表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
218/233

旅人―― ブライダル・ガーデン②

 部屋の戸口に上品な雰囲気の老婦人が姿を見せた。この女性も着物を着ていない。洋装でいる。服の裾丈は真衣子のそれより長いものの、はやり足を見せている。…………。


 老婦人は穂波に会釈して、ベッドに近づいた。

「家内のとわ子です」

 秋彦氏が夫人を紹介してくれた。


 穂波も会釈を返し、

「ご迷惑をおかけしました」

 そろそろと体を動かして床に素足をつけ、立ち上がった。白髪の秋彦氏が自分とほぼ同じくらいの背丈であることに気づいた。


 とわ子夫人がベッドサイドの小抽斗(ひきだし)から何かを取り出した。

「おやすみになるのにご窮屈かもしれないと思いまして、外させていただきました」

 サスペンダーだった。穂波が礼を言い、それをズボンに付けていると、背後に立つ真衣子が言った。

「このシャツ。背中のところに刺繍が入ってますよね。漢字三つが組み合わさったデザインの」

 その声には、かすかに、緊張の響きがある。


「どうして、これ、着てらっしゃるんですか?」

「どうして――?」

「これ、買ったんですか? ネットのフリマですか?」

「……買ったものではありません」


「おなかが空いていらっしゃるでしょう」

 とわ子夫人が聞いてくれた。

「いえ」

 じっさい、空腹ではなかった。喉が渇いているだけだった。

「遠慮なさらずに」


「お気遣い、ありがとうございます。あの……私は、どこかでき倒れ一歩手前のような、そんな状態にでもなっていたんでしょうか?」


「行き倒れだなんて」

 秋彦氏が夫人と顔を見合わせ、苦笑した。

「ただの熱中症ですよ。クリニックの先生もそうおっしゃってました」


 真衣子がことばを挟んだ。

「堂本さん、櫻醉苑(おうすいえん)の庭先にうずくまってて」


 オウスイエン。さっきも耳にした、と穂波は思った。自分の筆名を連想させる音韻ではあるが、鷗水園、あるいは央水園だろう。翁睡苑かもしれない。名称が何であれ、今日の午後、自分はそこにいた。どんな場所なのだ?


「オウスイエンとは、何ですか? どんな所なんですか?」


 答えてくれたのは秋彦氏だった。

「望月櫻醉の住居を保存したものです」


 住居……保存……。

 穂波の足裏から床を踏む感覚が消えた。


「櫻醉苑は堂本ブライダル・ガーデンの一部になっています。なんというか……奇跡的な場所ですね。関東大震災の被害も空襲もまぬがれたというのは」


「望月櫻醉さんは、あたしのいお祖父ちゃま、じゃなかった、曽い曽いお祖父ちゃま」

 真衣子が微笑んだ。

 心臓が跳ねた。この娘は何の話をしているんだ? 


「はい。真衣子の高祖父にあたる人です。家内と私の祖父です。家内と私はいとこ同士でして。――望月櫻醉の実名は堂本穂波といいます。偶然にも、あなたと同姓同名です」

 秋彦氏が言う。


「堂本さんが着ていらっしゃるシャツのことですが――」

 そう話しはじめたのは、とわ子夫人だった。

「真衣子がうるさくお尋ねして、ご不快に思われているかもしれませんが、実は、主人も私も気になっておりまして。ご存じでしょうか、お背中のその刺繍は背守り縫いと呼ばれるものです。祖母が私の父に同じものを遺してくれていまして。同じ、というのは、デザインのことですが」


 秋彦氏が夫人のことばを引き取った。

「穂と彦と雪の漢字をともえに組んだモチーフを、祖母はほかの衣類や小物類にも刺繍しています。ずいぶんたくさんこしらえたようですので、そのうちのいくつかが、何かの理由でよそさまへ渡った可能性があります。モチーフのデザインだけ、誰かがコピーしたのかもしれません」


「可能性っていうか」真衣子が言った。「それしかないじゃない。そう考えないと、わけわかんない」


「話のつづきはリビングで」

 秋彦氏が言った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ