十話 扇? 奥義?
「何を言っているんですか、この馬鹿魔王」
冷え冷えとした声。
突然の快音にビクッと身を震わせた精一郎がそちらを見れば、大きな白い何かを手にしたメイが、そこにはいた。
それに打たれたと思しきファルハーンはと言えば、頭を抱えて悶絶している。
「ぬおぉっ!? いきなり何をするかぁっ、メイ!」
「それは、こちらの台詞です。やはり、貴方は馬鹿魔王ですね」
無表情ながらも、リアクションだけは呆れたように肩を竦めるメイ。
「そもそも、何故大魔王の本体たるこの身に、ダメージを与えることができる!? 力は勿論、生半可な武具では我輩に通じないはずだぞっ!?」
そんな彼女に、悶絶から復帰したファルハーンは勢いよく詰め寄る。
しかし、メイが無言で手に持った何かを振り上げれば、ファルハーンはギョッとして距離を置いた。
そんな二者をよそに、精一郎がまじまじと見れば。
メイの手にあるそれは、精一郎も知っている名称のものだった。
しかし、だ。
(……何処から取り出して、結局何なんだろう?)
服の中、というのはないと思うが。
そんな精一郎の視線に気付いたのか。
「教えるのは構いませんが――その前に、もう解除していいですよ、馬鹿魔王。ただし解除したら、その鬱陶しい大声で喋るのは止めなさい」
「ん、なんだ、もうよいのか? ……しかし、我輩の声はそんなに鬱陶しいかのう」
彼らの会話は、しかし精一郎にとってはちんぷんかんぷん。分かったのは、ファルハーンの声が鬱陶しいと言われたことと、彼がしょんぼりとしたこと。
何を解除するのか、そしてその何かを解除したら何故大声で喋ってはいけないのか。
疑問は尽きないが、メイが口を開いたので、待つ。
「これは――対魔王扇。特別な力を宿し、滅魔の聖剣に勝るとも劣らない力を持つ、選ばれし者にしか扱えぬ伝説の扇です」
そして、ポカンと口を開けた。決して、感嘆のそれではない。
言葉としてみれば、それは仰々しいものだ。伝説の剣ならぬ、伝説の扇。聞いたことはないが、そんな扇も実際にあるのかもしれない。その部分だけ、珍しくメイの声が強調するようだったのも、頷ける。
――しかし、しかしだ。
「あのさ、メイ……」
ガラス玉のような瞳が自身を射抜く中、意を決して精一郎は声を上げる。
こちらを見るメイの視線に、強い光が宿る。グッ、とそれに気圧されてしまう精一郎であったが、しかしそれを認めてはならなかった。
なぜなら、彼女の持つそれは、明らかに。
「……それ、ハリセンだよね、どうみても」
扇ではなく、ハリセンだったからだ。
とはいうものの、張り扇からきているので、扇でもあながち間違いはないのだが。
しかし、間違いなくハリセン。
「いえ、これは対魔王扇です」
だが、しれっと、メイ。
「……いや、絶対それハリセ――」
「対魔王扇です」
「ハリ――」
「対魔王扇です」
精一郎にしては負けじと食いつくが、しかしメイは頑として認めない。
「……分かった。もういいよ、扇で」
「ちなみに、セーイチロウにも使えます」
「僕にも使えるのっ!?」
あっさりと敗北し、小さい声ながらも認める精一郎。
だが、続いてのメイの言葉に素っ頓狂な声を上げる。
「もちろんです。使ってみますか? いえ、是非使って確かめてください、さあさあ」
グイグイと無理矢理精一郎の手にハリセン――もとい、対魔王扇を押し付けるメイ。
手に持たされたそれはさほど重くなく、至って普通だった。近くにしても、何の変哲も無い白いハリセンにしか見えない。
困ってメイの顔を見る精一郎であったが、彼女は無言で、しかしハリセンを叩きつけるようなモーションをしている。振りかぶっては払い、また振りかぶっては払う。……明らかに、ファルハーンの方を向いて。
精一郎が今度はファルハーンの顔を見やれば――彼は青白い肌を更に青くしてブンブンと首を横に振った。まるで躾を恐れる小犬のよう。
その様はとてもではないが、人間を脅かす一族の頂点たる大魔王には思えず。また可哀想になった精一郎は、今一度メイを見れば。
彼女は既に精一郎達を見ていなかった。
「……計画通りです」
それどころか、部屋の外に繋がる扉を見つめ、ボソリと呟いたのだ。
(……何が?)
聞きたいようで、しかし聞いてしまってはいけないような。そんなゾッとした気分に襲われる精一郎。
ふと隣を見れば、ファルハーンも似たような顔で、メイを見ていた。……それでいいのか、大魔王。
「さて、馬鹿魔王のせいですっかり遠くなってしまいましたが、これからセーイチロウにはある事実を伝えなければなりません。これは、セーイチロウの今後を左右する大事なことです」
そんな両者の視線を受けるメイは、彼らの視線もなんのその。
無表情のままに流し、つらつらと喋り出す。その口から語られる真実に、精一郎は衝撃を受け、苦悩し、決意することとなるのだが。
――さて。
そんな彼らの会話の一部を、聞いてしまっていた者がいた。
シーラよりその役目を仰せつかった、城勤めの侍女である。
とはいえ、その役目とは探り、盗み聞きでは断じてない。単純に、賓客たる精一郎達のもてなし、要望伺いなどのそれだ。
第一王女たるシーラに役目を仰せつかったその足で、精一郎達のいる部屋の前までやってきた彼女。
その顔には若干の緊張が浮かび、廊下で呼吸を整えている。
――決して失礼をしてはならない。元よりそのようなつもりはないが、彼女は改めて自らに言い聞かせた。
侍女としての経験がそこまで長くはないものの、周囲から優秀という評価を受ける彼女は、これまでにも何度か城の客への応対を任されたことがあった。
しかし、今回は。シーラ直々に仰せつかったのに加え、彼女の命の恩人たる賓客とのこと。第一王女であるシーラの命の恩人、それ即ちこの国にとっても恩人といっても過言ではない。
更に、強力な存在を従えているらしい、という情報も侍女仲間である者に聞いた。
そんな人物に粗相し、不快を与えてしまえば。この身一つの処罰では済まなくなるかもしれない。
ゆえに、この侍女が緊張するのは仕方なかったと言えよう。
息を吸っては吐き、吸っては吐く。小さく、繰り返す。
それにより幾分かの落着きを得た侍女は、最後に一際大きく深呼吸をすると、よし、と頷いた。
そうして一歩進み、部屋の扉をノックしようと、手を軽く握った、瞬間。
侍女の手は、扉を叩くことなく宙で止まることとなった。
扉の先から、微かに声が漏れ聞こえてきたのだ。とはいうものの、それが他愛のない話であれば、侍女とて手を止めることなく、ノックの音は発せられただろう。
「た、い、ま、お、う、お、う、ぎ……?」
頭の中での変換は、一瞬。
不思議そうな顔が、驚愕のそれに変わる。
「たいまおうおうぎ――対魔王奥義っ!?」
囁くように侍女は呟き、遅れて自身の行動に気づいた彼女はパッと口元を手で覆う。
次いで、なんとも凄いことを聞いてしまった、と侍女はあたふたと視線を左右に彷徨わせた。幸いにも、この廊下には彼女以外誰の姿もない。
「あの御方は、対魔王の奥義を使える。……即刻、シーラ様にお伝えしなければ」
確かに、彼女は周りの評価の通り、優秀であった。それは否めないのだが――中途半端に、優秀であったのだ。
踵を返し、静かに、しかし急いで侍女は己の判断でシーラの元へと戻る。後に残るは、誰の姿もない廊下。
傍目には意味不明なメイの呟きに精一郎が、そしてなんとなく分かっていながらも大魔王が戦慄したのは、その直後であった。
どうも、この作品を読んでいただきありがとうございます。
ストックの都合上、毎日更新はここまでになります。別にもう一本、同時連載の作品があるため、この後は不定期になるかと思います。
よろしくお願いします。