異世界召喚されたので、まず単位を確認した
物理学徒が異世界召喚され、魔法を「未知の物理」として解析していく話です。
ゆるめのコメディ多めで進みます。
「君こそが、伝説の勇者様です!」
目の前の金髪美少女が、両手を胸の前で組みながら、きらきらした目でそう言った。
白亜の神殿。床には巨大な魔法陣。周囲にはローブ姿の老人たち。高い天井から差し込む光。いかにも「異世界に来ました」と言わんばかりの状況である。
普通なら、ここで主人公は戸惑い、叫び、あるいは美少女に見惚れるのだろう。
だが俺、佐伯蓮は違った。
「……すみません。ここ、重力加速度いくつですか?」
「じゅう……?」
「いや、なんか身体が微妙に軽いんですよ。地球より数パーセント低い気がする。あと空気の組成も気になる。酸素濃度が違うと頭の働きに影響が出るので」
神殿が静まり返った。
金髪美少女の笑顔が、ゆっくり固まっていく。
しまった。最初の一言を間違えた気がする。
俺は東京の大学院で素粒子論を研究している、博士課程二年のしがない学生だった。研究テーマはダークマター。宇宙の大半を占めているはずなのに、正体がよくわかっていない謎の物質である。
朝から晩まで数式と論文に埋もれ、教授には「この計算、来週までに直して」と無茶を言われ、後輩には「佐伯さん、この発散って物理的にどう解釈するんですか」と刺され、カフェインと自己欺瞞で生きていた。
そんな俺が、徹夜明けに研究室の机で気絶し、気づいたらこの神殿に立っていた。
なるほど。夢か、幻覚か、あるいは過労による脳のバグだ。
だが、床の冷たさも、空気の匂いも、手の震えも妙にリアルだった。
「勇者様……? あの、聞こえていますか?」
金髪美少女が恐る恐る尋ねる。
「あ、はい。聞こえています。すみません、状況説明をお願いします。あと、できれば水をください」
「は、はい! 私はエリシア・ノルンヴェイル。この国の第一王女です。そして勇者様、あなたは魔王を討つため、古の召喚魔法によってこの世界に呼ばれたのです!」
出た。
魔王。
召喚魔法。
第一王女。
情報の圧が強い。論文ならイントロで査読者に怒られる密度である。
「なるほど」
俺は深呼吸した。
魔王を倒す。世界を救う。美少女王女。伝説の勇者。
ここまでテンプレが揃うと、逆に安心感がある。問題は、俺が勇者向きではないことだ。
「確認なんですが、俺に剣術経験はありません。運動も苦手です。高校の体力測定では反復横跳びで隣の人にぶつかりました」
「で、ですが勇者様には、召喚と同時に神より授けられた特別な力が――」
「力?」
その言葉に、周囲の老人たちがざわめいた。
一人の白ひげの老人が前に出る。
「勇者様。どうか右手を掲げ、『ステータス・オープン』と唱えてくだされ」
うわ、本当にあるのか。
俺は半信半疑で右手を上げた。
「ステータス・オープン」
次の瞬間、目の前に半透明の板が浮かび上がった。
名前:佐伯蓮
職業:異界の観測者
レベル:1
筋力:7
敏捷:6
耐久:8
魔力:測定不能
固有スキル:解析
称号:理の外より来たりし者
神殿がどよめいた。
「魔力、測定不能……!」
「やはり伝説は真であったか!」
「勇者様だ! 我らは救われる!」
老人たちは感極まっている。
一方、俺はステータス画面を見つめながら眉をひそめていた。
「筋力7って低くないですか?」
「勇者様、見るべきはそこではありません!」
エリシア王女が珍しく強い口調で言った。
「魔力測定不能です! これは歴代勇者にもなかったほどの才能です!」
「いや、測定不能って、上限を超えている場合と、測定系が壊れている場合がありますよね」
「そ、測定系……?」
「あと単位がない。魔力の単位は何ですか? ジュール? 電子ボルト? いや、この世界独自の量なら基準量が必要で……」
俺がぶつぶつ言っていると、白ひげの老人が両手を広げた。
「勇者様。では実際に魔法を使ってみましょう。こちらへ」
案内されたのは神殿の奥にある訓練場だった。
石造りの広い空間。その中央に、丸太でできた人形が立っている。
「まずは初歩の火球魔法です。手のひらに魔力を集め、炎を思い描き、『ファイアボール』と唱えるのです」
「詠唱は必要なんですか?」
「はい。魔法とは言葉により世界の理へ命じる技です」
「言葉で物理法則を書き換える?」
「ぶつり……?」
「いえ、続けてください」
俺は右手を前に出した。
魔力を集める、という感覚はよくわからない。だが、体の内側に妙な熱のようなものが流れているのは感じる。
これが魔力か。
もし本当にエネルギーの一種なら、保存則はあるのか。外部場との相互作用か。媒質は何か。そもそも「炎を思い描く」だけでエネルギーが発生するなら、熱力学第二法則はどうなっている。
考えれば考えるほど、怪しい。
だが、まずは実験だ。
「ファイアボール」
ぼふっ。
俺の手のひらの先に、小さな火の玉が浮かんだ。
周囲から歓声が上がる。
「おおっ!」
「初めてで成功なさるとは!」
「さすが勇者様!」
だが俺は、その火球を見て思った。
小さい。
いや、十分すごいのかもしれない。手から火が出ている時点で地球なら大事件だ。だが、魔王を倒す力としては心もとない。チャッカマンよりは強いが、火炎放射器には遠い。
「これ、温度どのくらいですかね」
「勇者様?」
「色からすると赤橙色。黒体放射として考えれば……いや、魔法炎だから普通の熱放射と同じとは限らないか」
俺は火球に意識を集中した。
その瞬間、固有スキル『解析』が発動した。
視界に、細かな文字列が流れ込んでくる。
魔力密度。流速。術式構造。周辺大気との反応。熱変換効率。
数式ではない。だが、意味はわかる。
この火球は、俺の魔力を熱へ変換している。詠唱はトリガーにすぎない。重要なのは、魔力の流れをどのように組むかだ。
つまりこれは、未知の場を用いたエネルギー変換装置。
魔法ではなく、技術だ。
「……なるほど」
俺は思わず笑った。
徹夜明けの頭が、一気に冴えていく。
わからないものがある。測れる。いじれる。法則がありそうだ。
それだけで、少し楽しくなってしまった。
「勇者様?」
「すみません。もう一回やります」
俺は詠唱せず、手のひらの魔力の流れを少しだけ変えた。
熱変換効率を上げる。拡散を抑える。球形ではなく、前方に細く絞る。
火球ではなく、熱線に近い形へ。
次の瞬間。
轟ッ!
赤い閃光が訓練場を貫き、丸太人形を一瞬で炭に変え、その後ろの石壁に黒い穴を穿った。
静寂。
白ひげの老人が杖を落とした。
エリシア王女が口元を押さえた。
俺は手のひらを見つめた。
「……ファイアボール、最適化できました」
誰も何も言わなかった。
やがてエリシア王女が、震える声でつぶやく。
「勇者様……今のは、上級魔法ですか?」
「いえ。初歩魔法の係数を少しいじっただけです」
「係数」
「はい。たぶんこの世界の魔法、かなり無駄が多いです」
その瞬間、周囲の魔術師たちの顔色が変わった。
尊敬ではない。
畏怖でもない。
どちらかというと、「この男、余計なことを言い出したぞ」という顔だった。
だが、もう遅い。
俺は確信していた。
魔王討伐とか、勇者の使命とか、そういう話はまだよくわからない。
けれど、この世界には法則がある。
魔法という名の未知の物理がある。
ならば俺がやるべきことは一つだ。
観測し、仮説を立て、実験し、理論化する。
そしてできれば、論文にする。
「エリシア王女」
「は、はい」
「魔王を倒す前に、図書館に行きたいです」
「……図書館、ですか?」
「はい。この世界の魔法体系を、基礎から全部見ます」
俺は焼け焦げた丸太人形を見ながら言った。
「たぶん俺、剣で戦うより、魔法の教科書を書き換えた方が強いです」
神殿の外で、鐘が鳴っていた。
こうして俺の異世界生活は始まった。
勇者としてではない。
異世界初の、魔法物理学者として。
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