忘れ形見の手袋(2)
その日、アトリエには重い空気が漂っていた。
――悲しいね
――苦しいね
――泣かないで
――僕たちがそばにいるよ
ひどく落ち込んでいるルイの周囲を舞い励まそうとしている魔力の精霊たちに、彼は力なく微笑み返す。その痛ましさが見ていられなくなったリュカが彼へ腕を伸ばした最中、
――カラン、カラン
アトリエの扉が開かれた。
「……あ、すみません、勝手に開けてしまい……」
入ってきたのはとても優しい顔立ちの婦人。勝手に扉を開いてしまったことを申し訳なく思っているようだが、自分でもなぜ開けてしまったのかわからないといった様子でドアハンドルを握っている手を見つめていた。
立ち上がったルイは平静を装って婦人に微笑む。
「ようこそ“記憶のアトリエ”へ」
婦人は小さなこどもであるルイを見つめると頬を綻ばせ、スカートを丁寧に折り曲げてしゃがむと優しく声をかけた。
「なにか、あったの?」
「……え?」
婦人はルイの頬に手を伸ばし穏やかに言葉を紡いでいく。
「ごめんなさいね。あなたがあまりにも辛そうに笑うものだから」
頬に触れる暖かな手に懐かしさを覚えルイの瞳からは涙が零れ始めた。慌てて拭うもとめどなく溢れていく涙に追いつかない。そんなルイを見た婦人は迷わず彼を抱きしめた。
「いいのよ、我慢しなくて。泣きたい時は泣いていいのよ」
喉から出かかった「お母さん」を飲み込み、ルイは婦人を抱きしめ返す。ゆったりと撫でられる背に宥められていく荒れた心。
まもなく、お礼を述べて婦人から離れようとしたルイの目に飛び込む一つの影。それは婦人の背後で悲しそうに彼女を見つめていたのだ。やおら視線が上がりルイの瞳と交わる。
その影が亡霊で、そして手袋の少年だと気が付いたルイは咄嗟に婦人の体を押して離れた。よろめき後ろに手をついた婦人。ルイの変わりように彼女は目を丸くしている。
少年の亡霊から逃げるように一歩ずつ後退していくルイ。
「……違う。君から取ろうとしたわけじゃ、ないの……」
その一言で状況を察したリュカは、呼吸が荒くなっているルイを落ち着かせるために強く抱きしめた。
「ルイ、ゆっくり呼吸を。……そう、上手(……ああ、なんて因果なものか。こちらの世界にこの子の親はいないというのに……)」
リュカは、ルイが日本からこちらの世界に転生したこと、父が亡くなっていること、あちらの世界で母と共に殺されたことを唯一知っている者である。孤児として転生した彼にはこちらの世界での家族はいない。
落ち着きを取り戻したルイと向かいのソファに腰を掛けている婦人は、ぬいぐるみたちが用意した紅茶で喉を潤しながら数日前の出来事をリュカから聞いていた。
ティーカップをソーサーの上に戻し彼女はテーブル上に置かれた手袋を憂いた瞳で見つめながら呟く。
「……そう、あの子が……」
――――――
『テディ、もう冬ね』
『ふゆ、さむいね』
『寒いねぇ』
テディの愛称で呼ばれる4歳のこどもセオドアを膝の上に乗せ、ロッキングチェアを揺らしながら窓の外を見ている彼の母レイラ。
『そうだ。ママ、テディに作った物があるのよ』
レイラは彼を抱えたままチェアから立ち上がり、引き出しから編み上げたばかりの手袋を取り出した。再びチェアに戻り、指先が赤く染まった小さな手に手袋をはめる。
『外に行くときはこれを付けてね』
『ちょっと、おおきいよ?』
『そうね。でもきっとすぐに大きくなるわ』
『ふふ、これあったかいねぇ。そうだ! ゆきがふったら、いっしょにゆきだるま、つくろう!』
『ええ、とびきり大きいのを作ろうね』
飛びついたセオドアを抱きしめたレイラ。二人は頬を寄せ合い笑い合った。
その日の夜、高熱にうなされたセオドア。そしてすぐに病気が発覚し、一度も手袋をはめて外に出ることなくその年の冬は終わりを告げた。
セオドアの患っている病気に明確な治療方法はなく、彼は家で過ごす時間が日に日に長くなっていた。冬は特に病状が悪化するため手袋を付けて外には出られない。
そんな生活が続いて5年。とうとうセオドアに余命が告げられた。彼を女手一つで育ててきた彼女にとって頼れるものはない。セオドアが寝静まった後に一人泣く日々が続いた。
『……あぁ、テディ……。健康な体に産んであげられなくて、ごめんねっ……』
――――――
顔を俯かせハーフパンツを強く握りしめながらソファに座っているルイの元にゆらりと近づいてきた少年の亡霊。
『大丈夫?』
恨みの影一つなく純粋にルイを心配している瞳に、彼にまた自責の念が募っていく。ソファから立ち上がったルイは少年の手を握った。だが亡霊だ。実際に触れられるわけではない。
「ごめんね、君のお母さんを奪おうとしたんじゃないんです」
『わかってるよ。ありがとう、僕のために泣いてくれて』
何もない空間に話しかけているルイを見て戸惑うレイラは、助けを求めるようにルイの背後に控えていたリュカへ視線を送る。
「……なにが起こっているの?」
「ルイの目には息子さんの姿が見えているのです」
「……え? テディの?」
思わず立ち上がったレイラはアトリエ中に視線をさまよわせて愛しい息子の名を呼んだ。だがいくら呼ぼうとその瞳に彼の姿が映されることはない。
「テディくん、あなたの願いは?」
だからこそルイがいる。彼らの未練を届けるための優しい小さな魔法使いが。
『僕の願い……。この手袋を付けてママと一緒に雪だるまが作りたい……!』
「承りました」
柔らかく微笑んだルイはセオドアに手を差し出す。




