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久々にコンビニのパスタを食べた。久々に贅沢をした。久々に日中寝てしまった。久々に夜更かしをした。大学以来だろうか。生活のリズムが少し崩れたというだけで、こんなにも頭がずきずきと痛むだろうか。きっと煙草のせいだ。
有休をとったのは初めてのことだった。溜まりに溜まった有休は、一か月近くある。かといって一か月丸々休める訳ではない。ある時にちょびちょび使ってしまうのが利口なのだが、なんとなく上司の判子をもらいに行くのが疎かった。
だから初めて有休をとったのだ。やり方すら気に留めていなかった俺は、フロアを掃除している際にあのベトナム人の女性に聞く。何なりと教えてくれた。
「隆磨さん、有休取ったことないんですか?」
「ええ、恥ずかしながらこの仕事始めてからこの方一度も」
「まあ、私もないんですけどね」
ええー、それだけ丁寧に教えてくれたのに、取ったことなかったのー? と思えるくらいには丁寧に教えてくれたのだ。如何にも以前から数回は有休取ったことがある人の口ぶりだった。
「大変じゃないですか? 利用者とは話してるの見かけますけど、職員とはあんまり話してないように窺えますけど」
「まあ仕事ですから。今もあんまり話したくないです」
どきっとした。学校で私語は慎むようにと言われているにもかかわらず、隣から声を掛けているようなものだ。彼女の真面目さを俺が邪魔していると思うと、申し訳なくなる。
「すみません。休憩時間にでも聞けばよかったんですよね。ほんとすいません」
「休憩は、私と隆磨さん一時間ずれてるので話せません」
「あ、そうか。今月はそんな感じだったんだっけ。じゃあ仕事終わりに聞けばよかった気がします」
「私、仕事終わったらすぐ帰ります」
ことごとく否定され、うっと喉に言葉が詰まる。
「だからですよね?」
ベトナム人の女性は授業中に私語を話すように聞いて来た。
「私すぐ帰るの知ってるから、今話しかけてくれたんですよね?」
「あ、いや……」
「全然大丈夫ですよ。ほら」
そう言って顔を向けた先には、他の介護士がかたまって話していた。
「利用者さんはもう帰りました。仕事は終わってないですけど、私たちはちゃんと掃除してます。少しぐらい話しても、あの人たちには言われる筋合いありません」
どこで筋合いなんて日本語覚えたんだと思いつつ、内容よりは流暢な日本語に感心してしまった。
「日本語上手ですよね。介護士の資格取るときも、試験は日本語なのにすごいですね」
「アイの力です」そう言って自分の左手首に着いた時計を俺に見せてきた。多分、指輪とかネックレスみたいな、家族からもらった大切なものなのだろう。
「隆磨さんは、大事な人いないんですか?」
「大事な人?」
「恋人いないんですか? 家族はいますよね。毎日お通夜みたいな顔してますよ」
「いつもそんなこと思ってたんですか?」
「不愛想ですね」
大きなお世話です。クールだと言って欲しい。そうすれば褒め言葉として受け取れるのに。
でも周りから見れば、彼女の意見の方が正しいのだろう。俺がいくら「クールだ」と言い張ったとしても、周りの人間からは「お通夜みたいな顔」というのが事実だ。自分がいくら可愛かったとしても、周りが格好いいと言えば格好いいのだ。自分の認識と他人の認識は異なっていることもしばしば。圧倒的に自分の認識よりも、比較的多数の他人からの認識の方が優先される。
「大切な人はいません。家族もいません」
「だからそんな顔してるんですね。毎日がお通夜ってことですね」
他人という存在は偉大だった。自分では思ってもみないことを、「私には関係ないから」と直球で教えてくれる。彼女の顔は、悲しそうでもなく、嬉しそうでもなく、可哀想だと下に見る訳でもなく、真顔でもなかった。きっと、そういう人が一番幸せになれるのだろう。
そんな前々日のことを思い出しながら、今日は有休だということを改めて確認した。本当は一日だけ取るはずだった。言わずもがな、春海たちとテニスをするためだ。だから一日有休をとるはずだったのだが、上司に判子をもらいに行ったときに、「桜田、最近ずっと働いてるじゃないか。有休取るなら二日取れ」と、なぜか二日取れることになってしまった。
「いいんですか? 忙しいですよね?」そう聞き返すと、「いいんだ。ちゃんと見てるから。真面目な奴は馬鹿を見ることが多いが、俺はそういうの嫌いでね。たまには休め」そう言われ、「なんなら、三日にしてもいいんだぞ?」とまで言われたが、「大丈夫です」と二日の有休をとることで落ち着いた。と思ったが、上司は三連休をくれた。
世の中には珍しい人もいるもんだ。上司といえば厳しい印象ばかりだが、俺の上司は違ったみたいだ。違うと言っても厳しくない訳じゃない。ミスをすれば当然怒鳴られるし、猫の手も借りたいくらいの午前中に、他の仕事を頼まれたりもする。鬼かよ。
思ったとしても口に出さないから、外見の印象が強いみたいだった。
三日有休をとったと言っても、一日目以外は何がしたいということもない。ただ家にいて、飯食って、本読んで、トイレに行って、寝る。そうすれば時間なんてあっという間に過ぎて行ってしまうのはよく知っていた。大学時代、比較的早く就職を決めることができた俺は、そんなぬるい生活を大学四年の後半に送っていた。友達が多い訳でもなかった。いても、毎日毎日会う訳もない。
ふと思い浮かべた。大学時代の自分。どんな学生だっただろうか。学校には通っていた。サークルは入っていない。当然交友関係もそれほど広くならなかった。同じ学科内で仲のいい友人が数名と、たまに話し相手になれる程度の顔見知りがそれなりに。まあ、いわゆるどこにでもいるような大学生だった。学科内だったらそれなりに交友があるが、他学科となると、サークルに入っていないので途端になくなってしまう。唯一他学科の友人と仲良くなったのは、立沢勇馬くらいだった。
彼は今どうしているだろうか。思い出したことで少し気になってしまった。仲が良かったとはいえ、学校に居るときに話す程度の仲だった。休日に何回か飲みに行ったことはあるが、その程度だった。べったりくっついてる感じではないって意味で。就職してからも全然会っていなかった。
徐に俺の指先は動いていた。ラインの友達欄をスクロールし、まだそこには勇馬の名前があった。
『明日空いてる?』
挨拶抜きにその文面が送られた。画面を切って布団の上に放る。仰向けになって再び寝付こうとする。
通知音が鳴った。飛び起きて、スマホを開く。文面を見て、久々に笑った気がした。でも、俺の周りの人間はきっとこう言うだろう。
「お通夜みたいな顔してる」




