祖国と父の理想
フィーナから届いた文面が、頭から離れなかった。
三つの封印を揃える以外に、心臓を安全に止める方法はない。
机の上には、父の救援撤回命令がある。王家の古い印と、公爵家の紋章が重なった紙だ。
この紙を王都へ届ければ、アーノルドの部隊が見捨てられた証拠になる。
同時に、王家が関与していた可能性を示す証拠にもなる。
父を救うために王国を告発すれば、王都の秩序が崩れる。
王国の法へ従えば、黎明の瞳の孤児院が切り捨てられる。
父の理想へ従えば、軍事部門の報復で王都の住民が犠牲になる。
どの道を選んでも、誰かが安全な場所から犠牲にされる。
「心臓を壊す」
僕は言った。
アーノルドとレヴィは、同時にこちらを見た。
「起動される前に、台座ごと破壊する。心臓がなくなれば、王国も帝国も公爵家も、使えない」
「地下炉が残ります」
レヴィの返答は早かった。
「心臓は兵器の中心であると同時に、地下炉へ流れる魔力を整える安定器です」
「安定器なら、壊せば炉が止まるのでは?」
「逆です。流れを整えているものを失えば、炉は溜め込んだ魔力を一気に放出する」
レヴィは古い図面を広げた。
地下炉の中心から、三本の魔力路が伸びている。一本は地上へ。一本は王都地下水路へ。最後の一本は、グラキエスの古代空洞へ続いていた。
「心臓を壊せば、三つの経路が同時に開く。王都の地下が崩れ、要塞の下も崩れる。孤児院は、最初に巻き込まれます」
「なら、心臓を移動させる」
「移動中に封印が揺らぐ」
「封印を解かずに運ぶ方法は?」
「ない」
レヴィは図面を指で叩いた。
「心臓は魔導バッグへ入らない。生き物ではないが、単なる物体でもない。収納空間へ入れた瞬間、内部の魔力が空間の境界を押し広げる」
パックの魔導バッグにあった制限を思い出した。
動いている魔導具は収納できない。
心臓は、眠っているだけで動いている。
「つまり、壊せない。運べない。起動もさせられない」
「三重封印を使えば、安全に停止できる」
レヴィは、机の上に三つの小さな魔力瓶を並べた。
瓶の中には、青、白、黒の光がそれぞれ閉じ込められている。彼が最初の瓶の栓をわずかに緩めると、青い光が細い管へ流れた。二つ目の瓶へつながる管は、一定量を超えたところで自動的に閉じる。
「一つ目は流量を整える。二つ目は方向を固定する。三つ目は余った魔力を地中へ逃がす」
「一つ目だけ外したら?」
「流量が乱れる。二つ目だけ外したら、逆流する。三つ目だけ外したら、地下へ逃がすはずの出力が地上へ抜ける」
レヴィは三つの瓶を順番に指した。
「三つを同時に外さない限り、完全な暴走にはならない。逆に言えば、心臓を壊すだけでは制御を失わせるだけです」
僕は瓶の光を見た。
心臓の表面に浮かんだ地図。三本に分かれた魔力路。フィーナが言う三つの封印。
すべてが一つの構造へつながっている。
「なら、封印が一つ欠けた状態で起動されたら?」
「王都か、要塞か、古代空洞のどこかが先に崩れる」
「どこか、というのは?」
「起動した者が選べる」
レヴィの答えに、アーノルドが顔を上げた。
「私が心臓を使えば、孤児院を守れる」
「王都の人間を犠牲にして?」
「王都が私たちを攻撃するなら、そうなる」
「それは、守るのではなく、選び直しているだけだ」
僕の言葉に、アーノルドの手が止まった。
彼は、十四年前に選ばれなかった側だった。
だからこそ今度は、自分が選ぶ側へ回ろうとしている。
その危うさから、父も目をそらせてはいない。
「王家の印は、王都へ戻らないと使えない」
「影班の印は、エレオノーラが持っている」
レヴィが続けた。
「救援隊の封印は、父さんが持っている。しかし、三つを揃えるには王都へ行く必要がある」
アーノルドが、王都の地図を見た。
「王都へ行けば、私たちは捕らえられる」
「ここに残れば、帝国か強硬派が心臓を奪う」
沈黙が落ちた。
要塞の外では、子どもたちが授業を受けている。パンを焼く匂いがする。診療所では、薬を煎じる音が聞こえる。
そのすぐ下で、古代兵器が眠っている。
守りたい場所の中心に、守るためには危険すぎるものがある。
「王都の住民を犠牲にして、孤児院を守ることはできない」
僕は言った。
「孤児院を犠牲にして、王都を守ることもできない」
前世の最後の作戦が脳裏をよぎった。
最も損害の少ない方法。
建物ごと埋める爆破命令。
誰か一人を切り捨てれば、全体が助かるという計算。
僕は、あの時もそれを拒否した。
だが、拒否した結果、建物は崩れた。レヴィは僕が逃げたと思い、民間人の避難路も失われた。
「一人を犠牲にすれば、全員が助かる場合がある」
僕が言うと、レヴィの目が鋭くなった。
「それは、誰を一人にするか決める者の言葉です」
「わかっている」
「あなたは、前世でも同じ判断をした」
「だから、今度は間違えない」
「今度も、決められないだけでは?」
レヴィの言葉は痛かった。
決めないことも、選択だ。
父を止めない。
王国へ戻らない。
心臓を壊さない。
何もしなければ、誰かが代わりに決める。
その決定が、最も安全な場所にいる者のものになる。
「三重封印を揃える」
アーノルドが言った。
彼は王都の地図から目を上げた。
「私の罪を証明するためではない。孤児たちを守り、王都の人間も守るために、心臓を止める」
「軍事部門の攻撃は?」
「止める」
「公爵家への報復を?」
「止める」
アーノルドの声は苦しかった。
「報復を続ければ、私たちは十四年前に私たちを見捨てた者と同じになる」
その言葉に、レヴィがわずかに顔を伏せた。
協定の一つ目。
父を守る。
二つ目。
孤児院を戦場にしない。
三つ目。
心臓を勝手に起動しない。
三つの条件を守るには、王都へ戻るしかない。
その時、机の上の魔導通信札が激しく震えた。
通常の連絡ではない。封印を三重に重ねた緊急通信だ。
表面に、見知らぬ男の名が浮かぶ。
サルマン。
国境を越えて情報を売る、国際情報屋の名前だった。
通信札から、途切れ途切れの声が響く。
「帝国が動いた。王都の大使館から、特務部隊が出ている」
声が一度切れた。
再びつながる。
「目的は、心臓の奪取ではない」
三度目の途切れ。
「炉を起動させ、制御部品だけを回収するつもりだ」
通信が途切れた。
要塞の食堂から、子どもたちの笑い声が聞こえる。
王都の地下炉を起動させれば、王都もこの要塞も無事では済まない。
サルマンの最後の言葉が、暗い部屋に残った。
「帝国の最初の攻撃目標は、王都ではない。あなた方の孤児院だ」




