ピアノ二重奏(1)
――ピーン
――ダーン
――うふふ、あはは
高い音、低い音、軽快な音、ゆったり響く音。こどもの可愛らしい声。それらは静かなアトリエをたちまち彩っていく。
耳に届いた音でルイはおもむろに体を起き上がらせた。覚醒していない眼を擦り寝巻のままアトリエに入る。ルイの目に飛び込んできたもの、それはどこであっても目を惹く存在、グランドピアノだった。
電気が付けられ明るくなった部屋に目を瞬かせたルイ。
「ルイ、どうかしましたか?」
電気を付けたリュカはアトリエの中心に佇んでいるルイの元へ歩み膝をつくと問いかける。ルイは目を擦りながら真っ直ぐと指先を伸ばした。
「これは……」
「グランドピアノです」
「また随分と派手なものが」
こぢんまりとしたアトリエには少々大きくもあるが、ここに来た以上誰かの記憶が宿った“物”だ。置いておくほかない。
――ピーン
――ダーン
――ドーン
「グランドピアノ、おもしろーい!」
「こっちの音は? そっちの音は?」
「わぅー、わぅー」
ぬいぐるみたちとチップはグランドピアノに興味津々で、毎日のようにピアノの鍵盤に触れていた。
「ピアノって本当にきれいな音が出るね」
ルイはピアノを経験していたわけではないが、日本の音楽の授業で習った簡単な曲を弾くとアトリエ中のみんな、それから魔力の精霊たちはとても喜んだ。
グランドピアノがアトリエにやってきて一週間。誰も訪れる気配はないが、むしろ時間が経ってから持ち主が現れることの方が多いのだ。グランドピアノもそうなのだろう。
しかし、ショーケースの中に入る他の“物”と違ってグランドピアノは入らないしおまけに幅を取る。賑やかなのはいいが、移動がやや困難になる箇所があるため「早く取りに来ないか」とリュカは苦笑い気味だ。
――カラン、カラン
タイミングよく開いた扉。だが、
「小僧、魔法のとっ――これはまた大層な“物”が届いたもんだな」
入ってきたのはローガンであった。ひげの生えた顎に手を置きグランドピアノをまじまじと見つめている。
「あ、先生。今日は魔法の特訓日ですね」
「ああ」
ローガンは五芒星の一人であり、ルイの魔法の先生だ。不定期にアトリエにやって来てはルイを攫っていく(※ぬいぐるみたち曰く)。
「でたな、ひげおやじ!」
「今日こそルイは連れて行かせないぞ!」
小さな体でローガンに飛びつき無い歯を突き立てるぬいぐるみたち。彼は全く意に介さずグランドピアノの白鍵に触れた。
――ポーン
柔らかく優しい音。ルイたちが鳴らす音と同じとは思えないほどに。
「……先生、もしかしてピアノが弾けるんですか?」
「ん? ああ、少しな」
その言葉を聞いてローガンに詰め寄ったルイ。彼の夜空色のマントをむんずと掴み光る眼差しで見上げる。 そんなルイの頭に手を乗せたローガンは皺が刻まれた目元を細めた。
「おお、なんだなんだ」
「せんせい、せんせい、ピアノ弾いてください!」
効果音が付きそうなほど顔を輝かせるルイに破顔した彼は「少しだけな」と答えると慣れた手つきでグランドピアノに手を乗せる。
短く息を吐き出したローガンの長い指が滑らかに鍵盤を押していき、多彩な音が調和をなして奏でられていった。ルイは興奮が抑えられず、隣にいたチップを抱きしめる。
「きれい。かっこいい……!」
「わん!」
「「うわぁ」」
これにはグランドピアノの上に座っているぬいぐるみたちも感嘆の声を上げてしまうほど。音に合わせて踊る食器やコートハンガー、リュカも目を瞑り音に耳を澄ませていた。
――カラン、カラン
アトリエの扉についたベルが鳴ったことにより止まる演奏。ローガンはピアノから手を離し立ち上がった。
「ここまでだな」
「「えー。もっとやってよ」」
「客が来たんだろう? おもてなしの準備はいいのか?」
「「よくなーい」」
立ち上がったぬいぐるみたちはいそいそとキッチンへ向かっていく。ローガンは去り際ルイの頭に手を置き、風となってアトリエから出て行った。
ローガンと入れ違いで入ってきたのは、星の付いた髪飾りで右側に髪を結った少女。もう少し聞きたかった気持ちを切り替え、ルイは少女に両手を差し伸べて微笑んだ。
「ようこそ、『記憶のアトリエ』へ」
少女はルイの顔を見るや否や彼の両手を掴み激しく揺すった。
「ピアノを弾いていたのは君?」
「いえ、僕ではなくて――」
「とっても上手ね! ステラと一緒に弾こうよ! ほら!」
少女――ステラはルイの手を引いてグランドピアノに近づいていった。
「ま、待って、僕じゃなくて!」
「……君じゃないの? じゃあ誰?」
ルイの手を掴んだままステラは首を傾げる。強引さはあったものの話を聞く耳は開いていたようだ。
「かっこいいお兄さんです。でも今さっき帰っちゃって」
「そうなんだ。君はピアノ弾ける?」
「それが、あまり」
「じゃあ、ステラが弾いてあげるね」
微笑んだステラはルイの手を離し、グランドピアノの椅子に座ると高さを調節していく。淀みのない手付きは彼女が普段からピアノに触り慣れている証拠だろう。
「なににしよう?」
少し悩む素振りを挟んだ後“くすす”と笑ったステラは小さな手を鍵盤に乗せた。
奏でられる音はローガンとはまた異なり、弾むような音だった。ペダルに足が届かないため音が途切れてしまうのだ。けども体全体を動かしながら弾いていくステラ。こどもの手が奏でているとは思えないほどの音の広がりにみんな彼女の音に聞き入っていた。
ステラの演奏が終わった途端再び騒がしくなるアトリエ。陶器が打ち合わさる音、足踏み、鳴らす手のない彼らからの拍手だ。
「すごい!」
思わずステラに近づき両手を胸の前で握って感動を噛みしめているルイ。
「ふふ、じょうずでしょう?」
そう一言告げると彼女は走ってアトリエの扉を開いた。
――ランカ、ランカ
ベルの音と主に「明日もまた来るね!」と嬉しそうに言い放つと彼女はアトリエから去っていく。
「……風のようなこどもでしたね」
「はい。でも、また明日来るらしいですよ」
顔を見合わせた二人は、彼女のために用意されていたお菓子と紅茶を仲良く食べたのでした。
翌日、
「……こんにちは」
昨日の宣言通りステラはアトリエにやってきた。しかし、どこか様子が異なる。容姿は瓜二つだが元気いっぱいな彼女と反して大人しく、月の付いた髪飾りで左側に髪を結っている。
「ピアノ、弾きますか?」
「い、いいの?」
「もちろんです。好きなだけ、自由に」
ルイは花が綻ぶように微笑んで答えると、彼女をグランドピアノの元へ導いた。




