5、歴史の一行に
「リクハルド!」
正妃が殺された翌日。
フリージアの父である辺境伯が、自領から王城へと辿り着いた。
そのまま打ちひしがれる王の居室まで殴り込んで来たのだ。
周囲の制止を振り切り、扉を蹴り開けた勢いそのままにリクハルドへ拳を食らわす。
「どういうことだ、リクハルド! なぜ、なぜ、フリージアを処刑した!」
倒れ込んだ国王の襟首を掴み上げ、眼前から怒鳴り散らす。
「し、仕方なかったんだ。私は恩情をかけようとしたのに、あの人は頑なに拒んだんだ!」
「何が恩情だ、ふざけるな!」
もう一発拳を叩きつける。武人として鍛え上げられた彼の殴打は、いかに歴戦のリクハルドといえども軽傷ではすまない。幾本も歯が飛び散った。
「辺境伯殿! ここは宮中です!」
「ええい、離せリトヴァ!」
「近衛騎士! 何をしている! 辺境伯殿をお止めしろ!」
たちまち集まった鎧の男たちに羽交い絞めにされ、辺境伯はようやく国王から引き剥がされた。
だがそれでも彼は怒りのままに近づこうとする。
「リクハルド! なぜだ!」
「仕方なかったんだ!」
「あの娘が第二妃を殺そうとするはずがないだろう!」
「わかっている! だが証拠は取り揃えられていて! フリージアの意志も固かった! 罪を認めていたんだ! 取り消しようがなかったんだ!」
自分は悪くないと、罪から目を逸らすようにしゃがみ込んで叫んだ。
「馬鹿たれが!お前は! お前は、あれほど助けてもらったフリージアに……フリージアがいなければお前など、とっくに野垂れ死にしておったわ!」
「申し訳……ない……こんなことに……なるなんて」
仕舞いには、嗚咽を漏らしながら泣き始めた。
その様子を見て、辺境伯は押し黙る。
同情した様子はなく、拳を怒りのままに握りこんでいた。
「リクハルド……辺境伯家は敵となるぞ」
「は?」
「兵をあげ、王都へと攻め込む」
その言葉に、信じられないと顔を上げた。
傍にいた公妾リトヴァも驚愕している。他の護衛や文官、騎士たちもだ。
「な、なんで?」
「何故と問うなら、言うてやろう! フリージアの仇を取るためよ!」
「いや、だがしかし」
「もちろん仇討ちだけではない。この腐敗しきったニスカヴァーラ王朝を終わらせ、国を正すためだ!」
辺境伯の言葉に、リクハルドは口をぽかんと開けた。
それは彼自身が、前王朝に対して剣を構えたときと同じような言葉だった。
「へ、辺境伯様!? 本気ですか!?」
「儂がそこまでせんと思うておったか!? だからお主らは腑抜けたというのだ!」
「し、しかし、我々は共に戦った仲では」
「とうに腐ったお主らなぞ、辺境伯家が仲間と思うわけなかろう!」
「辺境伯様! ど、どうかお考え直しを!」
リトヴァが問いかけると、老武人は近衛騎士たちを振り飛ばした。
そして腰を落とした国王と寄り添う公妾を見下ろす。
「なぜフリージアを大事にしてやれなんだ、リトヴァ、お主は何を考えた?」
「……せ、正妃様は正し過ぎました。それでは他の人間がついて来れません」
「ふん。お前たちが、の間違いであろう。第二妃に箔をつけるために、旧王朝で蔑ろにされておった公爵なんぞに利用されおって」
辺境伯が言っているのは、リーナが第二妃になるために養女となった家のことだ。前王朝では祖母が第一次ニスカヴァーラ王朝の王妃だったため、王から距離を置かれていたのだ。
結果として、公爵家は第二次ニスカヴァーラ王朝で辺境伯家に次ぐ力を持ってしまった。
しかもその中身は、前王朝の他貴族と大して変わらない圧政を敷いている。
「リーナを第二妃にするためには……仕方なかったのです」
「何を言うか。あの小娘に強請られただけであろう。フリージアに後れを取りたくないとな」
「そ……ういうわけでは!」
公妾として政務に当たっていたリトヴァは、反論しようとした。だが次の言葉が出てこない。
その通りだと思ったからだ。
民のために国を正すと、兵を上げて突き進んできた。
やがて王朝を興し、国を取った。
そこからは腐敗の汚泥へと転げ落ちていった。
前王朝ですら腐敗しきるまでに百年をかけたのに、彼らはほんの数年しか経たずに底まで落ちてしまった。
「何が違う!? 事実、下らん寵愛を巡った争いで、唯一正しかった妃を処刑した! 止めなかった者たちも同罪だ。リクハルドに惚れただけの村娘も、第二妃となったら変わったようだな」
第二妃リーナは、リクハルドの幼馴染というだけの少女だった。
それでもリクと共に歩み、彼の傍から離れなかった。
王朝が立つとき、公爵家の養女となって第二妃の座に就いた。
「お前たちは前王朝よりも醜悪だ。ゆえに正義の名のもとに、我が娘の名を以てお主たちを正す!」
そう宣言をし、辺境伯は踵を返して部屋から堂々と立ち去って行った。
「ま、お待ちください、辺境伯様! お前たちも止めよ!」
リトヴァが制止するため叫ぶが、リクハルドはすぐさま、
「もう良い!」
と制止の命令を下す。
「へ、陛下?」
「……何が陛下だ」
「え?」
「辺境伯の言う通りだ。オレたちは腐ってしまった」
「……リクハルド様」
「リトヴァ、戦争の用意だ」
「し、しかし辺境伯軍はお強く……それは陛下もご存知かと」
「ああ、よく知っているさ。何度も危ないところを助けられた。彼らがいなければ、私は初陣で死んでいただろう」
ふらつきながら、国王は立ち上がる。
「陛下……治療を」
「ついてくるな、リトヴァ。しばらく一人にしてくれ……頼むから」
よたよたと揺れながら、リクハルドは部屋を出ていく。
その背中に、この国の王としての威厳は、何一つ見当たらなかった。
辺境伯軍はフリージアの仇、腐った王朝を潰すために兵を上げた。
第二次ニスカヴァーラ王朝が建ったのは、リクハルド率いる王朝軍の力だけではない。二つは国を興すための両輪だったのだ。
しかし片輪は腐り、片輪は国の守りであり続けた。その力の差は歴然と言えた。
破竹の勢いで王都まで進軍した彼らの動きは素早く、開戦から一か月後にはすでに王城まで攻め込んでいた。
理由は、辺境伯領と王都の間に、最低限の兵しかいないことにあった。王妃フリージアが健在ならば、辺境伯が裏切るなどありえなかったからだ。
ゆえに辺境伯軍は他から兵を回す時間など与えず、王城まで雪崩れ込んだのだった。
「終わりか」
具足の音響く王城の玉座で、リクハルドは虚ろな表情をしていた。
「……何が悪かったのだろう」
楽しかったことを思い出そうとする。
幸せの絶頂だと思ったのは、王朝成立の年だ。
「そういえば、あの合同結婚式もフリージアは反対していたな」
国の安定を知らしめるため、戴冠と同時に結婚することにした。
もちろん正妃はフリージアだった。
自分を少年の頃から支援し、時には肩を並べて戦った。敵を討つために危険な囮部隊を率いたこともある。
だが、リクハルドは自分を慕う女性たちを無下にできなかった。
フリージアは、落ち着いてから順番に迎えていけば良いと進言していたが、そこは我がままを通した。
色々な言い訳をつけ、第三妃までだけではなく、四人の公妾たちすらも連れて、同時に盛大な結婚式を挙げた。
今思えばフリージアの言葉が正しかった。
「民たちの暮らしよりも先に、自分のハーレムか。馬鹿じゃないのか。腐った王族そのものじゃないか」
くっくっと自嘲を浮かべる。他国では笑いものとなった結婚式だったらしい。
それはそうだと今ならわかる。
付け加えて正妃フリージアは、出来上がってしまった後宮の女主人をやるしかなかった。
他にもまだ王としての仕事に慣れないリクハルドの補佐や、王妃としての責務もある。
負担ばかり押し付けてしまっていた。
「今思えば、ずっとフリージアに助けられてきていた。なんて馬鹿な男なんだ、オレは」
ただのリク・ニスカだった頃ですら、辺境伯家の保護で生きていたのだ。
彼が王リクハルドとなれたのも、半分以上はフリージアのおかげだった。
「ねえリク」
ふと手に触れるものがあった。
正妃に繰り上がったリーナだ。
「大丈夫だ、一緒だよリーナ」
「……そうね、一緒だわ。私たち二人しかいない」
「なあリーナ。キミはフリージア様が嫌いだったのか?」
「今更? 鈍感過ぎない? 私はずっとあの女が嫌いだった。位が高くて、高潔で、正しくて……リクの視線を独占してた」
「……そうか」
リクは幼い頃、少し年上なだけというのに、聡明で美しかったフリージアに憧れていた。
「でも結局、最初から最後までずっとリクと一緒にいたのは、私だったわ」
恐怖に震えながらも、腕の中で暗いほほ笑みを浮かべるリーナ。
謁見の間でフリージアを貶めた当初は、こんなにあっさり自分が死ぬとは思っていなかったのだろう。
強がりと諦念、それに僅かな勝ち誇りが混ざった表情だ。
呆れたような顔のリクハルドは小さなため息を吐く。
「そういえば、キミの発案だったねリーナ。忙しくしていたフリージアが冷たいと言ったら、愛を試す機会だと言って、色々と仕組んだんだった。まあ冷たいとか言うオレも大馬鹿だったけど」
思えば、合同結婚式までに第二妃としてリーナをねじ込むために、色々と無理を通した。旧王朝の為政者の一人だった公爵家の養女にしたのも、その後の専横を許すはめになったのも、そのせいだと言えた。
「来たわ」
視界の端で血飛沫が舞った。
辺境伯軍が辿り着いたのだ。
リクには、もはや何の感慨も湧かない。
「国王がいたぞ!」
騎士の一人が叫び、数多の兵が雪崩れ込んでくる。
「ようやくか」
立ち上がって両手を広げた。
「ようこそ、愚か者の玉座へ。さあ私の首を取れ」
おどけた調子で言うと、先頭にいた男が兜を脱いだ。
「ようリク。随分と出世したみたいだな。リーナも残念だ。お前を斬ることになるなんてよ」
よく見れば、辺境伯軍として助けてくれた兵士の一人だった。重要な戦で囮役を買って出たフリージアを守った騎士隊長だ。
彼の顔を認めると、リーナは小さな薬瓶の中身を飲み干した。
「それじゃあリク、すぐに来てね?」
毒物だったのだろう。彼女は口から血を吐き、床に倒れて痙攣を始める。
瀕死の彼女の首へ、騎士隊長はため息を吐きながら刃を落とした。
その様子を、リクは何の感情も見せずに見下ろす。
「さてと。リク、次はお前だ」
「……顔馴染みに殺されるのも悪くないな」
「なんか勘違いしてんじゃねえのか、リク」
「もはや後は死ぬだけだよ、何も怖くない」
そう自嘲する彼を、その兵士は鼻で笑った。
「おいおい、笑わせてくれるじゃねえか。まだ楽に死ねると思ってるのか?」
「え?」
「リトヴァも他の女たちも、一度は肩を並べた仲だ。情けはかけたぜ」
「そうか」
「ああ、ひと思いにやってやった。だがお前は違う」
「……何がだ?」
「オレたちの姫様を奪ったお前はな、どこまでも苦しめてから殺すよ」
「は?」
「最後は辺境伯の領民たちに石を投げさせてやる。お前、あの合同結婚式? あれからかなり恨まれてるぜ。姫様の晴れ舞台を台無しにしたんだ。わかるよな?」
主家の令嬢フリージアは、リクハルド以上の英雄として辺境伯領で称えられていた。
それを貶め、恩を忘れて最後には処刑した。
ただ殺されるわけがなかった。そんなことにすら思い当たらなかったのは、頼もしい戦友だった彼らしか覚えていなかったせいだろう。
「じゃあ捕まえるか。おい」
騎士隊長が背後から追いついた部下に指示を出した。その瞬間、リクは懐から懐剣を取り出し、自害しようとする。
「取り押さえろ」
しかし戦場から離れて数年。まだ若いとはいえ、勘と腕は衰えていた。
騎士たちにより、あっという間に床へと押し付けられる。
「手足の腱を切っとけ。あと念のため足の親指もな」
「や、やめろ!」
「おいおい、死を覚悟していた面はどうしたよ」
辺境伯家の人間たちが盛大に嘲笑する。
「ぎゃ、い、てえ! いてえ! やめてくれ!」
「うるせえな。さっさと辺境伯様のところに連れていけ」
泣き叫ぶリクハルドが脇を抱えられ、運ばれていく。
「無様で哀れすぎて、泣けてくるぜ」
指揮を執っていた騎士がやれやれと肩を竦める。
ちらりと玉座の横を見た。
そこにいたはずの王妃はもういない。
「……じゃあな、姫様」
騎士たちにとって、フリージアは憧れでありながら、親しみのある戦友だった。
仇を取った。
だが彼女は帰らない。
その憂さ晴らしのため、リクハルドはとてつもない責めを受けるだろう。
それでも彼の愚かさは贖えないことは、騎士にはわかっていた。
こうして、新ニスカヴァーラ朝は僅かな期間で幕を閉じた。
王国において最も短く、そして愚か者の王朝として歴史に名を遺したのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。評価や感想などをいただければ幸いです。
どう読んでも異世界恋愛ではなかったな……