33、悪女と聖女
春の長い小国ムラクモでも、西と東、北と南では随分と気候に差がある。
とりわけ西方の冬は極寒の厳しさを見せつけてくる。
そんな冬の訪れを間近に、漆喰の馬車に揺られながら、エルテナは最西端に縁故地を持つ【プルシェク神】の元へ向かっていた。
【プルシェク神】は、豹頭の武神で、猫科の獣人集落の守護神だ。
馬車内には、エルテナ以外に、ロドとカスミ。
御者台には騎士が一人と、馬車の後方を騎馬が二騎ついてきている。
それぞれが、選りすぐられた猛者たちだ。
旅に出る直前、エルテナは神殿にて、主神イアマナの神託を受けた。
『エルテナよ。急ぐのです。何か悪い兆しが現れています』
漠然とした神の言葉だが、イアマナをもってしても、そこまでしか分からなかったのだろう。
むしろ神託をいただけただけでもありがたい。
エルテナは馬車の中で気を逸らせながら、悪い兆しとは何なのかを思案する。
だが思い当たるはずもなく、
(イッロ様なら答えを見出してしまうんだろうな)
と、かの第一王子を思い浮かべては、意識している自分に気が付くたび頬を赤らめていた。
先ほど休憩をとった村を最後に、この先には人族の集落はない。
前方に見える山の間を抜ければ、いよいよ獣人や森人の領域だ。
窓の外を眺めながらカスミが言った。
「神さんの“急げ”って、天候の話かもねぇ」
「カスミさん、なにか心当たりでも?」
エルテナも窓際に寄り、カスミと同じ窓から外を眺める。
「心当たりも何も、ほら雪雲。山間部を抜ける前に振りだしたら最悪身動きが取れなくなるよ」
カスミが指す先を、エルテナの視線が追いかける。
「そんな。例年より随分早いのでは……。雪が積もった場合は、どうしたらいいのでしょう」
「そうだねぇ。身動きが取れなくなるってのは論外だけど。方法としては、急いで山間を抜けるか、雪解けを待つか。もしくは、一度戻って、北方の港街から海路を取るかだよね」
エルテナは、うう、と唸った。
もちろん、雪解けを待ってはいられる心境ではない。
「海路の場合、相当な時間がかかりますよね……」
「まあ、雪解けよりはマシって程度だよねぇ」
エルテナは、御者台につながる小窓を開く。
「あの、ごめんなさい。もう少し急いでいただけると助かります……」
と、申し訳なさそうに御者をする騎士に告げた。
「はっ! 畏まりました!」
エルテナの泣きそうな懇願を受け、騎士は妙に奮い立った。
ロドが小さく零した。
「ある意味、魔性ですよね」
エルテナは不思議そうに首を傾げる。
――馬車が山間に差し掛かるころ、雲から雪が落ち始めた。
大粒の雪が、早くも地面を覆い始めている。
だが、幸いなことに、走れなくなる前に山間を抜けることはできるだろう。
後は事故らないよう、騎士が細心の注意を払い馬車を繰ればいい。
その辺は、馬の扱いに長けた騎士だ、心配はない。
山間の難しい道を、馬車は完璧な位置取りで走る。
馬の体から湧き立つ熱気と吐き出す息が、後方へと一瞬で消えていく。
「エルテナ様、大きく揺れますよ」
と、馬車が急なカーブに差し掛かると、ロドがエルテナを腕で支える。
エルテナはロドの腕にしがみ付きながら、ふと窓の外を眺めていた。
すると見える景色の中に妙な違和感があった。
勘違いかとも思ったが、エルテナは目を凝らす。
だが勘違いではない。
エルテナは薄っすらと雪に染まり始めた風景の一部に、人の姿を認識した。
「ロドさん、誰か、います」
「え、」
「ほら、あそこです」
エルテナは、支えられたまま、開けた場所にある大きな岩を指さした。
雪で視界が悪いとはいえ、人族のエルテナが見つけられる程度の距離だ。
ロドとカスミが目を細めた。
どうやら岩に括りつけられている者がいる。
ぱっと見、猫科の獣人だろうか、しかも子供か、もしくは子供ほどの体格だ。
エルテナはロドの手から抜け出し、小窓を開く。
「馬車を、止めてください!」
余りに急すぎた。
「え、なんと?」
騎士は聞き間違いではないかと聞き直すと、エルテナは岩の方角を指さしながら叫んだ。
「早く、馬車を止めてください!」
今度ははっきりと聞き取り、騎士は慌てて手綱を引いた。
急な減速で車輪が滑り、今度は前方に向けて重力がかかる。
今度もエルテナをロドが支える。
カスミは、前のシートに足を突き出し、体勢を保ったまま、慌てた様子もなく言った。
「これ十中八九、罠よ?」
「わ、罠?」
と、エルテナが聞き直す頃には、馬車は完全に停車した。
「わざわざ道から見えるような場所に人を縛るなんて、他に理由があるとでも?」
カスミも、改めて縛られた獣人を見遣る。
どうやら生きてはいるようだが、ほぼ全裸の状態で、息が乱れているように見える。
「罠か何か知りませんけど、あんまりです!」
エルテナは、勢いよく扉を開き、馬車から飛び出した。
そして大岩に向かって走り出した。
「あの子、いつもあんな感じなの?」
と、カスミが肩をすくめてロドに問うと、ロドは馬車から降りて天井に括った槍を引き抜きながら答える。
「最初は、こう、もっと“おっとり”した人だと思ったんだけどね。たまに激情型になるみたい」
「ふーん。王子様の影響かしらん」
カスミも馬車から降りると、御者の騎士には待機を命じ、騎馬二人を手招きしてからエルテナとロドの後を追った。
縛られていたのは、山猫族の少年だった。
山猫族は、顔つきはほぼ山猫で、正確な現存数は分からないが、都ではほとんど見かけなくなった種族だ。
「今助けますからね!」
エルテナは駆け寄ると、華奢な手できついロープの結び目を無理やり引っ張る。
少年は朦朧とした様子で、うなだれた頭を僅かに持ち上げた。
状況が分かっていないのだろう少年を後目に、ロドがナイフでロープを切り落とす。
少年が倒れるように傾くと、エルテナはそれを優しく受け止めた。
少し遅れて、カスミ達が追いついてきた。
「あぁ、このタイミングなのね」
カスミはエルテナの肩に手が届く程度の距離で零した。
すると、ほぼ同時にエルテナたちを取り囲む形で獣人の集団が現れた。
当然退路は閉ざされている。
獣人たちの“囲い”には、ロドの槍でも大きく三歩は踏み込む必要がある。
追い込み猟といったところか。
攻めは難しいが、幸い守りは背後に岩があるだけ易い。
「エルテナちゃんは岩を背に動かない。騎士君たちはエルテナちゃんと少年君の両翼。ロドとアタシが遊撃。交渉なりはご自由に」
カスミが淡々と指示を飛ばすと、無言で騎士二人とロドが配置についた。
獣人たちは、獅子頭族が五人、と虎人族が五人の計十人で、全員が戦士の雰囲気を持つ。
「こんな子供に、一体なんのつもりですか!」
エルテナが興奮した様子で叫ぶと、獅子頭族の中心の男が、少年に爪の先を向けた。
「それは我らが神への生贄だ。今なら見逃してやるのもやぶさかでなし。早々に立ち去れ」
野太い声が警告を発し、冷めた視線がエルテナを眺めた。
「立ち去りません。あなた達の神はプルシェク神様でしょう、かの神が生贄を欲したのですか?」
特有の圧を放つ獣人を前にして、委縮してもおなしくない状況だが、エルテナははっきり立ち向かっている。
それを横目に、へぇ、とカスミが笑う。
「我らは戦士、女神ウェヌースと戦うためだ」
「ならば協力して戦うべきです! 私はそのために来たのです。どうかプルシェク神様の祭事場へ導いてください」
「戦わずして降伏を選び、通らぬと知るや悪魔に娘を差しだすムラクモ王と人族などは信用に値せず」
獅子頭族の頭目らしき男が片手を持ち上げた。
即座に臨戦態勢に入る獣人たち。
エルテナは少年を抱いたまま震えた。
「だから、プルシェク神様は、生贄を求めたと……?」
声も震わせながら、エルテナが問う。
「いかにも。生贄で得た神の力で、我ら戦士は比類なき力を得る」
「なんて、くだらない。プルシェク神が、こんな低俗な神だったなんて」
神官らしからぬ言葉は、沸々と湧き上がるような怒りからくるものだ。
体の震えは、声は、恐怖ではなく嘆きだった。
「我らが神を冒涜するか……ヒト族よ」
「いいえ、冒涜ではありません。願うに値しないような神に、助力を請うために、大切な仲間たちを危険にさらしている現状を……後悔しているだけです。でも、危険を承知でお願いします! この少年を救いたい! いえ救います!」
後半は、叫びだ。
カスミが肩を竦める。
「ですってロド君。本当に激情型なのね」
「ええ、だから言ったでしょ」
ロドも同じように肩を竦めた。
「で、エルテナちゃん。殺していいの?」
カスミが肩を回し、体をほぐしながら問う。
「殺さないでください」
「了。難易度上げていくぅ。じゃあライオンちゃんはアタシが。ロド君は虎さんね。騎士さんは“我らが主”を死守ってことで。あぁ、でも本当に死ぬのはなしで」
「りょうかーい!」
と、ロドが滑り出し、騎士の二人が抜剣。
「か弱きヒトの女、武器を取れ」
獅子の一人がカスミに言う。
「“にゃんこ”ちゃん相手に必要ないなぁ」
カスミは、まるで小馬鹿にするような口ぶりで、指先でクイクイっと獅子頭を招く。
「カスミさん、本当に素手なんだ?」
ロドは、一瞬カスミを見遣ったあと、槍の穂先をひっくり返し、刃のない石突きを虎顔に向ける。
その瞬間、獅子頭の先頭がカスミに詰め寄り、鋭い爪を高速で振り下ろす。
が、刹那で『ボキッ』とくぐもった音がした。
「だって剣とかだと斬りどころ間違って、殺しそうじゃない?」
カスミは両手で滑らせるように受け流し、そのまま相手の力を利用して折っていた。
そして今度は膝の裏に足刀を叩き込み、倒れ込んだ相手の膝を踏みつけると、獅子頭の脚は綺麗に逆向きにひん曲がった。
「うわ、えげつない。さすがは悪女カスミさん」
そう言いながらロドが石突きを眼前の虎顔に叩き込む。
その間に、カスミは既に二人目を転がしていた。
「力馬鹿相手は簡単でいいよ。“剛を制し、柔を断つ”、これこそが“近代格闘術”の真髄だから。ってかさぁ、なんで悪女って呼ばれるんだろ」
カスミの手で獣人が面白いように転がった。軽口をたたきながらも三人を無力化してしまった。
「いろいろ悪いうわさがあるせいでは? 詳しくは知らないけど」
呆れ口調でロドが、二人目を気絶させた頃、獅子頭は既に五人が地面に転がり、死なない程度の重傷を負わされていた。
全く騎士二人の出番はない。
ロドの突きで、五人目の虎顔が地面に突っ伏した時点で完全制圧が成された。
エルテナは少年を優しく抱きしめながら、空を見上げて言う。
「プルシェク神様、この少年は何か罪を犯したのですか。だとしても生贄はあんまりです。たとえ民を救うためだとしても、あまりに酷なのです。どうか、どうかお慈悲を」
それは、まだ神を信じたいと思うエテルナの気持ちだった。
嘆きともとれるエルテナの訴えは、地面に転がる獣人たちも、痛みを堪えて聞いていた。
すでに大勢は決しているのだから、少年を連れ去ってしまえばいい。
にもかかわらず、エルテナは天に向けて続ける。
「どうしても……贄が必要なら、それが民のためなら、私がこの身を捧げます。ですから、どうぞムラクモと、あなたの民を慈しんでください」
「大した聖女様だ。ここへきて自己犠牲かよ……」
と、声のトーンを数段下げ、カスミは酷く呆れたように呟いた。
「エルテナ様、それは流石にダメだ」
ロドも横に首を振る。
「分かってるよ。そんなこと……、私だって馬鹿なこといってるって分かってるよ!」
まるで子供のように、いやこれが素なのか、エルテナは地面に視線を下して声を震わせた。
「勢いでさ、思っちゃったんだもん。命を懸けてもいいって。そんな簡単に言っていいことじゃないよ。でも思っちゃったんだもん。とっさに出ちゃったんだよ。好きな人たちが生きていけるならいいって、本気でそう思っちゃったんだもん。でも……だけど、本当は、……死にたくないよ、死にたいわけないよ」
何が起因したのか。
無理やり大人になって、今まで勤めてきたエルテナの箍が外れて出た言葉だ。
支離滅裂な言葉の後、続くのは、えぐえぐ、と声にならない嗚咽。
「はぁ、激情の後は幼児退行か。とはいえ、いい加減うんざりではあるね」
カスミは、今までで最高に大きなため息を地面に落とす。
それからエルテナと少年を一瞥。
ギリっと奥歯を噛んでから、怒りの形相で、目の前に転がる獅子頭の喉に足刀を押し付ける。
悪女カスミは冷静な様子から一転、豹変と言ってもいい。
「うちの“聖女様”は純粋なんだよ。まだこんな茶番を続けるなら、本気でコイツら殺すぞ」
脅しとも取れる言葉を、天に向かって吐いた。
そして獅子顔の頭目の喉仏に、適度な重みをかける。
あと少し深く踏み込めば、喉は気管ごと潰れるだろう。
その時、空をちらちら舞う白雪に、降臨雪の光が混じる。
かの神が現れるだろう前触れだった。




