尽きるという事。
すなわちシホの活動期間も『30日』となった。
でも、人間の様式美的に、一応訊いておこうかな。
「いいのー、シホ? 『天才』のシホなら、命は半分でも一個だし、何万個にだってできる。一人でこの世界に残ったって、まだまだ活動できたんだよー?」
「まあ、そうだね。でも、ここで一人残って活動する筋書きってどう? シホなら没にするよね。シホは愉しい方を選ぶな。それだけだよ。マミはどう?」
「わたしはシホと一緒に死ぬならそれが最高だって思う」
「だよね!」
言わせてもらうよ、シホ。お前はいかにも美しい。シホの先生は、この世界での私の役目でもあった。役目は完璧に終わった。二人で創ったシナリオは最高の物になった。
「『時よ止まれ』って言うように、命は人間にとっては時間かもしれない。人間には人間の命があるからね。『アイドル』の命は? 物語だよ。『愉しさ』と、『汎て』と、『何も無い』ってコトだよ」
シホは『アイドル』の世界の景観を述べた。私もその景観は解る。そこに私は、『普通』だから言える事を、付け加えようと思った。
「人間も、『時よ止まれ』って言う瞬間、そのコトを感じているよね。同じコトを判っている。でも人間はなかなかうまく言葉にできない。そういう表現の不細工さが人間の特色かもしれないねー」
「不細工らしいよね!」
「満喫したねー。愉しかったな」
「命はわたし達の目の前に有る物じゃないもんねー」
「わたしは命そのものってコトだからねー」
「セーカイだねー」
わたしは物質が自分から剥がれ落ちるのを感じた。
三界麻美には「物質の輪郭がほどける」ように感じた。
わたしを被膜していた情報の疎らな黒い塵が自然と毀れ落ちゆく。
脚本は終わろうとしている。
本を閉じたら――、その本を手に持っていた、わたしが在る。わたしの感覚に還るんだ。
「もはやこれまでだね! 人間的にはね!」
そう言って私は口を閉じた。
私の髪の毛は、枯死した松の樹皮のようになり、胴はよじれた黒い幹になり、手や足は枝分かれして地中に潜った。
私達は二人とも、人間の姿をほとんど失い、土に刺さった黒い枯れ木、蔦や根の塊のように、隣り合っていた。
そのとき、
わたし達は、三界麻美と、伊覇・ルカ・志保だった枯れ枝の、すこし上の空間に、ふたりして漂っていた。というか、その空間を、ふたりで満たしていた。もちろん私の姿も、シホの姿も無かったが、此処にはふたりとも居るし、居るのが解るからしようがない。そういうものなんです。此処には空気が有るけれど、何もない空間ともいえる。地球であるけれど、宇宙でもある。やがて、上空から……それは、宇宙からといってもいいんだけど……光に包まれた二人が降りて来た。
いちばん馴染み深く、いちばん自由自在に動ける姿。『アイドル』の姿をした、シホとわたしが、宇宙から降りて来る。あー、来たなー、と思った時には、わたし達は『アイドル』のカタチと合一していて、本当の身体を取り戻した。人間のカラダではなくて、自分自身の姿を!
シホと私は、もちろん外見は異なるけれど、違う方向に二人とも宇宙一美しい。そんな事を言うのは当たり前すぎて恥ずかしい。『アイドル』の演舞を観に来たら、誰にでも刻まれてしまう事実だから。
――それにしても、こうして人間のカラダとココロが外れると、シホはやっぱり美し過ぎだねー。わたし達特有の光に包まれていて、どういう角度からみても完璧だね、凄絶とさえ言えるよ。それでいて静謐で、安らぎの深淵も持っているからねー、この方は。と、こう想ってるだけで、相手には伝わるので、シホも私に想った。
――いやぁ、マミもなかなか……最強の普通さだね。これくらい普通がバランスした美しさは最高に力強いよ。やっぱりわたし達は、最高と最高だけど、最高すぎる最高を表現できる言葉は、地球には無いからね。無限の2乗、ただしこの場合に限って、2乗は無限乗の意味になる、って言ったら、比較的、外していないかな?
――『永遠にして女性的なるもの、われらを牽きて昇らしむ』……とでも言おうか?
――いい線いってるね。ちゃんと『アイドル』を言ってるよ。
――今のわたし達は、『アイドル』が更に高まっちゃって、『『『アイドル』』』だよね。カッコを増やさなきゃいけないよー。
おや、宇宙の向こうからこちらに向かって来たひとがいる。あれは、今回の名前でいえば、此方聖樹さんだね。
早くも次の脚本は捲られているようだ。脚本の流れを宇宙の空っぽの中で感じる。ギラギラした星空のなかを泳ぐのは気持ちがいい。地球から観るよりも百乗も立体的な光。此処では、光も暗黒も両方同じ眩い、光。わたし達自身が光を発している。
それじゃあ、次の舞台に急ごうかー。




