9、そして、恋をする
「えっ、うそ……。アルフレッド、嘘よね?」
「いいえ。嘘ではありません」
「わたくしの罪悪感を消そうと……嘘を言っているのよね?」
「いいえ、本当のことでございます」
何度もグレースの言葉を否定するアルフレッド。
グレースは座っているのにまためまいがしそうになった。
「ど、どうして……? だって今までそんなそぶり全く……!」
「ずっと、押し殺しておりました。だって私はあくまでも、ただの使用人でございますから。旦那様は……私のこの想いになんとなく気づいておられたようですが、お互いに何も言いませんでした。言ってもどうにもならないとわかっていたからです」
「そんな。お父様も、知っていた……?」
グレースは突然の告白にいまだ動揺を隠せなかった。
どうして。なんで。そんな思いばかりが頭の中にうずまく。
それだけ自分を大事に想っている人がすぐそばにいたなんて。
いままで何十回とお見合いを断られてきた。
自分は、性格に難のある不良物件であり、女性としてまるで価値がない、そんな存在だと思い知らされつづけてきたのに。
「あ、あの、いったいいつから……?」
「私が十九の時。あのお屋敷に仕えるようになってすぐの頃でございます。お嬢様がちょうど二十五の頃でした」
「ああ……」
十五年も前から、この男は自分への想いを秘めてきたのだ。
その苦悩と消えない情熱ぶりに、グレースは今度こそ胸を強く締め付けられた。
「ああ、アルフレッド。ありがとう。とても、嬉しいわ……」
「お嬢様。そう言っていただけて光栄です」
「いえ、ずっと気付かなくてごめんなさい。そんなことだったとも知らず、わたくし……」
「いいのです。もとより身分違いの恋。かなうことなど初めから諦めておりました。ただ私はずっとあなたのお側にいられれば良かったのです」
「でも、どうして? こんな何度もお見合いを断られるような令嬢よ? いったいどこが……」
アルフレッドは首を左右に振り、グレースの手をとったまま告げた。
「どうぞ、そうご自分を卑下なさらないでください。他の貴族の令息たちには、見る目がなかっただけでございます。お嬢様はたしかに箱入り娘として育てられましたが、それゆえとても家族思いの素晴らしい女性にお育ちになられました。どうか自信をもってくださいませ」
「アルフレッド……」
「なにより、私は知っております。私以外の使用人たちを逃がしたのは、奥様とお嬢様だったということを。使用人たちは皆、感謝しておりました」
「……!」
そう。グレースが、あの自殺した母の遺言書を見たのは、もう幾日も前だった。
そこには「もうこの家は終わりだから、グレースは使用人たちと逃げなさい」と書かれていた。
母はきっと、家の者たちが夫と同じ目に遭うのを見たくなかったのだ。
だからそんなことを書き残して死んだ。
グレースはその手紙をすぐに焼き払うと、他の使用人たちに言って回った。
『わたくしや家のことは心配しなくていいから、どこか遠くへ逃げなさい』
そうして、一人ずつ屋敷から使用人を逃がした。
当然その行いはあとからアルフレッドの知るところとなったが、いざアルフレッドの番になっても、彼は首を縦に振らなかった。
「そういえば、あなただけはかたくなに去ろうとしなかったわね」
「はい。旦那様に、頼まれておりましたから。なによりあなたひとりを残しては行けなかった……」
そう言ってじっと見つめられ、グレースは顔がぽっと熱くなる。
「そんなっ、わたくしは……ただ自分にできることをしたまでよ? 他になにもできない、非力な人間だったから」
「そんなことはございません。旦那様や、奥様の屈辱をこの先ずっと晴らせなかったとしても、ここで骨をうずめることになったとしても、私にはお嬢様がそばにいらっしゃるだけで生きる希望となるのです。ですからどうか、最後まで生きてください」
「アルフレッド……」
じわりと、グレースの目に涙が浮かぶ。
そこまで慕ってくれていたなんて……。あまりの感激に、しばらく言葉が出なかった。
心臓がさっきから早鐘を打ち鳴らしている。
あまりにもドキドキしすぎて、グレースはいてもたってもいられなくなった。
「あ、あの……じゃあ、アルフレッドは本当に、嫌じゃないのね? その……わたくしと……その……」
「はい、もちろんでこざいます。むしろ、申し訳なく思うのは私の方で――」
「あ、アルフレッド……」
少し食い気味に宣言されたグレースはさらに頬を赤くする。
触れられている指先が熱い。
見つめられている場所がどこも熱い。
グレースは、もう自分の体を自分でどうにもできなくなって、思いもよらない言葉を口走った。
「あ、あの、アルフレッド!」
「は、はい。なんでしょうかお嬢様」
「あの……き……」
「……はい?」
ぱちぱちとアルフレッドがまばたきを繰り返している。
「今……なんと?」
「だからっ、『好き』!」
「お、お嬢様……」
「たぶん……これが『好き』、だと思うの。今まで誰にもこんな気持ちを抱いたことはないわ。だから、本当のところはわからない……。でも、胸が、苦しくて仕方ないの。ねえアルフレッド。どうしよう。どうしたらいい? わたくし――」
その瞬間、グレースはアルフレッドに抱きすくめられ、口づけされた。
思わず息をつめる。
それは最初軽いものだった。けれど徐々にそれは湿り気を帯び、だんだん情熱的なものへと変わっていく。
「あ、アルフレッド……」
「お嬢様。お嬢様……愛しております……」
そうしてその夜は静かに更けていった。
翌朝――。
部屋の扉が開けられ、満足げな表情のイラジュールと再会した。
「うむ。とても素晴らしい一夜だった! 我は感動したぞ! お前たちには後日褒美をとらす。これをあと、六日間続けられたらな。なんでも望みを叶えてやる!」
「えっ、なんでも……?」
できなければ即処分。
その運命から一転、グレースたちは過分すぎるチャンスを与えられた。
グレースはアルフレッドと顔を見合わせる。
まだ、自分たちの恋は始まったばかり。今日の運命も、明日の運命もまだ確定はしていない。だからこそ――。
一歩一歩前に進んでいかなくては。そう思った。
自分たちをこんな目に遭わせたやつらに復讐するかどうかも、このままここでしばらく甘い日々を過ごすかどうかも、すべては今後の自分たち次第。
「お嬢様」
「なあに? アルフレッド」
グレースは自分の手をそっと握ってくる元下男に、振り返った。
「私の気持ちはこれからも変わりません。お嬢様がお決めになったことならば、どんなことでも受け入れます」
「ああ……。そう、だったわね。ありがとう、アルフレッド」
「はい」
「では、わたくし、どこまでも頑張って生き延びなくてはね。愛するあなたのために」
「ええ……」
二人はそうしてまた、不透明なガラスの部屋に入っていく。
その後、この二人がどこか別の場所で幸せに暮らしたり、両親の復讐を果たしたりしたかどうかは、また別のお話。
完
これにて完結です。
良かったら評価、もしくは感想など書いてくださると嬉しいです。
この度は「第二回ワケアリ不惑女の新恋企画」に参加させていただき、ありがとうございました!