第49話:月下の脱出行?
深夜。客室の窓から一人の男が音もなく飛び降りた。
着地したのは、いまだに微かに甘い香りが漂う石畳の上だ。
王都を埋め尽くしていたパンの山は、食料や肥料として運び出され、
街はようやく元の姿を取り戻しつつある。
「ふう。ようやく、解放されたな」
俺は背後の窓を見上げた。部屋のベッドの上では、全身を
強力な粘着質の糸でぐるぐる巻きにされたカレンが悶絶している。
ご丁寧に口まで塞がれ、その瞳には怒りよりも、むしろ狂おしい
ほどの悦びの色があった。
「レオンさん! こっちです、こっち!」
通りの影で待っていたハヤトが、小声で俺を呼ぶ。
「本当にいいの? カレンさん、あんなにして」
「気にするな。あれで喜ぶような女だ。それにしても、助かったぞ
ハヤト。例の『粘着メロンパン』、やはりこれ、便利だな」
「あはは、前もすごかったけど、まさか夜逃げにまで使うなんて。
本当にこれ、最高に役に立つね。さあ、急ごう!」
俺は大きく魔法陣を描き、瑞鳥を呼び出した。
夜空の闇に溶け込むような翼を広げた聖鳥。その背に飛び乗り、
一気に空へと舞い上がろうとしたその時だ。
「――おい。相変わらず、引き際だけは鮮やかだな」
暗闇の中から野太い声が響いた。ギルド長だ。
彼は俺たちの脱出を完全に読んでいたのか、壁に背を預けていた。
その足元には、数本の空になった酒瓶が転がっている。
「ギルド長。王都のことは、あとは任せたぞ。
俺たちは、もうこの国を出ることにしたんでな」
「ふん。これを持って行け、バカ野郎が」
ギルド長が、ずっしりと重い革袋を放り投げた。
俺はそれを空中で鮮やかに受け取る。中には、
旅の資金としては十分すぎるほどの金貨が詰まっていた。
「報酬はいらんと、言ったはずだが」
「ふん、これはわしからの餞別だ。レオン、せいぜい長生きしやがれ。
そしてハヤト!」
ギルド長は、瑞鳥の背で驚くハヤトにニヤリと笑いかけた。
「お前のパン、最高だったぞ。自信を持ちな。またいつか、
美味いパン食わせろよ! 達者でな!」
ハヤトが嬉しそうに頷き、力いっぱい手を振った。
俺は瑞鳥に上昇を命じ、一言だけ返した。
「ああ。そっちも、あまり無理して老いさらばねえようにな。
じゃあな、クソジジイ」
瑞鳥が大きく羽ばたき、俺たちは夜の帳を切り裂いた。
地上に残る甘い香りを振り切り、銀色に輝く月へと向かって、
音もなく、ただ美しく、高く、高く舞い上がっていった。




