幸せな時間
人間嫌いな魔女がある日、一人の少年を拾う。共に時間を過ごしていく中、魔女はある感情を抱き始める。
人里離れた森の奥地。人間嫌いな魔女が一人住んでいた。つばの広い黒い帽子に長いドレス。その黒さはなにもかもを吸い込んでしまいそうなほど濃く、存在感を放っている。
「………おや?」
数百年の間独り身だった魔女は、今、薬草採取に専念している。その帰路、彼女は道の真ん中で一人の少年と遭遇した。
小柄で、伸びた前髪が顔半分を覆い隠してこちらを見ている。
ここに人が来ることなどそうないというのに…。まして、こんな幼子が一人、森に迷い込む理由も見当がつかない。
「……子供、迷子か?」
そう少年に近付くと、か細い足の膝に赤く擦りむいたような痕があった。僅かにそこから液体らしきものが滲み出ている。
少年は魔女に驚く様子もなければ怖がる素振りもなく、静かに俯いた。
魔女は深い息を一つ吐くと、左腕に持っていた籠から二、三枚の葉を少年に手渡した。
「見るからにお前は村の子だろう。私の薬草を少し分けてやる。それで傷を治せ。」
そう言って、自分が通ってきた道を指差すとこの先をずっとまっすぐ行けば人里が見えてくることを教えた。それを伝えると、魔女は再び歩み出し少年の横を通り過ぎていった。
だが、すぐに魔女は足に違和感を覚えた。見ると、先程の少年が足に抱きついてきたのだ。
すぐに引き離そうとした魔女だったが、少年は必死そうに魔女の足に抱きついている。まるで自分を求めるかのように。
「……仕方のない子供だ」
魔女は子供は好きだった。
それから五年。魔女は少年と暮らした。僅かに背も伸び、体つきもしっかりとしてきたような気がする。
この五年間。魔女はあえて少年になにも聞かなかった。人間の起こすいざこざにわざわざ首を突っ込もうとも思わなかったからだ。
魔女は少年にいろんなことを教えた。薬草の種類、見分け方、採取から魔女自身の世話まで。魔女は身の回りのことのほとんどを少年に任せていた。
魔女はすぐに弱音を吐いて出ていくだろうと思っていたが、少年は当てられた仕事を丁寧にこなし、出て行こうとはしなかった。
次の仕事を求めて魔女を見つけたときの少年の笑顔が、いつしか彼女の楽しみになったのだった。
その日、魔女は家を開けることにした。今日は世界中の魔女達が集まる『魔女集会』の日。家の留守を少年に任した。
「見送りはいいよ」
しかし、家を出ても少年は魔女の後をついて来た。まだ寂しい年頃なのか、魔女には人の時間がわからない。
途中で引き返すだろうとそのまま歩みを止めなかったが、流石に、と魔女は少年に振り返った。
「大丈夫。すぐ行って帰ってくる。もしもの場合に、家には人が入れないように結界も張った。お前はただいればいい。わかったか?」
そういう魔女に、少年は俯き加減に小さく頷いた。うん、と少年の頭を優しく撫でていると、彼は魔女に抱きついた。初めて会った時よりも強く、自分を求める。
魔女は胸の辺りが温かくなるようなおかしな感覚に陥っていた。
初めて感じる謎の感情と同時に、少年とのこれまでの賑やかな日々が脳裏を過る。
少年の思いに応えようと、ゆっくりその小さな背中に手を回した。
「……ッ?!」
小さな背中に掌が触れる直前だった。
魔女は腹部に痛みを覚えた。抱き締めようと回した両腕の隙間から、少年がするりと抜け出し離れていく。
魔女の腹部には十字架の銀の短剣が刺さっていた。
ーーー一体…?
だが、その答えはすぐに分かった。少年の手に、おそらく自分のである赤い液体が付着していたのだ。
「なん……っ」
出血を抑えながら、己を刺した理由を問おうとしたその時、森の茂みから無数の足音が聞こえていた。現れたのは銀色の鎧を身にまとった騎士で、困惑している魔女の周りを一瞬で取り囲んだ。
それよりも魔女が驚いたのは、その騎士たちが少年を中心に左右に分散していたことだ。
少年の隣にいた騎士が膝をつくと、小瓶を取り出した。
少年はそれを受け取り、なんの躊躇もなく中身を飲み干した。次の瞬間、少年は一人の屈強な戦士へと姿を変えたのだった。いや、戻ったのである。
前髪で隠れていた素顔がが顕となり、その右目には縦に一本、古傷があった。
そのとき、魔女の記憶に過去の出来事が蘇る。
三十年前、魔女は一つの村を焼き滅ぼした。そこで、一人の少年が最後まで自分に戦いを挑んできたのだ。
魔女は子供は好きだ。彼女はその少年から右目だけを奪い、生かした。
「そうか、お前はあのときの……」
すべての辻褄が合ったとき、魔女はその場に倒れた。地面には魔女のものだろう大量の血が流れて水溜りが出来ていた。
少年だった戦士はその姿を一瞥すると、後の処理を部下に任してその場を去ろうした。
だが、踵を返した瞬間、背後で金属と金属が擦れ合う耳障りな音が聞こえてきた。
再び振り向いた先に、血溜まりが黒く変色し、そこから飛び出た針ようなものが近付いた部下達を串刺しにしていた。
針山の中心には倒れたはずの魔女が立っていた。いつの間にか刺さっていた短剣は抜かれ地面に落ちている。出血している場所を黒い渦が取り巻き、血溜まりも見る見るそこへ吸い込まれていく。
「……」
古くから魔女は銀と十字架に弱いという言い伝えがある。だが、それが効くのは純血のみである。
この魔女が人間を嫌う理由。彼女の体に流れるもう一つの血が、彼女の体に突き刺さった凶器を取り除いたのだ。
色白の肌に薄紅色の唇がより鮮明に彼女を美しく彩る。その周りを、手負いの主人公から溢れ出た黒い渦のようなものが守っていた。
その隙間から度々見える魔女の表情。こんな現実を突きつけられても尚、その素顔は至って穏やかだった。
たとえ自分を刺したとしても、少年と生きたこの短い時間が何より楽しく幸せな瞬間であったことに魔女はこの時、理解した。これ以上に愛おしく感じたものはなかった。自分を求めてくれたこと、薬草の種類、調合を教えたこと、怪我をしたこと、初めて自分に料理を作ってくれたこと、一緒に寝たこと。私を見つけて見せたあの笑顔が。すべての時間が、魔女に一人の母親としての気持ちを芽生えさせたのだ。
魔女を覆う黒い渦が目の前の敵を威嚇する。
それを付き従えて完全に姿を現した魔女は、自分を討とうとする戦士に精一杯の言葉で応えるのだ。
「まったく、これだから人間は嫌いよ……」
最後まで読んで下さりありがとうございます!
拾った子供が大きくなって敵対する感じもいいなあと思いました。
次のお話は、3月12日に更新します。
ここから先は、このお話の裏話について語ります。苦手な方は読まないで下さい。
この魔女のことを話すると、彼女は魔女と人間の間に産まれた子でした。だから、本編で銀の短剣が効かなかったのです。それが効くのは純血の魔女だけです。
魔女が育った時代も、丁度、魔女狩り真っ最中の頃で、当時、住んでいた村の人達に自分と母親が魔女とバレてしまいます。加担したとされた父親と、魔女を逃がそうとして母親も処刑されます。そして、魔女一人だけがなんとか生き残ります。村への小さな恨みを持って。
その村が、実は少年が育った村で、魔女が成長して村に復讐しに来た時期と重なります。
このとき、まだ魔女は人として生きるか、魔女として生きるか悩んでいたこともあり、この少年を生かしました。その選択が、今回の出来事で彼女に魔女として生きることを選ばせたのです。
ご一読ありがとうございます。次回もお楽しみ下さい。




