第41話 世界が求める日本の技術
日本が開発した超小型核融合炉『ぺんぎんぽかぽか炉』が、初めて一般の送電網へ電力を送り出してから、世界各国のエネルギー政策を担当する政府機関では、ある共通の問題が議論されるようになっていた。
それは、日本の技術を自国にも導入できるのか、という問題だった。
家庭用冷蔵庫ほどの大きさでありながら、一基で最大十メガワット級の電力を供給できる核融合炉。従来の大型発電施設とは比較にならないほど設置場所の自由度が高く、燃料供給や運用に関する条件も、これまでの発電技術の常識を大きく覆すものだった。
日本政府が公開した試験結果には、発電出力だけでなく、負荷変動への対応や異常発生時の安全停止についても一定の実証が行われたことが記されている。ただし、長期間の連続運転については今後も検証が必要とされており、内部構造の詳細も明らかにはされていない。
それでも各国政府が強い関心を示したのは、公開された数値があまりにも魅力的だったからだ。
米国、ワシントンD.C.。
ホワイトハウスの一室では、エネルギー政策と国家安全保障を担当する高官たちが、日本から送られてきた資料を前に意見を交わしていた。
「日本側が公表した送電実績について、独立した検証はどこまで進んでいる?」
会議を主導する高官の問いに、エネルギー省の担当者が手元の端末を確認した。
「公開データと現地で確認できる情報の間に、重大な矛盾は見つかっていません。もちろん、装置内部の詳細は不明です。しかし、実際に送電網へ接続され、発電設備として機能していることは確認されています」
「つまり、少なくとも発電しているという事実については疑いようがないわけだ」
「はい。問題は、なぜあの大きさで実現できるのか、という点です」
壁面の大型ディスプレイには、日本国内で撮影された核融合炉の写真が映し出されていた。比較対象として置かれた一般的な設備と見比べても、発電所の中核装置とは到底思えない寸法である。
長年にわたり核融合研究へ巨額の資金を投じてきた米国にとって、その存在は科学的な衝撃であると同時に、政策上の難題でもあった。
国内の研究機関には世界有数の人材が集まり、民間企業も商用化を目指して競争を続けている。ところが、日本が発表した装置は、その競争の前提そのものを変えてしまう可能性を持っていた。
「国内企業への影響は?」
「短期的には既存の発電設備を置き換えるほどの供給量はありません。ただし、量産が可能になれば話は別です。電力価格、産業立地、送電網への投資、いずれにも影響します」
経済担当の高官が、資料に記された数字を指でなぞった。
「電力需要の大きい工業地帯だけでも、導入価値は計り知れない。地方の電力供給にも使えるだろう。問題は価格と供給条件だな」
「もう一つあります」
国家安全保障担当者が発言すると、会議室の視線が集まった。
「我々が導入しなかった場合、他国が先に導入する可能性です。日本がどの国に何基供給するかによって、産業競争力の差が生まれかねません」
その指摘に、反対する者はいなかった。
核融合炉は発電設備である。しかし、安価で安定した電力を大量に確保できる国は、工場を動かし、計算資源を増やし、研究開発を加速できる。直接的な軍事装備ではなくとも、国家の力を支える基盤に影響する技術だった。
「日本に正式な協議を申し入れるべきです」
「すでに外交ルートで打診している。ただ、先方は慎重だ」
「当然でしょう。日本自身、まだ国内で運用を始めたばかりですから」
高官はディスプレイに映る小さな装置を見つめた。
これほど重要な技術が、なぜ突然日本から現れたのか。その疑問についても、情報機関は調査を続けている。だが、現時点で得られている情報からは、開発主体の実態に迫ることができていなかった。
日本政府が説明する以上のことを知る者は、米国側にはいない。
「技術の由来を調べることと、導入を検討することは分けて進めよう」
会議の結論は明快だった。
「日本に対し、政府間協議の早期開始を正式に要請する。我々は、この技術が世界に広まってから条件を考えるわけにはいかない」
その日のうちに、米国政府の関係部局では、日本との交渉に向けた準備が本格化した。
同じころ、中国の北京でも、日本の核融合技術をめぐる協議が行われていた。
会議の中心にいたのは、国家主席の趙建国と、経済政策を担当する国務院副総理の王志強だった。
机上には、日本政府が公開した技術資料の翻訳版に加え、中国国内の電力需要や産業構造に与える影響を分析した報告書が積まれている。
「この技術が本格的に普及すれば、世界のエネルギー市場はどう変わる?」
趙建国の問いに、王志強は用意していた資料を開いた。
「導入規模によりますが、影響は極めて大きいと考えられます。特に電力を大量に消費する製造業では、安定供給と価格の両面で恩恵が期待できます。国内の電源構成を短期間で置き換えられるわけではありませんが、将来の産業政策を考えるうえで無視できません」
「我が国の核融合研究は?」
「継続しています。しかし、日本の装置が公表どおりの性能を持ち、商用規模で供給できるのであれば、現状では技術的な隔たりがあります」
王志強は言葉を選んでいた。中国にも核融合研究の蓄積はあるが、今回の装置が従来の研究成果から自然に導かれるものではないことを、専門家たちは認めていた。
同席する核融合技術顧問の陳文博が、説明を引き継いだ。
「日本側の資料を分析しましたが、内部構造が非公開である以上、作動原理を特定することはできません。既存の理論だけで性能を説明しようとすると、いくつもの疑問が残ります」
「技術者としては、どう評価する?」
「実物を詳細に調査したいと考えます。ただし、輸入できたとしても、内部を自由に調べられるとは限りません」
趙建国はしばらく資料に目を通したあと、王志強へ向き直った。
「導入する価値はあるか」
「あります。日本への技術的依存が生まれる可能性は慎重に評価すべきですが、それだけを理由に導入を見送れば、他国に先行される恐れがあります」
中国は世界有数の製造業国家であり、膨大な電力需要を抱えている。安定した電源を確保できれば、産業活動にとって大きな利益となる。一方、国外から供給される装置に依存することは、経済政策上の新たなリスクにもなり得た。
「日本がどのような条件を提示するか、まだ分からないのだな」
「はい。正式な輸出方針も示されていません」
「では、まずは協議の席につくことだ。我が国が関心を持っていると伝えなさい」
趙建国はそう指示すると、資料の表紙に印刷された核融合炉の写真を見た。
装置の名称は、日本語をそのまま翻訳した注記とともに掲載されていた。
「それにしても、ずいぶん変わった名前だ」
王志強が控えめにうなずく。
「日本側の正式名称です。意味は、おおむね『ペンギンの暖かな炉』といったところでしょうか」
「国家のエネルギー政策を左右する技術にしては、親しみやすい」
趙建国はわずかに口元を緩めたが、すぐに表情を戻した。
「名前が何であれ、性能が本物なら重要な技術だ。感情ではなく、国益に基づいて判断する」
この時点で、中国政府が求めていたのは、あくまで産業と経済の発展に役立つ新たな電源だった。
日本との間にどのような条件が設けられるのかも、まだ決まっていない。
一方、欧州では、米中とは少し異なる観点から議論が進んでいた。
欧州連合の関係機関では、加盟国のエネルギー担当者たちが、日本の核融合炉について情報を共有していた。各国の電源構成や産業事情には違いがあるものの、安定した電力供給を確保したいという目的は共通している。
「これが実用的な設備として普及するなら、再生可能エネルギーを中心とした電源構成にも大きな意味があります」
ある担当者が、地域ごとの電力需要を示した資料を映し出した。
「天候によって出力が変わる電源を増やす場合、安定した供給を担う設備が必要になります。日本の核融合炉は、その選択肢になるかもしれません」
「ただし、すべてを置き換えるような考え方は危険です。装置の寿命も、保守体制も、供給能力も分かっていません」
「だからこそ、早い段階から日本と協力関係を築くべきでしょう。購入できるかどうかだけではなく、運用情報を共有できる仕組みが重要です」
別の出席者は、送電網が十分に整備されていない地域への応用を挙げた。大型発電所から長距離の送電線を引くことが難しい場所でも、分散型の電源として利用できる可能性がある。
もっとも、どの国も期待一色というわけではなかった。国内の発電事業者や研究機関への影響を懸念する声もあり、日本の技術に頼りすぎることへの警戒も存在した。
「導入するにしても、長期的な供給契約と運用の透明性が必要です」
「日本側がどこまで情報を開示するかによりますね」
「それでも、話し合わなければ何も始まりません」
欧州側もまた、日本政府への正式な協議要請を進めることになった。
世界の主要国が、ほぼ同じ時期に同じ国へ目を向けていた。
そして、その日本では、各国から寄せられた要請が、首相官邸の会議資料を急速に厚くしていた。
高瀬隆一首相は、執務室の机に並べられた報告書を見ながら、向かいに座る三浦誠司官房長官の説明を聞いていた。
「米国、中国、欧州各国から、核融合炉の導入に関する正式な協議要請が届いています。そのほかにも、外交ルートを通じて関心を示している国が複数あります」
「想像以上に早かったな」
「国内での初送電が成功したことで、各国の見方が変わったのでしょう。研究段階の技術ではなく、実際に電力を供給する装置として評価され始めています」
高瀬は報告書を閉じ、背もたれに身体を預けた。
日本国内では、核融合炉の実用化が進んだことで、電力供給の将来に対する期待が高まっている。だが、海外への供給となれば、国内導入とは比較にならないほど多くの問題を考えなければならない。
「経済的な利益は大きいだろうな」
「はい。輸出による直接的な収益だけでなく、日本の国際的な立場にも影響します。導入を希望する国との関係を深める機会になるでしょう」
「反対に、断った場合の影響もある」
「技術を独占していると受け取られる可能性はあります。ただ、すべての要請に応じる義務があるわけではありません」
高瀬はうなずいた。
これほど重要な技術を日本だけで利用し続ければ、国際社会から強い関心と圧力が集まることは避けられない。かといって、条件を十分に検討しないまま輸出を認めれば、予期しない問題を招く恐れがある。
「安全保障上の評価はどうなっている?」
「軍事利用への転用を懸念する意見が出ています。装置そのものを兵器にするという話に限りません。軍事施設への電力供給に使用される可能性や、内部技術を解析される危険もあります」
「当然、各国とも中身を知りたがるだろう」
「それは間違いありません。すでに公開資料だけでは不十分だという問い合わせも届いています」
高瀬は、以前ボスから聞いた説明を思い返した。
あの小さなペンギンは、核融合炉の安全性について、通常の科学技術では考えられないほど高度な保護が施されていると話していた。だが、その説明は日本国内で運用することを前提に聞いたものであり、外国へ引き渡した場合の具体的な取り扱いまで決めたわけではない。
「ボス君に相談する必要があるな」
「はい。そもそも、我々が自由に輸出を決定できる技術ではありません」
核融合炉を日本政府へ提供したのは、あくまでボスたちの側である。政府は国内での実用化を進めてきたが、提供者の了承なしに海外へ販売するという考えは持っていなかった。
「相手が米国であれ中国であれ、同じ装置を渡す以上、最低限守ってもらうべき条件がある」
「具体的には、使用目的、設置場所、第三者への移転、内部への干渉などでしょうか」
「そうだ。ただし、技術的に何が可能で、何が危険なのかを我々だけで判断するわけにはいかない」
三浦は手元の資料に目を落とした。
「もう一つ、各国への説明について確認しておきたいことがあります」
「何だ?」
「装置の開発主体についてです。輸出交渉が始まれば、相手国は当然、技術を開発した組織や責任者との接触を求めてくるでしょう」
高瀬の表情が引き締まった。
小鳥遊紬という若い女性の存在は、政府内でも限られた関係者しか知らない。ボスとアイリスについても同様であり、外国政府へ情報を提供する予定はなかった。
「そこは変えない。提供者の身元を明かすことを、輸出の条件にしてはならない」
「承知しています。相手国から強い要求が出ることは予想されますが、日本政府が窓口になる方針で進めます」
「技術を求める国が増えたからといって、あの子たちの生活を犠牲にするわけにはいかないからな」
高瀬はそう言ってから、少し困ったように笑った。
「もっとも、本人たちは我々が考えるほど国際情勢を気にしていないかもしれんが」
「ボスさんなら、まず輸出先に魚があるか確認しそうですね」
「あり得るな」
二人の間に短い笑いが生まれたものの、議題そのものは決して軽くなかった。
日本の決定一つで、世界のエネルギー政策が変わるかもしれない。その判断を下すためには、技術を提供した側の意向を確かめることが不可欠だった。
「三浦君、ボス君に連絡を取ってくれ。急ぎではあるが、こちらの都合だけで返答を迫るつもりはないと伝えてほしい」
「分かりました」
その後、三浦から送られた相談は、ほどなく紬たちのもとへ届いた
紬の自宅では、ボスが小さな身体をソファの上に乗せ、アイリスから政府の連絡内容を聞いていた。
紬は隣に座り、両手でマグカップを包みながら、二人の話に耳を傾けている。
「……つまり、外国にもぽかぽか炉を売りたいってことか?」
「正確には、輸出の可否について相談したいという内容です。米国、中国、欧州各国から導入希望が寄せられており、日本政府としても検討を進めたいそうです」
銀白色の髪を持つアイリスのホログラムが、空中に小さな世界地図を表示した。いくつかの国や地域が淡い光で示され、その横には各国から寄せられた要請の概要が並んでいる。
「へえ。日本で使い始めたと思ったら、もう世界中から注文が来てんのか」
「まだ注文ではありません。購入条件も供給数も決まっていませんので」
「細けえな。欲しいって言ってんだから、だいたい同じだろ」
「商談の席でその認識を披露することはお勧めしません」
「俺が商談するわけじゃねえだろ。日本政府の仕事だ」
ボスはそう返してから、隣の紬を見上げた。
「で、紬はどう思う?」
「えっと……外国でも使いたい人がいるなら、使ってもらってもいいと思う、けど……」
紬はそこで言葉を止めた。
日本で初めて核融合炉を動かしたときも、安全性については何度も確認した。アイリスが管理を支援していることもあり、装置そのものに不安を感じていたわけではない。それでも、知らない国へ送り出すとなると、気になることがあった。
「事故とか、起きないかな……」
「運用上の異常に対しては、既存の保護機構が対応します。通常の故障や外部からの不適切な操作についても、危険な状態へ移行しないよう設計されています」
アイリスが説明すると、紬は小さくうなずいた。
「それなら、少し安心だけど……外国だと、私たちが知らないところで使われるんだよね」
「はい。だからこそ、輸出前に運用条件を定める必要があります」
「それにさ」
ボスが会話に割って入った。
「軍隊とかに持っていかれたら、面倒なんじゃねえのか?」
紬の手が止まった。
核融合炉を作ったのは、世界中の人々が安定した電力を使えるようになればいいという思いもあったからだ。だが、発電できる装置なら、工場にも病院にも、軍事施設にも電力を供給できる。
同じ技術でも、誰が何のために使うかによって意味が変わってしまう。
「……それは、嫌かも」
紬の声は小さかったが、迷いのない言葉だった。
「私が作ったものが、戦争に使われるのは……」
「だよな。せっかく便利なもん作ったのに、物騒なことに使われちゃたまんねえ」
ボスは翼を組むような仕草をして、アイリスへ顔を向けた。
「何とかできねえのか?」
「可能です」
アイリスは即答した。
「装置の分解、改造、逆解析、複製の試みを検知し、必要に応じて機能を停止させる保護機構を設けられます。また、軍事目的での使用を禁止する条件を組み込み、違反が確認された場合には安全に停止するよう設定することも可能です」
「おお、できんのか」
「マスターが創造された技術を前提とすれば、実現に大きな問題はありません。ただし、禁止する行為の範囲については、事前に明確にしておくべきです」
紬は、表示された説明を見つめた。
「……止まるときに、爆発したりしない?」
「そのような停止方法は採用しません。出力を安全に制御し、危険な状態を発生させずに運転を終了させます」
「急に電気がなくなって、困る人が出たりは……?」
「その可能性はあります。例えば、供給先が装置一基に依存している場合、停止によって停電が発生することは考えられます。そのため、契約時には予備電源や代替供給手段の確保も求めるべきでしょう」
紬は少し考え込んだ。
装置を危険な使い方から守ることと、電力を必要としている人々を守ること。その二つは、必ずしも同じではない。
悪用を防ぐために停止した結果、関係のない人が困ることもあるのだと気づき、単純に「止めればいい」とは言えなくなった。
「……難しいね」
「そうですね。ですが、マスターがすべてを一人で判断する必要はありません」
アイリスは世界地図を消し、代わりに日本政府からの相談文を表示した。
「日本政府も、まさにその問題を検討しています。私たちは技術的に守れる範囲を示し、契約や運用上の責任については政府間で調整してもらうのが適切でしょう」
「そりゃそうだ」
ボスが大きくうなずいた。
「俺たちは便利な炉を作った側だ。外国との細けえ約束まで全部引き受けたら、毎日会議ばっかりになるぞ」
「……毎日会議は、嫌だなあ」
紬が本気で困った顔をすると、ボスは声を上げて笑った。
「だろ? だから日本政府がいるんだよ。高瀬のおっさんたちに働いてもらおうぜ」
「首相に対する呼称としては、もう少し配慮があってもよいと思います」
「本人の前じゃ気をつけるって」
「以前も同じことをおっしゃっていました」
「お前、そういうことはよく覚えてんな」
「記憶能力は私の基本機能ですので」
紬は二人のやり取りに小さく笑い、それから改めて考えを整理した。
海外への輸出を認めれば、今までより多くの人が安定した電力を使えるようになるかもしれない。日本だけが技術を持ち続けることに、強いこだわりがあるわけでもない。
ただし、自分の作ったものを何に使われても構わないとは思えなかった。
「……ちゃんと約束を守ってもらえるなら、いいと思う」
紬はボスとアイリスを交互に見た。
「危ない使い方をしないことと、勝手に分解したり、別のものに作り替えたりしないこと。それから、もし止まっても、普通の人が困らないように準備してもらうこと……」
「いいんじゃねえか」
ボスが答える。
「全部向こう任せにするんじゃなくて、守る仕組みも付けときゃいい。約束破って好き放題できるようじゃ、約束する意味がねえしな」
「技術面については私が対応します」
アイリスは紬に向き直った。
「輸出用の保護条件は、日本政府と協議した内容を踏まえて整理します。マスターには最終的な方針をご確認いただきますが、細かな運用設計までご負担いただく必要はありません」
「うん……お願い」
紬は安心したように息をつき、冷めかけていた飲み物に口をつけた。
ボスはソファの上で身体の向きを変え、政府への返事を考え始めた。
「よし。じゃあ、高瀬のおっさんに伝えるか。輸出してもいいけど、条件付きだってな」
「ボス」
「ん?」
「……あんまり、偉そうに言わないでね」
「俺はいつだって礼儀正しいだろ」
紬は返事をせず、アイリスを見た。
「私への回答をお求めでしたら、評価は控えさせていただきます」
「おい、そこは否定しろよ!」
そんな会話のあと、アイリスは政府との通信回線を確保した。
首相官邸では、高瀬と三浦が、ボスからの返答を待っていた。連絡を入れてからそれほど時間は経っていないものの、二人にとっては重要な判断を待つ時間だった。
机上には各国からの協議要請をまとめた資料が置かれている。
通信がつながると、スピーカーから聞き慣れた声が響いた。
「よう、高瀬のおっさん。待たせたな」
「ボス君。連絡をありがとう」
高瀬は思わず笑みを浮かべた。相変わらずの呼び方だったが、今ではその声を聞くと、どこか肩の力が抜ける。
「海外への輸出について、相談したいという話だったね」
「ああ。紬とも話した。結論から言うと、輸出してもいいってさ」
三浦が顔を上げた。
高瀬も姿勢を正し、言葉の続きを待った。
「ただし、条件がある」
「もちろんだ。聞かせてほしい」
「軍事利用は認めねえ。勝手に分解したり、改造したり、中身を調べてコピーしようとするのも禁止だ。それと、何かあったときに困る人が出ねえよう、電力のバックアップも考えてもらう」
高瀬は一つずつ確認するようにうなずいた。
「いずれも重要な条件だ。我々としても、その方向で検討していた」
「あと、約束を破ったら炉が止まるようにする。もちろん、安全にだ。詳しい仕組みはアイリスに任せてる」
その言葉に、三浦が質問した。
「ボスさん、確認させてください。装置の停止は、外部からの不適切な操作を防ぐための措置という理解でよろしいでしょうか」
「そうだ。誰かが勝手に中身をいじって、変なもんに作り替えられたら困るだろ。そういうことをさせねえための仕組みだ」
続いてアイリスの声が通信に加わった。
「詳細な保護条件については、政府側と協議のうえで整理します。検知対象となる行為、安全停止の方法、停止後の対応など、輸出契約に反映すべき事項を提示する予定です」
「ありがとうございます、アイリスさん」
三浦はすぐに手元の資料へ書き込みを加えた。
装置の安全を技術的に確保できるのであれば、政府が考えるべき課題はより明確になる。輸出先の選定、契約条件、運用上の責任、違反時の外交的対応。それらは日本政府が引き受けるべき仕事だった。
「ボス君、紬さんにも伝えてほしい」
高瀬が口を開いた。
「今回の判断に感謝している。ただ、輸出を認めてもらったからといって、すぐに各国へ装置を渡すつもりはない。条件を整え、相手国と十分に話し合ったうえで進める」
「おう。それなら問題ねえ」
「それから、紬さんたちの情報についても、これまでどおり守る。海外から問い合わせがあっても、身元を明かすことはない」
「そっちも頼むぜ。紬が外国の偉い連中に囲まれて質問攻めにされるなんて、考えただけで気の毒だからな」
通信の向こうで、小さな声が聞こえた。
「……それは、ほんとに困る……」
高瀬は表情を和らげた。
「心配しなくていいと伝えてくれ。外交交渉は我々の役目だ」
「だってよ、紬」
「……ありがとうございます」
かすかな返事が届く。
高瀬はその声にうなずいた。
世界中の政府が手に入れようとしている技術を生み出した人物が、外交交渉の場に立つことを何より恐れている。その事実を知っているのは、ほんのわずかな人間だけだった。
「じゃあ、詳しいことはまたアイリスと話してくれ。俺はそろそろ忙しいんだ」
「そうか。時間を取らせてすまなかったね」
「いいってことよ。じゃあな!」
通信が終了すると、首相官邸の執務室に、しばらく沈黙が訪れた。
三浦は書き留めた内容を見直し、深く息を吐いた。
「ひとまず、最初の了承は得られましたね」
「ああ」
高瀬は窓の外へ視線を向けた。
核融合炉の海外輸出は、まだ始まっていない。契約条件も、供給する国も、具体的な数量も決まっていない。
それでも、日本政府はようやく各国との正式な協議へ進むための前提を得た。
「ここからが我々の仕事だな」
「はい。各国の要請を整理し、条件の検討を始めます」
「急ぐ必要はある。だが、焦って決めてはいけない」
高瀬は机の上にある各国の要請書を手に取った。
米国、中国、欧州。異なる事情と目的を持つ国々が、同じ技術を求めている。その期待にどう応え、どこに線を引くのか。日本の判断は、これからの国際関係にも影響を与えるだろう。
一方、そのころの紬の家では、世界各国の政府が待ち望んでいた返答を終えたボスが、ソファの上で満足げに翼を広げていた。
「さて、仕事も終わったし、何か食うか」
「ボス、さっきおやつ食べたばっかりだよ……?」
「頭使ったから腹減ったんだよ」
「今回の交渉で最も頭を使ったのは、マスターではないでしょうか」
「お前までそっちの味方か!」
紬は笑いながら、空になったマグカップを持って立ち上がった。
自分が下した判断によって、世界の大国が本格的な交渉の準備を始めることになる。その大きさを、紬はまだ実感していなかった。
ただ、外国でも安全に使ってもらえるなら、それはきっと悪いことではない。
そう考えながら台所へ向かう紬の背後では、ボスが次のおやつを要求し、アイリスが本日の摂取量を淡々と読み上げていた。
世界のエネルギー政策を左右する話し合いが終わった直後だというのに、三人の関心はもう、今日のおやつを追加するべきかどうかという問題へ移っていた。




