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土を蹴立て、草を散らし、走る、走る。
ごろごろと石が転がる起伏の上を、ゆらゆらと斜陽に伸びきった影が滑る。
一歩でも無駄なところに足を置いて、速度を駄目にしないように、千変万化な地面に気を配る。そのうち、地面の起伏も自分のような気がしてきた。
風のようになって、大地のようになって、走る、走る。
もし育った町ならこのようにはならなかった。追いかけっこが始まることもなく充分に近付けただろう。あの忍び足は一朝一夕で得たものではなかった。おそらく相手もそうだ。荒れた山肌を心得ているに違いなかった。
だんだん速度を落として、しまいに歩きになる。音を立てずに走る自信がなかったからだ。臭いはまだ漂っていたし、じきに苦しげな息せき切るのが聞こえてきた。人間は不安そうにあちこちへ視線を向け、覚束ない足元を探りながら進む。もう陽もなく、明かりもなかった。
焦りはいつも、大きな敵になりうる。既に二度失敗していた。手を出さないと宣言したラドゥは本当に放置したりはしなかったが、この機会を逃せばしばらく飢えることになる。
取り出したナイフのつめたい刀身を掌に当てる。やや大きめで、重くて、慣れない道具だった。それでも触れば記憶に残る、覚えのある感触がする。
後ろから近付いていることに気付いた様子はなかった。足元が見えないせいでまえ屈みになっている背中のまんなかに、思い切り振り下ろした。さらに体重をかけて押し、上に乗る。そいつは叫んでめちゃくちゃに暴れていたが土を掻いてばかりだった。刺さっていたナイフを抜いて、もう一度振り下ろした。力み過ぎてうまく刃が入らない。だが数回繰り返せばごく単純な動作、コツはすぐつかめた。無造作に、無意味に、深く刃を立てる。
裂けて、弾けて、辺りに散って、鼻腔を満たす。普段はけっして見えない内側が拓かれていた。元の姿からはずいぶんと遠くなってしまったが、彼はそれを知っていた。だが想像もしていないことだった………。おなじ姿の生き物を、その手で壊すことがどれだけの苦痛をもたらすかなど。体は怪我をしていないのにひどい気分がした。よじれるような、ひきさかれるような、五体の底で心身を支えてきた、生まれつき備わっている芯が悲鳴を上げる。
冷え切るような悪寒と共に、沸き立つ興奮があった。彼が、彼のために供した命だ。そっとはじけた裂け目に口をつける。舌を伸ばして掬い、啜り、味わう。変わったところのないもののはずなのに、強烈な味がした。絶対に忘れられるはずがなかった。
「最初の獲物だ。記念すべき」
前方、投げ出された両手の先に、腰を下ろしたラドゥがいた。力みのない、いつもと変わらない様子でありながら、これほど真っ直ぐ見詰められるのはあの夜以来だと思うような、暗闇でも光る琥珀の瞳。
「いつだって狩りは特別だが、これは特に。どんな気分だ?」
緩慢なうごきで手元に視線を落とす。やっぱりひどい姿だった。でも彼はその命を頂いたのだ。
もう動かない、重たい胴を撫でる。そう、たしかに特別だった。まぎれもなく。