傷跡(1)
「……ねぇ、それ、やめてもらえる?」
シンシアは向かい合う人物に淡々と告げた。
「シンシア、どうした? もしかして俺を忘れたか?」
焦げ茶色の髪に深い緑の瞳を持つ優しい顔立ちの男だ。羽織っているのは金の装飾が施された夜空色のマント。その者はシンシアにゆっくりと近づき頬に手を伸ばす。
だが、彼女はその手を思いきり叩いた。
「なにもわかっていないわ。師匠は女性に許可なく触れたりはしないもの」
「……チッ」
舌打ちした男は、一瞬にして泥を纏い元の姿へと戻った。妖艶な体つきの女性、ミスフィットの一人ロージーへと。
彼女は黒魔法の『模倣』を使い、シンシアの師匠であり魔物との大規模戦争にて命を落とした元五芒星サイラスへと姿を変えていたのだ。
シンシアは初めこそ驚いたものの、見た目は良く似せているが中身の精度が伴っていない模倣にあきれ果てていた。
「は? なに? あの人のことは私が一番わかっているって? 女々しいおばさんね」
「あなたの模倣が下手くそだからよ」
再び舌打ちを鳴らしたロージーは「今度はどうよ」とルーカスへと姿を変えた。藍色の髪に緑がかった藍色の瞳、口元には黒子。ルーカスの容姿特徴そのものだ。
「そうね。ルーカスさんをよく知らないから何とも言えないけれど、そう。その姿になれるってことは、国家魔法機関に侵入したのはあなたなのね」
豊満な胸に手を乗せると顔を俯かせたシンシア。反して顎を上げて高笑いをするロージー。彼女は愉悦に浸っていた。自分の模倣がいかに優れていたかをシンシアの反応で実感したからだ。
「……では、いたいけな少女のお腹に穴を空けたのもあなたなのね」
「それが何よ。突然加入した何もできないこどもに気を配ることなんてある? むしろ迎えに行ってあげただけえらいでしょ」
顔を上げたシンシアの表情からは微笑みが消えていた。冷めた黄色の瞳で彼女を見据える。
「ルイちゃんをあんなに悲しませたのもあなたね」
「みんなして『ルイ、ルイ、ルイ』って、あんたたちもまるであのこどもに洗脳されているようね!」
挑発する彼女など意に介さず穏やかな微笑みを表情に戻したシンシアは頬に手を当てて告げた。
「良かったわ。……これで遠慮なくあなたを地の底に沈めることができる」
シンシアがそう呟いた時にはロージーはすでに土の中に沈んでおり、辛うじて顔が覗いている程度。その口には土が含まれ苦しそうにもがいている。そして、顔は『模倣』の黒魔法を使った代償で醜く歪み始めていた。
「大丈夫、死にはしないわ。でも、死んだ方がましだと思うくらい苦しいかもね」
冷酷な瞳で彼女に吐き捨てるとシンシアは振り返り、洗脳されて虚ろな瞳をしている国家魔法使いたちと向き合った。
「ほら、あなたたちもこうなりたくなかったら洗脳を自分で解いてちょうだい。面倒くさいことは嫌いなの」
「シ、シシ、シンシアさん……! こいつらは俺たちが引き受けるんで、他のところの援助に行ってください!」
ルイの綿毛で先に洗脳が解けた国家魔法使いたちが急いでシンシアを止めに入る。彼女なら本当にやりかねないと察したからだ。
「そう? じゃあ任せるわね」
作り笑いを浮かべる国家魔法使いたちに首を傾げたシンシアは後腐れなくその場を去っていった。胸を撫で下ろした彼らは気合を入れて、仲間たちが犯罪に加担しないよう必死に止めるのだ。
◇
「……な、なにを使った!?」
ローガンに詰め寄ったフィンは背伸びをして彼の顔を見上げる。彼は黒魔法を使ってもまだ代償を払っていなかったのだ。途端恐怖に襲われ、聞かずにはいられなかった。
天を仰いだローガンはあの日のことを脳裏に浮かべ、掠れた声で答える。
「……『蘇生』だ」
――――――
『……クロエ……?』
胸に穴が開けられ、一瞬にして息絶えてしまった聖女――クロエを抱きしめて呆然自失としているリオン。
『リオン、まだ終わっていない。立て!』
ローガンは二人を魔物から守りつつリオンに喝を入れる。だが、彼は聖女の名を呼ぶだけでローガンの声は届いていなかった。
――戦争終結後、他の国家魔法使いたちが後始末に追われている中、ローガンはまるで石化しているように動かないリオンの傍に残った。
『……リオン。聖女様を――』
『死んでないよ……。まだ暖かいからね』
その痛々しさにローガンは目を逸らしたくなる。
(でも、こいつに向き合ってあげられるのは、今は俺しかいない)
と、彼はリオンの頭に腕を回し自身の胸へと引き寄せた。
『……クロエが聖女に選ばれた時、俺は誓ったんだよ。国家魔法使いになって傍で守るって……』
家が近くまた歳も近くだった二人は幼いころからよく遊ぶ仲だった。12歳で聖女に選ばれたクロエ。二人の道は別たれると思われたが、リオンは彼女の傍にいることを選んだ。それが国家魔法使いの道だったのだ。
『……暖かいんだよ、ほら』
瞳孔が開ききっている目でローガンの手を掴んだリオンは彼女の肌に触れさせた。確かにまだ暖かさはある。だが、呼吸はしていなかった。
『だからね、ローガン。できると思うんだ』
『……よせ。引き返せなくなるぞ』
『俺はどうなったっていい。クロエが生きてさえいれば』
その言葉と同時に、クロエの胸の傷に置かれたリオンの手が光り出した。その光はクロエの体をも飲み込み光り続ける。
『やめろリオン!』
『くるな!! 邪魔するな!!』
ローガンはリオンから飛ばされる怒号に思わず足を止めた。だが、彼が足を止めた理由はそれだけではない。クロエの胸に空いていた穴が塞ぎ始めていたからだ。
『大丈夫だ、クロエ。……今、助けるから』
(もしかして本当に蘇生が……)
ローガンの胸にも希望の火が灯ったがそれは一瞬にして砕ける。リオンの鼻と瞳から血が流れていたからだ。全頭が赤かった髪からも徐々に色素が抜け白くなっている。
それはまるでリオンから生気を吸っているようだった。
『やめろ、リオン!! お前が死ぬだろうが!!』
ローガンは咄嗟にリオンの腕をつかみ叫ぶ。突然襲い掛かる全身の痛み。鼻の奥から生暖かいものが流れてくる気配を感じる。リオンの腕を掴んだことでローガンからも生気が抜き取られていたのだ。
(……ああ、これが代償か……)
そう実感しつつ、ローガンはリオンの手をクロエの体から離す為に力を込める。
『……やめてよ、ローガン。あとちょっと。あと、ちょっとなんだ……』
クロエの傷はもう塞がりかけていた。嬉しさに満ちた顔を上げてローガンを見たリオンだったが、赤い瞳が捕らえたのは両鼻と片目から血を流し苦痛に顔を歪めている彼だった。黒い髪も部分的に色素が抜けかけている。
リオンは唐突に理解した。今自分がしていることがどれほど恐ろしいことなのか。そして、他人を巻き込んでいるという事実に。
咄嗟にクロエから手を離したリオン。光は収まり、クロエの傷の修復も硬貨大ほどの穴を残して止まった。
『……リオン、悪いな、力になってやれなくて』
ローガンはリオンの頭に手を置くと申し訳なさそうに眉を下げる。
『……ローガン、血が。それに髪も……』
『ああ、これぐらいはどうってことないさ。……よく、踏みとどまれた。偉かったぞ』
ローガンの大きな手に頭を優しく撫でられ、リオンはやっと涙を流すことができた。彼の胸で声が枯れるほど泣き続けた。




