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杉本 太一

僕は現時点で、将来なりたいものは決まっていない。

けど、今やりたいことは決まっている。いや、すでにやり始めている。



 僕には守りたい人がいる。



その人を初めて見たのは、僕が入試を受けている時だった。試験中、消しゴムを落としてしまい、それを拾ってくれた人だった。


 その消しゴムは、年の離れた妹が、入試に挑む僕の為に用意してくれたお守り代わりのものだった。妹の好きな少女向けアニメのキャラクターが描かれた、可愛らしい消しゴムだった。僕にとっては大事な物だったし、もし、失くしていたら試験に集中できなくなって、合格できていなかったかもしれない。


 消しゴムを拾ってくれた女の人はニッコリと微笑みながら僕の試験机の上にそっと置いてくれた。その微笑みは、まるで女神かと思うほどだった。

その女の人は、試験官をしているようで、試験中グルグルと試験会場内を廻っていた。その人が僕の近くを通る度に、僕はドキドキして試験に集中できなかった。


結局、その人に翻弄されながらも試験は無事に終了。


 前の日の朝、痴漢に間違われて示談金を払ってしまい、今日の宿泊代も無い僕は、大学の中庭のベンチに座り、今夜の居場所を考えていた。


その時、目の前を消しゴムの女の人が通り過ぎた。



 ここを逃したら、もう会えないかも知れない。



そう思ったら、体が勝手に動いていた。

でも、声を掛ける勇気も度胸もない僕は、少し離れた位置から後をつける事しかできなかった。


その女の人は、肩から大きめのトートバッグを抱えて、どこかに向かうようだった。大学の門を出て、迷う様子もなく駅に向かっていった。真っ直ぐ前だけを向いて堂々と歩いているので、尾行に気付かれることは無かった。


そのまま大学の最寄り駅に入り、電子マネーで改札を抜け、ホームへの階段を上って行ってしまった。僕には今、手持ちのお金は小銭しかなかったし、その人がどこの駅で降りるかも分からなかったから、とりあえず一駅分だけの切符を買った。降りる時に精算すれば良いと思ったし、遠くの駅だったら運賃が足りなくなってしまうということは頭にはなかった。


急いで階段を駆け上がり、その人がいるホームを探した。小さな駅だったこともあり、その人はすぐに見つかった。すぐ近くに寄りたい衝動を抑え、ドア一つ分離れた所から横目でチラチラと盗み見る事しかできなかった。


電車に乗り込み、同じ車両内の離れた位置からその人を観察してみる。

電車内は混雑してはなく、空いている座席もあり座ることもできるのだが、その人はドア付近に立って外をぼんやりと眺めていた。


背は僕よりも低いようだから、それ程高くはない。百五十センチくらいだろうか。痩せ形だ。髪型はショートボブっていうやつ?髪色は軽く脱色している。大きめの黒縁の眼鏡をかけていて、知的な印象を与えている。服装は白いシャツに黒のカーディガン、濃いめのジーンズの裾を折り返していて、かかとの低い黒いパンプスを履いている。


 何駅かやり過ごすと、その人は小さな駅で電車を降りた。僕も急いで降りるのだが、その駅で降りる乗客は思いのほか少なく、気付かれてしまうのではないかとヒヤヒヤしたが、真っ直ぐに目的地に向かうその人は、怪しむ様子を一切見せずに改札を抜けて行った。


 駅前に一軒あるだけのコンビニの前を通り過ぎ、住宅街に入っていく。後で気が付いたのだけれど、駅の反対側にはスーパーや商店街があって、そっちの方が栄えていた。


人通りの少ない道を進んで行くので、いつまでも僕が同じ方向に歩いていくと尾行がバレてしまうのではないかと心配したけど、その人は一向に気付く様子はなかった。


 しばらく歩いていくと一棟のアパートに入っていった。二階建ての若者向けといった感じのおしゃれなアパートだ。


 僕は通り過ぎるふりをしながら、その人が入る部屋を確認した。

そして決めた。このアパートに住むと。


 その後、入試の合格発表を確認してすぐに、このアパートの大家さんに連絡して、空いている部屋があったので、すぐに入居の契約をした。


 この春からこのアパートに住むようになり、消しゴムの女の人の名前はすぐに判明した。

このアパートには道路側に住人用の集合ポストがある。あの人の部屋番号は知っているから、そのポストの中の郵便物を見てみれば、名前が書いてある。



 松山茜さん。



良い名前だ。これからは茜さんと呼ぶことにする。


 それから僕は、茜さんを見守り続けている。同じ大学だから、出発時間を合わせるようにしている。学部が違うから講義中は見ていられないけれど、帰りの時間は合わせることができる。いつも少し後ろから着いて行き、茜さんに近付く悪い男はいないか監視している。


 茜さんは大学終わりに、駅の向こう側のドラッグストアでバイトをしている。客を装って何度か店に入って様子を窺うと、少しずつだが人間関係が分かってきた。他のバイト仲間の中には茜さんに対して色目を使うような男はいない。

しかし、店長は違うようだ。仕事中にも関わらず、茜さんのことをチラチラと窺っている。茜さんに何か話しかける時には、気安く肩に手をかけたりしている。


 この店長は茜さんにとって害のある人物だと判断した僕は、この店長の事を調べた。まずは店長の帰りを待って後をつけた。

車を運転していたら僕には後をつける手段は無かったから諦めるしかないと思っていたけど、徒歩で通勤しているようで助かった。

茜さんを尾行した時の反省点を踏まえて、距離を長めにとったり縮めたりして、うまく自宅までついて行けた。

自宅の様子を眺めてみると、玄関先には小さな女の子用の自転車が置いてあり、明かりの付いているリビングからは家族の笑い声が聞こえてきていた。自宅を押さえておけば、後々何かあっても逃げられることはないということに安心した僕はこの日の調査を終えた。


そして、数日後の茜さんのバイトが終わるのを見守っている時に気付いてしまった。



茜さんは、店長にセクハラをされているようだ。



店長と一緒にホテルに入っていくのを見てしまった。その時の茜さんは、終始うつむいていて楽しそうではなかった。嫌々付き合わされているようだった。


妻も幼い娘もいるくせに酷い奴だ。どうにかして懲らしめてやれないかと思った僕は、証拠の写真を撮るために、出てくるまで外で待っていた。


茜さんが断れないことを良いことに好き放題しやがって。頭に来たから、店長の奥さんに浮気の証拠写真を送り付けてやった。店長の顔はわかるけど、茜さんの顔はわからないようなアングルで撮れた写真だ。これなら、茜さんが逆恨みされることはないだろう。

それからは店長のセクハラは無くなったようだ。茜さんの嫌がることをする奴は許せない。僕が茜さんを守る。


茜さん宛の手紙も確認するようにしている。郵便配達される時間帯は調べた。その時間になると茜さんのポストに届いた手紙を全て持ち帰り、自分の部屋でゆっくり丁寧に開封して中身を読む。問題無ければ封を元通りにして茜さんのポストに戻しておく。変な男に言い寄られて脅されたりしていたら、僕が守ってあげなくてはいけない。


 ゴミ出しの日には、茜さんの出したゴミ袋を僕の部屋に持ち帰って中身をチェックする。きちんとした食生活を送っているのか、生活は乱れていないかを確認する。


 茜さんは大学の休みの日には、一日中バイトに行っている。あれからバイト先での被害は無さそうだから、監視対象を替えることにした。


 今度は部屋の中の安全を確認しようと思う。

今は、ストーカーと呼ばれるような奴が、茜さんの留守のうちに部屋に忍び込んで、茜さんの私物を物色したり、戦利品と称して物を盗っていってしまうかも知れない。


 茜さんは今日も朝からバイトに行っている。

茜さんの部屋の見回りに行くことにする。


窓を開け、ベランダの手すりを乗り越える。僕の部屋は一階だから、手すりを乗り越えた先は川側の塀との間の一メートル程の幅の狭い土の地面だ。

 川側の塀は一メートル五十センチ程度しかないので、屈んで歩いていく。向かう先は一階にある茜さんの部屋だ。


 足音を立てないように気を付けながら、茜さんの部屋の前に到着する。姿勢を低くしたまま、辺りを窺う。人の気配はない。念の為、川側も塀の上に顔だけ出して覗いてみるが、普段と変わった様子はない。


茜さんの部屋のベランダの手すりを乗り越え、外から見つからないように低く身構える。レースのカーテンが掛かっている窓際にそっと近づく。ピッタリと窓ガラスに張り付けばカーテン越しに部屋の中を監視できる。視界が悪いが、何とか目を凝らす。



「あっ!」



思わず声が出てしまった。


 急いで、ベランダから出る。慌て過ぎて、少し物音を立ててしまった。しばらく呼吸を整えながら、部屋の中の様子を窺う。大丈夫、気付かれてないようだ。


 しかし、焦ったー。


布団に男が寝ていた。

一瞬だったから良くは分からなかったけど、結構、年上っぽい。

まさか、彼氏?

僕は茜さんを監視しているから知っているけど、彼氏がいる気配は無かった。

最近付き合い始めた?


に 、しても、もう部屋に泊まっているなんて。

茜さんに対して悪影響がないか、あの男についても調べてみないといけないな。


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