21 大魔術師からのメッセージ
ジュール・ポワティエの弟子になれるかもしれないという期待に自然と顔が緩むのを止められずにいたエリザベートの耳に、隣から小さなつぶやきが聞こえた。
「そっか……彼が、例の」
「……? どうしたの、エヴァン?」
「……いや、なんでもないよ」
顎の下に手を当てて考え込むような仕草をするシュテファンに呼びかけると、彼は首を振って微笑んだ。
「合流地点へ急ごう。放っておくとあの二人はすぐに言い合いを始めるからね」
「確かにね」
とはいえ、ハンスとゲオルグは決して仲が悪いというわけではないのだ。どちらかというと正反対のタイプだからこそ、気が合うのではないかと思うのだが。
「なんで食べないんだ? 美味いのに」
「私は貴方のように食べられれば何でもいいというわけではないんですよ」
「俺だって何でもいいってわけじゃないぞ。魔物の肉はさすがに食わないし、食虫植物は食べられると聞くが食指が動かないな」
「いえ、食べられるかどうかの基準がそもそもおかしいです」
「どういう意味だ?」
「分からないならいいです」
「何だとぉ? お前はそうやっていつも俺のことを小馬鹿にして……」
「おや、自覚があったんですか。意外ですね」
「お前……よくもぬけぬけと」
(いや、やっぱり合わないのかも)
昼は軽食屋として繁盛している立ち食い形式のパブで言い合いをしている2人を見て、エリザベートは溜息をついた。
「グロウはお肉が苦手なの?」
「……リジー様。苦手と言いますか、神殿では肉を食さないのです」
「そうなのね、知らなかったわ。気づかなくてごめんなさい」
「いいえ、私が申し上げていなかっただけですから」
エリザベートに穏やかな笑みを向けるゲオルグに、ハンスがうんざりしたような顔をした。
「食べられないならそう言えばいいだけだろ? なんでいつも勿体つけた言い方するんだ?」
「貴方の顔を見ると素直に答えたくなくなるんですよね」
「はぁ? 意味がわからん」
「わからなくて結構ですよ」
「何だと──」
「はい、そこまで。どっちも大人げないよ」
再び言い合いを始めた2人だったが、冷静な声に遮られて口を噤んだ。15歳のシュテファンにそう言われては立つ瀬がない。
「──はい」
「申し訳ありません」
さっきまでとは打って変わって神妙な顔の2人に、シュテファンが苦々しい顔をした。
「人数が多い方が心強いかと思って連れてきたけど、こんなことが続くようなら君達は置いていくしかないね。無理に仲良くしろとは言わないけどさ。せめて波風立てないように努力してよ」
「かしこまりました」
「仰せのままに」
「……じゃあ行こうか。とりあえず今日泊まる宿を探そう」
素直に頷いた2人を見遣り素早く踵を返したシュテファンに手を引かれ、エリザベートも歩き出す。テーブルに食事代を置いたゲオルグとハンスがすぐに追いついてきた。
「今日のうちに馬車を調達して、明朝早い時間にここを発つよ」
「明朝? 随分早いのね」
「うん、何となく急いだ方がいい気がするんだ。君の兄君から連絡が来たでしょ? ゾフィーが正式に聖女と認められたって」
「ええ。そのおかげで、フランツ殿下の婚約者になったと書いてあったわ。いよいよ私も本格的にお尋ね者ってわけね」
「そういうこと。ゾフィーが怪我人を治したらしいけど、本当なのかな?」
「そうね、お父様が見たというのなら本当なんでしょう。ただその時に使っていた赤い光というのが、どうも引っかかるのよね」
「ゾフィーが使っていたのは、聖女の癒しの力ではないかもしれないってこと?」
「うーん……実際に見たわけじゃないからはっきりとは分からないけど、何となくそんな気がするの」
「ふうん? ……グロウはどう思う?」
振り返り尋ねたシュテファンに、ゲオルグが答える。
「ご存知のとおり、我々が使う癒しの力は通常白い光として認識されます。教会では、赤い光というのはむしろ禍々しいものとして捉えられておりますので、それで怪我が治ったというのは少々不可解ですね」
「なるほど……。不可解といえば、ゾフィー・リンブレッドは王都出身ということになっているにもかかわらず、王都にはリンブレッドという名前の者は住んでいないそうだよ」
「……そんな情報どうやって手に入れるの?」
「そういうのが得意な友人がいるんだ」
「友人? ……誰?」
「内緒」
「私には言えないってこと?」
「まあ、いろいろあるんだよ。君にだって、僕に言っていないことがあるだろう?」
「…………」
確かに、シュテファンには前世のことは話していない。無事にガザリンドに着いて魔女を封印した教会を確認することができたら、話してもいいかなと考えている。
そんなエリザベートを、空色の瞳がじっと覗き込むようにして見つめていた。
「お互い様だよ。でも、決して君に不利益になるようにはしない。今はまだ話す時期ではないというだけだ」
「……ええ、分かってる。私も話せる時が来たら、ちゃんと話すわ」
「さっきの本については?」
「さっきの本? 聖女の日記のこと?」
「そう。何か紙が挟んであったよね」
(バレてたのね……)
日記のページは真っ白だったが、途中に小さな紙が挟んであった。抜け目のないシュテファンに内心で舌を巻きつつ、エリザベートは紙に書かれていた言葉を告げた。
「……『タシャソワ』って書いてあったわ」
「タシャソワ……? 彼がそこにいるってこと?」
「うーん……分からないけど、多分ね」
「確かにガザリンドに行く途中ではあるけど……」
「……?」
苦虫を噛み潰したような顔でそれきり黙り込んでしまったシュテファンを見て、エリザベートは首を傾げたのだった。
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