第四話『逃げてる奴を不用意に追いかけるとこうなるんだ。よく覚えときな』
「...あっつー...この世界も今は夏なのか...?それだったらマジでしんどい...」
最初に降り立った草原から十数kmぐらい離れただろうか。そんな場所にあった森に今隼人はいる。
残念ながら、あの草原から町らしきものは欠片も見つからず、それだったら狩人でも探して森に入るしかないかもしれない、というのが隼人の考えである。
正直なところ正解かどうか分からないらしい。というより入ってから気づいたけど悪手かもしれないらしい。
チラッと後ろを見やる。できるだけ睨みながら。
そこにはうなり声を低く響かせながら後ろをピッタリとついてくる大きなトラの怪物がいた。
「(あいつ、俺が気を抜いたら絶対襲い掛かってくる...そうなったら確実に終わる...色々終わっちゃう、R-18Gになる...幸いあれでも警戒心が強いみたいだから、このまま睨んでいこう)」
今はこの森から出るのが第一目標になった。
さて、そんな奇妙な心理戦(?)を三十分は続けて歩き続けた結果―――
「......おはよーございまーす」
余所見してたため石につまづいて追い詰められるという、なんとも間抜けなことになってしまった。
今の隼人には人間のご機嫌取りの伝家の宝刀『挨拶』をするしかなかった。
返事は捕食する気満々のうなり声だったが。
「おいおい、ちょっとこれハードモード過ぎんか...?」
最早引き攣った笑顔でそう文句を垂れるしかなかった。
確かに力を貰わなかったのは自分の自業自得かもしれんが、他人にへりくだるぐらいだったら逃げるを選択するのが隼人流だからしょうがない。
「でもまぁ...逃げるしかねぇなぁ...」
襲い掛かられる前にゆっくりと立ち上がって怪物を見据える。
所持品も何もなく怪物との距離はかなり近い。
この状況から逃げる方法は―――
「あーもう、木に登るしかねぇってすっげぇ古典的ぃ―――ッ!!」
超スピードでそこら中に生えてる木に登る。以上。
怪物は木に登り切った隼人を見ている。すっごい見ている。というよりその眼はさっきとは違ってなんか余裕ありげな眼になっている。完全に舐め切っている。
「くっそ腹立つな、あの眼...確かにもっと追い詰められた気がしないでもないが...」
今更ながら隼人はトラが木登りできる動物だと思い出す。この怪物も木登りできるとは限らないだろうが可能性は高い。
隼人はすぐさま飛び降りるための体勢をとる。怪物が木にへばりついた瞬間に飛び降り、他の木に登る。これを繰り返してるうちに怪物が他の獲物でも見つけて諦めてくれないかなぁ、という淡い願望である。
「運だなぁ...でも俺の運、今日はマイナスに振り切ってそうだしなぁ...」
絶望的状況だが、どうにかせねばなるまい。考えたパターンを繰り返していれば、きっと死ぬことはないだろう。きっととか多分とかは当たると信じる。
「さぁ来てみろトラもどき。ひとっ飛びで俺のところまで来れない限り―――」
とかトラ相手に煽ろうした瞬間――
―――バゴンッとかいう普通じゃありえない音が聞こえた。
「うぉぉっ!?」
それと同時に木を大きく揺らす衝撃。恐る恐る下を覗いてみる。
見ればトラの爪が木の幹を深くえぐっている。木の幹の太さが半分になるぐらい深くえぐれている。熊でも木の皮をペリペリ剥がすぐらいが限界だろう。
「......予想の斜め上を行っているんだが?」
そんな疑問に誰も答えてくれるはずもなく、木が自身の重さで傾き始める。
「た、倒れる!?ヤバいヤバいヤバいって!!」
咄嗟に木から飛び降りたが、体勢を整えていたとはいえ倒れ始めていた不安定な木の上でまともにジャンプできるはずもなく、仕方なく受け身を取ってダメージを最小限に抑える。
「い、いってぇ...あのクソトラァ...!」
すぐさま立ち上がるが所々体が痛む。受け身で地面を転がった時に刺さった木の枝が気に障る。
悠々と近づいてくる怪物に隼人は後ずさりをして間合いを取る。しかし後ずさりを続けているうちに背が木にぶつかってしまう。それを見た怪物はほくそ笑む。まるで人間のように。
「なんだぁ?その顔は...?」
膝についた土埃を払いながらトラを見据える。
その雰囲気に諦観や絶望といった負の要素は全く感じられない。
「勝ったって思ってるなら...それは違う」
トラが相手だというのに隼人は話す。隙だらけだ。それでもトラはゆっくりと捕食するために進めていた歩を止めた。
「俺はお前とただの獣だと思っていた...でも違うな?お前には『知能』があり、『感情』がある。それが少し歪んでいるものだろうが、そうなのだとしたらお前が諦めるまで粘るのはもうやめだ」
トラが本当に言葉を理解しているかは分からない。だとしても隼人は話し続ける。
「ただの獣だったらお前が諦めたら俺は万々歳だけどな...お前に『知能』があるのだとすれば...それは俺を『見逃した』ってことだからな...絶対的優位からわざとそのチャンスを『逃す』...それは俺にとっちゃ『最悪の侮辱』だ」
その不可思議な威圧感。もしかしたらトラはそれを感じ取ったのかもしれない。
「そんな『侮辱』は、あのクソ天使で『最後』だ...お前を不愉快な気分にさせて、『俺の方が余裕で逃げてやる』」
言い終わった瞬間、鎖につながれていた獣が解放された瞬間のように、トラは隼人に襲い掛かっていた。
トラは隼人に向かって、その丸太のような右前脚を横なぎに払った。
そこまでが隼人のシナリオだと分からずに。
再びバゴンッと音が響いた。二度目の爆音。爪で木の幹が爆発したかのようにえぐれた音。
「かかったなッ!?残念ながら俺には当たらなかったなぁ!!」
横なぎの軌道を微かに読んでいた隼人は咄嗟にしゃがんで回避する。
隼人の頭頂をかすめて行った爪は再び木の幹をえぐっていくのみだった。
「木を切る時っていうのは切る方向に気を付けるというが...」
それを見た直後、隼人はえぐれた木の幹を思いっきり蹴り付けた。
「自重で倒れてくるんだから切り付けた方に倒れてくるに決まってるよなぁ!?」
それはわずかな衝撃だったが、薄くなって脆くなった木の幹には十分すぎるほどの衝撃だった。
メキメキという音を立てて、すぐさま木がこちらに向かって倒れてきた。
トラの方は嵌められたことに驚愕してる様子だったが、隼人の方にそれはない。
安心しきった様子で未だにしゃがみこんでいる。
「なんだ?疑問か?すぐに分かる。既に分かっていないのは間抜けだと思うけどな?」
そして倒れてきた木がトラの頭を直撃した。だが隼人にはそんなことはない。『トラの方がしゃがんでいる隼人よりも高さがある』。トラが衝撃で気絶して倒れ込む数秒の間に、隼人はゆっくりと木の下から這い出た。
「逃げてる奴を不用意に追いかけるとこうなるんだ。よく覚えときな...はぁ」
気絶しているトラにそう言い捨てると、一つ大きなため息を吐いた。
「とは言っても絶対この森、他にも危険な奴いるだろ...これ以上こんなハードなことしたくないんだが?」
そんな弱音を吐いても誰も聞いている人物はいない。観念して再び歩き出そうとした瞬間、隼人は物音を聞いた。
「なんだ...?」
耳を澄ませると、ただの物音と言うよりは足音だということに気づいた。
その数も一つじゃない。複数だ。
「...嫌な予感しかしねぇんだけどなぁ」
十数秒後、その正体が分かった。
「なんだ?迷子か?へへ、よかったらその身ぐるみ全部置いてってくんねぇ?」
そう言ってくる筋肉質の男は皮製の薄く茶色の原始人みたいな服を着て、木でできたこん棒を持った―――
「あぁ、今度から俺は運頼みやめよ......」
―――テンプレな『盗賊』を見て、隼人は静かにそう決意するのだった。




