24 宿屋の娘、アンジェラ
ここはアーベル国最南端に位置する港町、ヴィッツハルト。五大魔導爵家の一つグリューデン家が行政官を務める州の州都であり、貿易の要所としても栄えている。
ここヴィッツハルトで一番大きな宿屋の一人娘であるアンジェラは、普段は王都にある魔術学校、通称アカデミアに通っている16歳の女の子だ。今は夏休みのため実家に帰省しているのだが、ちょうどその帰省期間にこの町で何年かに一度というほどのイベントに出くわした。
なんと、今話題の聖女ゾフィーが巡業の訪問地の一つとして、ヴィッツハルトを訪れるというのだ。
「聖女様にうちに泊まっていただくよう進言してみて大正解だったな。アカデミアでお前が聖女様の同級生であることも選んでいただけた理由の一つらしい。でかしたぞ、アンジェラ! それでこそ我が家の跡取り娘だ」
聖女一行の宿泊先として選ばれたことにホクホク顔の父親を見て、アンジェラはしらけた気分で朝食の席を立った。
「……ちょっと出かけてくるわ」
「何処へ行くんだ!? 今日は聖女様が来られる日だぞ」
「着くのは夕方でしょ? お昼過ぎには戻ってくるから」
「おい、アンジェラ!」
父親の声を背中に聞きながら、アンジェラは玄関を閉めて門の方へと向かった。父親が経営する宿屋は自宅から歩いて行ける距離にある。未成年のアンジェラは出迎えの時に顔を出すくらいで、それまでは特にすることはない。
ゾフィー・リンブレッドは、この国には珍しい黒髪と黒い瞳であること以外、特に目立つ少女ではなかった。彼女を一躍有名人にしたのは、魔法実戦の講義で披露した桁違いの魔力であった。
奇しくも髪と瞳の色が伝説の聖女と同じだったことから、聖女の生まれ変わりではないかと生徒達の間でまことしやかに囁かれるようになったのだ。王太子であるフランツが彼女と懇意にし始めたことが、その噂に拍車をかけた。
フランツにはエリザベートという家柄も魔法の実力も申し分ない婚約者がいるが、二人の仲があまりよくないことは周知の事実であった。優秀なエリザベートに当てつけるかのように、フランツは常に周りに女子生徒を侍らせていたが、当のエリザベートの方はどこ吹く風で、ジュール・ポワティエのファンを公言しつつ専ら魔術師としての腕前を磨くことに邁進していた。
とはいえ、エリザベート以上に王太子妃に相応しい人物がいないこともまた事実だったため、なんだかんだで卒業後は結婚するだろうと思われていた。
事態が大きく動いたのは、ゾフィーが入学してから一年近く経った今年の春。フランツがエリザベートとの婚約を破棄して、ゾフィーを新しい婚約者にすると言い出したのだ。
しかし、エリザベートは筆頭魔導爵家の娘であり、国王が決めた婚約者。対するゾフィーの方は、魔力が多いだけのただの平民である。そのため王太子の周りの人々は、フランツの言葉を一時的に色恋に熱を上げている若者の世迷言だと考えた。──ゾフィーが聞いた『お告げ』によって、エリザベートが魔女だと糾弾されるまでは。
(……何が聖女様よ。あんなのが聖女なんて、みんなどうかしてるわ。王太子専用の『性女様』の間違いじゃない?)
などと少々下品なことを考えつつ、アンジェラはお気に入りのブックカフェのドアを開けた。
「こんにちはー」
「おお、アンジェラちゃん。いらっしゃい」
「いつものください」
「はいよ」
老夫婦が経営するこのブックカフェは、町の中心から少し外れた大きな庭園の端にある。庭園を臨む窓際の席がアンジェラの定位置だ。
(あれ?……誰かいる)
窓際に向かおうとしたアンジェラは、いつも座っている席に先客がいることに気づいた。二人の若い男性だが、身なりからしてそれなりの身分だと推察した。
(片方の人は、見たことがあるような……?)
本棚から読みかけの続き物の本を取り、仕方なく窓際の少し離れた席に座ると、すぐに店のマスターが飲み物を持ってきてくれた。店の一押しである地元ヴィッツハルト産レモンを使ったホットレモネードをテーブルに置いたマスターに、小さい声で尋ねてみた。
「ヨハンさん、あの人達見たことありますか?」
「一人は見たことがないけど、もう一人は行政官の息子だと思うね」
「行政官っていうと、グリューデン家の人?」
「ああ。長男はお城で騎士をしているが、あれは次男の方じゃないかな」
「……あ」
「知っているのかい? 確かアカデミアに通っていたはずだがね」
(そうだ! 見たことあると思ったら、3年生のクラウス・フォン・グリューデンじゃないの)
クラウスといえば、アカデミアでエリザベート・フォン・バウシュタインと並んで双璧と呼ばれる人物だ。二人が入学してから三年間、全校魔法対抗試合トップ2の地位は不動のものとなっている。もちろん一位は、アンジェラが敬愛してやまないエリザベートだ。
王太子の魔導騎士である兄リヒャルトに負けず劣らずイケメンのクラウスは当然の如く女子生徒からの人気も絶大で、アンジェラの友人達の多くが彼のファンクラブに入っている。
対してエリザベートの方は王太子の婚約者であるにもかかわらず男子生徒に人気があり、彼女のファンクラブの大半は男子生徒だ。しかし男子生徒からの人気は無いに等しいクラウスと比べて、エリザベートの方は同性からも憧れの存在として人気がある点が大きな違いだった。──それなのに。
(……エリザベート様が魔女ですって? 冗談じゃないわ)
何代も前からグリューデン家が行政官だったにもかかわらず、これまでクラウスをこの町で見かけたことはない。聖女がやってくるこのタイミングで、わざわざヴィッツハルトにやってきた意図は何なのだろうか?
そんなことを考えていたアンジェラは、テーブルの上の本に影が差したことに気づいて、はっと顔を上げた。
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