34、獣神の計
白雪に混じり、神の顕現を示す光玉の粒子、降臨光雪が起きた。
そして光は収束の後、エルテナの前に人型の美神を象る。
エルテナは嗚咽を無理やり押さえ込み、少年を抱いたまま視線を伏せ、両膝を地に置く。
顕現したのが、かの獣人の主神【プルシェク神】であれば、エルテナは略式の敬意で留めただろう。
少年を抱いたまま、出来得る限りの敬意を示したエルテナを見下ろすのは、人族の主神イアマナだった。
なぜイアマナ神が現れたのか、その問いは後回しで、まずは神官としての立場を全うする。
流石のロドも、神の顕現に立ち会うのは初めてだ。
思考が追い付くまで、エルテナから遅れること数秒。
正式な作法は知らないが、片膝を地につけ、イアマナ神に頭を垂れる。
騎士二人は、既に腕を組み合わせ膝を付いている。
だがカスミだけは獅子獣人の首を踏みつけ、殺生与奪権を握ったまま、エルテナの抱く少年を睨みつける。
カスミは状況から推察して、正体までは分からずとも、首謀者が“どれ”かくらいは見抜いていたのだ。
少年が優しくエルテナの手を解き、抱かれる姿勢から抜け出した。
そして驚くエルテナに微笑んでから、カスミに片手のひらを差し向けた。
殺すのは待ってくれという意味を混めて。
「我が精鋭達も、英雄の域に達した青年と、女勇者の前では全く取るに足らんな」
山猫顔の少年から見た目相応の、若い声が紡がれる。
『勇者カスミ。私からもどうかお願いします』
少年とは対照的に、イアマナ神が念に近い言葉を流す。
するとカスミは少年でも神でもなく、エルテナを一瞥した後、難色の名残を眉間に残したまま足を退けた。
倒れた獣人たちに、淡い光が降り注ぐと、光の中で獣人たちの怪我は徐々に癒えて行く。
イアマナ神の祝福の一つ、治癒活性だ。
そして動けるようになった獣人から、順に少年へと頭を垂れていく。
少年はエルテナの傍らに同じ視線の高さに屈んだ。
そしてヒト族とは違う指先の肉球で、エルテナの頬にある涙の名残を拭った。
「神官エルテナよ。我が獣神プルシェクだ」
エルテナの驚きが、さらにもう一段上がって混乱に変わった。
「え、え、あの、しかし、お姿が……、」
エルテナの知る姿は、豹頭の屈強な武神で、目の前の少年には面影すらない。
「驚くのも無理はない。この体は我が作った憑代。まだ一年にも満たない幼体だ」
「なぜ、お体を――」
問い掛けたエルテナに幼き山猫顔の神が、先ほど頬を拭った指で言葉を遮る。
「疑問はたくさんあるだろう。だがその前に、そこの勇者の言葉を借りるなら、“茶番”だったか。……企てたことを詫びよう。すまなかった」
エルテナは改めて居住まいを正し、畏まりながら言葉を返す。
「では御心を、お聞かせいただけるのでしょうか」
神殿で見上げてきた台座の神とは違う、人間味をプルシェクから感じる。
もちろん神特有の、敬服したくなるような圧もあるが、それでもやはりヒトの温かみに似た感覚を覚える。
「いいだろう。初めに我は、悪魔を信用してはいなかった。ムラクモの都が落ちると思ったのだ」
そう、幼き肉体に降りた神は紡ぐ。
エルテナは両膝に手を置き、清聴の姿勢を取る。
ロドも礼の姿勢を崩し、カスミは腕を組みながら少年が縛られていた岩に背を預ける。
「かの女神は強大だ。都を護り切る方法は、我の知る限りは見当たらなかった」
「だから……、そのお姿を……?」
「神を倒せるのは生者のみ。国力で、兵力で負けていれば、神の身では勝ちの目がない」
「ならば、なぜ先に、お教えいただけなかったのですか……?」
エルテナは、再びあふれ出しそうな涙を堪えながら、恨めしそうに訴える。
それは神を失ったことで、希望をなくした人々の代弁でもあった。
「兵力は覆せぬ。都は落ちると思ったのだ。落ちれば我の目論見はばれ、逆襲の芽は摘まれる。だから早々に去った。だが結果はどうだ、悪魔は我とは違う方法で、強い生者を作り物量に圧し勝った」
諭すような少年の、神の言葉が、エルテナに向かい変わらず優しく語りかける。
「そのお体で、プルシェク様は、私たちを試した……、(で、いいのか、不安だけど)のですか?」
「悪魔の都になり、お前たちが変わってしまっていないか、信じるに値するか、確証がなかったのだ」
「私は、変わっておりません」
「いいや変わっていた」
「あの……」
エルテナの脳裏に、自分の至らないことばかりが思い当たる。
一体どれなのか、不安で表情が歪む。
「聖者としては素晴らしいが、ヒトとしてなら褒められん。よいかエルテナよ。我もお前同様、生贄は好かぬ。だからお前も、己が身を捧ぐなどというな」
「……はい」
エルテナの返事は、蚊の鳴くような小ささだった。
感極まって、我慢の限界だったのだ。
「我の“完成”には、しばし時間を要する。その後、我の信徒と共に神殿に戻ると約束しよう」
「はい。御心……、しかと賜りました」
そしてエルテナは、緩やかな動きで主であるイアマナ神へと視線を向けた。
「プルシェク様の御心、ご存じだったのですね」
見守っていたイアマナ神が静かに頷き、言の葉を浮かべる。
『旅は始まったばかりです。エルテナ、進むのです。他の神々の元へ』
その頃、カスミは天を見上げていた。
雲の割れ目から、青空がのぞいている。
「まだ一神とその信徒、七つの獣支族だから。残りは十神と、四十三支族。先は長いねぇ」
視線をエルテナに下すと、パンパンと、手を叩いてから馬車の方へと歩き出す。
もう獣人たちが襲って来ることもなければ、護衛の数は事足りる。
ロドも同じ理由で不器用に神々へと頭を下げ、馬車の準備にとカスミの後を追う。
さすがに騎士二人は、エルテナから離れることはなく、エルテナが信心の有りっ丈で、祈るさまを見守った。
エルテナの祈りを遠巻きに眺めながら、カスミが呟く。
「あの子は、早く大人になり過ぎたんだろうねぇ。まあ、そんな奴は、たくさんいるけどさ。そんなところが奴と……よく似てる」
と呟きを拾ったロドが、馬車の屋根に槍を括りながら言った。
「奴って、イッロ様です?」
「そうそう、分かるっしょ」
「タイプは違うんですけど、何というか、あの方も、妹姫、弟王子の手前、早く大人になった感じはしますね。ところでカスミさん」
カスミの視線は、エルテナから移動する。
先には、馬車番をしていた御者役の騎士が、馬に木桶で餌を与え、背中にブラシをかけている。
タイミングを見計らうことのできる“出来た騎士”だ。
カスミは馬車に乗り込み、扉を開けたまま、改めてロドに問い返す。
「で、なぁに?」
ロドも、槍を縛り終え、手を叩きながら馬車に乗り込んだ。
「イッロ様に、体術を教えたのって、カスミさんですよね」
カスミの肩が揺れた。
そしていたずらっ子のような笑みで舌を出す。
「あは、ばれた? 地頭がいいせいだろうねぇ。理論的に物覚えがよくてさ」
「やっぱりね。カスミさんの動き、どこかで見たと思ったんですよ。俺の知る限り、どの系統とも違う体術」
「一国の王子だし、護身術くらいは必要っしょ」
「冥府の猛者を相手にできる技を、護身術と言っていいのか謎ですけど」
「身を護れるなら、なんだって護身術さぁ」
「そう言うものっすか」
「そうそう。そういうもん。ところでロド君さぁ」
「なんです?」
「若くして、英雄を見出されると、後々大変よ?」
「指名された時点で、観念してますよ」
「君もどうして。早く大人になった口だよねぇ」
「ま、そうかもしれません」
ロドがため息交じりに肩を竦めた。
同じタイミングでカスミの肩が揺れる。
カスミの視界の端で、エルテナが祈りを終え立ち上がる。
神の光が一転、霧散すればイアマナ神が消えた。
そして残った獣人たちと、プルシェク神に見送られ、エルテナが騎士を従え、馬車へと帰ってくる。
カスミの肩は、やっぱり揺れていた――。
――エルテナたちの旅は、厳しい冬を超え、春まで続くけど、旅の結末が知れない内に、“それ”は訪れる。
薄紅の花弁が舞うムラクモの地に、キューコですら勝てないと称されたミナヨシが再び現れるんだ。
途轍もない生贄を消費し召喚された最強の勇者ミナヨシ。
対するは未完の英雄キューコ。
激突の時は、刻々と足音を響かせ、近寄りつつあったんだ。




