32、偽りの二人
「夕焼け……。いつ見ても不思議だ」
と、傍らの人物は、まだ幼さの残る顔で笑った。
「何が、不思議なのです?」
「あぁ、いえ、忘れてください」
地平線を眺めるニコの傍らで、ミナヨシが照れくさそうに笑った。
茜色が、群青に変わりつつある地平線に、初冬の乾いた風が二人の頬を引っ掻く。
ニコは、マフラーの交差する首元を押さえながら、色眼鏡越しにミナヨシに視線を流した。
「興味をそそられたのに、忘れろだなんて、ふふ」
責めたわけではない。
微笑むついでに息が漏れる。
「あは……。ですよね」
ミナヨシは後頭部の辺りを掻きながら、照れたような笑みを浮かべた。
「話してはいただけないのかしら?」
「ああ、いえ。正直言うと、何と言ったらいいのか……」
「あなたの言葉で構いませんよ。それで分からなければ、悪いのは私ですから」
「悪いだなんて、そうですね……。じゃあ、夕焼けの、あの色は、どこから来るのかなって」
「色、ですか?」
「はい、この世界には太陽がないのに、夕焼けで空が染まる。月がないのに、夜の薄明りがある。もっと言えば、地平の果ては絶壁なんでしょう? 海の水は絶壁の大滝を落ちていくのでしょう?」
知らない単語を除けば、何を当たり前のことを言っているのだろう、と、ニコは一瞬首を傾げた。
だが、直ぐにポンと手を打つ。
「なるほど。あなたは“理の違う世界”を知っているのですね」
理解の早いニコに対し、ミナヨシが驚いたように目を見開いた。
「あはは……、“ニコル”さんは凄いな。俺の言ってる意味が解るんですね」
「実は、子供のころ、『空の色はなぜ変わるの?』って、お父様に問いかけた事があるのです」
「お父さんは、なんと?」
「夜が来るからだと。それ以上は言いようがなかったのでしょう。そういうものだと育ってきましたから。でも私は満足できずに、直ぐ上の兄にも問いかけたんです」
「お兄さんは、なんと?」
「兄は、分からないことを放置できない質でいろいろ手を尽くして調べたんでしょう。何日か経ってから私に言ったのです。『昼を統べる神様と、夜を統べる神様がいないから青空と夜闇が止めどなく移動しているのだ』と。そしてこうも言ってました。『二つが入れ替わる時、朝と夕は、茜色になるのだ』と。でも、『これでは不完全だから、必ず答えを見つける』と、真剣な顔で言ったんです」
「なんか、いい人ですね。お兄さん」
「ええ、いい人です。少々理屈っぽく、鬱陶しい時もあるので面と向かって褒めたりはしませんが。なるほど、昼の神と夜の神が、あなたの言う“太陽と月”なのかもしれませんね」
「俺はあまり詳しい方じゃないけど、確かに、太陽神とかの物語はあったような……」
異世界のことを言っているのだろう、ミナヨシは適切な言葉を探して胸の前で腕を組んだ。
だが、ミナヨシの思案を遮るように、ニコは唐突に、そして率直に問いかけた。
「なぜ、“お名前”を変えてまで、こちらを支援にいらしたのですか」
「どうしてそれを? なんて聞かなくても、バレバレですよね。ちなみに俺の正体も察してます?」
ミナヨシは組んでいた腕を解き、癖なのだろう、後頭部を掻いた。
ニコは、静かに頷く。
「商人ですので、運んでこられた物資である程度は。私がそれ以上言葉に出さないのは、あなたが隠されているからです」
それ以前に、情報網が彼の正体を克明に知らせていたのだが、嘘ではない。
「かなわないな。なら、いっそ。友人に接するようにお話してもらってもいいかな?」
「あなたが楽なら、それでいいわ」
「と言っても、俺は、最初から素みたいなもんだけど」
「そうね。ところで、改めてもう一度問いかけた方がいい?」
「いや、せっかくだし愚痴も聞いてよ」
「友人らしくかしら?」
「あは、だね」
イヴァール五大貴族の中で、唯一クッフム・ムサルド伯爵は戦争反対派だった。
戦争が決まったのは、神託によるものだ。
だから、反対というだけで国内での風当たりは相当強かった。
さらにイヴァール軍が初戦で敗走したため、後続隊に配していたクッフム兵は無傷で帰還することとなり、他の貴族からかなりの反感を買ったのだ。
別に秘密というほどのことでもないのだろうミナヨシは、肩を竦めて文字通り愚痴の延長で語った。
そして、内容はニコたちが下調べした内容と一致する。
「だからさ、これ以上勝手な事をして、父さんの立場を悪くしたくなかったんだ」
「なら最初から、支援に動かなければよかったのじゃないかしら」
「そうだけど。見過ごせないよ、人道的にもさ」
人道的という考え方には、“異界み”を感じる。
そして彼らしさであり、異世界由来の勇者の思想なのかもしれないと、ニコは納得する。
ミナヨシという人物は、理知的で、優しさも持ち合わせている。
だが、同時に野盗を躊躇いなく一掃する冷酷さもある。
敵にすれば厄介ではあるが、表立って敵対する要素がミナヨシからは見いだせない。
信頼する側近が、キューコ姫ですら勝てないかもしれないと評した勇者だ。
ここは勝負所かもしれない、とニコは表情を変えないままで思う。
そして切り出した。
「ミナヨシは、神託に違和感はないの?」
するとミナヨシは、相変わらず後頭部を掻きながら、至極普通に答えた。
「ないと言えば嘘になるよ。だけど俺を助けてくれたのも事実。だから“ここ”に来たんだ」
「どういう意味かしら……」
「国を出るとさ、女神の声が聞こえなくなるんだよ」
「声……? イヴァールでは頻繁に聞こえるのかしら」
「何日かに一度、かな。世界を救ってほしいって。まもなく“その時”が来るんだって」
「まもなく……来る?」
「うん。俺がここにいるのは、ちょっとした現実逃避なんだ」
そう俯き自嘲する彼から、本音が確かに聞こえてくる。
ニコは言葉の攻め手をさらに強める。
「ミナヨシ。本当の神は民の平和を望むものじゃないかしら」
ミナヨシは、はっきりと頷く。それは明確な同意だ。
言葉にしないのは、女神に感じた恩義と言ったところか。
難色があるとすれば、ムラクモに悪魔がいることが、引っかかる程度だろう。
ニコは、危険を承知でさらにねじ込んだ。
「なぜキューコ姫が、悪魔に憑かれたか知ってる?」
「いや……詳しくは知らない」
「そう。大国に踏みつぶされないためよ。神に見捨てられたから、彼女はその身を悪魔に差し出したのよ」
余計な回り道などしない。
ニコは、ありのままの事実を、思いっきり叩きつける。
「じゃあムラクモの、重税は?」
「この土地の代官の仕業よ。その代官も、民の税を根こそぎ持って、既にイヴァールに逃げ込んだみたいだけれど。信じられないならそれでもいい」
ミナヨシにも思い当たる節があるのだろう、思案に俯いた。
だからこそニコは、手の届く距離まで近寄り、切り札を切る。
「ニコル……?」
「私の本当の名前は、ニコ・ムラクモ。ムラクモ王国第二王女よ。あなたと同じで素性を偽って、北方地方の内情を調べに来たの」
あけすけない言葉こそが、ニコの切り札だ。
流石のミナヨシも、これには面を喰らった。
「王族が、自ら……」
「信じられなければ、好きにすればいい。休戦中とはいえ、敵国の姫よ。使いようはあるでしょ」
人質か、さもなくば下策ではあるが殺すという選択肢もある。
どちらにせよミナヨシの力量なら、容易だろう。
「無茶苦茶だな……」
「あなたには言われたくないけど。で、信じるの? 信じないの?」
ミナヨシは何度目か、また後頭部を掻いた。
もうすでに、見慣れつつあるアクションだ。
「その眼鏡の向こう側は、きっとすごく真剣な目をしてるんだろう。それに……」
「それに?」
「凄い殺気……、じゃないな。たくさんの、決死の覚悟が俺に向けられている。騙され続けて来た“人生”だったからね、俺は敏感なんだ」
ニコに気配を感じる術はないが、言ってる意味は痛いほどよくわかる。
忠実で、身を挺するような選択をする馬鹿な側近たちの顔が浮かぶ。
「玉砕覚悟なんて許さないけど。それよりミナヨシ」
「うん」
「あなたの敏感さには恐れ入るけど、騙され自慢なら褒められたものじゃないわ」
「あはは、確かに」
「で、どうするか、まだ聞いてないのだけど?」
「……信じるよ。だから仲間の人たちも安心してほしい」
辺りは完全に夜が支配している。
そんな闇の中を、ニコの背後に側近二人が現れ片膝を突いた。
さらにその後ろに、男女合わせて10名の黒装束姿が片膝を突いた。
ニコの手勢が全員無防備に、野生の動物なら腹を見せているような状況だ。
「ミナヨシ。一緒に、ムラクモに来てくれないかしら」
「それはまだ無理かな。イヴァールには世話になった家族がいるから」
「そう」
「でも、何らかの形でけじめはつける」
「女神相手でも?」
「あぁ、信じてほしい」
「信じてくれたもの。あたなを信じるわ」
「次に会う時は、君のその眼鏡の向こうを見てみたいってお願いしたら?」
「目が“悪い”のだけれど、そんなに見たいなら考えておくわ」
「よかったよ。また会う楽しみが出来た」
ミナヨシは、少年のように屈託のない笑顔をニコに向け、それをあいさつ代わりに背を向けて歩き出す。
「物好きね」
ニコはミナヨシの背に呟くと、彼の肩が笑うように揺れた。
ミナヨシが遠ざかると、背後の黒装束たちも闇夜に消えて行く中、カークスは立ち上がって首を傾げた。
「姫、このまま行かせても良かったので?」
ニコは肩を竦める。
「私たちに、止める方法なんてあったかしら?」
ニコが問うと、今度はスケルブが膝を払いながら立ち上がって言った。
「姫殿下なら、あるいは……」
それを聞き、ニコは振り返り両手で拳を握る。
それからほぼ同じタイミングでカークスとスケルブの頬を殴った。
痛いわけのない、あいさつ程度の打撃だ。
「私の前で死のうと思うな。馬鹿」
と、ニコの口元が僅かに歪む。
カークスとスケルブは顔を見合わせた後、カークスが言った。
「それはお門違いってもんですぜ」
「は?」
「そんなこと言って、そんな顔をするから、我々は死んでもいいと思うんです。どうしてくれるんです? 姫様のせいですぜ?」
ニコは、呆れたように口の端を歪め、はぁ、と大きなため息を落とした。
「もういい。帰るわよ」
敏腕外交姫も匙を投げ、蝿でも追い払うような仕草をしてから歩き出す。
ミナヨシが去った方とは逆に向かって――。
――ニコのおかげで、事態は好転するかに思えたけど。
ミナヨシは、この後、約束を反故にすることになる。
一体、なぜなのか。
ま、何にせよ、キューコとミナヨシの激突は、すぐそこにまで迫っていたのさ。




