口が縫われた少女(2)
個人の研究室に籠っていたウィンストンとカミーユ以外の国家魔法使いのことは全員知っているルイ。そのため少女が国家魔法使いでないことはすぐにわかった。
いまだ自分に威嚇している少女を落ち着かせるよう優しく微笑んだルイは問いかける。
「ここに来たってことは、カミーユさんに用事があったのですよね。邪魔してしまってごめんなさい」
少女は怒る素振りすら見せないルイにやや警戒を解き再びマントで口元を覆うと、その場で膝を抱えた。
「お名前を聞いてもいいですか?」
少女は何も答えず睨みつけるような視線をルイに向けたまま。
「……もしかして喋るのが難しい?」
首を傾げたルイを見据えていた少女だったが、耐えきれなくなったのか渋々と頷く。
「わかりました」
と、大きく頷いたルイは突然なにもない空間に話しかけ始めた。少女は訳がわからず眉を顰めて様子を伺う。だが、“霊”が見える特別な目を女神様から授かっているルイには見えているのだ。自分の周囲を舞う魔力の精霊が。
「魔力の精霊さん、紙とペンを持ってきてもらえる?」
――わかった
――待っていてね
――私たちの愛しの子
「ふふ、ありがとう。‘Olu Makana」
開いている窓の外に向けてそっと魔法をかけると精霊が風に乗って出て行く。不信感を募らせている少女にルイは「もう少し待っていてください」と微笑みかけた。
ほどなくして戻ってきた精霊から紙の束とペンを受け取ったルイは少女の前に置く。
「これで会話しませんか?」
少女は上目遣いに小さく頷いた。紙の上を走っていくペン。書かれたのはたった一言だった。
《キキ》
「キキ……。あなたの名前ですか?」
再び小さく頷いた少女にルイは花が綻ぶように笑顔を咲かせると、彼女と少しだけ距離を詰める。少女――キキからは嫌がったりあとずさったりする素振りは見られなかった。
「僕はルイです。キキって、素敵なお名前ですね。なんだか猫みたい。あれ? 違うか?」
ルイの言葉に少し目を輝かせたキキは紙にペンを走らせる。
《ネコ、すき》
「そうなんですね! 僕もです。犬は?」
《イヌもすき》
「わあ! じゃあ後でチップに会いませんか? とっても可愛い犬なんです」
《会いたい》
会話を交わすことで徐々に打ち解けた二人は、紙を挟み向かい合うほどまでに距離も近づいていた。
「ところで、キキさんはどうしてここに?」
身構えたキキ。ペンを握る手が少し震えている。
紙に視線を落としていたルイは顔を上げて彼女の様子を伺った。そして、ふとあることに気付いてしまう。
「……糸が、ほどけている……?」
彼女の口を縫っている赤い糸の端がほつれていたのだ。口を開いたら今にもほどけそうだ。キキは慌ててマントで口元を隠そうとするがルイに手を掴まれ動きを止める。
ルイの瑞々しい葉のような萌黄色の瞳とキキの赤い瞳、互いに揺れていた。
「……糸、解きたい?」
ルイは彼女の目を見つめたまま優しく問いかける。赤い大きな目はゆっくりと開かれ、とうとう耐えきれなくなり涙を零し始めた。
「……とっ、……て。……ルイ……」
キキの口から紡ぎ出されたか細い声。ルイは彼女の手を強く握ると「うん」と目を細めて頷く。
「……‘Olu Makana」
彼女の口を縫っている赤い糸へ囁くように魔法をかけたルイ。命が吹き込まれた赤い糸は、横へゆっくりと動く彼の人差し指に従った。糸が抜かれた彼女の口はもう自由だ。
「これでもう大丈夫」
柔らかく微笑んだルイへ飛びついたキキは、彼をそのまま強く抱きしめる。
「……あり、がとう……」
「……うん」
ルイも彼女を抱きしめ返した。そして、彼女の背後へ視線を向ける。キキと同じ赤い色の瞳を持つ白髪の女性へ。彼女――亡霊は、キキがここに入ってきた時からずっと見守るように寄り添っていたのだ。
『……ありがとう。でも、気を付けてね』
女性はルイにそれだけ告げるとふわりと姿を消した。
ルイは抱きしめ合っていた体を離すと、ずっと気になっていたことをキキに問いかける。
「魔法も無理やり使わされているの?」
「……どう、して?」
「だって、オークションの時僕を攫ったのは君の魔法でしょう?」
「……なんで? 気付いていたの?」
「うん。……君のそばにはずっとお姉さんがいたから」
「……おねえ、ちゃんが……?」
今はもういなくなってしまったが彼女がいた空間へ視線を向けながらキキへ尋ねるルイ。
「会いたい?」
「……うんっ、会いたいっ!!」
「お姉さんとの思い出の“物”はある?」
「あ、これ」
フードを下して露になったキキの黒髪。右側に寄せられた前髪にはピンク色のハート型ヘアピンがつけられていた。押さえがなくなった長い前髪は目を隠す。
「これ、お姉ちゃんが、くれたもの」
キキから受け取ったヘアピンに魔法をかけようと目を閉じたルイだったが、顔に生暖かい何かが飛び散ったことで止まってしまう。不快感の伴う感触に咄嗟に拭った彼は、目を開け指先を確認した。
「……え?」
目に映ったものは鮮やかな赤だった。
手に落としていた視線を正面にいるキキへ向ける。
「……ル、イ……」
そう零す彼女の口から溢れ出る血。腹にはぽっかりと穴が開いており、血がとめどなく溢れている。キキは血塗られた手をルイに伸ばした。
瞬間、ルイの脳裏に浮かび上がる光景。
――――――
腹部から大量の血を流した母の姿。
『……る、い……にげ、て……』
血塗られた手を弱々しく自分に伸ばしている。
――――――
次第に荒くなる息。胸を抑えたルイの視界に映り続けるのは血塗れのキキだ。
「うちのが悪いな」
いつの間に現れたのか、開いていた窓に腰かけ全身を黒いマントで覆っている者は一言告げると、キキを抱えて塔から姿を消した。
床に残る血の跡とあの日の光景が結びつけられる。うまく呼吸ができず、ルイは喉を抑えた。
(……くるしいっ。……いきが、できな――)
「ルイ、私がそばにいます」
優しい声と共にふわりと抱きしめられる体。暖かい光に包み込まれ、やがて呼吸は一定のペースを取り戻していた。
キキを連れて行った者の姿を思い浮かべてルイは消え入りそうな声で呟く。
「……ルーク、さん……?」
その一言を最後にルイは気を失った。
「ルイちゃん!!」
遅れて研究室に入ってきたカミーユは血の広がった床と気を失っているルイを見て、ジェラートの入った箱を手から落とす。
「……あいつら、やってくれたわね」
カミーユは低く太い声を出すと、アイラインが長く引かれた目を吊り上げた。




