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うちのぺんぎんが日本政府と交渉している件  作者: むぎちゃ
第4章 小さな奇跡と星への第一歩
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第68話 大統領からの打診

 首相官邸に届けられた一通の外交文書は、通常の首脳外交に関する連絡として処理するには、あまりにも大きな意味を持っていた。


 アメリカ合衆国大統領、リチャード・ウォーカー。


 世界最大級の経済力と軍事力を持つ国家の最高指導者が、日本への公式訪問を希望している。形式だけを見れば、同盟国の首脳同士が直接意見を交わす、ごく一般的な外交日程の調整だった。


 しかし、今回の訪日打診には、従来の日米関係とは異なる事情があった。


 日本が相次いで実用化した、既存の科学技術では説明できないほど高度な技術である。


 家庭用冷蔵庫ほどの大きさで大規模な発電を可能にする超小型核融合炉。あらゆる種類のがんを短時間で治療できる医療技術。そして、それらを日本国内で安定して供給するための、外部から解析も複製もできない特殊な製造設備。


 これらの技術は、エネルギー政策と医療制度だけでなく、国家間の力関係そのものに影響を与え始めていた。


 日本政府は技術の安全性と利用条件について必要な情報を公開していたが、核心部分の設計情報や製造原理については一貫して非公開を維持している。アメリカを含む同盟国に対しても、その方針に例外は設けられていなかった。


 そして、技術の提供元について日本政府が明らかにしている情報は、さらに少ない。


 それが今回の訪日打診と無関係であるはずがないことを、高瀬隆一は十分に理解していた。


 午後の首相執務室には、紙をめくる小さな音だけが響いていた。


 高瀬は机上に置かれた資料を最後まで読み終えると、眼鏡を外して傍らに置き、向かいに座る三浦誠司へ視線を向けた。


「ウォーカー大統領が、直接日本へ来たいということか」


「はい。アメリカ大使館を通じた正式な打診です。具体的な日程については、双方の外交当局で調整する用意があるとのことです」


 三浦は手元の資料を開き、先方から伝えられた訪問目的を確認した。


「表向きの議題は、日米同盟の強化、経済安全保障、エネルギー分野での協力、先端科学技術に関する政策協議です。ただし、事前の外交ルートでは、宇宙開発についても踏み込んだ意見交換を希望していると伝えられています」


「宇宙開発か」


「ええ。NASAとJAXAの協力関係を、これまでより大幅に拡大したいという意向です。月面探査や長期滞在技術も、協議の対象として挙げられています」


 高瀬は椅子の背に体重を預け、しばらく考え込んだ。


 宇宙開発に関する日米協力自体は新しい話ではない。日本は長年にわたり、国際宇宙ステーションや月探査計画などを通じてアメリカと協力してきた。科学的な成果を共有し、開発費用や技術的な負担を分担することは、双方に利益のある政策だった。


 だが、現在の日本には、その協力関係の意味を根本から変えかねない技術が存在している。


 核融合炉の小型化は、宇宙空間での長期的な電力供給に新たな可能性をもたらす。既存の推進方式とは異なる技術が実現すれば、地球と月の間を往復するための時間や費用も大きく変わるだろう。


 もっとも、政府が保有する核融合炉の存在と、宇宙船に必要な推進技術の確保は別問題だった。前者が実現しているからといって、後者まで自由に利用できるわけではない。


「アメリカは、我々がまだ公表していない技術の存在まで期待しているのだろうね」


「その可能性は高いと思われます。先方は直接的な要求を避けていますが、現在の日本の技術水準を考えれば、宇宙開発への応用を検討しない理由がありません」


「それ自体は自然な発想だ。しかし、問題は何を期待しているかだな」


 三浦は頷いた。


 日本政府が実用化した技術のうち、従来の研究開発の延長として説明できるものは、ほとんど存在しない。


 国際社会では、その開発経緯をめぐってさまざまな推測が飛び交っていた。極秘研究の成果だという説もあれば、まったく新しい物理理論が確立されたのではないかという見方もある。


 しかし、少なくとも日本政府が公表した情報だけでは、どの説も裏付けることはできなかった。


 アメリカの情報機関が独自に調査を進めていることも、日本側は当然想定している。今回の訪日が、科学技術協力という名目の下で、非公開情報への接近を図る機会になる可能性は否定できない。


「アメリカ側から、技術移転に関する具体的な要望は出ているのかね」


「現時点ではありません。ですが、エネルギー分野の協力については、これまでにも複数の提案を受けています。共同研究、米国内での設備運用、関連する技術者の交流などです」


「いずれも、通常の技術なら歓迎すべき提案だ」


「はい。通常の技術であれば、ですが」


 三浦の返答に、高瀬はわずかに苦笑した。


 そこが難しいところだった。


 日本が保有する超技術は、政府が長年の研究開発によって独自に完成させたものではない。日本政府には運用や供給について一定の権限があるものの、核心技術を自由に処分する権利まで認められているわけではなかった。


 提供者との協力関係は、相互の合意を前提として成立している。


 その関係を損なえば、日本政府自身が新たな技術を受け取れなくなる可能性もある。


 しかも、その懸念は単なる想像ではなかった。


 政府は過去に、協力条件に反する調査を行い、提供者側との信頼を損ねた経験がある。高瀬と三浦は、その後の謝罪と関係修復にどれほど慎重な対応を要したかを忘れていなかった。


 だからこそ、アメリカとの協議で不用意な約束をすることはできない。


「三浦君。今回の訪問について、基本的には前向きに受け止めたいと思う」


「私も同意見です。訪問そのものを拒む合理的な理由はありません。むしろ、日米間で認識の違いが広がる前に、首脳同士が直接話す機会を設けることには意味があります」


「ただし、技術については慎重に扱う必要がある」


「はい。アメリカがどのような提案をしてくるにせよ、我々だけで決められる範囲を明確にしておくべきです」


 高瀬は机の上の資料へ視線を戻した。


 今回の訪日打診に対して、日本が示すべき態度は比較的明確だった。


 日米同盟を重視する姿勢は変わらない。宇宙開発についても、双方の研究機関や産業界に利益があるなら協力を検討する価値がある。


 しかし、技術の核心部分を提供することと、共同研究に参加することは同じではない。


 さらに言えば、日本政府が技術提供者に対して、アメリカの要求を受け入れるよう命令することもできない。


「一つ、確認しておきたい」


 高瀬が静かに口を開いた。


「アメリカは今回、我々と交渉するつもりなのだろうか。それとも、我々を通じて、その先にいる誰かと交渉するつもりなのだろうか」


 三浦はすぐには答えなかった。


 外交上、訪日する大統領の交渉相手は日本の総理大臣である。それは疑いようがない。


 だが、アメリカが本当に求めているものが、日本政府だけでは提供を決められない技術であるなら、交渉の構造は複雑になる。


「現段階では、先方の意図を断定できません。ただ、どちらであっても対応できる準備は必要かと思います」


「そうだね。相手が同盟国だからこそ、曖昧な説明で期待を持たせるべきではない」


 三浦は手帳に短く書き込んだ。


 アメリカとの関係を悪化させることは、日本の利益にならない。一方で、技術提供者との関係を犠牲にしてまでアメリカの要望に応じることも、長期的には国家の利益を損なう。


 双方の信頼を維持しながら、どこまで協力できるか。


 それが今回の外交交渉における、最も重要な課題になるだろう。


「外務省には、訪日を歓迎する方向で回答するよう伝えてくれたまえ。具体的な日程と議題は、先方の希望を確認しながら調整する」


「承知しました」


「それから、宇宙開発に関する政府内の資料も整理しておいてほしい。既存の国際協力の枠組み、JAXAの研究計画、予算上の制約、それぞれを確認したい」


「関係省庁に準備を指示します。技術提供者との協力条件についても、改めて確認しておきます」


「うん。ただ、今すぐ新しい協力を求める必要はない。まずはアメリカが何を望んでいるのか、正確に把握することが先だ」


 高瀬は立ち上がり、窓の外へ目を向けた。


 官邸の周囲には、いつもと変わらない東京の街並みが広がっている。道路を走る車も、行き交う人々も、これから日米両政府の間で始まる協議が、自分たちの未来にどれほど大きな影響を与える可能性を持つのか、知る由もない。


 かつて日本は、先端技術の多くについて、アメリカとの協力を必要としてきた。


 今もその関係は重要であり、アメリカの科学技術力や産業基盤が世界有数であることに変わりはない。


 しかし、今回の交渉では、日本側が従来とは異なる立場に置かれている。


 アメリカが欲している技術を、日本はすでに保有している。


 そして、その技術をどこまで共有するかについて、アメリカが一方的に決めることはできない。


「……時代が変わったということなのだろうね」


 高瀬の呟きに、三浦は書類を閉じながら答えた。


「少なくとも、以前と同じ前提で交渉できる状況ではなくなりました」


「だからといって、こちらが優位に立ったつもりで振る舞うのも危険だ。アメリカは依然として、我々にとって最も重要な同盟国の一つだからね」


「はい。互いに必要としているものがある以上、対立より協力を目指すべきだと思います」


 高瀬は頷いた。


 相手が何を要求してくるのかは、まだ分からない。だが、世界最大の大国が大統領自ら日本を訪れようとしている事実は、それだけで現在の日本が置かれた立場を物語っていた。


 外交文書に記された丁寧な言葉の向こうに、どのような国家戦略が隠されているのか。


 それを見極めるための準備が、静かに始まろうとしていた。


⸻


 同じ頃、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.では、ホワイトハウス西棟の一室で、別の議論が行われていた。


 リチャード・ウォーカー大統領は、執務机の前に置かれた複数の資料を眺めていた。


 六十二歳になるウォーカーは、政治家として長い経験を持つ現実主義者だった。外交において強硬な姿勢を示すこともあれば、相手の利益を認めて妥協点を探ることもある。彼にとって重要なのは、交渉の過程でどれほど威厳を示したかではなく、最終的にアメリカが何を得られたかという結果だった。


 その大統領の前には、国務長官キャサリン・モーガンと、国防長官ジョナサン・リードが座っている。


 モーガンは五十五歳。国際関係の調整に長け、同盟国との協力を重視する外交官出身の政治家だった。一方、六十歳のリードは安全保障を最優先し、国家の技術的優位性が失われることを強く警戒している。


 二人の立場は異なるが、今回の議題がアメリカにとって重要であるという認識は一致していた。


「日本側への打診は済んだのだな」


 ウォーカーが尋ねると、モーガンが答えた。


「はい、大統領。正式な外交ルートを通じて訪日希望を伝えています。日本政府からの回答はまだですが、これまでの反応を見る限り、訪問そのものが拒否される可能性は低いと考えています」


「当然だろう。我々は同盟国だ。首脳同士が会うこと自体に、特別な理由は必要ない」


 ウォーカーはそう言って資料を一枚めくった。


 そこには、日本が公表した超小型核融合炉の概要が記されていた。


 従来の発電設備とは比較にならないほど小型でありながら、十メガワット級の出力を持つ装置。その性能はすでに日本国内で検証され、実際の電力供給にも利用されている。


 アメリカの研究機関は、公開されたデータを何度も分析していた。


 結果は変わらなかった。


 現在の科学技術の延長では、同等の装置を短期間で実現することは困難である。


 しかも、日本が保有する技術は核融合炉だけではない。医療分野で実用化された治療技術も、従来の常識を大きく覆していた。


 それらが一つの国から相次いで登場した事実は、アメリカの政策担当者に新しい問題を突きつけている。


 日本は、どこまで進んでいるのか。


 そして、アメリカはその変化にどう対応するべきなのか。


「大統領、率直に申し上げます」


 リードが口を開いた。


「我々は日本の技術について、十分な情報を持っていません。公開された性能は確認できても、装置の内部構造や製造工程は依然として不明です。安全保障上、この状況を長期間放置することは好ましくありません」


「日本が我々に技術を渡さないことが問題だと言いたいのかね」


「少なくとも、同盟国として共有できる情報が限定されすぎています。日本が意図的にアメリカを排除しているとは考えていませんが、技術格差が拡大すれば、将来の共同作戦や装備開発にも影響します」


 ウォーカーは返答せず、続きを促した。


「核融合炉そのものが軍事転用できないとしても、それによって日本のエネルギー供給や産業基盤が変化することは確実です。医療技術についても同様です。国家の総合的な能力が変われば、安全保障環境も変わります」


「つまり、日本が強くなることを警戒しているわけか」


「日本が敵対国になると考えているわけではありません。しかし、同盟国であっても、将来の利害が常に一致するとは限りません」


 リードの発言は、国防を担当する立場としては自然なものだった。


 ウォーカーもそれを否定しなかった。


 国家間の関係は、個人の友情とは異なる。現在の協力関係が良好だからといって、将来にわたってすべての利益が一致する保証はない。


 ただし、だからといって日本を脅して技術を奪うような発想が、現実的な政策になるわけでもなかった。


「ジョナサン。君の懸念は理解している。しかし、我々が忘れてはならないことがある」


「何でしょうか」


「日本は我々の敵ではない。そして、今の日本に対して強引な圧力をかければ、得られるものより失うものの方が大きくなる可能性がある」


 リードは表情を変えなかったが、反論もしなかった。


 ウォーカーは視線をモーガンへ移した。


「外交面ではどう見ている?」


「日本は現在、自国の技術を国際社会に提供する一方で、核心部分については非常に慎重な姿勢を維持しています。少なくとも公開情報から判断する限り、技術の独占そのものを目的としているわけではありません」


「そうだな。完成した製品や医療サービスについては、国外への提供も行っている」


「はい。ただし、製造設備や設計情報を国外へ移転することには応じていません。これはアメリカだけに対する措置ではなく、各国に共通する方針です」


「その方針を変えさせることはできると思うかね」


 モーガンは少し考えてから答えた。


「簡単ではありません。日本側が核心技術を非公開にしている理由を、我々は十分に把握できていません。単なる産業政策であれば経済的な利益を提示する方法がありますが、別の制約が存在するなら、同じ交渉手段が通用するとは限りません」


 ウォーカーは小さく頷いた。


 日本が技術を隠している理由について、アメリカ政府内には複数の見方が存在している。


 独占的な経済利益を守るためという説。安全保障上の理由から流出を防いでいるという説。技術の特殊性ゆえに、そもそも国外での製造が困難なのではないかという説。


 さらに、公開されていない研究組織や開発主体が存在する可能性も検討されていた。


 しかし、どの見方にも決定的な証拠はなかった。


 情報機関の分析能力が高いことと、存在しない情報を手に入れられることは別である。


「日本の技術開発体制について、何か新しい報告は?」


「決定的なものはありません」


 モーガンが答えた。


「公開された研究成果と、過去の日本の技術開発状況との間には大きな隔たりがあります。ですが、核心部分に関わる研究者や施設を特定できたという報告は受けていません」


「それなら、憶測を事実として扱うべきではないな」


 ウォーカーは資料を閉じた。


 彼は情報の不足を嫌っていたが、確証のない推測を基に国家の方針を決めることは、それ以上に危険だと考えていた。


 現時点で分かっているのは、日本が常識外れの技術を実用化し、その核心部分を厳重に管理しているということだけだ。


 それでも、アメリカが何もしないという選択肢はない。


 世界の技術的な中心が変化し始めているなら、その変化に適応しなければならない。


 ウォーカーは机の引き出しから別の資料を取り出した。


 表紙には、NASAがまとめた月面探査と長期滞在計画に関する検討資料であることが記されている。


「宇宙開発については、どうだろう」


 大統領の問いに、モーガンが姿勢を正した。


「日本との共同計画を拡大する余地は十分にあります。NASAとJAXAには長年の協力実績があり、研究者同士の信頼関係も構築されています。政治的な協議さえ整えば、共同開発の枠組みを拡大すること自体は可能でしょう」


「問題は、何を開発するかだな」


「はい。現在の技術でも月面探査は可能ですが、長期的な拠点運営には輸送費用、電力供給、物資の補給、乗員の安全確保など、多くの課題が残されています」


 ウォーカーは資料に掲載された月面施設の構想図を眺めた。


 居住モジュール、発電設備、通信施設、探査車両。そこに描かれた設備の多くは、現代の技術でも実現を目指せるものだった。


 しかし、すべてを月へ運び、長期間維持するためには、膨大な費用と継続的な補給が必要になる。


 地球上であれば簡単に交換できる部品も、月面では一つの故障が重大な問題につながる。


 水や酸素の再生技術が進歩しても、完全に補給が不要になるわけではない。乗員の健康管理や放射線対策にも、解決すべき課題が残されている。


 もし日本の新技術を宇宙開発に応用できるなら、それらの問題の一部は大幅に軽減される可能性があった。


「核融合炉だけでも、長期滞在施設の電力供給に大きな変化をもたらすでしょう」


 モーガンが説明を続けた。


「ただし、装置を月面へ輸送する手段や、現地での運用体制は別途必要です。日本がすでに保有する技術だけで、宇宙開発のすべてが解決するわけではありません」


「だからこそ、共同開発に意味がある」


 ウォーカーは構想図の一角を指で示した。


「アメリカには宇宙開発の経験がある。NASAには長年蓄積してきた技術と人材がいる。日本にも優れた研究者がいる。そして今、日本は我々が持っていない技術を保有している」


「互いの強みを持ち寄る、ということですね」


「その通りだ。日本の技術だけを手に入れても、我々が宇宙開発の主導権を維持できるとは限らない。むしろ、共同計画に参加し、開発と運用の両方に深く関与する方が、長期的な利益につながる」


 リードが腕を組んだ。


「ただし、共同計画の中で核心技術を日本側だけが管理するとなれば、アメリカの安全保障上の懸念は残ります」


「もちろんだ。だから、その条件についても交渉する」


 ウォーカーの返答は迷いがなかった。


「最初から日本の条件をすべて受け入れるつもりはない。共同開発の費用や責任を分担する以上、アメリカにも相応の権利が必要だ」


「運用権限、技術情報へのアクセス、共同施設の管理体制などでしょうか」


「それだけではない。研究成果の利用範囲や、将来の計画における意思決定権も重要になる。日本が何を提供できるのか、我々が何を負担するのか、その全体を交渉の対象にするべきだ」


 モーガンは手元の資料に目を落とした。


 アメリカが宇宙開発に関する協力を求めることには、十分な合理性がある。


 日本側にとっても、NASAの研究開発能力や宇宙飛行士の育成経験、長期的な宇宙計画を支える産業基盤は魅力的なはずだった。


 しかし、その協力がどこまで成立するかは、技術の取り扱いに関する双方の認識次第である。


 日本が核心技術の移転を拒むなら、アメリカは完成品を利用する立場にとどまる可能性がある。


 それを受け入れて共同計画を進めるのか。それとも、より広い権限を求めて交渉を続けるのか。


 いずれにせよ、政治的な判断が必要だった。


「大統領、一点だけ申し上げてもよろしいでしょうか」


 モーガンが慎重に切り出した。


「日本側は、これまで技術の核心部分について一貫した方針を維持しています。首脳会談だからといって、その姿勢が簡単に変わるとは考えにくいでしょう」


「分かっている」


「交渉の進め方を誤れば、宇宙開発に関する協力そのものが難しくなる可能性もあります」


 ウォーカーはモーガンを見た。


「君は、技術移転を要求するべきではないと考えているのかね」


「いいえ。要求すること自体に問題はありません。ただし、それが実現しなかった場合でも、共同開発の道を閉ざさないようにする必要があります」


「賢明な考えだ」


 ウォーカーは椅子から立ち上がり、窓際へ歩いた。


 ホワイトハウスの庭園には、穏やかな午後の日差しが降り注いでいる。


 世界中の人々が日本の新技術に注目している今、アメリカ大統領が日本を訪問するというだけで、国際社会にはさまざまな憶測が広がるだろう。


 日本との関係強化を歓迎する声もあれば、アメリカが技術的な主導権を失いつつある証拠だと論じる者も現れるはずだ。


 だが、ウォーカーはそうした評価に必要以上の関心を向けていなかった。


 重要なのは、今後の十年、二十年にわたり、アメリカがどのような立場を確保できるかである。


 かつて宇宙開発は、大国同士の競争を象徴する分野だった。


 人類を月へ送り込むことは、科学的な挑戦であると同時に、国家の技術力と威信を示す行為でもあった。


 しかし、今の世界で同じ競争を繰り返す必要があるとは限らない。


 日本が持つ技術と、アメリカが積み重ねてきた宇宙開発の経験を組み合わせれば、これまでの計画を大きく超える成果が得られるかもしれない。


 それはアメリカにとって、無視できない機会だった。


「キャサリン。訪日の準備を進めてくれ」


「承知しました。日本側の回答を待ちながら、外交日程と協議事項の調整を進めます」


「NASAにも、共同開発に関する検討を続けさせてほしい。実現可能性を過大評価する必要はないが、従来の前提だけに縛られるべきでもない」


「分かりました」


「ジョナサン。安全保障上の論点を整理してくれ。ただし、最初から日本を警戒対象として扱うような資料にはしないことだ。我々が目指しているのは同盟の強化であって、対立ではない」


「了解しました、大統領」


 二人がそれぞれの資料をまとめ始めたところで、ウォーカーは再び口を開いた。


「最後に、今回の訪日について、私の考えを明確にしておこう」


 その言葉に、モーガンとリードが顔を上げた。


 ウォーカーは執務机へ戻り、月面探査計画の資料と、日本の超技術に関する報告書を並べて置いた。


 どちらも、アメリカの未来に関わる重要な資料だった。


 そして彼にとって、この二つは決して別々の問題ではなかった。


「今回、日本へ行く目的は二つある」


 ウォーカーはまず、月面探査計画の資料に手を置いた。


「第一に、日本との共同宇宙開発を実現することだ。NASAとJAXAの能力を結集し、これまでの延長ではない、新しい宇宙開発計画を立ち上げる。月への継続的な進出を視野に入れた、両国にとって利益のある協力関係を築きたい」


 続いて、隣の報告書へ視線を移した。


「そして第二に、日本が保有する核心技術について、可能な限りの譲歩を引き出すことだ。技術情報へのアクセス、利用権限、共同管理の範囲。何を認めさせられるかは交渉次第だが、最初から要求を控えるつもりはない」


 モーガンは静かに頷き、リードも大統領の意図を理解したようだった。


 ウォーカーは二人を順に見渡した。


「日本は重要な同盟国だ。だからこそ、協力できるところでは最大限に協力する。しかし、アメリカの国益を守るために必要な交渉まで遠慮する理由はない」


 そして、机の上に並んだ二つの資料を指先で軽く叩いた。


「宇宙開発で新しい時代を切り開く。そのうえで、日本の核心技術についても、我々が得られる最大限の譲歩を引き出す。今回の訪日は、その二つを実現するためのものだ」

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