第二話『俺は逃げるしかできねぇんだよ、舐めんな』
「死なない。貴方は運命により選ばれた。なのになぜ逃げる」
「はぁ...?てめぇ何言ってやがる...」
隼人には少女が何を言っているのか全く分からない。
隼人からすれば少女はただの通り魔か何かに見えるだろう。
「てめぇの都合なんざ知るか...殺されそうになってるから逃げてんだよ。それにな...」
当然の理屈だ。殺されそうになったから逃げる。当たり前だ。「......」
少女は無言で歩き続ける。
隼人は腹部に傷を負っている、それもかなり重症だ。
おそらくは遠くに行けないはずだと結論付け、路地裏を歩いて回る。
少女は一回も路地裏など歩いたことは無かったが、その地形は完璧に把握している。
確実に、着実に、逃げ道と思しき所を探して回る。
「......」
しかし、隼人はどこにもいなかった。
自身が把握している地形上、路地裏は全て回ったはずなのにだ。
あの傷のまま大通りにでも出たのだろうか、と考えるがすぐにその可能性を頭から振り払う。
それは間違いなく、通りを歩いている人に傷を見られ騒ぎになる。普通の人だったら何も考えずにがむしゃらに逃げる可能性も考えられるが隼人は違う。
そもそも人に腹部を刺された状態で、あそこまで冷静に対処できる方がおかしいのだ。逆に隼人の方が精神異常者でもおかしくないようなものだ。
隼人の立場として考えられる可能性は、どうにかして路地裏で少女を撒き、ほとぼりが冷めるまで騒ぎを起こさないことだ。
それだというのに、どこにもいないのである。
「何か...見落としが...?」
そうとしか思えないのに、見落としらしい見落としは見つからない。
路地裏の歩いていて、少女とすれ違った数少ない人の中に隼人がいたのか。
だが、顔が違うどころか来ている服すら同一の人物は見つけていない。
隼人が別の服を持っていた様子もない。完全に手ぶらだったはずだ。
「......」
ふと少女の視界の端に一人の人間が見える。
緑の服を来て壁を背にして新聞を読んでいる人間である。
確かに服は違う。新聞で顔は見えないが首の後ろにパーカー部分が破れた痕跡もない。
というより色が違うし、腹部に血が付いているはずである。
「......」
少女はそこまで考えると、その場を離れて行った。
「...やっと行ったか」
そんな様子を見て、新聞を下ろしてほっと一息ついたのは―――誰であろう、『静海隼人』である。
その姿は緑の服で腹部あたりに血もついていないが、間違いなく隼人である。
「ちょっと危ない策だったけど、どうにかなったな...」
苦々しい顔で服の首の部分を引っ張り、中を確認する。
その服の裏の色は―――灰色だ。そして腹部でなく壁にもたれかかっていた背に血がついている。
仕掛けとしては至極単純なものである。
隼人が来ていたパーカーは表と裏で色が違うのである。
隼人は咄嗟に服を裏返しにして、血がついた方が背になるように反対側に着たのである。
つまり破れたパーカー部分が前になり、逆に背の部分についたように見える血は壁で隠れるわけである。
後は路地裏に嫌というほど捨てられている新聞紙を読んでるフリをすればいいだけである。
未だ腹部から流れ出る血は余った新聞紙で再び服に染みないように止血する。
これが隼人が考えた「他人のフリ作戦」である。
「とは言っても、まだ帰れねぇよなぁ...まだ路地裏を巡回しやがるだろうし。ここはもう少し様子を...」
「様子を見る必要はない」
「...は?」
思わず、持っていた新聞紙を地面に落とす。
その時聞こえてきた声に隼人は冗談だと思いたかったのだろう。
自分より後ろから―――あの殺戮少女の声が聞こえてきたのだから。
「てめぇ...!なんで...!?」
「...ジャージ」
「ッ!?」
当然の疑問。なんでバレたのか。
この少女はおそらく、離れたフリをして迷路に入り組んでいる路地裏を利用して後ろに回り込んだのだろう。
それは分かる。隼人も同様にこの路地裏のことは知り尽くしている。
だが、この即席の変装をどうやって見破ったのか―――その疑問に少女はたった一つの単語のみで答えた。
そう、ジャージが変わっていない。
しかも新聞紙で隠すことが出来ない。
痛みで朦朧としていたとはいえ、自分の計画のお粗末さに隼人は嫌気が指す。
それと同時に、次はどうするのかと泥臭く脳の全神経が勝手にフルスロットルで回転しだす。
「...何故逃げる」
「あ...?」
その矢先に新たな疑問―――今度は少女の疑問である。
だが―――
「俺は逃げるしかできねぇんだよ、舐めんな」
―――その部分だけは、この理解し難い少年だけの持つ特異性のようなものなのだろう。
隼人は至って冷静だ。痛みが重くのしかかっているのに。痛みで意識なぞ切れそうなのにだ。
貴方(貴女)なら、少女の疑問なぞ答えるわけもなく再度逃げるだろうか?逆上して襲い掛かるのだろうか?少なくとも私なら冷静でいられないだろう。
だというのに、この少年は絶体絶命の状況でも、しっかりと相手と対峙しているのである。
「俺は逃げきる...どんなしょうもない手を使っても逃げ切る...てめぇが何者だろうと!」
そう言い切った瞬間、隼人は地面に捨てた新聞を蹴り飛ばして再び視覚をある程度奪う。
ほんの数瞬だ。それで不意を突ける時間など。
それでも、それと同時に隼人は背を向け走り出した。
歯を食いしばり、痛みを必死にこらえる。地を踏みしめる度に腹部に痛みが走る。痛みが走ると意識が揺らぐ。
それでも走る。全くスピードを落とさずに。
だが―――
―――隼人が後ろに目を向けた瞬間、目の前が真っ白になった。
最後に見たのは、こちらに手を向けていた少女の姿と。
見えないはずなのに―――はっきりと感じ取った衝撃と『死』の予感だけだった。




