ずっと一緒 前編
永年に渡り、その村は人食い魔女により存続を危惧されてきた。そこで、ある日を境に村には生贄の風習が蔓延する。
生贄に選ばれた少年は村に復讐を誓った。それも、魔女の存在は作り話で、真実は別にあるのだと。
しかし、少年の前に本物の魔女が現れて。
村の山には魔女が住んでいる。
いつ、どこからやってきたのかも定かではない。ただ、その魔女は人を喰うと言い伝えられてきた。
子供や若い村人だけが狙われ、最悪なときは五人も人が一日の内に姿を消した。若者ばかりいなくなることから、村人たちは村の存続を危惧した。
そこで村長が直接魔女に会いに行ったという。交渉の末、一年に一度、村から十歳になる子を生贄に差し出すことになった。以来、村から忽然と人が姿を消すものは現れなかったという。
だから、少年が生まれる前からこの村には生贄という風習が蔓延していた。
何十、何百回目となるだろうその風習を、今度はその少年が体験することになった。
すっかり陽が落ち、夜の山の中を裸足で歩かされている。案内人として前と後ろに松明を持った大人が無言で道を進む。
大人たちは「ここにいるんだぞ」と、告げるとそそくさとその場を後にした。
松明の光が見えなくなり、辺りにまた暗闇が戻ると少年は道なき道へ姿を消した。風習が始まってから一度もこの儀式が破られたことはない。だとすると、村の掟に歯向かうのは少年が初めてになるかもしれない。
元々、少年自身に生贄になる気など全くなかった。だが、生贄の祭壇まで素直についてきたのは、村人からの注意を逸らすためだ。少年にあるのはふつふつとした村に対しての憤りだった。
魔女なんていない。
この山の裏側には海がある。生贄に捧げられる子供たちはそこからやってきた大人に攫われ、別の国へ売り飛ばされているのだ。村長達はそれを知っていて、隠すために魔女の存在を生み出した。
だとすればここにもすぐ誰かが少年を攫いにやって来る。彼等から逃げるために、月明かりだけを頼りに森の中を進む。
少年には目的があった。それは、必ずここから逃げ出し、いつか村に復讐することだ。そして、一年前に攫われた少女を探しに行くことである。
だが、決意するのも束の間。道なき道を進み始めて数十分が経過した頃。少年の前に背の高い女が現れた。
見つかった。
一瞬、息ができなくなり背筋に悪寒が走る。だが、少年はその女性に、というよりは人間としての違和感を覚えた。
こちらに気付いてはいるが、彼女からはまるで生気を感じないのだ。死人のように真っ白な肌。衣装は暗闇に溶け込み、まるで虫のように結膜まで黒一色の二つの目がこちらを見ていた。
何より目を惹いたのが開いた傘のように大きな真っ黒のとんがり帽子である。
女性はこちらが動かないことに疑問に感じてか、まるでロボットのような動きで近付いて来た。そして少年の前に立ち塞がると、下半身はそのままで上半身だけを落として顔の高さを合わせてきた。
「坊や、どうしたの?」
寒気が走ったのは夜の森の冷たさだけではない。
半開きの口は頬まで裂け、こちらに笑いかけているように見える。
「坊や、迷子……?」
首を過剰なくらい右に傾かせて再び問いかけてきた。
魔女だ。
直感的にそう感じた。それが、少年を困惑させた。魔女の話しはすべて作り話だと思い込んでいたからだ。本当に存在しただなんて。
相変わらず、魔女はそのままの体勢で微動だにせず少年を凝視している。
「俺を、見逃してください!」
咄嗟に少年は叫んだ。身体の震えを抑えるように、爪が肉に食い込むほど強く拳を握る。
「……俺は、俺はあの村が憎い! 復讐したいんだ。復讐して、捕まった皆を助けたいんだ! だから、お願いします。見逃して下さい」
深々と魔女に頭を下げた。
すると、頭上で耳をつんざくような笑い声が始まった。
「ケケケケケケケケ……っ!」
魔女が笑っているのだ。身体をのけぞり、豊満な胸元が月明かりに照らされる。
木々がざわめき、まるで悲鳴を上げているようだった。そして、再び少年の顔近くへ勢いよく顔を戻した。同時に辺りが静まり返る。
「復讐、してあげよっか?」
「え?」
思わず顔を上げ、間近に迫っていた魔女の顔に心臓が止まりそうになる。彼女の表情は仮面を被っているかのように眉一つ動かない。この言動が、より少年を困惑させた。
もし、この魔女の誘いが本当だとしたら村との約束はどうなるのか。
魔女はのっそりと上体を起こし、森のある一点を見つめている。村がある方角だ。今から向かおうとしているのか、眉一つ動かさない表情からは少年には何も読み取れなかった。だから、敢えて少年は魔女の服を掴みそれを静止させた。
「……俺は、俺の手であいつらに復讐したい。だから、お願いします。
俺を、弟子にしてくれ!」
魔女には人智では理解できないような魔法と呼ばれるものが使えるという。人一倍、そういったオカルト的な事を信じない少年だったが、今はそれしか頼れなかった。
奴らを根絶やしにできるかもしれない唯一の方法である。
だが、見上げた先の魔女の表情はいまいちピンっと来ていないようだった。黒い目を細め、首を左右に何度も傾げている。だが、言葉の意味を理解すると、またあの不快な声で笑いを始めた。何度も「弟子、弟子……!」と連呼を始め、まるでプレゼントを貰った子供のように気を良くさせている。すると、またこちらに顔を近づけた。目尻が下がり、口角が不気味に上がっている。
「じゃあ……」
興奮納まらない様子で少年の提案を受け入れると、次に魔女からの提案を彼の耳元で囁いた。
それから十年後、村は滅んだ。
まるで昼間の如く勢いよく燃え盛る炎。それを傍観する影が二つ村の入り口にあった。
そこには、十年前と変わらない姿の魔女がいた。
「満足?」
魔女はもう一つの影の人物に問いかけた。
「うん。ありがとう、母さん」
そこにいたのは、十年前。村への復讐を誓った少年が青年へ成長した姿があった。少年は魔女の弟子になり、代わりに、魔女は自分のことを『母さん』と呼ぶことを要求した。
十年越しに夢を叶え、青年の心は満たされていた。そこへ、火から逃れてきた一人の村人が彼らの前で力尽きて倒れ込んだ。
その村人は全身が焼き爛れ、助からないことは明確だった。だが、今の青年にはこの致命傷も治せるほどの力を宿している。それを使おうとも考えない理由は明白だ。
微かな意識で村人が彼らを見ると「お前、無事だったんだな?」と、青年に目を見開いた。自身の置かれた状況も忘れ、村人はかもこの十年間青年のことを心配していたのかその表情に安堵の色が見えた。
青年は驚いたが、同時に苛立ちも湧き上がってきた。
白々しい。
少年を騙し、子供たちを村のため、自分のために売った輩が今さら何を語るというのか。
少年の気持ちなど知らず、瀕死の村人は「早く逃げろ! 魔女が来たんだ」と気力の限りに絞り出した声で叫んだ。
まだ、誤魔化すつもりなのかと青年はこの十年間、溜め込んでいた村への恨みを解き放つように怒鳴り散らした。
「俺は、その魔女と契約してこの村を滅ぼしに来たんだ! 俺達を騙し、自分達だけ生き残ろうとしたこの村を俺は許さない。お前らは死んで当然なんだ!」
興奮気味の少年を、村人はまるで意味が分からない様子で眉を潜めていた。それがより青年の怒りの感情に油を注いだ。だが、再び青年が口を開くよりも先に、村人の表情が引き攣った。その視線の先にあるのは「魔女」だ。
呟いた瞬間。青年の裾を村人が掴んだ。そして魔女に向かって何かを叫んでいる。
青年には、その姿が必死で魔女に命乞いをしているように見えて滑稽だった。思わず、笑いが零れると、村人が振り向き睨みを効かせてきた。すると、今度は青年の胸を何度も叩き叫び始めた。青年に恨みつらみを言っているのだろうか。だが、それは聞き取れたものではなかった。半ば、その姿が面白おかしかったため言葉が頭に入ってこなかったせいでもある。
いつまでも見ていたいと思ったが、それともお別れの瞬間がやってきた。
突如、村人の頭部に魔女の頭が覆い被さったのだ。鈍い音がした瞬間、魔女は長い髪を上げる勢いで上体起こした。先程まで必死でなにかを訴えていた村人の首から上が無くなっている。その行方を知らせるかのように、魔女の口元から骨が砕かれる音が何度も聞こえてきた。
クチャクチャという不快な咀嚼音へ代わり、次の一瞬、魔女の顔と首の太さが同じになると、すっと元の太さに戻った。満足したように魔女は自身の腹部を擦った。
頭部を失った村人の体は何が起きたのかわからないのか、未だに青年の裾を掴んで硬直している。そんなことなど気にも止めず、青年は無言であの光景を最後まで見ていた。魔女と目が合うと、彼女は恥ずかしそうに頬まで裂けた口に指をあてた。
「これは味見よ……」
つまみ食いを隠すように無邪気に息子に告げる。
炎の手が森に回らない程度に収まると、生存者がいないことを確認し魔女の家へ帰ることにした。道中、魔女は楽し気にスキップをしながら獣道を進んでいる。
「母さん、どうしてそんなに楽しそうなの?」
魔女はぶつぶつとなにかを呟いた後、「そしたらあなたにも分けてあげないとね」と青年に顔だけを向けた。相変わらず、能面のように表情は変わらないがどこか笑っているように感じられた。
「百だから、五十と五十………。
約束、だもの……。ケケケケケ」
十年という歳月を青年は魔女と過ごし、理解しがたい行動も目の当たりにしてきた。だが、それとは裏腹に思い入れというものか確かに存在し、青年は魔女に対し愛情を感じていた。
村に復讐できたのはすべて母さんのお陰だ。たくさん愛してるを言って、抱きしめて、美味しい料理を作って感謝の気持ちを伝えないと。なのに、
今の青年にあるのは、同族を食べた目の前の”それ”に対する恐怖心だけだった。
その感情が拭われることはなく、青年は恩とは別についに国へ魔女の討伐依頼を出してしまった。
「母さん、おはよう」
「おはよう、私の坊や」
今日の昼頃には騎士団がここへやって来る。
だが、ふと青年の心にある思いが顔を出そうとしていた。
こいつが討伐されてたら、それから俺はどうする?
故郷の村は自身の手で断った。青年は困惑した。悩みに悩み、そしてある結論に至る。
俺の手で魔女を倒せば、国から称賛され、立派な地位が得られるんじゃないのか?
ちらりと魔女を見る。彼女は椅子に座り、呑気に五本の指を何度も上げ下げしてなにかを数えているようだった。こちらに関心はない。
やれるはず。青年には勝算があった。それは魔女から教わった魔法の数々。中には呪いのような相手を即死できる類のものもある。
騎士団到着まであと四時間。
「母さん」
青年が魔女を呼ぶと、出会ったときと同じように過度に首を傾げ「なーに?」と、あの虫のような真っ黒な眼を向けてきた。
「……ジャムが作りたいんだけど、そこの棚から鍋を取ってくれないかな? 俺じゃ届かないからさ」
早口になるのと鼓動が速度を上げるのがわかった。
魔女はぬるりと我が子と反対側にある棚の方へ顔を向けた。
「わかったわ」
魔女が椅子から立ち上がり、棚に向かおうと青年に背を向けた。
「ありがとう。愛しているよ、母さん……」
魔女へ手をかざす。
「 」
少年は呪文を唱えた。それは魔女が自身に教えた魔法の中でも禁忌の領域のもの。身体はどろどろに溶け、だが術者がいいというまで死ぬことはない。痛みは感じないので、術がかかったらすぐに死なせることを考えていた。のはずだった。
魔女にかざした青年の手が水をかけられた綿菓子のように骨と共に溶け出す。
「はい、取れたわよ。これでいいかしら……えっ?! やだ、どうしたの」
慌てて魔女が青年に駆け寄るときにはすでに両足も溶け出していた。「どうしよう」と何度も呟く魔女の声が聞こえてくる。
それ以上に状況が理解できていないのは青年だった。呼吸もままならなくなり、顔から大量の汗が出ていると思いきやそれは崩れかけた自分の顔の肉が正体だった。
どうすることも出来ないでいると「ごめんなさい、ごめんなさい」と、魔女が謝り出しこんな言葉を投げかけられた。
「馬鹿な子、それでも愛おしい……。その魔法を教えたのは誰だったか?」
その声色は悲しんでいるものの、どこか楽しさも含まれているようだった。
「どぅ、……い、う…………?」
魔女を見上げる顔に、以前までの面影はない。口は上手く閉まらなくなり、垂れた目尻で収まりがつかなくなった目玉が転げ落ちる。髪は抜け、見る見る皮膚が黒いヘロドのように変化し始めていく。
「あなたがあまりにも可愛かったから、忠告するのを忘れていたわ。この魔法は、教えた人にかけようとすると自分に返ってくるの。この魔術の詠唱を考えた創造主が自分の弟子達に殺されないために内緒で組み込んだ言葉なのよ。
……その姿じゃ、もう人里には出られないわね。無知の母を許して。でも、ながーく生きてきたからこれだけは知っているの。人間ってね、とても臆病で、自分たちと異なる生き物がとても嫌いなのよ」
そのとき、燃える村から逃げてきた村人のことを思い出した。あのとき、青年の裾を掴んだのは命乞いではない。自分を囮にして彼を逃がそうとしての行動だったのだ。自身へ恨みつらみではなく、必死で「早く逃げろ!」と言っていたのだ。
そう考えた瞬間、青年は猛烈な後悔に襲われ涙を流した。
そんな青年を魔女は強く抱き締めた。
「でも、大丈夫。母さんは怒っていないわ。これからは、私があなたを守ってあげる。ずっと、ずーっと、私の可愛い坊や……ケケケケケ」
薄れていく意識の中、ただ一つ青年にはわからないことがあった。
自分達を売ろうとしていた奴らが、なぜ自身を庇い、しかも逃がそうとしていたのか。
だが、青年には考えることも、反論する口も自我さえもすでに溶けて無くなっていた。最後に聞こえたのは泣きじゃくる自分の声。まるで獣の野太いそれのようだった。
最後までお読み下さりありがとうございます!
後編は3月12日の夜に更新します。




