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物心ついたときには、狭い路地裏で一人だった。それまでどうやって生きてきたのか、というより育てられたのか記憶はなかったが、まわりと同じことをして食いつないだ。ごみ捨て場を漁り、市場の隅っこを歩いて幾らかのものを失敬した。棒で追われることも多いが、道行く人がものを与えてくれるときもあった。家々がへんなふうに密集してできた隙間や、運のいい時には空き家に入りこんで寝床にする。昨日も明日もなく歩き回り、見つけた食べ物と場所で寝て起きる様は、人ではなくねずみだと言われても仕方がない。だが彼は、親も兄弟もそれに類する仲間がいなくても、生きていた。
同じく家を持たず、路上に暮らす人間たち、ある意味で彼らは仲間だったかもしれないが、そのような意識はなかった。彼はその言葉をしらなかった。同類だとか身内だとかいう認識は、内と外があってはじめて生じるのであって、言わばその時の彼にとって世界はすべて一つだった。それが変わってきたのは、同じように路地裏で寝起きしていた人間の一人が、仲間として話しかけてきてからだ。ぴったりの仕事があるから、俺とお前で、たくさん稼げる、と言った。彼ら二人が協力し合う仲間で、他の路地裏の人間たち、家を持っている人間たち、ねずみや犬やからす、もしかしたら周りの世界あらゆるものが仲間でないもの、そういう意味が含まれた言葉だった。
建物の中から、言われたものを、誰にも見られないで、探して持ってくることを要求された。その「仕事」を通して人の社会を学んだ。人が時間によって場所を変えたり、入ったり入らなかったりする部屋があること、物の置き方には人の考えがあって、大事だと思う物はそれなりのところにあること、それからもっと大きな、根本的なこと、人は物や場所を所有して大事にしたがり、時には他人のものを欲しがるということだった。
相棒、とその相方が呼ぶところの彼は、滅多に失敗しなかった。ときどきは間違ったものを持ってきた。その家にそれらしいものが一つか二つしかないときには問題ない。しかしたくさんあるときには、彼はまったくの当てずっぽうで一つを掴み、持ってきた。どれが正解か悩むこともしないし、見る目によっては宝の山をまとめて持ち帰ろうともしなかった。幼い時から見つかれば叩かれるか、もっとひどいことになると知っていて、それを避ける判断は本能だった。
ときどき建物は人間が何人も見張っていることがあった。それらの目を盗むのはただ歩いたり生活している人々に比べてずっと難しい。でも常に「見張っている」のではなく「立っている」ときもあって、なぜかしら通れる瞬間が訪れたりもした。それが来ないとき、または居合わせなかったとき、つかみ損ねてしまったとき、諦めることはしなくても、仕事の期日に間に合わなければ失敗だ。ぎりぎりになっても決して無理はしなかった。様子を伺ってできそうにないと感じたら、それはできないのだ。もしかしたら、という想定はない。盗みのやり方など教えられたことはなく、考えたこともなく、彼にとって感じたことがすべてだった。それでもって、捕まることなく生き延びた。
物を持ちたがる人々を間近にしても、彼の物欲はあまり発達しなかった。仕事や報酬を斡旋する相方のほうは順調で、いつのまにかちゃんとした家を所有していた。それを羨ましいと思わないこともなかったが、他人が安全だと思っている家に知られずに入り出ていく自分のような存在のことを考えると、それほどそそられはしない。彼がその家を利用することに関して文句は出なかった、というより言えなかった可能性が高いが、お腹がへったり屋根や壁のあるところで寝たい気分の時に拒まれなければ彼は満足だった。しょっちゅうお目にかかるが手には残らない財宝の類も、すぐに食べられる干し葡萄に劣る存在だった。彼はかたいパンよりも干した果物のほうが好みで、ずっと高等だと思っていた。
そんなであるから、相方にもらった仕事の指示に、あるとき違和感があっても理解が及ばなかった。その次にはなかった。だが二回三回、と違和感のあったりなかったりして、直接聞いてみても答えは得られず、嫌な感じもしないので、いつも通り仕事をこなした。
ところで、盗みを注文してくる人間がいて、相方を通して仕事が回ってきているのを知っていた。二人が報酬や仕事の条件についてあれこれと話し合うのを聞きながら、要求と譲歩の微妙な駆け引きや、彼らが敵対と言っていいほど互いに警戒を払っていることや、ナニが高くなってるとかドコが落ち目だとか、世の中のうねりをおぼろげに学んでいたが、とにかくその相手をするのは相方に任せていた。それなのに彼がよく寝床に利用しているあばら屋の前にそいつがいた時、待ち伏せているのは確実だったから、彼は本当に困って、迷った。そいつが近付いてくると、体は自然に緊張した。すなわち、危機を感じればすぐさま逃げに動けるように。極めて思考は動物的なままだった。
まず最初に、普段仕事を実行しているのはお前かと問われた。それから最近やった仕事について須らく訊かれ困惑した。さすがに自分から喋るのはまずいという認識はあったが、これこれをやったか、と確認を取られる形では相手はもう知っているのだから、と警戒は働かなかった。そして仕事を直接頼まれた。それに、とってくるのではなく、置いてくる仕事だった。そんなことをするのは初めてで、意味がわからなかった。しかし彼にとってわからないのは万事においてそうであったし、木の実の密漬けで彼はやる気になった。
「置いてくる」仕事のあと相方の家に初めて顔を出してみると、なぜか相方は怒っていた。なぜ怒鳴られたのかも、あの仕事をしたことをどうして知られているのかも不思議で仕方なかったが、必ず相方を通して仕事を受けることを改めて約束した。怒られるのなら、やっぱり流れで受けたのはよくなかった、とか甘い木の実はおいしかった、とか思いながら。
だが状況は急激に変わっていった。木の実をくれたそいつが来ると、激しく鋭い言い合いが起こった。今まで家にいても無視されていた彼にも幾度か火花が飛んできた。もっぱらそいつが話しかけてきて、相方が遮った。守られている意識はなかった。そもそも危機に陥っているのは相方であったのだが、至極残念なことに話を理解できていなかった。
彼はあまりにも無知だった。その無知につけこんで相方の男は財宝を貯め、やりすぎてお得意の依頼主に勘付かれ、弱みを握られたのだった。彼らの場合得意先とは、あまり公にできない需要をどこからか継続的に運んでくる、不透明でありながら大きな圧力を伴った存在で、少々目立つことをしてしまった男の命運は非常に危ういと言えた。もちろん、愚かな相棒にはわからなかったが。
理解できなくとも、相方の不安は伝わる。自然に足が遠のき、仕事に嫌気がさす。それは新しい感情だった。仕事はたのしかった、と彼は気付いた。そして何故かはわからないが今はそうではなかった。
怒らせてはいけないものに睨まれて窮々としているところに、金のたまごを産むがちょうに不満げな顔をされた男はたまったものではなかった。だが男はそれなりに彼のことを知っていた。こき使われたことに怒っているのではない、思えるはずがないと判断するぐらいには。それで食べ物と寝床を与えようとした。彼とはこれからも良い関係でいてもらわねば、他ならぬ自身のために困るからだ。いっぽう彼は欲求を言葉にすることすらできなかったが、男が望むものをくれないと察する程度の賢さはあった。
彼は仕事をするのが本格的に嫌になってきていた。それは最近知った新鮮な感情ではなく、もっと馴染みのある物だった。彼は今まで嫌だと感じるものを避けることで生き延びてきた。ねずみ捕り用のケーキを拾って食べようとした時、罠が仕掛けられた道を通ろうという時、人がいる部屋の戸を開けようという時、それが彼を救ってくれた。いまは不安定な精神が思わぬ危機を呼びかねないという、本能の警告だった。だが仕事をしなければ彼は生きられない。このごろやけに甘やかす男も仕事はしろと迫る。わかっているのに、追い詰められていくばかり。なんとか無事に終えて寝床に戻ると、ひどい疲れを感じた。
それは焦りと安堵という感情だった。
2016年2月9日、大量の改行とすこしの改稿を加える
章設定追加とともにサブタイトル変更