戦場での婚約宣言
戦場は近い。よく音が聞こえなかったものだと思うほどだが、俺が怖がらないよう魔術を施してくれていたそうだ。第二王子の戦力も足りておらず、大規模な魔術も国境の森に隠れる程度。だから少し外を見ただけでは気付けなかった。そんな戦場までファルクス殿下に守られながら近づいていく。ミールウス様も護衛として同行している。何かあれば俺を連れて逃げてくれるそうだ。ラクエウス様は領主邸で待機し、日常を続けられるよう背後を守ってくれている。
魔術の音と戦闘の声が大きくなる。何人もの鳥人が森の上空を飛んでいる。人間の魔術はほとんど魔王国第一王子軍に届いていない。見える限り全てが鳥人の魔力操作で壊されている。矢も風の魔術で全て逸らされ、接近しても獣人の鎧と頑丈な毛皮に阻まれる。戦線は変化していないが、それはファルクス殿下が戦線の押し上げを指示せず、ただ防衛に徹しているからというだけだ。押し返し、ヴェルート王国に入ろうとすればいつでも入れるくらいには差があった。
漆黒の剣を片手に、ファルクス殿下は戦場を駆ける。俺はドレスのためミールウス様に抱えられる形で連れて行かれる。ミールウス様も魔術で援護しており、殿下に矢を届かせない。そうして国境の防壁に登れば、殿下は一帯に響く声で呼びかけた。
「フラウ・フィブラはここにある!両軍、攻撃を止めよ!」
まず第一魔王軍の獣人兵士が武器を下ろし、反撃の魔術も消す。ただ人間の攻撃を阻むための風の障壁や魔術を壊す魔力の乱れだけが残った。獣人兵士達は武器を捨て、素手で人間の武器を奪い捨てる。武器を失い、攻撃が無意味なことを見せつけられたからか、人間達も次第に攻撃の手を止めていった。ここからは俺の番だ。
注目を浴びる。俺は真っ黒なドレスを身に纏い、ファルクス殿下の妻に相応しい雰囲気を演出する。ファルクス殿下の支えを受けつつ、一度そちらを向いて頷き、それから全体に呼びかける。
「フラウは誘拐されていません。ただ愛する人と同じ時を過ごすために、国境を越えました。彼の育った場所と人を知るために、隣に立つことを決めたのです。私フラウ・フィブラは、ファルクス殿下と共に生きる未来を望んでいます。」
この少し高い声はよく通る。拡声の魔術も使われている。これで結婚しない選択肢は完全に消えた。ファルクス殿下と添い遂げる未来をここに宣言してしまったのだ。きっとこれで良い。魔王国第一王子軍は人間を無闇に傷つけないよう応戦していた。戦争を望んでいるのは人間だった。俺がその口実に使われるのなら、その口実を消す。民を守るための心は俺にだってある。騎士として国を守ることを一度は誓った身だ。その時とは大きく異なる立場になっているが、ヴェルート王国の民を守るためにも今俺にできることをする。
指示する者の思惑は他にあっても、前線に立つ兵士は大義名分を信じている。目の前でその理由になっている令嬢が誘拐ではなく愛によって自ら渡ったと知れば戦意を失う。このまま戦闘など続けられない。兵士達の不信を深めないため、指示する者も一度退かざるを得ない。指示する者の中にも大義名分を信じていた者もいるかもしれない。そうなれば一層戦闘など続くはずがない。人間の兵士達が撤退していく。次の策を彼らが考える前に原因の排除が必要だ。
「助かった、フラウ。」
部下達に、あるいは敵兵に見せるように、ファルクス殿下は深い口付けをする。ミールウス様も邪魔にならない位置に移動した。これが今必要な行動なのだろう。次第に回らなくなる頭で勝鬨を聞く。このまま連れ帰られるのだろうか。呼吸が整い、思考が戻り始めた所で、その考えを否定される。この後は終戦のため、俺達はヴェルート王国に入るそうだ。特に現王と王太子、第二王子と話がしたいとか。俺は戦争の口実にならないよう、ファルクス殿下と仲睦まじい様子を見せれば良い。つまり人前で何度も口付け、常に体のどこかが触れているような状態にするということだ。その上見せる相手の中には俺が令嬢でないことを知っている者も多い。今更恥ずかしくなってきた。いや一度は婚礼衣装を見せているのだ。何も恐れることはない。
「意外と余裕だな。俺達はこのまま向かうぞ。ミールウス、着替えの用意を頼んだ。」
一度屋敷に帰ることもしない。漆黒のドレスのままファルクス殿下に横抱きにされ、先程まで戦場だった場所を抜けていく。万一にも狙われないよう、彼も最大の警戒を続けている。見える武器は腰に下げた剣のみ。俺からも抱き着く姿を見せ、俺の意思であることを示す。おそらく独断で戦争を仕掛けた第二王子のことだ、いつ何をしてくるか分からない。そう思いつつこの場で最も地位の高い第二王子への挨拶を願い出る。使者ではなく魔王国第一王子とその婚約者が揃っての面会だ。無下にはできない。
多くの視線を感じつつ、天幕に案内される。顔見知りの人も俺達を見ている。男性騎士フラールだったと知っている人も中にはいた。それが魔王国第一王子妃になると宣言した。彼らはどんな気持ちでこの戦争に参加し、剣を向けたのだろう。
天幕の中には戦装束の第二王子殿下がおられた。貼り付けた笑顔で俺の無事を喜んでいる。伸ばされる手は拒んでも良いだろう。面白くなさそうだが下手なこともできない。会うことも拒めず、フラウが望んでファルクス殿下と共にあることを伝えに来たと聞かなければならない。これ以上の戦闘は敵を増やすだけ。動きにくくなることだろう。天幕の外にも聞こえるように、俺は再びファルクス殿下への愛を伝える。気を惹こうという行動はファルクス殿下がヴェルート王国に来られた際にもしていた。その時は任務としてだったが、そのことを知らない人間も多い。知られていても任務をきっかけに本気になってしまったと言い訳すれば良い。
「正式な終戦協定のために、国王に面会したい。こちらはヴェルート王国との関係について全権を魔王陛下より与えられている。」
魔王陛下は基本国内におり、他国とのやり取りも全て息子達に任せている。今回も報告を行ったそうだが、指示は受けていないらしい。友好的に対応するという方針もファルクス殿下によるものだ。今回だって必要以上に怖がらせないために俺とファルクス殿下の二人だけが相手陣地に入っている。彼の実力が相当なもののため、護衛など必要ないのだろう。
誰にも邪魔されることなく、第二王子殿下の天幕を後にする。ミールウス様とも合流し、次はジョストラ辺境伯邸だ。ここから侵攻してきたということは戦争賛同派か。あのティーロ様はそう見えなかったが、上手く隠していたようだ。それなのに俺達の訪問にも歓迎を示してくれる。
「フラウ様、ご無事で何よりです。少し内密に話したいことがあるのですが、」
「自分の婚約者を他の男と二人にする者などいないな。」
俺もファルクス殿下の服の裾を摘み、半身を隠す。ティーロ様は俺がフラールであることを知っている。このように演技する必要はないが、今回はフラウとして同行したのだからその振る舞いを続けよう。
「以前のお話では、フラウ様のお好みは彼のような男性ではなかったと記憶しています。この婚約はあなたの本位なのでしょうか。」
性別を明かした際に女性が好きだという話もした覚えがある。だから心配してくれているだけだろうか。ファルクス殿下もミールウス様も俺の秘密を知った上で、俺がこの選択をしたと伝えよう。フラウを口実にヴェルート王国の第二王子殿下が戦争を仕掛けたなら、その口実を潰してしまいたい。特別な関係になった相手もいないため、表向きファルクス殿下と結婚することになっても大きな問題はない。獣人や鳥人の方々ともお知り合いになれば、今までにない恋もできるかもしれない。
「既に夜も共にしている。貴殿の心配することは何も無い。了承の上での関係だ。」
しばし見つめ合うお二人だが、ティーロ様はファルクス殿下の目に何を見たのか信じてくださった。今夜の宿にすることも受け入れていただき、やっと見せつける用ドレスからの解放だ。ヴェルート王国内にいる間はドレスだが、これはフラウとして行動する以上避けられない。今夜もファルクス殿下と共に眠ることになるが、これも仕方ない。嫌々や渋々といった態度も見せられない。本気で心配してくれる人にそんな姿を見せては面倒なことになる。一緒のほうが安心、程度の態度を見せるくらいなら俺としても許容範囲内だ。ヴェルート王国第二王子殿下の手の者が狙うこともあり得ると考えれば、本当に一緒のほうが安全かもしれない。
生暖かい視線を向けられながら案内を受ける。ファルクス殿下やミールウス様の態度はあまり変わらないことが有り難い。俺がいつも以上にくっつき、甘えるような振る舞いをしても動じずに甘やかす対応を取ってくださる。どこまで甘えん坊な令嬢を演じれば良いだろう。一緒に風呂は入るのだろうか。いっそ聞いてみても良い。案内の人が立ち去った部屋の中でも誰が聞いているか分からないため、慎重に言葉を選ぶ。
「ねえ、今日は一緒にお風呂入るの?」
「帰るまで我慢しようか。この家の人は大丈夫かもしれないが、侵入者がいないとも限らない。」
いつも俺が一緒に入りたいと言っている設定になっていそうだ。不本意だが、これも望んで魔王国に単身渡った令嬢としてはそのほうが自然か。残念がる振りでもしてあげよう。入浴前後にも就寝前にも口付けを交わし、明日以降の移動に備えた。
道中の貴族の家でも同じように仲睦まじい姿を見せ、急ぎ王都を目指す。先にミールウス様に向かってもらったおかげで、着いた際には用意も整っていた。ヴェルート国王陛下と王太子殿下も面会の準備を整え、すぐに話を始められる。初手謝罪から始まり、非常に緊張されている様子だ。ファルクス殿下からこちらの調査でも第二王子の独断という結論が出ていると伝えられようやく安堵したのか、王は国内での処罰で事を収めようとされる。
「ほう?こちらとしては第二王子派が残っている時点で安心できないな。かといって俺が残ってそれを見守ることもできない。フラウとミールウスを残す。上手く使ってくれ。」
監視が目的だろう。フラウを残すことで言いがかりを付けられにくくする目的もあるのかもしれない。俺への注意事項としてはミールウス様から離れないこと、ファルクス殿下としているようにミールウス様とも一緒に眠るくらい周囲への警戒心を持つように、とのことだ。ミールウス様と同じ布団で眠って良く、一緒に入浴しても良い。俺としては警戒したいが、そのくらい一緒にいろということなら従おう。彼も主人の婚約者には手を出さないと信じよう。
一応の了承を貰い、ファルクス殿下は一足先に帰還される。具体的な行動は俺達に一任された。第二王子派の一掃が任務だ。そのために協力する。俺はフラールとして動ける。ミールウス様が動けば魔王国への敵意に繋がりかねないため、大人しくしていてもらおう。ヴェルート王国滞在中はミールウス様にもフィブラ家を利用していただく。調査先は俺達の把握している南部領主。ヴェルート王国の第二王子は戦力を与えられていない。その支援を行っていた人間がいるはずであり、その相手は南部の一部領主であるとミールウス様の調査から明らかになっている。ひとまず敵対している態度を出さずに話を聞いてみよう。
第二王子を支援する人物も馬鹿ではないようで、私兵の主力は預けていない。貴族の子弟も含めないようしているようで、軍を預けられた人物も平民だ。早速彼に挨拶に向かう。令嬢であることが明らかになるよう着飾り、ミールウス様に手を引いていただき、黒の衣装で多少の威圧感を与える。彼も一軍を預けられるだけのことはあり、この程度では動じていない。堂々と名乗り、続いてセルペンテ侯爵の指示であることを明らかにした。忠誠心の高い人物は選ばれているだろう。しかし俺の手に触れる許可を求めた。
「ご無事で何よりです、フラウ様。」
この人も俺が誘拐されたと信じ切っていたようだ。ただの伯爵令嬢のために戦争を起こすなど、誘拐が事実だとしても馬鹿げている。たった一人の令嬢のために何万の民の命を危険に晒すのか。令嬢を取り戻すにしてももっとやり方がある。彼に言っても仕方のないことのため、代わりに望んで魔王国に渡ったこと、そのために民の命を危険に晒してほしくないこと、ファルクス殿下の迷惑にもなりたくないこと、むしろ力になりたくてこうして姿を見せていることを伝える。正式に妻となってはいないが、大切にされていることは右腕のミールウス様を預けていることからも感じ取れるだろう。
「その方が魔王国の王子にとってどのような立場なのかは存じ上げませんが、フラウ様が心から魔王子を慕っていることは感じ取れました。私共はこれから領地へと帰還する予定です。よろしければご一緒していただけませんか。侯爵様もきっとフラウ様を心配されています。」
そっとミールウス様が罠の可能性を囁く。ただの平民が私軍を預けられるわけもなく、勝手に侯爵の気持ちを話せるということは一定以上の親しさがあることも考えられる。しかし俺達が出てから連絡を取る暇があったのか疑問だ。俺達は王都からとんぼ返りしている。同じようにセルペンテ領までとんぼ返りしなければ難しいだろう。セルペンテ侯爵の意図を理解している人物なら連絡を取らずに連れ帰る決断もできるだろうか。警戒しつつ同行してみよう。南部領主とも話す必要はあるのだ。




