同行者の視線
国境を越えてから、半日が過ぎた。
軍用魔導方位盤が示した塩坑への道は、雪崩で完全に塞がれていた。古い入口を探して斜面を回ったが、地下へ降りる道は見つからない。
パックは雪の下へ耳を当て、三度、地面を叩いた。
トン、トン、トン。
「道、下にある。今、入れない」
「なぜ?」
シアンが尋ねた。
「雪、重い。空洞、崩れる。入る、皆、埋まる」
パックは即答した。
古代炉へつながる可能性がある場所を、無理に掘り返すわけにはいかなかった。軍用魔導方位盤は針を塩坑へ向けているが、入口が塞がっている以上、別の手段が必要だ。
旧塩鉱道を使えない以上、戻り道は国境監視所から王都へ続く通常街道になる。吹雪の中で雪上車を乗り継ぎ、検問と崩れた橋を迂回すれば、王都までは三日かかる。
王都へ戻り、古い地図と記録を調べる。
それが、いったん決まった方針だった。
「王都へ戻るなら、私たちも同じ道だ」
雪上車の脇で、ガウェインが言った。
彼は先に別れたはずだった。だが、王都へ向かう街道の分岐で待っていた。特務捜査隊の小型雪上車は、魔導装甲車より速い。置いていかれたのではなく、先回りされていたらしい。
「特務捜査官は、別の道から戻ると言っていませんでしたか?」
「その予定だった」
「予定が変わった?」
「帝国の追跡路が、君たちの進路と一致した」
ガウェインは雪原へ残る足跡を見た。
「君たちを追っている連中は、塩坑へ向かった後、王都へ戻るつもりだ。追跡路が一つしかないなら、私は同じ道を使う」
「つまり、同行するんですか?」
「違う。近くを走るだけだ」
ガウェインは、僕の配達鞄に付いた追跡印を見た。
「君がどこへ行くかを確認する」
「それを同行と言うのでは?」
「捜査だ」
シアンが小さく笑った。
「特務捜査官は、言葉の使い方に厳しいな」
「言葉が曖昧だと、記録も曖昧になる」
僕たちは二台の車に分かれて、王都へ向かう街道を進んだ。
魔導装甲車の前をガウェインの雪上車が走り、その後ろを僕たちが続く。距離は一定。近すぎず、遠すぎず。監視としては合理的だが、並んで走る気はないらしい。
僕は荷台の中で、わざと地図を逆さに持った。
「ユーリ、その地図、逆だよ」
シアンが指摘した。
「えっ? あ、あれ? こっちが上だと思ってた」
「山が下を向いてる」
「地図の山は、実際の山と向きが違うこともあるよ」
「ない」
僕は地図をさらに回した。
ガウェインの雪上車が、前方でわずかに速度を落とした。
こちらを見ている。
僕は地図を取り落とし、配達鞄を倒した。中から包帯、工具、乾燥肉、古い伝票が雪の上へ転がる。
「す、すみません! また落としました!」
「わざとだろ」
シアンが呟いた。
「えっ? 何が?」
「いや、何でもない」
ガウェインの雪上車が再び動き出す。
彼は見ていた。
僕が地図を逆さに持ったことも、鞄を倒す前に周囲の雪面を確認したことも。だが、何も言わない。
その方が助かった。
前方の雪原には、細い魔力線が張られている。帝国式の警戒具だ。地図を落としたふりをしたのは、線の位置を隠れて確認するためだった。
僕は運転席のパックの肩を叩き、わざと魔導装甲車を少し左へ傾けさせた。
パックが操縦席から叫ぶ。
「ユーリ、左、危ない!」
「ご、ごめん!」
「危ない、違う。敵、いる」
パックの声だけが、片言でも正確だった。
ガウェインの雪上車が停止した。
彼は降りてきて、雪面にしゃがみ込む。
「警戒線か?」
「僕には何も見えません」
僕は慌てて答えた。
「見えないふりをする時も、右肩が下がるのか」
「み、見えません!」
「そうか」
ガウェインは魔導眼鏡をかけた。雪面に薄い線が浮かび、街道を横切っている。
「ユーリ。君は、地図を落とした時にこれを見つけた」
「偶然です」
「その偶然を、私の前で三回続けるな」
ガウェインは警戒具を切断した。
「次は説明しろ」
「は、はい」
彼はそれ以上、追及しなかった。
夜になると、街道脇の廃宿で休むことになった。窓は割れていたが、屋根は残っている。パックが魔導バッグから毛布と乾燥肉を出し、エリーゼが簡単な食事を作った。
ガウェインは火から離れた場所で、王都へ送る記録を書いている。
魔導通信札へ文字を刻み、封印を重ねる。
僕は彼の手元を見た。
文面は短い。
暗殺部隊。帝国式装備。王立輸送ギルドの搬送印。公爵直属を名乗る検問命令。
ガウェインは、見たものを一つずつ記録している。
夕食の後、全員が眠りについた。
僕は眠らなかった。
廃宿の外に、足音が一つある。
風に合わせて、三歩進み、止まる。
また三歩。
見張りだ。
ガウェインのいる部屋へ向かうのではなく、魔導装甲車の後部を見ている。追跡印を探しているか、パックのバッグを狙っている。
僕は毛布を抜け出した。
左肩の傷が痛む。だが、足音はそれよりも明確だった。
廃宿の裏手へ回る。
雪壁の向こうに、黒い外套の男がいた。手には小型の魔導通信器。こちらの位置を送ろうとしている。
僕は雪を一握り掴んだ。
投げる。
男が振り返る。
その一瞬で距離を詰めた。手首を取り、通信器を奪う。男が肘を振る。僕は身を引き、外套の襟を掴んだ。
倒す。
雪の上へ押さえつける。
男の口元が動いた。
声を出す前に、僕は喉元ではなく、呼吸を邪魔しない位置へ手を添えた。
「静かに」
男の身体から力が抜ける。
魔導通信器の発信結晶を外し、雪へ埋めた。
その時、廃宿の窓に人影が立っていることに気づいた。
ガウェインだった。
彼は見ていた。
僕がどうやって敵を倒したのかも、通信器を壊さずに無力化したのかも、最初から最後まで。
それでも、声を上げなかった。
僕が廃宿へ戻ると、ガウェインは火のそばに座ったまま言った。
「今夜は冷えるな」
「そ、そうですね」
「見張りは?」
「風の音だけでした」
右肩が下がった。
ガウェインが火を見つめる。
「次は説明しろ」
「はい」
「今夜は、次がない」
彼はそれだけ言った。
翌朝、魔導通信札が一枚届いた。
王都からの緊急便だ。
封印を開くと、短い文が刻まれていた。
――封印は三度焼ける。
署名はない。
だが、文の最後には王立輸送ギルドの公文書印と、羽根形の小さな刻印が重ねられている。
僕は文字を見つめた。
三度焼ける。
箱の三重封印。
十四年前の記録。
そして、今の僕へ届いた警告。
ガウェインが、僕の肩越しに通信札を見た。
「読めるか?」
「はい」
「意味は?」
「わかりません」
僕は答えた。
ガウェインは、もう指摘しなかった。
代わりに、魔導通信札を証拠袋へ入れる。
「王都へ戻る理由が、一つ増えたな」
廃宿の外では、雪上車の車輪が白い道を削っている。
僕たちは再び王都へ向かった。
前方には、王国の記録。
後方には、帝国の追跡路。
そして、その間にある雪の上へ、誰かが三度だけ足跡を残していた。




