生き残る場所
最初に戻ってきたのは、規則正しい電子音だった。
短い音が二度。少し間を置いて、また二度。
警告音にしては弱々しく、目覚ましにしては切迫している。その中途半端な音が、意識の底に何度も引っかかった。
私は目を開けた。
視界の半分を、赤い非常灯が占めていた。
身体は座席へ押しつけられ、胸から腰にかけて固定帯が食い込んでいる。頭を少し動かすだけで、首の奥に鈍い痛みが走った。
何が起きたのかを思い出すより先に、呼吸できていることを確かめる。
一度、ゆっくり吸う。
吐く。
もう一度。
宇宙服の内部で空気が循環する音が聞こえる。焦げた臭いはしない。血の味もない。指を一本ずつ動かす。右手、左手。足首。膝。肩。
痛みはある。
だが、動かない場所はなかった。
正面の表示板では、文字が明滅していた。
《EMERGENCY POWER》
《DESCENT FAILURE》
《COMMUNICATION LOST》
降下失敗。
通信喪失。
その二つを読んだところで、ようやく記憶がつながった。
未知惑星への降下中、探査ポッドの姿勢制御が乱れた。
警告。
振動。
窓の外で回転する地表。
自動制御が何度も噴射を試み、どこかで金属が引き裂かれる音がした。
そして、衝撃。
それから先はない。
「墜落したのか……」
声はヘルメットの内側で妙に大きく響いた。
固定帯を外す。留め具は一度では動かなかった。もう一度押し込み、手首を返して引くと、ようやく外れた。
身体を起こした瞬間、頭の奥が揺れた。
私はそのまま動きを止める。
十秒ほど待つ。
吐き気はない。視界も二重にはなっていない。手袋の指先でヘルメットの側面に触れ、宇宙服の簡易診断を呼び出した。
《身体状態:良好》
《重大な外傷:検出されず》
表示を鵜呑みにはしない。
機械が正常だという保証もないからだ。
それでも、今すぐ命に関わる傷がないことだけは、自分の身体を動かして確かめられた。
次に、ポッドの状態を確認する。
主電源は落ちていた。
照明は非常灯のみ。
通信装置は反応しない。
外部アンテナ、姿勢制御、推進機構。表示される項目の大半が赤か灰色になっている。
生きているのは緊急電源と、生命維持系の一部だけだった。
自己診断画面を開く。
《外気浄化フィルター:使用可能時間 72時間》
《非常食:2食》
《飲料水:2L》
《医療キット:1》
《マルチツール:1》
《バッテリー残量:38%》
《通信:圏外》
《現地時刻換算:午前8時10分》
七十二時間。
数字だけを見れば、三日ある。
だが、それはフィルターが設計どおりに働き、この惑星の大気が想定以上に汚染されておらず、宇宙服にも損傷がない場合の話だ。
三日ではない。
最長で三日。
そう考えるべきだった。
非常食二食と、水二リットル。
救助を待つための量ではない。
通信は圏外。
救助信号が送られているかどうかさえ分からない。
私は表示を閉じ、ポッドの内部を見回した。
壁の一部が内側へ歪み、収納庫の扉が半開きになっている。床には細かな破片が散らばっていた。それでも船殻は完全には裂けていない。
少なくとも、今すぐポッドを捨てる必要はなさそうだった。
ただし、ここを最終的な拠点にするかどうかは別の問題だ。
墜落の衝撃音は、周囲の生物にも聞こえたはずだ。
機体から熱や臭いが出ている可能性もある。
何かが調べに来てもおかしくない。
私は外部カメラを起動した。
映像は何度か乱れたあと、ゆっくりと安定した。
最初に目へ入ったのは、空だった。
青ではない。
青に紫を混ぜたような、深く不思議な色。
雲は薄く、遠い空には巨大な輪を持つ惑星が浮かんでいた。あまりにも大きく見えるため、一瞬、空の一部が円形に欠けているように感じた。
地表は、三つの方向で大きく様子が違っていた。
南。
霧に覆われた森。植物は密集し、樹冠の隙間がほとんどない。
東。
岩の多い丘。遮るものが少なく、高い位置まで登れば周囲を見渡せそうだった。
西。
陽光を反射する細い川。映像だけでは水質も流れの速さも分からない。
風に乗って、聞いたことのない鳴き声が届いた。
低い声ではない。
遠い。
鳥に似ているようにも聞こえるが、同じ音が途中で二つに割れる。
外には、確実に生き物がいる。
同時に、植物がこれだけ存在するなら、大気中に酸素がある可能性は高い。
しかし、それだけでヘルメットを外す理由にはならない。
地球の植物と同じ代謝をしているとは限らない。酸素があったとしても、人間に有害な気体や胞子が混じっているかもしれない。
フィルターは七十二時間。
いずれ、外気を直接使う方法を見つけなければならない。
だが、それは今ではない。
まず必要なのは、夜まで生き残る場所だった。
ポッドは物資の保管場所として残す。
そのうえで、少し離れた場所に仮の寝床を作る。
地上に何がいるか分からない以上、人が登れる木の上がいい。
周囲に敵対的な生物や巣の痕跡がないこと。
見晴らしがあること。
ポッドへ戻れる距離であること。
最初から完璧な場所を探すつもりはなかった。
今日の夜を越せる場所。
まずは、それでいい。
私は医療キットと非常食、水を確認し、マルチツールを腰へ固定した。
ポッドの外扉を開く前に、外気圧を表示させる。
圧力差は大きくない。
急激な減圧の危険はなさそうだ。
手動開放レバーを引く。
扉が途中で引っかかり、金属のこすれる音を立てた。肩を当てて押し出すと、外の光が細い線になって差し込む。
さらに押す。
扉が開いた。
最初に宇宙服へ触れた風は、思ったよりも弱かった。
紫がかった空の下で、霧の森が静かに揺れている。
私はしばらく出口に立ったまま、周囲を観察した。
すぐ近くに動くものはいない。
地面には墜落時に抉られた跡が残り、土と砕けた岩が散らばっている。ポッドの外殻から煙は出ていない。
十秒。
二十秒。
三十秒。
何も近づいてこない。
私は地面へ降りた。
重力は地球と大きく変わらないように感じる。数歩歩いても、身体が異様に重い、あるいは軽いということはなかった。
ポッドから南へ向かう。
森に入る前に、一度振り返った。
戻る方向を間違えないよう、地形を頭へ入れる。
墜落地点の片側には割れた黒い岩。
反対側には、枝の先が二又になった低木。
ポッド自体は目立つが、森の中へ入れば見えなくなる。
私はマルチツールを手に持ち、霧の中へ足を踏み入れた。
*
森へ入って最初に感じたのは、静けさだった。
風が弱い。
枝葉はわずかに揺れているのに、葉のこすれる音がほとんど聞こえない。
遠くでは鳥のような声が続いていた。
だが姿は見えない。
地面を覆っているのは、紫色の苔だった。踏むと沈むが、胞子や液体を噴き出す様子はない。
樹木は地球の木に似ていた。
ただし、幹は真っすぐではなく、太い繊維を何本もより合わせたように螺旋状へねじれている。
触れない。
必要もないのに未知の植物へ手を出す理由はなかった。
歩くたびに、前方、左右、頭上、足元の順で視線を動かす。
木の上に何かいないか。
草の陰に動くものはないか。
地面に穴や糞、食べ残しがないか。
木そのものだけでなく、その周囲を使っている生物がいないかを探す。
数分進んだところで、私は足を止めた。
木の根元に、足跡があった。
三本指。
長さは十八センチほど。
人間のものではない。
苔の沈み方と、縁の崩れ方を見るかぎり、古い跡ではなさそうだった。
足跡は森の奥へ向かっている。
一つではない。
何歩分か続いている。
体重や歩幅までは分からないが、少なくとも小さな虫のような生物ではない。
私は追わなかった。
今の目的は生物を見つけることではなく、生物がいない場所を見つけることだ。
顔を上げる。
三十メートルほど先に、枝の多い木があった。
高さは四、五メートル。
登るだけなら難しくなさそうだ。
周囲も比較的開けている。
条件には近い。
だが、近づく前に違和感を覚えた。
幹の途中に、白いものが貼り付いている。
一つや二つではない。
十数個。
殻のようにも見える。
卵かもしれない。
菌類かもしれない。
樹皮の一部が変色しているだけかもしれない。
距離があるため、形までは分からない。
そのとき、森の奥から乾いた音が響いた。
――カコン。
木を叩いたような音。
一定の間隔ではない。
しばらく待っても、次の音はすぐには来なかった。
誰かが作業しているようにも聞こえる。
だが、そんなふうに考えるのは、人間の音へ置き換えようとしているだけかもしれない。
この木へ近づけば、白いものの正体は分かる。
足跡を追えば、生物の姿を確認できるかもしれない。
音の方向へ進めば、この森について大きな情報が得られる可能性もある。
しかし、今はそのどれも必要ではなかった。
白い殻が無害なら、それで終わる。
だが卵なら、親が戻ってくる可能性がある。
寄生生物なら、近づいたこと自体が危険になる。
毒を持つ菌類なら、胞子を浴びるかもしれない。
正体を知る利益より、避けることで失わないものの方が大きい。
「ここはやめよう」
私は木から距離を取り、足跡の進行方向も避けるように森を迂回した。
知らないものには近づかない。
それは臆病なのではない。
情報のない状態で危険を引き受けないだけだ。
十数分ほど進むと、森の様子が変わった。
木々の間隔が広がり、地面も乾いている。霧は薄く、周囲を見通しやすい。
その中央に、大きな木が立っていた。
高さは十二メートルほど。
太い幹が途中からいくつにも分かれ、丈夫そうな枝を広げている。螺旋状の溝が幹を上まで走っており、手足を掛ければ登れそうだった。
私はすぐには近づかず、木の周囲を大きく回った。
新しい足跡はない。
糞もない。
食べ残しもない。
枝の上に大きな巣は見当たらない。
近くで鳴き声もしない。
少なくとも、今この瞬間、この木を使っている大型生物はいないようだった。
ただし、地面には二つの奇妙なものがあった。
一つは、木の根元に落ちている黒い実。
三個。
直径十五センチほど。
表面には金属のような光沢があり、果実というより、黒い球形の容器に見えた。
もう一つは、木の周囲に開いた小さな穴だった。
直径三センチほどの穴が、十個以上。
周りには掘り返した土が盛り上がっている。
何かが地中を出入りしている。
大きな木そのものは、仮拠点に向いている。
しかし、穴の正体を知らないまま、その真上で眠るのは不安が残る。
まずは、木ではなく周囲を知る必要があった。
私は黒い実へ視線を戻した。
地面へ落ちている。
割れた跡はない。
近くには穴がある。
何かが食べているようには見えない。
素手では触れず、マルチツールの先端を伸ばす。
少し離れた位置から、実を軽く押した。
実はころりと転がった。
見た目より重い。
乾いた果実なら、もっと軽いはずだった。
もう一度、角度を変えて転がす。
カチッ。
小さな機械音のような音がした。
私は動きを止めた。
黒い表面の一部に、細い隙間が開いている。
殻が、規則的な形に割れた。
裂けたというより、最初からそこに継ぎ目があったように見える。
隙間から出てきたのは、種でも果肉でもなかった。
透明なゼリー状の物質。
それが空気に触れた瞬間、白い靄を引きながら減り始めた。
シュウゥゥ……。
私はすぐに数歩下がった。
宇宙服の外気浄化フィルター越しに、かすかな甘い匂いが届く。
警告表示は出ていない。
それでも近づかない。
蒸発する物質が無害だという保証はない。
数十秒で、透明なゼリーは完全に消えた。
あとに残ったのは、黒い殻だけだった。
内部は空洞。
種を守るための容器のようにも見えるが、中に種らしいものはない。
蒸発したゼリーそのものが何らかの役割を持っているのか。
あるいは、すでに発芽に必要な部分が失われた実なのか。
判断できる材料はなかった。
私が空になった殻を観察していると、足元で小さな音がした。
コツ。
反射的にマルチツールを向ける。
穴の一つから、小さな頭が出ていた。
灰色の生物。
体長は、頭の大きさから考えて十センチほどだろう。
目が四つある。
左右に二つずつ。
それぞれがわずかに違う方向を向きながら、こちらを見ている。
私は動かなかった。
生物も動かない。
やがて、そいつが首を傾げた。
私がほんの少し姿勢を変えると、同じ方向へ首を傾け直す。
別の穴から、もう一匹が顔を出した。
襲ってくる様子はない。
歯を見せることも、威嚇音を出すこともない。
ただ、こちらを見ている。
しばらくのあいだ、私は二匹の小さな生物と見つめ合った。
やがて二匹は、ほとんど同時に穴へ引っ込んだ。
地上には何も残らない。
敵ではない。
そう決めるのは早い。
現時点で攻撃してこなかっただけだ。
それでも、穴から出てきた時機には意味があるように思えた。
私が黒い実を転がし、殻が開いた直後。
音か、振動か、匂い。
何かに反応した可能性がある。
私は木の幹から少し離れた場所へ移動し、そのまま待つことにした。
*
三十秒。
一分。
二分。
森は静かなままだった。
何もしない時間は長く感じる。
動けば、何かを得られる。
だが、待たなければ見えないものもある。
やがて、一つの穴から灰色の頭が出た。
次に別の穴。
さらに二つ。
最後に、少し離れた穴から一匹。
全部で五匹。
四つの目を持つ小さな生物たちは、周囲を確認するように顔を動かしたあと、地上へ出てきた。
「キッ」
「キキッ」
短く鳴き交わす。
一匹が黒い実へ近づいた。
口を使うのかと思ったが、そうではなかった。
前足を実へ当て、押す。
反対側から、もう一匹が加わる。
二匹で実を転がし始めた。
動きは慣れている。
偶然見つけた物を調べているのではない。
普段から同じことをしている。
穴の近くまで運んだところで、実は止まった。
直径十五センチの実は、三センチほどの穴には入らない。
すると一匹が前足で実の表面を叩いた。
一度。
二度。
三度。
カチッ。
殻が開く。
透明なゼリーが外へ出た。
小さな生物たちは、ゼリーへ近づかなかった。
食べようともしない。
ただ、その場で待っている。
やがてゼリーが蒸発し、黒い殻だけになる。
今度は何匹かで殻を分けて持ち、穴の中へ運び込んだ。
欲しいのは中身ではない。
殻だ。
食料として集めているわけではない。
巣材か。
道具か。
身体を守るためのものか。
使い道は分からない。
しかし、黒い実と小さな生物の間に関係があることは分かった。
私はさらに観察を続けた。
五匹は別の実へ向かおうとした。
その途中で、全員が同時に動きを止めた。
同じ方向を向く。
森の奥。
――カコン。
あの音だった。
先ほどより近い。
次の瞬間、五匹は一斉に穴へ飛び込み、姿を消した。
迷いがなかった。
相談する様子もない。
音がしたら逃げる。
それが生き残るための決まりであるかのようだった。
私は音のした方向を見た。
木々と霧の向こう。
何も見えない。
この惑星で暮らしている生物が、即座に隠れる音。
それを無視して、正体を確かめに行く理由はない。
ただし、どこで鳴っているのかは知っておきたかった。
地上から近づく必要はない。
上から見る。
私は大木へ近づいた。
幹の螺旋状の溝へ手を掛ける。
体重を少しずつ預け、樹皮が崩れないことを確かめる。
足を上げる。
三メートル。
五メートル。
七メートル。
宇宙服のまま木へ登るのは楽ではなかったが、溝は思ったよりも深く、滑りにくい。
枝の太さを確かめてから、身体を引き上げる。
その枝は私の体重を支えた。
さらに少し上へ登り、霧の上へ顔を出す。
視界が一気に開けた。
西には、銀色に光る川。
上から見た時よりも細く見えるが、表面の光の流れは速い。
東には、岩の丘。
この周辺では最も高い場所らしい。通信を試すなら、いずれあそこへ行く必要があるかもしれない。
南には、森が続いている。
その中に、一か所だけ不自然な空白があった。
直径三十から四十メートルほど。
ほぼ円形に、木が一本も生えていない。
自然にできた空き地としては、形が整いすぎている。
――カコン。
今度は音の方向が分かった。
円形の空き地。
その中心付近で、何かが動いている。
距離は三百メートルほど。
双眼鏡はない。
細部までは見えない。
それでも、何かが木を叩いていることだけは分かった。
動物のような滑らかな動きではない。
一定のリズムで作業しているわけでもない。
止まる。
少し動く。
また叩く。
生き物なのか、風で動く何かなのか。
判断できない。
目を凝らしていると、視界の端を大きな影が横切った。
私は反射的に空を見上げた。
翼を持つ何かが、音もなく滑空している。
翼長は六メートル以上。
大きければ八メートルほどあるかもしれない。
高度は高い。
こちらへ向きを変える様子はない。
私は枝へ身体を寄せ、動きを止めた。
影は森の上を横切り、そのまま遠ざかった。
あれが何を食べるのかは分からない。
少なくとも、木の上なら必ず安全というわけではないことだけは分かった。
しかし、地上に比べれば、周囲を確認しやすい。
逃げ道も選べる。
今の時点で、この木より条件のよい場所は見つかっていなかった。
枝へ視線を戻した時、乾燥した蔓が何本も絡みついていることに気づいた。
手で引いてみる。
しなる。
だが、簡単には切れない。
ロープの代わりになるかもしれない。
私は一度木を降り、周囲をもう一度確認した。
穴から小さな生物は出てこない。
新しい足跡もない。
空から戻ってくる影も見えない。
ここを仮拠点にする。
完全に安全だからではない。
今まで確認した中で、危険が最も少なく、危険を見つけやすい場所だからだ。
*
私はマルチツールで蔓を切り始めた。
切断面から液体は出ない。
粉も飛ばない。
一本を採るたびに、折り曲げ、引っ張り、強度を確かめる。
細いものを命綱には使わない。
太さの近いものをまとめ、荷重が一か所へ集中しないように結ぶ。
十二本ほど採取するまでに、二十分近くかかった。
次に、木の上で休める場所を探した。
枝が三方向へ分かれている箇所。
背中を幹へ預けられる。
足元には太い枝が二本あり、少し身体をずらしても落ちにくい。
まず一本の蔓を幹へ回し、自分の身体を固定できる長さに調整する。
結び目へ力をかける。
一度では足りない。
別の蔓を重ねる。
落下防止のため、枝と枝の間にも何本か張った。
家ではない。
雨も防げない。
風が強くなれば危険だ。
大型の飛行生物に見つかれば、逃げ場所にもならないかもしれない。
それでも、眠っている間に地上の何かへ近づかれる危険は減らせる。
少なくとも身体を固定して休める。
今夜を越えるための場所にはなった。
私は作ったばかりの足場へ腰を下ろした。
枝がわずかに沈む。
蔓は切れない。
身体を左右へ動かし、結束部を確認する。
問題はなさそうだった。
午前九時五十四分。
墜落から、まだ二時間も経っていない。
それでも、ポッド以外に戻る場所が一つできた。
私はこの木を、仮拠点αと呼ぶことにした。
最初の拠点。
ただし、ここへ住み続けると決めたわけではない。
より安全な場所が見つかれば移る。
危険の兆候があれば捨てる。
名前を付けたからといって、場所へ執着してはいけない。
残った蔓を整理しようとした時、枝の隙間で光が反射した。
黒い実ではない。
樹液でもない。
私は手を止めた。
枝と幹の間に、細長いものが挟まっている。
長さは十センチほど。
銀色の円柱。
表面には汚れが付着しているが、腐食しているようには見えない。
片端には、透明なレンズに似た部分。
反対側には、押し込めそうな小さな突起がある。
そして側面には、文字らしき刻印。
私は読めなかった。
ポッドの部品ではない。
自分が持ち込んだ装備でもない。
自然にできたものでもない。
この木の枝へ、銀色の人工物が挟まっている。
誰が作った。
誰がここへ持ってきた。
いつからあった。
私は円柱へ手を伸ばしかけ、止めた。
黒い実を調べた時と同じだ。
用途の分からないものを、いきなり作動させる必要はない。
まず外観を記録する。
周囲を確かめる。
安全な場所で調べる。
私は銀色の装置を慎重に回収し、他の物資とは分けて固定した。
眼下では、黒い実の木の根元に開いた小さな穴が、何事もなかったように並んでいる。
南の森からは、もう「カコン」という音は聞こえなかった。
空には巨大な輪を持つ惑星が浮かび続けている。
ここは無人の惑星ではないのかもしれない。
少なくとも、かつて誰かがいた。
あるいは、今もいる。
けれど、それを確かめるのは後だ。
水源。
食料。
外気浄化フィルター。
夜の危険。
解決していない問題はいくつもある。
私は仮拠点αから、墜落したポッドの方向を確認した。
まだ見失ってはいない。
次に向かうべき場所も決まっている。
西の川。
非常用の水二リットルだけでは、生き続けられない。
人工物の謎より、まず水だ。
未知のものを見つけても、必要な順番を変えない。
それが、この惑星で最初に決めた私自身のルールだった。




