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何がなんだか解らないルークスが、混乱してエイユンを見た。
「エイユンさん、今のは一体?」
「説明は後だ。それより母上様、呪いは解きましたが、消耗した体力までは回復していません。少しお休みください」
「あ、はい」
エイユンは母親を寝かせて毛布をかけると、ジュン、ルークスと一緒に寝室を出た。
食堂に戻ってドアを閉め、テーブルを挟んで三人が向かい合う。椅子は二脚しかないので、ジュンはエイユンの後ろに立った。エイユンはルークスと向かい合って着席し、重々しい口調で言った。
「いいかルークス。あれは、私の故郷に伝わる術だ。と言っても、私一人では大した効き目はない。今効いたのは、ジュンが私に魔力を分けてくれたおかげだ。そこいらの魔術師とは比較にならぬ、膨大な魔力をな」
「そうだったんですか……ジュンさんが」
エイユンの説明を聞いて、ルークスはエイユンを、そしてその後ろのジュンを見た。
ジュンは咳払いをして、
「ごほん、その通り。だが、俺はあくまでも魔力を分け与えただけで、術自体はエイユンにしか使えないものだ。俺とエイユンが巡り会い、共に旅をし、互いの術をよく知っていたからこそ、今、お母さんを救えたんだ」
「そう、私にはこれが偶然だとは思えない。何か大きな力に導かれた結果だと思う。アルヴェダーユに対抗する、大きな力のな。さっきも言っただろう?」
ルークスの瞳が、感動に潤んだ。感極まって力一杯、両手を組んで天を仰ぐ。
「ああ、ナリナリー様! やっぱりナリナリー様が、ジュンさんとエイユンさんをお導きになられて、そして僕に巡り会わせて下さったのですね!」
「そうだな。そして、」
感動感激感涙のルークスに、エイユンは優しく語りかける。
「このお導きは、母上様の為だけのものではない。街の皆を救う為のものだ。だから、街の人たちに知らせてあげてくれ。確か、ここに来る途中に、大きな公園があっただろう? そこに皆集まってもらって、私が全員の呪いを解くとしよう。もちろん無料でな」
「はいっ! ありがとうございます!」
「それと、このことはアルヴェダーユ様のおかげだと付け加えるんだ。ナリナリー様がアルヴェダーユ様から力を分け与えられ、その力を私が授かって呪いを解く、という風に」
今、すぐにでも家から飛び出そうとしていたルークスの足が止まった。
「? どうしてそんなことをするんです。それじゃまるで、ナリナリー様がアルヴェダーユの使いみたいじゃないですか」
嫌そうな顔と声でルークスが言う。エイユンはそれに答えて、
「君と母上様の為だ。先日、宿に忍び込もうとした二人や街の人たちの様子から察するに、ナリナリー様のことはそこそこ知られているのだろう?」
「はい。僕はシャンジルたちアルヴェダーユ教団が来る少し前から、ナリナリー様のお力を借りて怪我人の治療とかしてましたから。本格的な布教活動の準備のつもりで」
「それだ。教団にとってナリナリー様に連なる者は異教徒、そして商売敵。そんな者が、自分たちの仕掛けた呪いを打ち破ったと知ったら、教祖シャンジルはどうすると思う?」
「どうって……」
「間違いなく君、あるいは母上様に害を為そうとするだろう。暴漢を雇って怪我をさせようとするか、この家に放火でもするか、手っ取り早く二人とも殺すか」
「!」
ルークスの顔が青ざめる。
「だから、アルヴェダーユの力をナリナリー様が授かり、それで呪いを解くと言いふらすんだ。アルヴェダーユの力でないと解けないはずの呪いなのだから、教団はこれを否定できない。そして、君がアルヴェダーユにも連なる者と皆が知れば、その君に何かあったらアルヴェダーユのメンツは丸潰れだ。呪いを解いた途端にこれか、ジェスビィの力に負けてるんじゃないのか、とな。つまり、教団は君にも母上様にも手出しできなくなる」
「……」
ルークスは悲しそうな、悔しそうな顔をして俯き、黙り込んでしまった。エイユンの言っていることは確かに筋が通っているが、やはり素直には従えないのだろう。
エイユンは、そんなルークスに優しく微笑みかける。
「大丈夫だ。この街で商売が成り立たないとなれば、連中はすぐに街から出て行くだろう。その後で、君はまた改めて布教をすればいい。今は一刻も早く、邪悪な教団に苦しめられている人々を救うことが先決だろう?」
「それは、そう……です」
「それこそ、ナリナリー様の御心に叶うことだと思うぞ」
と言われたルークスは、弾かれたように顔を上げた。
「! そ、そうでした! 苦しんでいる人たちを救うことこそが、ナリナリー様の使徒たる者の使命! 僕、間違ってました!」
ルークスは自分で自分の頬をぴしゃりと打って、気合いを入れた。
「エイユンさん、ありがとうございます! もう迷いはありませんっ!」
「うん。それでこそ正しき信仰心をもった者、すなわち信者であり、あるべき宗教家というものだ。母上様のことは我々に任せて、行ってくるがいい。人が集まったら知らせてくれ。それから私が出る」
「はいっ! では行ってきます!」
ジュンとエイユンに、母をよろしくお願いしますと頭を下げて、ルークスは元気いっぱいに出て行った。その足音がばたばたと遠ざかっていくのを確認してから、
「さてエイユン、いい加減に説明してくれるよな? 俺には何がなんだかさっぱりだぞ」
ずっと黙っていたジュンが、空いた席に着いてエイユンと向かい合った。
「まず、実際のところ呪いだか奇病だかの正体って何なんだ? さっきの首捻りで治したみたいだけど、もしかしてあの【肩揉み】みたいなものか?」
ジュンの質問に、エイユンはちょっと感心したような声を出した。
「ほほう、よく判ったな。その通りだ」
「とすると、呪いの正体は【肩こり】なのか?」
「それは違う。母上様のあれは、骨が正常な位置からずれた為に起こった症状だ」
エイユンはジュンに細かく説明した。
骨がずれると、筋肉が引っ張られたり血管や内臓が圧迫されたりしてしまい、様々な病の原因となる。とはいっても「骨が破損した」骨折や、「皮膚や肉が焼け焦げて変質した」火傷などのようなケガではないから、肉体の損壊を治す一般的な治癒の術などは効かない。解毒の薬で治るものでもなく、呪いではないから解呪の術も無意味。
骨のずれは日常生活でも起こりうるが、普通はあれほどの症状にはならない。何者かが故意に、悪い意味で効果的な骨ずらしをしたのだ。そうやって一度症状が出てしまえば、それを治す=呪いを解く儀式と称して何でもできる。再度骨をいじることで、一時的に少しだけ治したり、じわじわと悪化させて長引かせ、治療費を絞り取ることも可能だ。
「その、儀式を装って悪化させるのは解るけど、一番最初の症状を出すのはどうするんだ?」
「うむ、それだ。先ほどの母上様が正にそれ、一番最初の状態だと思われるのだが、」
エイユンは自分の首の後ろに手をやって、軽く摘んで見せた。
「ここに頚骨という骨がある。これをずらすと、軽い体調不良を起こすんだ。多分、母上様はもともとあまり体力がなく、そのせいで症状も重かったのだろう」
「だから、どうやってその骨をずらすんだ。何の症状も出てない時なら、呪いを解く儀式とか言えないんだから、さっきみたいに首を捻らせてくれたりはしないだろ」
「あれは、骨を正常な位置に戻す治療だ。少しずらすだけなら、人ごみの中ですれ違いざまにでもできる。盗人が財布をスリ取るようにな。こう、手を伸ばして」
椅子から腰を浮かして、エイユンがジュンの首元に手を伸ばす。
「ま、まてっ。解ったからやめろ。そんな気軽に、首の骨をずらすって、なんか怖いぞ」
「気軽ではない。本来は、そう簡単にできることではない。だが、敵はそれをやっている」
と言われてジュンは気付いた。この事件の加害者は、その「人ごみの中で首の骨ずらし」をやっているのだ。街中で、何度も、大勢に対して、バレることなく。
そしてもう一つ気付いた。エイユンが今まで見たこともないほど、真剣な表情になっていることに。教団の所業に対して怒っていた時の顔とも少し違う、緊張を湛えた目をして。
「万一発覚した時のことを考えれば、教祖自身がそんなことをしてはおるまい。おそらく雇われている者であろうが、間違いなくかなりの達人だ」
「骨ずらしの?」
「ああ。私の故国では【整体術】といって、武術を学ぶ時に欠かせぬものだ。私自身も、武術と共に学んだ」
なるほどとジュンは納得した。エイユンが、しつこいほどナリナリーとアルヴェダーユとを絡ませて、ルークスや母親の安全を確保しようとした理由はこれだ。相手はただのインチキ宗教団体ではない。財力のみならず、ただならぬ武力をも備えているのだ。
「治療を終えたら、すぐに街を出てリグイチに戻る。道中、刺客が来たら一人だけ捕らえて向こうの騎士団に突き出すんだ。ここの騎士団は当てにならんが、リグイチなら教団の存在さえ知られていないし、大丈夫だろう。それで正式に捜査の手が入る」
「なるほど。そりゃあ俺たちを放っておきはしないだろうな。でも、もし何も無かったら?」
「それでも、教団の商売は潰れて終わる。こんな特異な事件だ、噂はあっという間に広まるだろう。きやつらがよその街へ逃げても、もはや信用不足で再起できまい」
確かに、信用第一が霊感商法だ。インチキが暴かれずとも、他の神様(ナリナリー様とか)が無料で解いてくれる呪いとなっては、もう商売にはならない。
と、そこまで考えてみて、ジュンは改めて思った。本っっ当に、儲けも美少女も、冒険のスリルもない退屈な事件だった。さっさと終わらせて、次の仕事を探さねば。
……いや、待てよ? やりようによってはいけるかもしれない。やる価値はある。
「よしっ、じゃあ俺も噂広めを手伝ってくるとしよう。ついでに、公園に治療用の簡易寝台でも設置しておこうか?」
晴れやかな顔でジュンが立ち上がった。エイユンは少し首を傾げるも、追求はしない。
「そうだな、頼む。私はルークスが帰って来るまで、母上様を見ているから。それと、」
「ん?」
家を出て行きかけたジュンが、呼び止められて立ち止まる。
「今言った通り、敵には相当な使い手がいると思われる。君も腕には自信があるのだろうが、ヘタな真似はしないでくれ。動く時は必ず私と二人でだ」
「ああ、解ってる」
ジュンはルークスの家を出た。