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最後の番人


 十五日目。


 私は世界の種を胸の前へ固定し、中央樹園へ向かった。


 両腕で抱えるほど大きな、深い藍色の実。


 装置の識別。


《WORLD SEED》


《STATUS:DORMANT》


 世界の種。


 休眠状態。


 竹で作った受け枠は、殻を直接締め付けない。


 底を支え。


 左右の揺れを抑え。


 必要なら留め具を一つ外して、すぐ両手で抱えられる。


 歩行。


 しゃがむ。


 段差。


 出発前に何度も試した。


 種の六角形模様は、地下ネットワークと同じ周期で淡く脈打っている。


 その光が止まっていないことを、一定間隔で確認する。



 出発前には、世界の種そのものも記録した。


 直径。


 殻の模様。


 光の周期。


 表面温度。


 重さは正確に測れない。


 ただし、同じ姿勢で持った時の負荷を記録する。


 大きさに対して軽い。


 内部が空洞なのか。


 軽い組織で満たされているのか。


 切らない限り分からない。


 装置へ近づけた時の表示も保存する。


《WORLD SEED》


《DORMANT》


《INTEGRITY:100%》


 完全性、一〇〇パーセント。


 休眠しているが、損傷はない。


 受け枠へ固定したあとも同じ表示。


 歩行振動で殻へ負担が出ていないことを確認する。


 私は種を運ぶ者であって、解析する者ではない。


 少なくとも中央樹園へ到着するまでは。


 生体フィルター二型。


 交換用黒光液タンク。


 予備の粒子吸着層。


 水。


 携帯食。


 竹骨弓。


 骨矢。


 竹槍。


 マルチツール。


 補修材。


 一次媒体。


 透明六角板。


 荷物は多い。


 だが、用途の分からない中央樹園へ向かう。


 世界の種だけを運び、何もできずに戻るより、既知の修復素材を最低限持つ方がよい。


 ただし、蒼輝石は持ち出さなかった。


 第3補助フィルターのコアとして稼働中。


 取り外せば、ようやく戻った温室と水路を再び止める可能性がある。


 中央樹園を直すために、現在動いている施設を壊してはならない。


 装置が示す青い線は、地表の最短経路ではない。


 地下ネットワークの太い幹線をたどる。


 崩落地を避け。


 川を避け。


 以前、危険反応を示した区域の外縁を回る。


 私は経路を案内ではなく、参考情報として使った。


 地形。


 風向き。


 粒子濃度。


 身体状態。


 実際の条件が悪ければ、表示された道でも進まない。



     *



 温室を離れる時、四眼の民たちは言葉を発しなかった。


 最初に出会った一人が、世界の種へ触れず、その前で胸に手を当てた。


 次に私を見る。


 中央樹園の方角。


 そして、もう一度胸。


 戻れ。


 そういう意味に見えた。


 私は自分を指す。


 温室。


 世界樹。


 順番に示す。


 戻る。


 約束を身振りで返した。


 四つ目モグラの姿は見えない。


 だが、足元の土の下から小さな振動が伝わる。


 根系ネットワーク。


 ノード三。


 復旧率八パーセント。


 地上で私が歩く道の下を、青い流れが先へ伸びている。


 すべての根は中央樹園から始まる。


 四眼の民の言葉を思い出す。


 今歩いているのは、知らない荒野への道ではない。


 長く停止している生命網の中心へ戻る道だった。



     *



 最初の区間は、森の中だった。


 αの世界樹から離れるにつれ、植物の状態が少しずつ変わる。


 根系網に近い場所。


 葉は濃い。


 茎に張りがある。


 青銀色の細い筋を持つ植物も増えている。


 地下線から離れた場所。


 草の色が薄い。


 枯れてはいないが、成長が遅い。


 ノード三が動き始めた影響は、均一には広がっていない。


 太い流路の周辺から回復している。


 装置の地図と、実際の植物の状態が一致する。


 私は数か所を記録した。


 地上の生命活動を見れば、地下網の位置を推測できる可能性。


 装置がなくても、葉の色。


 根の光。


 土の湿度。


 それらから流れを追えるかもしれない。


 中央樹園へ近づくほど、青い線は太くなる。


 だが、植物は豊かにならない。


 むしろ減っていく。


 流路が存在することと、現在動いていることは別。


 太い幹線。


 停止した中枢。


 その周囲へ養分が届かない。


 根はあっても、流れがない。


 装置の表示。


《CENTRAL ARBORETUM》


《OFFLINE》


 停止中。


 その意味が、地上の景色へ現れていた。



     *




 中継地点として記録した場所では、一度荷物を下ろした。


 地下線が地表へ近づく地点。


 周囲の土は、ほかより少し柔らかい。


 細い根が何本も露出している。


 青白い光は弱い。


 完全に止まってはいない。


 世界の種を地面へ直接置かず、竹枠ごと平らな石へ載せる。


 鼓動。


 変化なし。


 生体フィルター。


 タンク容量、ほぼ変化なし。


 水を飲む。


 呼吸を整える。


 ここまでの歩行で、種の固定具に緩みなし。


 中央樹園までの残り距離を確認する。


 引き返すなら、この地点が最後の安全な休憩場所になる可能性がある。


 私は木の枝へ小さな目印を残した。


 派手な印ではない。


 帰還時に自分だけが見つけられる位置。


 中央樹園で異常が起きた場合、ここまで戻れば地下網の太い流れへ再接続できる。


 森を抜ける。


 目の前へ、広い平地が開いた。


 墜落直後から避け続けてきた場所。


 遠くから見た時より、地面のひび割れは深い。


 黒灰色の土。


 枯れた木。


 風に削られた根。


 生命反応は少ない。


 だが、第一封止設備の谷のように粒子が濃いわけではない。


 装置測定。


《PARTICLE DENSITY:18%》


 危険域ではない。


 空気中へ青白い粒子もほとんど見えない。


 生体フィルターの第一タンク。


 変化なし。


 この平地が危険と表示されていた理由は、粒子濃度だけではなかった可能性がある。


 地下網の停止。


 地盤。


 中央施設。


 守護者。


 未知の要因。


 私は武器へ手を添えたまま、構えなかった。


 弓は背中。


 竹槍はすぐ抜ける位置。


 だが、中央樹園へ戦うために来たのではない。


 世界の種を運ぶ。


 停止した中枢の状態を確認する。


 危険があれば撤退。


 目的を変えない。



     *



 平地へ一歩入る。


 世界の種が脈打った。


 トクン。


 地下から、同じ振動が返る。


 すぐには続かない。


 数歩。


 もう一度。


 種。


 地下。


 交互ではない。


 ほぼ同時。


 装置の経路表示が少し明るくなる。


《NAVIGATION》


《SEED LINK:STABLE》


 種との接続、安定。


 中央樹園が世界の種を認識しているのか。


 地下網が、種の生体反応を中継しているのか。


 断定できない。


 ただ、種を運ぶ方向は合っている。


 平地の中央へ近づくにつれ、風が弱くなった。


 周囲の枯れ木は動かない。


 草もない。


 音が少ない。


 鳥。


 虫。


 小動物。


 姿がない。


 完全な無音ではない。


 自分の足音。


 装備の擦れる音。


 宇宙服の吸気音。


 世界の種の振動。


 それらだけが大きく聞こえる。


 静かすぎる。


 私は立ち止まり、周囲を確認する。


 待ち伏せの気配。


 地面の崩落。


 粒子上昇。


 どれもない。


 中央だけが不自然に静かなのは、施設が停止し、生命活動が消えているからかもしれない。


 さらに進む。



     *



 巨大な円形広場が現れた。


 人工物と地形の境界が分かりにくい。


 地面へ埋まった六角形の石板。


 円周に沿って並ぶ低い台座。


 その外側。


 何本もの巨大な切り株。


 一つ。


 二つ。


 十を超える。


 どれも、αの世界樹と同じか、それ以上の太さ。


 幹は途中で失われている。


 焼けた痕。


 腐敗。


 風化。


 壊れ方は一本ごとに違う。


 だが、根は中央へ向かって伸びていた。


 かつて、ここには複数の世界樹が立っていた。


 中央樹園。


 名称どおり。


 世界樹を育て、各地へ根をつなぐ場所。


 そのすべてが枯れている。


 広場の中心。


 一本だけ、切り倒されずに残った幹。


 天へ伸びる巨大な柱。


 枝はない。


 葉もない。


 表面は灰色。


 完全に枯れきっているように見える。


 根元には、大きな空洞が口を開けていた。


 自然に腐ってできた空洞ではない。


 円形に近い。


 内側へ六角形模様。


 何かを収めていた場所。


 あるいは、地下施設への入口。


 世界の種の鼓動が少し強くなる。


 装置の経路線は、その空洞で終わっていた。



     *



 私は広場の外縁で止まった。


 広場の周囲を一周することも考えた。


 だが、世界の種を長時間危険地帯へ留める理由はない。


 正面の経路は開いている。


 装置も中央の空洞を示している。


 そこで、中央へ近づく前に三方向だけ確認した。


 左側。


 切り株の根元に崩落。


 通行困難。


 右側。


 六角形石板が大きく割れている。


 その下へ空洞。


 荷重をかけるべきではない。


 正面。


 石板の損傷が最も少ない。


 地下経路とも一致。


 最短だから選ぶのではない。


 構造上、最も安定しているから選ぶ。


 退路も同じ線上に確保できる。



 すぐ中央へ行かない。


 切り株。


 石板。


 台座。


 空洞。


 順番に観察する。


 装置は中央樹園を識別する。


《CENTRAL ARBORETUM》


《CORE ABSENT》


《BIOLOGICAL ACTIVITY:MINIMAL》


 中核不在。


 生体活動、最小。


 世界の種が、中核の代わりになるのか。


 そう考えたくなる。


 だが、装置は「種を植えよ」とは表示していない。


 運べ。


 それだけ。


 空洞へ種を入れることが正しいとは限らない。


 私は一次媒体を取り出さない。


 補修材も使わない。


 まず、何が残っているかを確認する。


 広場へ一歩入った。


 地面が、わずかに沈む。


 崩落ではない。


 六角形石板が荷重へ反応し、数ミリ下がった。


 音なし。


 警告なし。


 世界の種の模様が淡く光る。


 もう一歩。


 空洞の奥で、何かが動いた。


 私は止まった。



     *



 岩が崩れた音ではない。


 土でもない。


 大きなものが呼吸する時の、低い摩擦音。


 空洞の闇。


 最初に、二つの光。


 目。


 黄金色だったものが、長い時間で濁ったような色。


 次に輪郭。


 頭。


 首。


 肩。


 巨大な身体。


 生き物が、枯れた中央樹の根元へ横たわっていた。


 私は竹槍を抜かなかった。


 相手はすぐ襲ってこない。


 起き上がる動作も遅い。


 こちらを認識している。


 世界の種へ反応している。


 攻撃する理由が確認できない。


 距離を保つ。


 退路を背後へ残す。


 生体フィルター。


 粒子濃度。


 異常なし。


 装置を向ける。



 巨大な生物の呼吸に合わせ、空洞の奥の埃がわずかに動く。


 吸う。


 胸の亀裂が暗くなる。


 吐く。


 青白い光が強くなる。


 呼吸と発光が連動している。


 生体反応なのか。


 内部機関の排熱なのか。


 装置表示が出る前に、私はその周期を記録した。


 約八秒。


 第一封止設備から聞こえた重低音。


 透明魚の小球が作った波紋。


 地下ネットワークの一部。


 これまで何度も現れた周期と近い。


 偶然と断定するには一致が多い。


 最後の番人も、惑星の循環系と同じ基準で動いている可能性がある。


 巨大な生物。


 翼。


 長い尾。


 角。


 鱗。


 形だけなら、地球の物語でドラゴンと呼ばれるものに近い。


 だが、状態は威圧的ではなかった。


 翼は何か所も裂けている。


 膜の大半が失われている。


 鱗は灰色。


 ところどころ石のように風化。


 角は一本折れている。


 胸の中央に、古い亀裂。


 そこから、ごく淡い青白い光が漏れていた。


 傷。


 機械の接続部。


 生体組織。


 どれにも見える。


 何百年。


 それ以上。


 長い時間を、ここで一体だけ耐えてきたことが分かる姿。



     *



 ドラゴンは、ゆっくり瞳を開いた。


 最初に私を見る。


 次に、胸の前へ固定した世界の種。


 その視線が止まる。


 長い。


 驚き。


 確認。


 待ち続けたものを、間違いなく認識しようとする目。


 最後に、平地の向こう。


 遠くに見えるαの世界樹の方角へ、視線を向けた。


 直接見える距離ではない。


 だが、地下ネットワークを通じて存在を感じている可能性がある。


 世界の種。


 回復した世界樹。


 私。


 三つを順番に見た。


 長い沈黙。


 ドラゴンの喉が動く。


 呼吸。


 胸の亀裂から漏れる光が、弱く明滅する。


 声が出るまで、さらに数秒かかった。


「……ようやくか」


 低い。


 かすれている。


 それでも、装置の翻訳ではない。


 私が理解できる言葉として聞こえた。


 意味を誤認している可能性を考える。


 だが、声と表情は一致していた。


 安堵。


 疲労。


 長い時間を待ち続けた者の重さ。


 敵意はない。


 命令でもない。


 責める言葉でもない。


 ようやく。


 何かが、必要な条件へ到達した。



     *



 私はすぐ答えなかった。


 何を待っていたのか分からない。


 候補者。


 世界の種。


 世界樹の回復。


 地下網。


 そのすべてかもしれない。


 ドラゴンは苦しそうに息を吐いた。


 空洞の床へ、細かな灰が落ちる。


 鱗の一部。


 岩ではない。


 身体が崩れ始めている。


 それでも、口元がわずかに動いた。


 笑ったように見えた。


「間に……合った」


 間に合った。


 何に。


 世界の種が失われる前。


 自分の命が尽きる前。


 中央樹園が完全に崩壊する前。


 第一封止設備の漏出が世界を覆う前。


 どれか一つではない可能性。


 装置が高速で起動した。


《GUARDIAN IDENTIFIED》


《DESIGNATION:LAST WARDEN》


《LIFE SIGNS:CRITICAL》


《AUTHORIZATION:CANDIDATE CONFIRMED》


 守護者を確認。


 識別名、最後の番人。


 生命反応、危機的。


 候補者認証、確認。


 ドラゴン。


 装置はそう呼ばない。



 候補者認証という表示にも、私は安心しなかった。


 中央樹園へ入る権限がある。


 最後の番人が私を攻撃対象としていない。


 そこまでは示しているかもしれない。


 だが、権限があることと、何をすべきか理解していることは別。


 世界の種を空洞へ入れる。


 ドラゴンへ渡す。


 地面へ植える。


 装置へ接続する。


 複数の選択肢がある。


 誤った使い方をすれば、代わりのない種を失う。


 候補者とは、正解を知る者ではない。


 判断することを許された者。


 だからこそ、最後の番人の反応を先に見る。


 彼が世界の種を見た。


 ようやく、と言った。


 自分から奪おうとはしない。


 中央の空洞へ指示もしない。


 問いかけたのは、世界樹が生きているか。


 行動より先に、状態を確認している。


 その慎重さは、私と同じだった。


 最後の番人。


 中央樹園を守る存在。


 世界の種を待つ存在。


 あるいは、もっと大きな設備の一部。


 外見だけで生物だと決めつけない。


 だが、生命反応は存在する。


 危機的。


 今にも消えそうな状態。



     *



 最後の番人は、ゆっくり首を下げた。


 巨大な顎が、石板へ近づく。


 威嚇ではない。


 私と世界の種を近くで見るため。


 動きの途中で胸の亀裂が強く光り、すぐ暗くなる。


 痛みがあるように見えた。


 私は数歩だけ近づいた。


 逃げられる距離。


 武器を抜かない。


 世界の種を枠から外せる位置。


 最後の番人は、私ではなく、種を見ている。


 そして、遠くの世界樹の方角をもう一度見た。


「……人の子よ」


 今度の言葉も、直接理解できた。


 人間であることを認識している。


 データスレートに映っていた、人間に似た昔の友。


 同じ種族だと見ているのか。


 似た存在として呼んでいるだけか。


 分からない。


 最後の番人は、途切れながら続けた。


「あの樹は……まだ、生きているか」


 世界樹。


 αの木。


 濾過生物。


 地下ノード三の起動で回復を始めた樹。


 世界の種を落とした存在。


 最後の番人が最初に確かめたいことは、自分の状態でも、中央樹園でもなかった。


 遠くの世界樹が生きているか。


 私は胸の世界の種へ手を添えた。


 答えは一つ。


 世界樹は、生きている。


 回復している。


 そして、自分の次の世代を、この場所へ託した。


 その事実を、目の前の最後の番人へどう伝えるか。


 私は種の留め具へ手をかけた。



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