忘却の花畑(1)
「思い出せないの……」
アトリエのソファに腰かけマグカップを両手で抱える女性――シャルロットは生気のない声を零した。見るからにやつれており、ワンピースの下から覗く手足は細く弱々しい。
本来であれば、ひとりでに動くぬいぐるみや食器たちに訪れた者は驚くのだが、彼女はそもそも目に入っていないのか興味がないのか何も反応を見せない。
故に“物”たちは少々不満げ。
「僕たちの可愛さが目に入らないっての?」
ウサギのぬいぐるみは短い腕を組んでシャルロットの前に現れる。
「少し静かにしてもらえませんか?」
だが、すぐさまルイの従者である光の精霊リュカに首根っこを掴まれてテーブル上に置かれた小さな木製チェアに座らされた。ここがぬいぐるみたちの定位置なのだ。
ため息を吐き出したリュカの左耳元で揺れる光を閉じ込めたかのようなキューブのピアス。同様のものがルイの首元でも輝いていた。
「まずは美味しいお菓子を食べませんか? 甘いものを食べると少し気が紛れるかもしれません」
テーブルの中央に置かれている、ウサギのぬいぐるみ特製マカロンに手を伸ばしたルイはひとつ取り口に入れる。一連の動作をじっと見つめていたシャルロットはやや頬を綻ばせると、自分も手前のマカロンへと手を伸ばした。
ルイは口調も言葉使いも仕草もどこか大人びており年相応ではないもののまだ年端もいかない可愛らしいこども。だが、国に認められているれっきとした魔法使いだ。纏う金の装飾が施された夜空色のミドルケープがその証。
「……おいしい」
「それは良かったです」
マカロンを口に入れ微笑んだ彼女にクマのぬいぐるみが声をかける。
「マシュマロ入りのココアも一緒にね。温まるよ。美味しいよ」
初夏を目前に控えているが風は冷たさをまだ手放していない。
「……うん、甘くて優しい味」
「でしょう? マシュマロの分量をルイと何度も研究したんだから」
得意げにチェアの上で足を揺らすクマのぬいぐるみにルイは口に手を添えて笑う。
お腹も満たされやや落ち着いてきた頃、再びシャルロットは口を開いた。
「……なにか、大切なものを、落とした気がする」
「それは大切なヒントになりそうですね」
後ろで手を組みルイの背後に控えていたリュカが興味ありげに呟いた。
「でも、それがなにかもわからないの」
「他になにか思い出せそうなことはありますか?」
ルイの問いかけにやや考えた彼女は、長い赤茶色の髪を耳にかけてふと窓の外を見た。
「……自分で買ったものじゃない、誰かからもらって……」
言葉を濁した後シャルロットはたまらず俯く。
「……思い出すのが、怖い。でも、思い出さなきゃいけない気がして……。だから、落としたものを見つけたら思い出せるかもって……」
ソファから立ち上がったルイは彼女の元まで歩み、微かに震える両手を取り優しく握った。
「では、一緒に探しに行きましょう」
「訪れたことのある場所を巡ってみましょう」
アトリエの外へ出ると彼女の手を引いて歩き出すルイ。
「ほらほらリュカ、ルイと離れてるよ」
「ほらほらリュカ、早く進んでよ」
「私はルイの従者であって、あなたたちのおもり役ではないのですよ」
リュカの腕に抱えられながら騒いでいるぬいぐるみたち。
傍から見ればぬいぐるみたちが話しているとは思わない。よって街の人々にはリュカが一人で話し、かわいいぬいぐるみを抱いている一風変わった男性に映るのだが、それもリュカの美しい顔が相殺する。
にこりと微笑めば女性は頬を染めひと時の恋に落ちることだろう。
だが、それはこどもには通じない手だ。
「お母さん、あの人なんでひとりで話しているの?」
「そうね。きっとあのぬいぐるみが大切で仕方がないのよ」
そんな声に今度はリュカが頬を染める番。
「あ、ルイはあっち曲がった」
「そっちじゃないって。こっちだよ」
「……もう! 黙っていてください!」
とうとうリュカは怒り心頭に発したよう。
「あ、リュカがおこったー」
「かお、まっかっかー」
ぬいぐるみを隠すように抱えたリュカは足を速めルイの元へ辿り着くと、低く位置する彼の左右の肩にそれぞれぬいぐるみを置いた。
自分の肩に置かれたぬいぐるみを見やると、後ろへ振り向きリュカを見上げたルイ。
「リュカさん――暑いですか?」
「いえ。少々うるさい綿詰まりと一緒だったもので」
「綿詰まり?」
ルイはリュカの言い草に首を傾げて言葉を繰り返す。その可愛らしい仕草にリュカの怒りはどこ吹く風。いつもの穏やかで美しい顔へと戻っていた。
「ねぇ、聞いた? ぬいぐるみのこと綿詰まりだって」
「酷いやつだ、まったく。でもルイにだけは甘々だからまいっちゃうよ」
そんなぬいぐるみのやりとりにシャルロットは思わず笑いだす。
思い当たる場所を巡ってみたものの、結局めぼしい物は見つからず。彼女から手を離したルイはくるりと振り返り、遠くを指さした。
「では、最後に花畑に向かいませんか?」
「……花、畑……」
「き、きれーい!」
「ぜんぶピンクだ」
辿り着いた花畑を見てぬいぐるみたちが感嘆の声を漏らす。
「一面が同じ花でとても美しいですね」
「はい。モスフロックスの花畑です。別名は芝桜」
後ろで手を組んだリュカを見上げ微笑んだルイ。
ふと、母と見に行った日本の芝桜を思い出して胸と目の奥が熱くなり、彼は払いのけるように首をわずかに横に振ると、次いで彼女へ笑顔を向ける。
「この花畑だけはシャルロットさんに訪れてもらいたかったんです」
シャルロットに手を差し出し花畑へ導いていくルイ。おぼつかない足取りで歩んでくる彼女は手で口を押さえ掠れた声を漏らす。
「……知っている。そう、ここなの……」
髪よりやや赤みを帯びた瞳から零れ落ちる涙。
「あなたの探し物はこれでしょうか?」
シャルロットに手のひらを向けたルイ。その上にはひとつの指輪が乗っていた。
「……あ、ああ……」
目を見開いたまま指輪を手に取りくずおれたシャルロット。声にならない泣き声を上げて指輪を胸に抱きしめている。
自身の周囲に視線を走らせたルイは両手を広げ小さく問いかけた。
「魔力の精霊さん、力を貸してくれる?」
――ふふ、いいよ
――愛しい子のためならいくらでもね
ルイの耳元で囁かれる鈴が転がるような声。ふわりと現れた、色とりどりに淡く色付いた半透明の球体はルイの周囲を楽しそうに飛び回る。
「……ああ、やはりあなたは素晴らしい。いつだって楽しそうに魔法をお使いになる」
滅多に姿を現さない魔力の精霊たちが周囲を舞い笑顔を浮かべるルイを見て、感嘆の声を漏らすリュカ。
――さあ、僕たちを求めて
シャルロットの目線に合わせるようにしゃがんだルイは目を瞑り、彼女の両手を包み込みながらそっと唱える。
「‘Olu Makana」
指輪が淡く光り出すと、ひとつの優しい声がシャルロットへ向けられた。
『……チャーリー』




