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31、無邪気な正義

 領地管理者の不在、つまり無政府状態に近い状況の場合、起きる問題。

 それが治安悪化だ。

 

 北方地域では、戦争のどさくさに代官が一部の手下を連れて逃走。

 本来は国に納めるべき税と、さらには勝手に行った臨時徴収分までも持ち去った。

 

 本来なら、王国中央への納税時に明るみに出るところだが、凶作により税免除措置が取られたため、発覚が遅れたのだ。

 代官など、地域の民は税徴収時以外、盗賊や魔物の発生くらいでしか頼ることはない。

 にもかかわらず、村では独自に自警団を設立している場合が多く、ある程度の平和は保たれているからいよいよ必要性が見当たらない。

 

 とはいえ代官がいなければ、野盗団や人さらいといった組織など、村の防衛力を超える集団の暴力に対しては深刻な事態に陥る恐れはある。

 あくまで、失踪が知られなければ問題ないのに。

 こともあろうに代官失踪の情報を下位役人が、小遣い稼ぎに流したのだ。

 本来なら野盗ではなく、王国に知らせてほしいものだが。

 下位役人もムラクモが戦争で勝つとは思っていなかったのだろう。

 今では立派に野盗の一員に加わっていた。


 盗賊団が集結しつつあるという噂は、当然ニコの耳には届いていた――。

 


 

 

 

 

 ――週に一度、最北の村に【クッフム領】からの物資が届くと、それに合わせて物々交換市が開かれる。

 近隣の集落からも、毛皮や木工品などと言った品物が運ばれ、相当な賑わいだ。

 

 役人などいなくても、したたかに生きる様は、むしろ喜ばしいとすらニコは思う。

 あとは盗賊団の件さえなければさらにいいのだが。

 

 

 ニコたちは、野営地となった広場の一角で馬車に寝泊まりする。

 他の集落の人々も同様で、そもそもこの村には宿がない。

 

 冬が近いせいでそれなりに苛酷ではあるが、夜は焚き火で暖を分け合いながら身を寄せ合うように過ごす。

 いくつか出来ている焚き火の輪。

 身分などは関係ないが、王族が輪の中にいるとは誰も思わない。

 ニコたちも、商人然として気さくに過ごす。

 

 ニコたちのいる集団とは別の輪に、ミナヨシもいる。

 ミナヨシの輪は、人が多く、談笑も弾んでいるのがニコたちにも聞こえた。



 夜もふけ、いくつかある焚き火の周りでも、火の番を残して眠り始めた。

 就寝時になると簡易的なテントを張る者、毛布にくるまって夜をしのぐ者など様々だ。

 底冷えする地面に直で寝るより、馬車は車輪の高さと幌があるだけ暖かい。

 ニコは具合の悪そうな子連れの女に寝床を貸し、夜の村の散策を始める。

 

 

 広場の方からは、まだ起きておる集団があるのだろう、時折談笑が飛んできた。

 

 夜更けの風が肌を刺す中、村の脇を流れる小川で顔を洗う男がいた。

 ニコも同じように屈み、水に手を差し込むと、幾分かは風より暖かいと感じた。

 

 そんなニコに、商人の男が愛想よく笑って言った。

「冷たくて、目が“冴え”ますね」

 ニコはヴェール越しだ。

 顔を洗うわけではないが、片手に掬った水を眺めながら首を傾げた。

「ええ。そうですね。何か面白い物でもありましたか?」 

「そうそう。すぐ先の丘の向こうに、三十ばかり熟れた実が成った木がありましたよ」

「それはそれは、連れと行ってみます。出来はどうでした?」

「まばらですね。案内差し上げましょうか」

「それには及びません。焚火で疲れを癒して行ってください」

「おぉ、それはありがたい」

 と、商人同士らしく、始終愛想のいい会話を交わし、ニコが先に立ち上がる。

 

 ニコが散歩の続きに戻ると、カークスが追いついてきた。

 そのまま歩いていくと、森の脇の小道に入る辺りに、スケルブが立っていた。

 

 他に人の気配はなく、広場の声が聞こえない程度に村から離れた場所まで来た。

「三十てぇと。急造のわりに真っ当な数ですねぇ」

 カークスが心なしか、楽し気に言う。

「おかげで、まとめて始末できるのだから善しかしら」

 そう暗闇の中で、ニコはヴェールと色眼鏡のまま進んでいく――。

 

 

 

 ――森を挟み、丘を越えたあたりにも野営地があった。

 だが、農民や村人たちという風情はなく、装備はまちまちだが全員が武装している。

 そして下卑た笑いが、よからぬ集団らしさを増長している。

 

 低い位置に野営地を作ったのは、光が直接村に見えないようにするためだろう。

 おかげで、ニコたちは丘の上から見下ろすことができる。

 村人を舐めているのか、戦術に明るくないのか、いずれにせよ大した集団ではないことは確かだ。

 

 草むらに低く腰を落とした姿勢で、ニコが控えめな声を投げる。

「アジトの方は?」

 やはりカークスは、ニヤリと楽し気に答えた。

「“油売り”が既に、掃除をおわらせたようで」

「よし。なら奴らの――」

 と、ニコが言いかけた所で、スケルブの手がニコの眼前に現れ、言葉を遮った。

 カークスの視線も、同じタイミングでニコたちの背後へと向けられている。

 

 そしてすぐに、草むらが揺れた。

 ニコにはスケルブとカークスの二人が、背後を取られたなんて、にわかに信じられなかった。

 だが現に、人影が背後から現れる。

 

「あぁ、やっぱり商人さんたちだ。俺ですよ、ミナヨシです!」

 それは余りに、間の抜けた感じで伝えられた。

「ミナヨシさん⁉」 

 と、咄嗟に、カークスが懐の中でナイフを握っていた手を離し、その手で『静かに』と人差し指を立てた。

 スケルブも、既に“商人の顔”を作っている。

 ありがたいことに、盗賊連中は会話に花を咲かせている様子で、こちらには気が付いていない。

 

 “なぜミナヨシがここにいるのか” 

 という問いかけはさておき、ニコは静かに丘の下を指さす。

 

 ミナヨシは、ニコたちと同じく草むらに隠れるように丘の下を見た。

「あれは?」

 と、不思議そうにミナヨシの首が傾く。

「盗賊のようです。連れの者が見つけて、確かめに来たのです」

 ニコは淀みなくミナヨシに告げた。

 実際嘘は言っていない。

 

 するとすぐにミナヨシが不思議そうに問いかける。

「彼らは、一体何のためにあそこで野営を?」

 戦術的意味でなら、『彼らは馬鹿だから、低地で野営をするのです』に尽きるが、そうじゃない。 

 もっと純粋な部分の問いだ。

 

 この場合、答えるのは主人であるニコだ。当然二人は黙っている。

 ニコは、ヴェール越しの色眼鏡でミナヨシに向き直った。

「率直に言えば、村を襲うためにでしょう」 

「なぜ、村を?」

「物資が集まっているからです」

「彼らも、飢えているのかい?」

「飢え以上に、欲です。あそこには檻も見えます。村で金品を奪い、男は殺し、女子供を浚うつもりでしょう」

 ミナヨシがどういう反応をするのか、ニコの興味が向けられる。 

 すると、ミナヨシは考える様子を挟みつつ、真っすぐに視線を返して問いかける。

「男はなぜ殺すんだい?」

「労力として売れはしますが、それより抵抗されれば、面倒だからです」 

「女と子供たちは?」

「女は、器量が良ければ男よりも高く売れます。子供は、器量に関係なく売れます。第一、男より面倒がありません」

 ニコは、淡々と告げたつもりだった。

 にもかかわらず、ミナヨシは小さく左右に首を振った。

「貴女は、悲しいんですね」

「悲しい……ですか?」

 ニコは半ば無意識に問いかけていた。

 悲しみも、なくはないが、自分の中では怒りの方が強いからだ。

 

「俺、少しだけ悲しいことに敏感なんです。とにかく俺が彼らを説得してみますから、あなたたちは隠れててください」

 と、ミナヨシは立ち上がる。

 

 もし、悲しみだけを嗅ぎ分ける能力があるのなら、難儀な力だとニコは思う。

 そしてミナヨシの背を見送った。

 

 ミナヨシが、腹芸をしたとは思えないニコは、側近二人に問いかける。

「どう思った?」

 するとスケルブが、肩を竦めた。

「近づいてよくわかりました。あれはとんでもない化け物です」

 カークスも同意で頷いている。

 

 丘の下では、盗賊たちが静まり返り、ミナヨシに注目が集まっている。

「今なら、まだ間に合う。馬鹿なことはやめて帰るんだ」

 と言うミナヨシに、一瞬の沈黙の後、野盗たちからドッと笑いが起こった。

 

 野盗の中にも、腕の立つ者はいるのだろう。

 だが、相手の力量を測れるほどの達人はいなかった。

 だから下卑た笑いの野盗が、舐めた様子で不用意に近づくような愚行に及ぶのを、だれも止めなかったのだ。

 

 斧の柄を片手で弾ませながら近寄っていく男が、一瞬で膝から崩れた。

「何が起きた?」

 傍らに、ニコが問うと、カークスが引きつった笑みで言う。

「絶命したって以外、わかりゃしません」

 ニコには、死んだことすら分からなかったが。

 野盗共は、それ以下だった。

 

「おい、何しやがった!」

 首領格が声を張り上げると、全員が一斉に殺気立つ。

 次の瞬間には、全員が息絶え、ドサリドサリと倒れ込む。

 

 ミナヨシはと言えば、ただ指先を盗賊たちに向けただけだ。

 容赦もなく、ただの一瞬だ。

 

 ミナヨシは、その場で手を合わせて瞑目。

 目を開くと、野盗の躯に背を向けた。

 

「純粋な、正義……か」

 ニコが独白を落とすと、スケルブが呟く。

「考えを、改めた方がいいかもしれません」 

 ニコは、戻りくるミナヨシを見詰めたまま、スケルブに問いかける。

「一体、どんな風にかしら?」

 スケルブはさらに声を潜めた。

「あれは、キューコ姫以上の化け物です」

 

 ニコは、草むらから立ち上がり、ミナヨシに軽く手を振った。

 そしてヴェール越しの視線はそのままに、傍らでまだ屈んだままのスケルブへと小さく告げる。

「だとしたら、節穴ね。キューコは、化け物なんかじゃないもの」

 

 そして無邪気に笑うミナヨシを、ニコは出迎えた。

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