第75話 新たな日米合意
ウォーカー大統領が首相官邸の非公開室を出たとき、廊下の時計は午後六時を少し回っていた。
扉の外では警護担当者が定められた位置に立ち、少し離れた場所で待機していたキャサリン・モーガン国務長官が、大統領の姿を認めて歩み寄ってきた。予定より長くなった非公開の日程について、彼女は何かを尋ねかけたものの、ウォーカーの表情を見て言葉を選び直した。
「大統領。日本側との調整は、いかがでしたか」
「有意義だったよ。明日の協議を進めるうえで、考えるべきことが整理できた」
嘘ではなかった。ただし、その答えからモーガンが想像するような、通常の外交交渉でもなかった。
ウォーカーは随行員の案内に従って歩きながら、先ほどまで自分がいた部屋を振り返りそうになるのを抑えた。警備された官邸の一室に、扉を開けることなく現れた若い女性。そして、彼女の腕の中からアメリカ合衆国大統領に向かって堂々と意見を述べた、小さなペンギン。
あれほど現実離れした光景を目の当たりにした直後だというのに、廊下には普段と変わらない官邸の空気が流れている。
警護員は何も知らず、モーガンも知らない。ジョナサン・リード国防長官を含め、アメリカ側の随行団であの二人の存在を知る者は、自分以外に一人もいなかった。
ウォーカーはその事実を、奇妙な孤独感とともに受け止めていた。
「技術提供者との面会については、何か進展がありましたか」
モーガンの質問は当然だった。日本側に正式な希望を伝えた以上、その回答は今後の交渉方針を左右する。
「日本側が、協力関係を大切に考えていることは確認できた」
「では、面会そのものは」
「その件は私が扱う。今後の交渉は、政府間で確認できる条件に集中してほしい」
モーガンはわずかに眉を動かしたが、それ以上は踏み込まなかった。
「承知しました。実務担当者からは、共同運営機関の権限配分について修正案が届いています。日本側も、かなり前向きな姿勢です」
「見せてくれ」
渡された資料に目を落とすと、ウォーカーの意識は自然と外交上の仕事へ戻っていった。
日本とアメリカが宇宙開発で手を組む。それ自体は、以前から検討されてきた構想の延長にある。しかし今回の計画には、従来の延長では説明できない可能性が含まれていた。
そして、その可能性を支える人物は、国家の威信にも大統領の権限にも興味を示さなかった。
彼女が望んでいたのは、ごく普通の生活だった。
ウォーカーは資料の一枚をめくりながら、交渉の目的を改めて整理した。
必要なのは、技術を手に入れることではない。技術を使わせてもらえるだけの、信頼に足る仕組みを作ることだ。
その違いを見失えば、目の前に開きかけている道は、たちまち閉ざされるだろう。
◇
翌朝、首相官邸の会議室では、日米双方の実務担当者が最終調整を続けていた。
机の上には日本語と英語の協定案が並び、条文の修正箇所を示す付箋が何枚も貼られている。前日の首脳交渉で大枠の方向性は見えていたものの、それを国家間の正式な約束にするためには、曖昧な表現を一つずつ取り除かなければならなかった。
高瀬隆一首相は、三浦誠司官房長官から渡された修正案に目を通し、共同事業の意思決定に関する部分で手を止めた。
「重要事項は両国の合意を必要とする。ただし、緊急時の運用判断は、あらかじめ承認された手順に従って現場の責任者が行う……か」
「はい。アメリカ側が求めていた緊急時の指揮権について、共同運営と現場の安全を両立させる形に整理しました」
「現場が一秒を争うときに、東京とワシントンの返事を待たせるわけにはいかないからな」
「その一方で、緊急事態を理由に、どちらか一方が計画全体の方針を変更することもできません」
高瀬はうなずいた。
宇宙船に何らかの異常が起きた場合、乗員を守るための判断には速度が必要になる。だが、運用上の緊急措置と、装置の解析や目的外使用を認めることは、まったく別の問題だった。
前日の交渉では、その境界をめぐって双方の意見が分かれていた。
日本側は核心装置の内部に対する無制限のアクセスを認めず、アメリカ側は有人宇宙開発に不可欠な安全確認を譲らなかった。
最終的にまとまった案では、装置の内部構造を明かさないという原則を維持したうえで、外部から確認できる性能、接続条件、異常時の挙動、停止方法、診断情報などを、実際の設計段階で個別に審査することになっている。
確認できない危険が残る場合は、装置を搭載しない。
それは技術提供者に無条件の安全保証を求めるのでも、NASAやJAXAに未知の危険を黙認させるのでもない、現実的な落としどころだった。
「供給についてはどうなった」
「日本政府が窓口となります。ただし、特別な装置の提供、交換、追加製作については、その都度、提供者本人の承諾を必要とします。両国政府が契約したからといって、本人に製作義務が発生するものではありません」
「アメリカは納得したのか」
「容易ではありませんでした。特に予備品の確保については、運用計画を立てるうえで大きな不確定要素になりますから」
三浦は別紙を開いた。
「そこで、開発段階で必要数量と予備品の考え方を整理し、日本政府が本人に相談する仕組みを設けます。回答が得られなければ、その条件に合わせて計画を見直す。供給が保証されたものとして工程を組むことは認めない、という内容です」
高瀬はしばらく考えたあと、ペンを置いた。
「それでいい。約束できないものを、国家間の協定で約束したことにはできない」
「はい」
「ただし、こちらも相手の立場を理解する必要がある。人を乗せる以上、必要な装置がいつ手に入るか分からないという状態を、いつまでも放置するわけにはいかない」
「具体的な計画が固まった段階で、必要事項を本人へ相談します。もちろん、断られる可能性も含めてです」
高瀬は了承した。
技術提供者の意思を守ることと、宇宙飛行士の安全を守ること。その二つを対立するものとして扱わず、どちらも満たせる範囲で計画を進める。
協定案に書かれた慎重な文言は、そうした考え方を積み重ねた結果だった。
やがて日米双方の首脳が会議室に入り、最終協議が始まった。
ウォーカーは席に着くと、最初に共同運営の仕組みについて確認した。
「日本側の修正案を読みました。重要な意思決定を両国の合意事項とし、現場の運用権限を別に定めるという考え方には賛成です。ただ、事故調査の権限について一点、確認したい」
「どうぞ」
「万が一、有人飛行中に事故が発生した場合、原因が日本の特別な装置にある可能性を否定できないこともあるでしょう。そのとき、アメリカ側の調査担当者が必要な情報にアクセスできないのであれば、乗員の家族にも国民にも説明ができません」
高瀬は、相手の言葉を遮らずに聞いた。
「その懸念は理解しています。日本側としても、事故原因を曖昧にしたまま運用を再開するつもりはありません」
「では、共同調査を明文化できますか」
「可能です。ただし、調査の対象と方法には区別が必要です。運用記録、装置の外部診断情報、事故時の挙動などは共同で検証する。一方、核心部分の分解や内部構造の解析は、協定によって自動的に認められるものではありません」
ウォーカーは隣のモーガンと短く視線を交わした。
「調査によって十分な安全性が確認できなかった場合は」
「原因が解明されるか、危険を回避できると確認されるまで、その装置を用いた運用を停止します」
今度はウォーカーがうなずいた。
「それなら、NASAも責任を果たせる余地がある」
リード国防長官は手元の資料を確認してから発言した。
「装置の内部に立ち入れない以上、外部からの検証能力は極めて重要になります。異常の兆候を検知する方法や、必要な場合に機能を停止する手段について、開発側が十分に確認できることを条件にしたい」
「その条件は日本側も同じです」
高瀬の返答に、リードはそれ以上の反論をしなかった。
彼が懸念しているのは、単に未知の技術をアメリカが保有できないことだけではない。宇宙船に乗る自国の宇宙飛行士が、仕組みを完全には理解できない装置に命を預けることになるという現実だった。
その不安まで否定することは、日本にとっても利益にならない。
続いてモーガンが、共同事業の運営体制について提案した。
「宇宙船の設計、試験、運用、将来の探査計画について、NASAとJAXAを中心とする共同の運営機関を設ける。両国は対等な立場で重要事項を決定し、各機関の責任範囲を個別の実施取決めで定める。これでよろしいでしょうか」
「異論ありません」
高瀬は答えた。
「ただし、通常の宇宙開発技術と、特別な提供装置の扱いは明確に分けてください。日本政府が管理する核心装置については、両国の共同事業に組み込まれたあとも、内部構造の非開示と目的外利用の禁止を維持します」
「承知しています。NASAが独自に開発する船体、生命維持設備、管制システムなどについては、双方が合意した範囲で共同開発を進める。その区別ですね」
「ええ。アメリカの技術者にも、日本の技術者にも、自分たちの仕事をしてもらいたいと考えています」
その言葉に、ウォーカーはわずかに笑みを浮かべた。
「私も同感です。未知の技術だけで宇宙船が完成するわけではない。人を宇宙へ送り、無事に帰すためには、積み重ねられた経験が必要です」
会議室の空気が少し和らいだ。
もっとも、すべての問題が解決したわけではなかった。費用分担、試験施設の利用、乗員選抜、知的財産の扱い、事故発生時の補償など、具体的な事業を始める前に決めなければならない事項は数多い。
しかし、それらは今後の共同作業で決定することができる。
少なくとも、計画の根幹を成す原則について、両国の意見は一致しつつあった。
最後に残ったのは、計画の目的をどこまで明確に限定するかという問題だった。
「平和的な宇宙開発という原則には賛成です」
ウォーカーは協定案の該当箇所を指で示した。
「ただ、宇宙空間における安全確保と、軍事目的への転用をどう区別するかは、慎重に定める必要があります。宇宙船が他の宇宙物体と接近した場合や、通信障害が発生した場合に、必要な回避行動まで制限されては困る」
「安全確保のための運用を禁止するつもりはありません」
高瀬は即答した。
「問題にしているのは、提供された装置を兵器として利用することや、当初の合意とは異なる軍事目的に転用することです」
モーガンが両国の担当者に確認を取り、修正文案が配られた。
協定には、共同事業を平和的な科学研究、有人宇宙探査、関連する技術開発を目的とするものと明記し、特別な装置の兵器化、軍事目的への転用、第三者への無断移転を禁止する規定が盛り込まれた。乗員と宇宙船の安全確保に必要な通常の措置は、承認された運用手順に従って実施できる。
ウォーカーは最後まで読み終え、ペンを置いた。
「この内容なら、我々も受け入れられます」
高瀬は隣の三浦を見た。
三浦は静かにうなずいた。
長く続いた協議の末、日米両政府は、共同宇宙開発に関する基本協定の最終案で一致した。
それは宇宙船の完成を約束するものでも、未知の装置が必ず提供されることを保証するものでもない。
だが、双方が責任を持って開発を始めるための土台としては、十分に意味のある合意だった。
◇
正式な署名式は、その日の午後に行われた。
首相官邸に設けられた会場には、日米両国の国旗が並び、報道関係者のカメラが署名台へ向けられている。高瀬とウォーカーがそれぞれ協定文書に署名し、書類を交換すると、会場から拍手が起こった。
続く共同記者会見で、高瀬は日米共同宇宙開発計画の開始を発表した。
「本日、日本国政府とアメリカ合衆国政府は、有人宇宙探査および関連技術の共同研究開発を推進するため、基本協定を締結いたしました。両国の宇宙開発機関を中心に、対等な立場で計画を進めてまいります」
カメラのシャッター音が重なる。
「今回の協定は、宇宙船や月面施設の完成を発表するものではありません。具体的な設計、開発工程、予算、運用体制については、今後、両国の専門家が検討を進めます」
続いてウォーカーが演壇に立った。
「日本とアメリカは、長年にわたって科学技術の分野で協力してきました。本日の合意は、その関係を新たな段階へ進めるものです」
彼は一度言葉を切り、会場を見渡した。
「宇宙開発には、優れた技術だけでなく、信頼できる仲間が必要です。宇宙飛行士を安全に送り出し、科学的な成果を積み重ね、将来の世代へ新しい可能性を残す。そのために、両国が持つ知識と経験を結集していきます」
質疑応答に移ると、最初の質問は日本の特別な技術に集中した。
「今回の協定には、日本が保有する新技術のアメリカへの移転も含まれているのでしょうか」
高瀬は用意されていた回答に目を落とすことなく答えた。
「特別な装置については、日本側の管理のもとで、必要性と安全性を個別に検討します。内部の製造技術や設計情報を移転する合意ではありません」
「では、アメリカ側は装置の内部を確認できないまま、共同開発を進めることになるのですか」
今度はウォーカーが答えた。
「有人宇宙開発に必要な安全確認を省略することはありません。装置の内部構造が公開されない場合でも、運用上の安全性を検証する方法はあります。ただし、必要な安全性を確認できないものを使用することはありません」
別の記者が手を挙げた。
「日本の技術提供者との直接協議は行われたのでしょうか」
会場の視線が一斉にウォーカーへ集まった。
彼は表情を変えなかった。
「個別の非公開調整について、お答えすることは控えます。今回の協定は日米両政府の責任において締結されたものです。今後も正式な政府間の窓口を通じて協議を進めます」
事実を明かさず、虚偽も述べない。
ウォーカーが選んだのは、そういう答え方だった。
質問はさらに続いた。
共同開発する宇宙船の規模はどの程度になるのか。月面への有人探査を予定しているのか。建造場所は日本なのかアメリカなのか。いつ最初の飛行が実現するのか。
両首脳は、現時点で確定していない事項について具体的な数字を示さなかった。月面探査や将来の研究拠点は検討対象に含まれるが、実施計画はこれから専門家が策定するという説明にとどめた。
それでも、発表の意味は十分に大きかった。
日本が持つ従来の常識では説明しきれない技術と、アメリカが長年積み重ねてきた宇宙開発の経験。その二つを組み合わせた共同計画が、国家間の正式な協定として動き始めたのである。
会見終了後、両首脳は報道陣の前で握手を交わした。
「これからが本当の仕事ですね」
高瀬が小声で言うと、ウォーカーはうなずいた。
「ええ。署名は、まだ最初の一歩にすぎません」
その返答には、外交儀礼以上の実感がこもっていた。
ウォーカーは、自分だけが知る秘密を胸の奥にしまい込んだまま、カメラに向かって穏やかに微笑んだ。
◇
同じ日の夜、ウォーカーは日本滞在中に使用している執務用の部屋で、アメリカ側の情報機関に関する報告を確認していた。
日米協定の締結を受け、関係機関では日本の特別な技術について新たな分析需要が生じている。NASAは共同開発に必要な運用情報を求め、国防総省は未知の装置への依存を慎重に評価し、情報機関は公開情報と既存の調査資料を照合しようとしていた。
そのなかに、CIAのエリザベス・カーターが取りまとめた追加調査案があった。
日本の特別な技術提供者について、過去の関連事案、技術出現の時期、関係施設の動き、行政上の接点などを広く分析し、人物または組織の特定につながる情報を探るという内容だった。
カーターは、アメリカの安全保障上の不確実性を減らすために、調査を拡大する必要があると考えていた。
ウォーカーは報告書を最後まで読み、机に伏せた。
以前の自分なら、この提案を全面的に退けることはなかっただろう。
未知の技術を利用する相手について、可能な限り情報を集めようとするのは、情報機関として自然な判断だ。協力関係にある国が相手であっても、その必要性がなくなるわけではない。
しかし、今は事情が違う。
あの小さなペンギンは、何を守ろうとしていたのか。
ウォーカーが思い出したのは、厳しい口調そのものではなく、話の途中で何度も若い女性へ視線を向けていた姿だった。国家を相手に堂々と交渉していたのは、自分の力を誇示するためではない。隣にいる相手が、望まない争いに巻き込まれないようにするためだったのだろう。
ウォーカーは通信担当者に指示し、安全な回線を用意させた。
ほどなくして、ワシントンにいるカーターが接続された。
「大統領。お呼びでしょうか」
「追加調査案を読んだ。君が担当している日本の技術提供者に関する案件だ」
「はい。今回の協定によって、アメリカが未知の技術に依存する可能性が高まりました。提供元の性質を把握できないことは、長期的なリスクになると考えています」
「その分析は理解している」
ウォーカーは落ち着いた声で答えた。
「だが、調査方針を変更する。技術提供者の個人または組織の身元、所在、私生活上の関係を特定するための調査は、ここで停止してほしい」
回線の向こうで、短い沈黙が生まれた。
「……停止、ですか」
「そうだ。既に進めている関連作業も中断する。新たな照合、追跡、接触、第三者を通じた探索は認めない」
「理由を伺ってもよろしいでしょうか」
「外交上の判断だ」
カーターはすぐには返答しなかった。
「大統領、失礼ながら、提供元の情報が不足しているという評価は変わりません。将来的な供給停止や技術上の問題が起きた場合、我々の対応が後手に回る可能性があります」
「それについては、別の方法で備える」
ウォーカーは報告書の隣に置かれた協定文書を見た。
「共同開発に必要な安全情報は、正式な窓口を通じて求めればいい。供給に不確実性があるなら、それを前提に計画を立てる。身元を探り当てることが、すべての問題の解決につながるわけではない」
「提供者が個人なのか、組織なのかも不明な状態です。それでも調査を止めるということでしょうか」
「そのとおりだ」
ウォーカーの答えに迷いはなかった。
「ただし、通常の公開情報に基づく技術動向の分析や、協定に関係する安全保障上の一般的な評価まで禁止するものではない。停止するのは、提供者を特定し、その私生活や所在へ近づこうとする活動だ。調査の目的を明確に区別してほしい」
カーターは、命令の範囲を確認するように繰り返した。
「技術そのものの外部評価は継続。提供者の身元特定に向けた調査は停止。既存の調査資料は保全し、新規の探索は行わない。これでよろしいでしょうか」
「そうだ。関係部署にも徹底してほしい」
「承知しました」
職務上の返答は明確だったが、カーターが納得したわけではないことは、その声からも分かった。
「大統領。最後に一点だけ。日本側から何らかの条件が提示されたのでしょうか」
ウォーカーは一瞬、答える言葉を選んだ。
「今回の判断は私の責任で行う。必要な範囲を超えて理由を共有するつもりはない」
「分かりました。指示に従います」
通信が切れた。
カーターは大統領の命令を受け、関連部署に探索停止の指示を伝えることになる。そこに技術提供者の姿や名前が付け加えられることはなく、そもそもウォーカー自身も、あの若い女性の名前を知らなかった。
大統領は椅子の背にもたれ、しばらく天井を見上げた。
情報機関の調査を止めるだけで、すべての問題が解決するわけではない。今後、共同開発が具体化すれば、装置の安全性や供給の継続性をめぐって新たな疑問が生じるだろう。
そのときは、協定に定めた手順で向き合うしかない。
少なくとも、相手の秘密を暴くことを最初の選択肢にしてはならない。
ウォーカーは机の上の協定文書を手に取った。
日本とアメリカの名前が並んだ署名欄を眺めているうちに、ふと、昼間の会見で高瀬が口にした言葉が思い浮かんだ。
これからが本当の仕事。
まったく、そのとおりだと思った。
国家同士が協力するということは、互いに持っているものをすべて差し出すという意味ではない。知らないことが残っていても、守るべき境界を尊重しながら、共通の目的へ進んでいくことはできる。
少なくとも、今日の合意はその可能性を示していた。
ウォーカーは書類を閉じ、翌日以降の予定表を開いた。
そこにはNASAとJAXAの共同作業開始に向けた調整、技術者同士の初期協議、計画全体の予算検討など、いくつもの項目が並んでいる。
まだ宇宙船の形さえ決まっていない。
乗員も、目的地も、出発の日も、具体的には何一つ確定していなかった。
それでも、昨日まで存在しなかった共同事業が、今日から正式に動き始めている。
窓の向こうには東京の夜景が広がっていた。
ウォーカーはしばらくその光を眺めてから、次の書類へ手を伸ばした。




