第一封止設備
十三日目。
生体フィルター二型を装着し、私は再び川を遡った。
前回と同じ道。
同じ川。
同じ黒い岩。
だが条件は同じではない。
宇宙服の外気取り込み口には、保水繊維を重ねた粒子吸着層。
そこから伸びる複数の細い竹導管。
腰には、黒光液を収めた交換式タンク三本。
保水繊維が粒子を捕まえる。
竹管が運ぶ。
黒光液が保存する。
銀脈根由来の成分が、少しずつ安定化する。
植物の葉脈と根を真似た、小さな循環装置。
外気浄化フィルター本体は外していない。
生体フィルターは、その前段。
壊れても、外せば元の呼吸系へ戻せる。
タンクは三本とも未使用。
黒光液の活性に低下なし。
逆止弁。
接続口。
吸気流量。
一つずつ確認した。
今日は、前回の失敗を忘れて同じ場所へ挑む日ではない。
前回の撤退で得た情報を、装備へ反映した結果を確かめる日。
安全基準も変えない。
身体の重さ。
呼吸の異常。
視界。
思考。
フィルター流量。
タンク容量。
どれか一つでも許容範囲を外れれば撤退する。
装備を作ったから安全なのではない。
危険へ近づくための余裕が、少し増えただけだった。
*
粒子濃度、三五パーセント。
前回、違和感がほぼ消えた境界。
身体に異常なし。
吸気流量、正常。
生体フィルターの繊維層は、まだ色付いていない。
そのまま進む。
四八パーセント。
保水繊維の中央層へ、淡い青い光が現れた。
粒子が付着している。
以前の試作では、ここから繊維へ光が蓄積した。
今回は、数秒後に光が細い筋へ移る。
竹導管。
腰の第一タンク。
透明な竹窓から見える黒光液が、わずかに青くなる。
装置表示。
《BIOLOGICAL FILTER》
《ACTIVE》
《RESERVOIR 1:8%》
生体フィルター、作動。
第一貯蔵槽、八パーセント。
粒子は繊維へ留まっていない。
流れができている。
六一パーセント。
前回なら、身体の違和感を警戒し始めた濃度。
歩行を止め、状態を確認する。
脚。
腕。
肩。
胸。
異常なし。
指を一本ずつ動かす。
発音。
視野。
どれも正常。
第一タンク。
《17%》
黒光液の青みは増している。
脈動も続いている。
急激な活性低下なし。
装備は、少なくとも今のところ機能している。
私は速度を上げなかった。
前回より楽に進めるからといって、曝露時間を軽視してよいわけではない。
一定の歩幅。
一定の呼吸。
装置を確認する間隔も短くする。
*
谷はさらに狭くなった。
植物の数は減っていく。
草が完全に途切れるわけではない。
生えている植物は小さい。
葉が厚い。
表面へ青白い筋が走っている。
高濃度の粒子環境へ適応した植物なのか。
粒子によって変質したのか。
今は採取しない。
粒子源へ近づくことが目的。
岩肌には、青白い結晶が脈のように伸びている。
前回採取した青筋石よりも明るい。
空気中にも光の粒が漂う。
日差しの中だけで見える埃ではない。
谷の影でも発光している。
風に流されながら、一部は水へ入る。
一部は岩へ吸われる。
一部は生体フィルターへ近づき、繊維層で動きを変える。
中央層が青くなる。
竹管へ光が流れる。
第一タンクへ集まる。
吸着。
輸送。
保存。
目の前で、自分の設計した流れが動いている。
装置が警告を出した。
《PARTICLE DENSITY:79%》
これまで確認した中で最も高い。
私は立ち止まった。
前回の六八パーセントを超えている。
身体の重さ。
ほとんど感じない。
完全に無影響とは言えない。
肩へ、ごく薄い圧迫感がある。
だが荷物の重さと区別できない程度。
呼吸異常なし。
思考の遅れなし。
生体フィルター。
《FILTRATION:74%》
《RESERVOIR 1:31%》
実験室で得た数値と同じ。
粒子の流入に合わせ、第一タンクへ蓄積している。
まだ容量はある。
私は進む。
ただし、ここから先では数分ごとに容量を確認する。
タンクが満杯になってから交換するのでは遅いかもしれない。
九〇パーセントを超えた段階で退避できる位置を確保する。
道は一本道。
後方に大きな崩落なし。
戻る経路は見えている。
*
周期的な重低音が大きくなる。
ドン……。
約八秒。
ドン……。
地面から伝わる。
音というより、構造物の振動。
川面へ波紋が出る。
岩の青い結晶も、同じ周期で明滅している。
谷全体が、一つの巨大な装置へつながっているようだった。
川幅はさらに狭くなる。
水量が減るのではない。
両側の岩が迫り、流れが深くなる。
青白い粒子は、水面の上へ霧のように立ち上っている。
視界の先。
谷が突然開いた。
私は足を止めた。
*
山の中腹へ、巨大な建造物が半ば埋まっていた。
第3補助フィルターと同じ六角形構造。
銀灰色の外壁。
岩と一体化した基礎。
古代文明の施設であることは、遠目にも分かる。
だが第3施設とは、決定的に違う。
建造物の中央がない。
入口が開いているのではない。
外壁が内側から外へめくれ上がっている。
巨大な六角板が、花弁のように反り返っている。
何本もの亀裂。
黒く焼けた縁。
内部構造が露出している。
外から破壊された形ではない。
中心で何かが起こり、壁を外へ吹き飛ばした。
破裂。
その言葉が最も近かった。
亀裂の奥は、直視しにくいほど明るい。
無数の青白い粒子。
静かに漂っているのではない。
噴き出している。
空へ。
水へ。
谷の両側へ。
眩しい奔流。
巨大な噴水。
だが水の噴水とは違う。
止まらない。
一定の周期で強弱を繰り返しながら、施設の内部から外へ漏れ続けている。
私は建物全体を見た。
「傷口だ」
機械に対して使う言葉ではない。
それでも、そう見えた。
閉じるべき場所が開き。
本来内部を巡るものが外へ出ている。
止まらない出血を続ける生物の傷口。
*
川の最上流を探してきた。
泉。
地下水。
粒子を含む鉱脈。
自然の発生地点。
そういうものを予想していた。
実際には違う。
建造物の奥から、大量の水が流れている。
その水が破裂した中央部を通る。
噴き出す粒子を巻き込む。
川となって谷へ流れ出る。
源流は自然の泉ではない。
施設の内部水路。
粒子は川から生まれているのでもない。
建造物から漏れている。
発生源ではなかった。
漏出源。
この違いは大きい。
自然現象なら、止めることそのものが不可能かもしれない。
設備の故障なら、設計上は封じる仕組みがあった可能性がある。
腰の銀色装置が激しく振動した。
《PRIMARY CONTAINMENT》
《FAILURE》
《CRITICAL》
翻訳。
《第一封止設備》
《破損》
《危機的状態》
第一封止設備。
粒子を生み出す施設とは表示されない。
封じる施設。
本来、内部へ留めておくべきものが、封じられていない。
粒子は外へ流れることを前提にしたものではなかった。
少なくとも、この状態で漏れ続けるべきものではない。
*
生体フィルターの第一タンクが、急速に青く染まった。
先ほどまで三一パーセント。
施設を視認できる場所へ立ってから、数十秒。
《RESERVOIR 1:64%》
数字が上がる。
《81%》
《94%》
周囲の粒子濃度が高いだけではない。
施設から流れてくる粒子量そのものが、これまでの谷とは桁違い。
私は退避方向を確認する。
第一タンク。
《100%》
《SEALED》
満杯。
封止。
入口の保水繊維逆止弁が閉じる。
竹導管の流れが止まる。
次の瞬間。
《RESERVOIR 2:ACTIVE》
第二タンクへ切り替わった。
交換式へした構造が、初めて実地で動いた。
第一タンクからの逆流なし。
吸気流量、正常。
繊維層の光も再び薄くなる。
設計は機能した。
だが、第一タンクが数十秒で満杯になった。
三本あっても、長く滞在できる場所ではない。
建物へ近づく余裕などない。
現在地から観察するだけでも、容量が失われ続ける。
*
それでも、目を離せないものがあった。
破裂した施設の中央。
眩しい粒子の奔流。
その中で、何かが動いた。
人影ほどの大きさ。
四眼の民ではない。
輪郭は光に溶けている。
二本の脚に見える。
腕のようなものもある。
だが、姿を正確には認識できない。
施設部品が揺れているだけかもしれない。
粒子が一時的に形を作っている可能性もある。
生物。
機械。
記録映像。
何も断定できない。
ただ、その輪郭は、こちらを向いていた。
私を見ている。
そう感じた。
装置は対象を識別しない。
警告も追加されない。
距離を縮めれば分かるかもしれない。
呼びかければ反応するかもしれない。
だが、私は一歩も前へ出なかった。
*
「違う」
小さく口にする。
「これは探索じゃない」
未知の生物を追う場所ではない。
遺跡の内部を調べる場所でもない。
「事故現場だ」
破裂した封止設備。
危機的状態。
未制御粒子の大量漏出。
第一タンクは満杯。
施設内には、正体不明の動く影。
情報は足りない。
装備も足りない。
接近する理由より、撤退する理由の方が多い。
私は静かに踵を返した。
走らない。
呼吸量を急に増やさない。
足を滑らせない。
第二タンクの容量を見ながら、来た道を一定速度で戻る。
《RESERVOIR 1:100%/SEALED》
《RESERVOIR 2:9%》
数分。
《16%》
さらに。
《24%》
施設から距離を取るにつれ、増加速度が下がる。
粒子濃度。
七九パーセント。
六八。
五六。
四〇パーセントを下回る。
身体の重さなし。
呼吸異常なし。
フィルター本体の流量、正常。
生体フィルターが機能していたから症状が出なかった。
そう考えるのが自然。
だが無傷と断定はしない。
帰還後も、時間を置いて体調を確認する必要がある。
帰還後、私は生体フィルターをすぐ分解しなかった。
まず吸気側と内側を分けて採取する。
外層。
青白い光が残る。
中央層。
安定化成分によって光は薄い。
内側。
目視できる粒子なし。
宇宙服本体の外気浄化フィルター。
流量低下なし。
前段装置が、少なくとも大量の粒子を本体へ届く前に捕らえたことは分かる。
ただし、身体症状がなかった理由を生体フィルターだけへ決めつけない。
滞在時間は短い。
前回と歩行速度も違う。
粒子の状態が場所ごとに異なる可能性もある。
今日は有効性を示す結果。
完全な防護性能の証明ではない。
満杯の第一タンクへ装置を近づける。
《BIOLOGICAL RESERVOIR》
《CAPACITY:100%》
《SEALED》
《ACTIVITY:88%》
黒光液の活性は残っている。
粒子を蓄えたことで死んだわけではない。
だが、取り外したまま長く置けば何が起きるか分からない。
私はタンクを温室の居住区から離し、石で囲った観察場所へ置いた。
時間。
光。
温度。
膨張。
漏れ。
十五分ごとに確認する。
少なくとも、その日の間に破裂や自発的放出は起きなかった。
第一タンクは腰へ付けたままにしない。
安全圏へ入ったあと、導管を封止。
保持具から外す。
二重の保水繊維と葉で包む。
高濃度粒子を蓄えた未知の容器として扱う。
再利用できるか。
施設へ接続できるか。
放出するか。
すべて未確認。
*
第3補助フィルターの温室へ戻る。
四眼の民は、私が帰ったことを確認して近づいた。
最初に、生体フィルター。
満杯になった第一タンク。
次に私の身体。
負傷がないことを見て、表情が少し緩む。
私は地面へ絵を描いた。
山。
半分埋まった六角形の建物。
中央から外へ吹き飛んだ壁。
そこから噴き出す粒子。
水へ流れ込む光。
施設中央に見えた人影。
四眼の民たちの表情が変わった。
数人が目を閉じる。
頭を下げる。
驚きではない。
初めて知った者の反応でもない。
古い傷を、再び見せられたような動き。
最初に出会った一人は、地面の破裂した施設を長く見つめた。
それから、粒子が漏れる部分へ手を置く。
首を横へ振る。
装置へ翻訳できる言葉は出ない。
それでも、彼らが第一封止設備の事故を知っていることは伝わった。
*
遠い記憶がよみがえった。
昔、聞いた話。
ある星。
ある国。
大きな地震。
そのあとに押し寄せた巨大な波。
とてつもない発電施設が壊れた。
本来、閉じ込められているはずのエネルギーが外へ漏れた。
周囲の土地。
水。
生物。
長い時間をかけて影響を受けた。
この惑星の第一封止設備と同じだと言う根拠はない。
粒子は放射線ではない。
施設も発電所とは限らない。
事故原因も分からない。
だが、構造は似ている。
本来は内部へ封じられていたもの。
設備の破損によって外へ漏れ続ける。
目に見えない、あるいは理解しにくい形で周辺環境へ影響する。
事故現場へ知識も防護もないまま近づけば、調査する者まで被害を受ける。
人影がいたからといって、助けに飛び込める状況ではない。
それが本当に生きた存在なら、なおさら、準備不足の自分まで動けなくなるべきではない。
*
さらに、修復した温室の役割を図へした。
第一封止設備。
未制御粒子。
川。
第3補助フィルター。
銀脈根。
温室。
農園と周辺の生態系。
もし上流の設備が、ただ粒子を閉じ込めるだけの施設なら、漏れを止めればすべて終わる。
だがデータスレートは、この世界が粒子によって生きていると伝えた。
温室は粒子を取り除くのではなく、生命が利用できる形へ整える。
ならば、第一封止設備も単純な廃棄物保管庫ではない可能性がある。
本来は必要な量だけを外へ送り。
温室が安定化し。
銀脈根や農園が利用する。
封止とは、完全に閉じて止めることではなく、流出量を制御する意味かもしれない。
現在は、その制御が失われている。
漏れる量が多すぎる。
未処理のまま外へ出る。
だから毒になる。
私は四眼の民へ図を見せた。
破裂施設。
流れ。
温室。
銀脈根。
生き物。
彼らはしばらく見つめたあと、温室を指す。
次に上流。
最後に自分たちの胸。
装置が断片を訳した。
《昔は、流れが続いていた》
続けて。
《流れが止まり、命が減った》
第一封止設備の事故は、粒子を外へ漏らしただけではない。
正常な循環そのものを壊した。
多すぎる場所。
届かない場所。
未制御の場所。
世界の均衡が崩れた。
温室を直した時、銀脈根が回復したのは、水だけが戻ったからではない。
制御された粒子の流れが、一部だけ再開したから。
農園は、粒子エネルギーそのものによって成立していたのではない。
生命が使える状態へ調整された粒子を受け取ることで、農園であり続けていた。
漏れを止めるだけでは足りない。
正常な流れを戻さなければならない。
研究ノートへ書く。
――粒子源ではない。
――第一封止設備からの漏出。
――施設中央は内側から破裂した形状。
――水は施設内部から流出し、未制御粒子を取り込んで川になる。
――第一タンクは数十秒で満杯。
――生体フィルター二型により、濃度七九パーセントでも身体症状なし。
――施設中央に人型の輪郭。
――正体不明。接近せず撤退。
次のページ。
――粒子は自然災害ではない可能性。
――施設破損による環境汚染。
――黒光実、銀脈根、環境維持施設は、漏出粒子を制御し循環へ戻す技術ではないか。
銀色装置が静かに表示を変えた。
《PRIMARY CONTAINMENT》
《STATUS:UNSEALED》
第一封止設備。
状態、未封止。
破壊済み。
修復不能。
そうは表示されない。
未封止。
本来あるべき封止状態へ戻っていない。
装置は、まだ修復という可能性を残している。
だが、それは今すぐ近づけという意味ではない。
漏れを止める方法。
施設を封じる材料。
内部の人影。
満杯になった黒光液タンク。
四眼の民が知る過去。
データスレートの残り三二パーセント。
調べるべきものは多い。
今日の成果は、施設へ到達したことではない。
粒子の正体をすべて解明したことでもない。
発生源だと思っていた場所が、漏出事故の現場だと分かったこと。
そして、今の自分にはそこへ入る資格も装備もないと判断し、無事に戻ったこと。
目的は変わった。
粒子がどこから来るかを探す。
そこまでは終わった。
次に必要なのは。
漏れを止める方法を見つけることだった。




