第45話 地下へ運ばれた炉
中国国内で初めて『ぺんぎんぽかぽか炉』が送電を開始してから、十日が経過していた。
地方の産業用電力供給施設に設置された二台の核融合炉は、いずれも日本から正式な手続きを経て輸入されたものである。一台は既に電力網へ接続され、周辺の工業団地へ安定した電力を送り続けていた。もう一台も据え付けと接続検査を終え、追加の確認作業が進められている。
家庭用冷蔵庫ほどの大きさしかない装置が、一台で一万キロワット級の電力を生み出す。その事実は中国の技術者たちにも強い衝撃を与えたが、政府上層部の一部は、まったく別の可能性に目を向けていた。
北京の軍関連施設。その地下に設けられた会議室では、壁面の大型画面に一枚の航空写真が映し出されていた。
山間部の地形を示すその写真には、道路や一般の建物に紛れるようにして、いくつかの施設が配置されている。画面上には民間の研究施設を思わせる名称が表示されていたが、実際には人民解放軍が管理する地下施設だった。
「現在、この施設では複数系統の外部電源を使用している。しかし、非常時の継続運用能力には改善の余地がある」
会議の上座に座る劉振宇が、資料から顔を上げた。
五十五歳。人民解放軍の上級幹部である劉は、無駄な動きを嫌う男だった。軍服の襟元は隙なく整えられ、発言のたびに周囲の反応を確かめるような仕草もない。
「燃料補給を必要とせず、小型でありながら大きな出力を得られる。日本が提供した装置は、我々が長年求めていた電源に近い」
正面の席に座る将校が頷いた。
「地下施設への搬入も可能です。寸法上の問題はありません。既存の発電設備をすべて置き換える必要もなく、独立した電源として運用できます」
「運用上の制約は?」
「日本との協定では、登録された民生施設以外への移設には事前承認が必要です。また、軍事目的での使用は禁止されています」
将校がそこまで説明したところで、劉は片手をわずかに上げた。
「協定の文面は承知している。聞いているのは、装置そのものが動くかどうかだ」
室内に短い沈黙が生まれた。
その問いに答えるために呼ばれていたのが、核融合技術研究者の陳文博だった。
四十六歳の陳は、中国に到着した核融合炉の受領検査にも立ち会っている。日本側技術者の説明を受け、運用手順を確認し、実際に装置が電力を生み出す瞬間を見届けた人物である。
だが、彼の前に置かれた資料は、通常の技術検討会議で使うものではなかった。
「結論から申し上げます。私は移設に反対です」
陳が明確に答えると、劉の隣にいた将校が眉を動かした。
「技術的な不可能を確認したのか?」
「不可能だと確認したわけではありません。そもそも、軍事用途で運転できるかどうかを試験する権限がありません」
「権限の話ではない。技術者として答えてほしい」
「技術者として答えています」
陳は語気を荒らげなかった。むしろ、普段より慎重に言葉を選んでいた。
「日本側は、装置の内部構造を公開していません。私たちが把握しているのは、正規運用に必要な操作方法と、外部から確認できる性能です。軍事利用を検知した場合に保護機能が作動することも、契約書と運用資料に明記されています」
「つまり、日本側の説明を信じろということか」
「説明を無視できるだけの根拠がない、ということです」
陳は手元の端末を操作し、運用資料の一節を画面に表示した。
軍事施設への搬入、登録用途からの逸脱、許可されていない運用条件。いずれも禁止事項として記載されている。さらに、保護機能が作動した場合には装置が安全停止し、通常の運用者による再起動が制限される可能性も示されていた。
「日本側の説明が正しければ、施設へ運び込んでも使えません。それどころか、運転中に停止すれば、装置を元の場所へ戻しても復旧できないおそれがあります」
劉は画面に目を向けたまま、しばらく答えなかった。
やがて、静かに口を開く。
「君は、その保護機能が本当に存在すると考えているのか」
「存在すると考えて対応すべきです」
「内部を調べてもいないのに?」
「調べること自体が禁止されています。それに、調べれば分かるという保証もありません」
陳は言葉を区切り、続けた。
「この装置は、私たちが知っている核融合技術の延長線上にありません。日本の研究者ですら核心部分を説明していない。未知の装置に対して、こちらの常識だけを根拠に安全だと判断することはできません」
軍の技術担当者が資料をめくった。
「ただし、受領後の検査では、外部からの制御信号による異常な動作は確認されていません。日本側が継続的に装置を監視している証拠もありません」
「それは別の問題です」
陳はすぐに応じた。
「遠隔監視されていないことと、装置自身が運用条件を判定できないことは同じではありません。内部にどのような保護機構があるのか、私たちは知りません」
「軍事施設だとどうやって判断する?」
「分かりません。位置情報なのか、接続先の設備なのか、運用状態なのか。複数の条件を組み合わせている可能性もあります。だからこそ試すべきではないと言っています」
劉はようやく陳へ視線を移した。
「我々が求めているのは兵器の製造ではない。施設の電力を安定させることだ。発電装置の使い道として、それほど特殊な要求かね」
「発電という行為自体は特殊ではありません。しかし、軍の地下施設に電力を供給するのであれば、契約上は明確な軍事利用です」
「契約を結んだのは国家だ。そして、国家の安全保障を守るのも国家の責任だ」
その言葉に反論する将校はいなかった。
陳は、目の前の人物が契約の意味を理解していないわけではないと悟った。劉は制限を知らずに判断しようとしているのではない。制限を知ったうえで、それを超える価値があると考えているのだ。
「仮に失敗すれば、失うのは装置だけではありません」
陳は最後に、別の角度から説明を試みた。
「中国に供給された核融合炉は二台です。そのうち一台を停止させれば、初期導入の半分を失うことになります。日本側に通常故障として修理を依頼しても、保護機能が作動した場合の対応は保証されていません。運用記録との食い違いが生じれば、契約上の問題にも発展します」
「失敗を前提にした議論は十分だ」
劉の声は低かったが、会議を終わらせるにはそれで足りた。
「装置は分解しない。内部にも手を加えない。まず移設して、既存設備との接続を検討する。技術的な危険が確認されれば、その時点で判断する」
「接続を試みた時点で手遅れになる可能性があります」
「君の意見は記録に残す」
劉はそう告げ、隣の将校に視線を向けた。
「移送計画を進めろ。対象は現在稼働している一台だ。もう一台は登録施設に残し、通常の運用を継続させる」
陳は思わず顔を上げた。
「稼働中の装置を選ぶのですか?」
「既に運転実績がある。接続系統から切り離す手順も確認されているはずだ」
「工業団地への供給はどうするのです」
「既存の電源系統へ切り替える。予備の供給能力があることは確認済みだ」
民生側の電力供給を維持する準備が進められていたことに、陳はわずかな安堵を覚えた。しかし、それは今回の判断が安全であることを意味しない。
「移設先を日本側へ申請しなければ、正式な運用計画と一致しなくなります」
「申請はしない」
劉は迷わず答えた。
「必要な範囲で国内の関係機関に調整させる。輸送経路、作業員、記録の取り扱いについては軍が管理する」
会議室の空気が、そこで決定的に変わった。
もはや技術的な可否を検討しているのではない。移設することは決まり、その実行方法を詰める段階に入ったのだ。
陳は机上の資料へ目を落とした。
日本から届いた運用手引きの表紙には、どこか場違いなほど愛嬌のある名前が印刷されている。
ぺんぎんぽかぽか炉。
その名前を最初に見たとき、彼は冗談かと思った。ところが、実物を前にすると笑う気にはなれなかった。小さな筐体の内部で何が起きているのか理解できないまま、計器には現実離れした出力が表示されていたからだ。
そして今、その装置を理解できていないことが、誰にも止められない危険になろうとしていた。
*
移送が行われたのは、それから四日後の深夜だった。
登録済みの産業用電力供給施設では、日中から切り替え作業が進められていた。周辺の工業団地には、定期点検に伴う一時的な電源構成の変更として連絡が出され、核融合炉からの供給は既存の電力網へ切り替えられている。
現場の技術者に伝えられたのは、装置を停止し、指定された輸送容器へ収めるという作業指示だけだった。
日本側の正規手順に従って装置の出力を落とし、送電系統から切り離す。表示器が停止状態を示したあと、外部接続が順番に解除された。
作業自体は特別に難しいものではない。日本から輸送されてきた際も、核融合炉は同じように停止した状態で運ばれていた。
ただし、今回の移送先は日本政府に登録された施設ではなかった。
敷地内の搬出口には、所属を示す表示のない大型輸送車両が待機している。作業を監督する軍の担当者は、民間技術者たちが装置を輸送容器へ固定すると、書類の確認を済ませて速やかに車両を出発させた。
その一連の作業を、陳文博は施設の管理棟から見守っていた。
彼は輸送計画の責任者ではない。それでも、核融合炉の扱いを理解している人間が必要だという理由で、作業への立ち会いを命じられていた。
「先生、積載は完了しました」
若い技術者が報告に来た。
「固定状態に異常はありません。輸送中の衝撃についても、日本側の基準を超えないように管理すると聞いています」
「そうですか」
陳は窓の外へ目を向けた。
輸送車両の後部扉が閉じられ、警備車両が前後につく。やがて列をなした車両が門を抜け、夜の道路へ消えていった。
「移送先は、まだ教えていただけないんですか」
技術者の問いに、陳は答えなかった。
正確には、答えられなかった。
場所は知らされている。しかし、それを説明できる相手は限られている。若い技術者は正規の点検作業だと信じており、装置が軍の地下施設へ運ばれているとは考えてもいないだろう。
「明日からの運転計画は?」
「残りの一台について、予定どおり確認を進めます。こちらは登録された施設での作業ですから、日本側に提出した手順に変更はありません」
「それなら、そちらを優先してください」
陳がそう答えると、技術者は頷いて部屋を出ていった。
一台だけでも、正規の用途で運用され続けてほしい。
そんな考えが頭をよぎったことに、陳は苦い気持ちになった。本来なら二台ともそうあるべきだったからだ。
輸送車両は都市部を離れ、幹線道路から山間の管理道路へ進んだ。
途中の検問では事前に用意された許可証が提示され、一般車両の立ち入りが制限された区域へ入る。道路はやがて山肌に沿って曲がり、外からは倉庫のように見える建物の前で終わった。
建物の奥には、大型車両が通行できる地下搬入路が設けられている。
核融合炉を積んだ車両がそこへ進入すると、背後の扉が閉じられた。地上から差し込んでいた夜の光が遮られ、白い照明に照らされた通路だけが前方へ続く。
地下施設の内部では、数日前から受け入れ準備が行われていた。
電源室には新たな設置台が用意され、既存の配電設備から独立した試験用の接続系統が設けられている。核融合炉の出力を施設全体へ直接流すのではなく、まず限定された負荷へ供給し、段階的に使用範囲を広げる計画だった。
しかし、その試験用負荷も、施設の軍事設備を支える電源系統の一部である。
軍の担当者は装置を設置台へ運び、輸送容器を取り外した。
白い筐体には目立った傷ひとつない。外観だけを見れば、民生施設に据え付けられていたときと何も変わらなかった。
「想像していたより小さいな」
立ち会った将校が感想を漏らした。
「これが一万キロワットを生み出すのか」
「正規の運転条件では、その出力を確認しています」
陳は必要な範囲で答えた。
彼も移送先へ同行するよう命じられていた。装置の内部に触れることは認められていないが、正規の運転手順を理解している技術者として、その場にいることを求められたのである。
将校は筐体の周囲を歩き、外部接続部を眺めた。
「外装を開ける必要はないんだな」
「ありません。開けてはいけません」
「接続するだけでいい?」
「通常の設備であれば、指定された手順で接続します。ただし、ここでは運転条件が満たされていません」
陳が強調すると、将校は苦笑した。
「先生、その話は上に伝わっている。今夜は実際に動くかどうかを確かめるだけだ」
「それを確かめること自体が、最も危険だと言っているんです」
「危険といっても、爆発するわけではないんだろう?」
「日本側の資料では、保護機能が安全に停止させるとされています。ですが、それは再使用できるという意味ではありません」
将校は少し考えたあと、別の担当者へ接続作業の準備を指示した。
陳はそれ以上、同じ説明を繰り返さなかった。
聞き入れられない警告を重ねても、装置の扱いが慎重になるわけではない。彼にできるのは、少なくとも禁止されている分解や改造に手を出させず、運転開始前の外部検査だけは省略させないことだった。
電源室では、複数の技術者が配線と保護設備の確認を進めた。
接続するケーブルは装置の正規端子に適合するものが使われ、外部の変圧設備や遮断器にも異常は見つからない。温度、湿度、振動などの環境条件も、資料に記載された範囲に収まっていた。
機械的には、正常に運転できるように見えた。
それがかえって、陳を不安にさせた。
装置の外側をどれほど丁寧に調べても、最も重要な条件だけが満たされていない。
ここは軍事施設なのだ。
*
翌朝、劉振宇は地下施設の指揮室にいた。
壁面には電源系統の構成図が表示され、隣の画面には核融合炉の運転状態を示す監視映像が映っている。作業の進捗は随時報告され、装置の外部検査と接続確認が完了したことも既に伝えられていた。
「分解や改造は行っていないな」
「はい。外装は開封しておりません。接続も指定された端子のみを使用しています」
担当将校が答えた。
「では、始めよう」
劉の指示を受け、電源室へ運転開始の命令が伝えられた。
現場の技術者は操作卓の前に立ち、表示された確認項目を一つずつ読み上げた。
「外部接続、確認。冷却系統、異常なし。負荷側遮断器、待機状態。周辺安全設備、正常」
操作卓には、正規の運転手順に従って次の操作を促す表示が出ていた。
陳はその画面を見つめていた。
少なくとも、ここまで装置が異常を示すことはなかった。設置場所を変えただけで即座に停止する仕組みではないのかもしれない。あるいは、運転開始の段階で初めて条件が判定されるのかもしれない。
どちらにしても、彼には確かめる方法がなかった。
「運転開始の許可が出ています」
担当者が陳へ声をかけた。
「先生、最後に確認したいことはありますか」
「あります」
陳は操作卓から目を離さずに答えた。
「今から行おうとしているのは、登録された民生用途の試験ではありません。軍事施設の電源として装置を使用する試みです。私は運転開始に反対します」
その発言は指揮室にも伝わった。
劉は監視映像を見ながら、しばらく沈黙していた。技術者がここまで明確に反対する以上、何らかの危険はあるのだろう。だが、装置の内部に手を加えていないことも、外部検査で異常がなかったことも確認されている。
何より、民生施設では実際に稼働した装置だった。
「記録しておけ」
劉は告げた。
「運転を開始する」
現場の担当者が最終確認を行い、起動操作を実行した。
操作卓の表示が切り替わり、装置内部の運転準備が始まる。計器の数値が変化し、電源室に設けられた監視盤にも新しい状態が反映された。
最初の数秒間、異常は見られなかった。
装置の状態表示は待機から起動準備へ移り、各部の確認が順番に進んでいく。
その様子を見ていた将校が、わずかに表情を緩めた。
「問題なく進んでいるようだな」
「まだです」
陳が答えた直後、操作卓の表示が変わった。
それまで緑色で示されていた運転準備の項目が、一斉に灰色へ戻ったのである。
次いで、画面中央に警告が現れた。
『運用条件不適合』
『保護機能作動』
『安全停止処理を実行します』
担当者が思わず身を乗り出した。
「何だ、これは」
装置は出力を上げることなく、起動手順を中断した。外部への送電は開始されず、接続先の負荷設備にも電力は供給されない。
警告音が短く鳴ったあと、筐体の状態表示が停止を示す色へ変わる。
爆発も、激しい振動も起こらなかった。
周辺の放射線監視装置にも異常な数値は現れず、電源室にいた作業員たちは全員、その場に立ったままだった。
あまりに静かな停止だったため、数秒のあいだ誰も事態を理解できなかった。
「起動手順をやり直せ」
将校の指示に、操作担当者が慌てて画面を確認する。
「できません。再起動の操作項目が選択できなくなっています」
「一時的な異常だろう。装置の状態を確認しろ」
「外部接続に異常はありません。温度も正常です。ですが、保護状態が解除されません」
陳は操作卓の前へ進み、表示内容を確かめた。
警告は一般的な機器故障を示すものではなかった。
『運用条件不適合による保護停止』
『通常操作による再起動不可』
『承認された支援手続きが必要です』
陳は息を吐いた。
日本側が説明していた保護機能が、実際に作動したのだ。
少なくとも、現場の技術者が行える通常操作では復旧できない。装置の外側を調べても異常が見つからない以上、勝手に再起動を繰り返すことにも意味はなかった。
「運転操作を中止してください」
陳は担当者へ告げた。
「接続先を安全な状態に戻し、これ以上の操作を行わないでください。装置内部へのアクセスも禁止です」
「先生、何が起きたんです?」
「保護機能が作動しました。日本側の資料に記載されていたものです」
「でも、まだ電力を取り出していません」
「ここで軍事用途として起動しようとしたことが、判定条件に該当した可能性があります」
陳は表示された警告を指した。
「詳しい判定方法は分かりません。しかし、通常の故障と決めつけて扱うべきではありません」
指揮室では、劉が監視画面を見つめていた。
「現場からの報告を整理しろ」
彼の命令で、担当将校が状況を読み上げた。
「核融合炉は起動途中で保護停止しました。出力は外部へ供給されていません。爆発、火災、放射線異常、作業員の負傷は確認されておりません。ただし、通常の再起動操作は受け付けない状態です」
「外部設備の故障ではないのか」
「現在までの確認では異常は見つかっていません」
「陳文博は何と言っている」
「装置の保護機能が作動した可能性が高いと。ただし、内部の判定条件は不明とのことです」
劉は腕を組んだ。
彼が想定していた失敗は、接続機器との相性が悪い、出力が安定しない、あるいは運転条件の調整が必要になるといったものだった。
しかし、実際に起きたのは、それらとは性質の異なる停止だった。
装置は壊れていないように見える。危険な事故も起きていない。それなのに、運転を再開することだけが許されなくなっている。
「日本側が止めたのか?」
将校の一人が口にした。
劉はすぐには答えなかった。
「遠隔操作の痕跡は?」
「現時点では確認されていません。外部との通信による停止命令があったことを示す記録も見つかっていません」
「では、なぜ止まった」
その問いに、指揮室の誰も答えられなかった。
装置が自分自身の保護機能によって停止したという説明は、劉にとって容易に受け入れられるものではなかった。発電機が設置場所の用途を判断し、許可されていない運転を拒否する。そんな仕組みが本当に存在するのなら、それは単なる高性能な発電設備を超えている。
だが、目の前の結果を否定することもできない。
劉は内線電話を取り上げ、現場責任者に直接つなぐよう命じた。
「陳文博を出せ」
数秒後、受話器の向こうから陳の声が聞こえた。
「陳です」
「君の警告どおりになったようだな」
「残念ながら」
「復旧は可能か」
「私たちに許された操作の範囲では不可能です。保護機能を解除する手順は公開されていません」
「時間を置けば戻る可能性は?」
「そのような説明は受けていません。今の表示では、通常操作による再起動は認められていません」
「内部の機構を調べればどうだ」
陳は少し間を置いた。
「分解すれば、別の保護機能が作動する可能性があります。私は反対です。仮に開けられたとしても、復旧方法が分かるとは限りません」
劉は受話器を握る手に力を込めた。
「では、我々はこの装置を二度と使えないというのか」
「少なくとも、現在の状態のままでは使えません」
「日本側へ問い合わせれば?」
「正規の支援手続きを求めることはできます。ただし、登録された施設から無断で移設し、軍事施設で起動を試みた事実を説明する必要があります」
それは劉にとって、最も避けたい選択肢だった。
日本との協定に違反したことが明らかになれば、問題は一台の核融合炉にとどまらない。中国が受領したもう一台の運用や、今後の供給計画にも影響する可能性がある。
何より、軍事利用を禁じた協定を受け入れた直後に、その制限を破ろうとしたことになる。
「現場の作業を中止しろ」
劉は言った。
「装置を安全に保管する。許可なく分解、改造、追加操作を行うことを禁じる」
「承知しました」
陳の返答を聞くと、劉は電話を切った。
指揮室に残った将校たちは、誰も次の指示を求めようとしなかった。
大型画面には、停止した核融合炉の姿が映っている。
外観には何の変化もない。白い筐体は設置台の上に収まり、周囲の配線も整然としていた。破損箇所がないだけに、その沈黙は不自然だった。
「日本の技術は、我々が考えていた以上に厄介だな」
劉が呟いた。
隣の将校が慎重に口を開く。
「報告は、どの範囲まで上げますか」
「装置の停止は報告する。原因については調査中としろ」
「軍事施設への移設については?」
劉は将校を見た。
「扱いを検討する。それまでは、この施設の外へ情報を出すな」
将校は敬礼し、指揮室を出ていった。
劉は一人、監視画面に目を戻した。
小さな発電装置ひとつを動かすことができなかった。
しかも、動かせなかった理由すら、自分たちには確かめられない。
国家の威信や軍の命令が通用しない相手を前にしたとき、人は何を頼りに判断すればよいのか。
劉はその問いに答えを出せないまま、停止した装置を見つめ続けた。
一方、地下の電源室では、陳文博が運転記録を保存していた。
正規の登録施設から移設された時刻。地下施設へ搬入された時刻。起動操作が行われた時刻。そして、保護機能が作動した時刻。
少なくとも、彼が確認できる範囲の事実は残しておかなければならない。
その記録が今後どのように扱われるのか、陳には分からなかった。
装置の表示は依然として変わらない。
『保護停止中』
『通常操作による再起動不可』
彼は画面を閉じ、静かな電源室を振り返った。
中国が手に入れたはずの新しいエネルギーは、軍事施設の地下で、一度も電力を送り出すことなく止まっていた。
そして、その事実を日本側はまだ知らなかった。




