第4話 エピローグ
私は真理亜が好きではない。
なぜなら、彼女がいじめの主犯だったからだ。
けれど今はどうかと言われれば、それほどでもない。
それは許したからとかそういうわけではなく、なんだかあまりにもちっぽけ過ぎてもういいかなという気分になってしまったからだ。
いじめられているときには、憎しみと怒りと腹立ちしか感じなかったけれど、解放されてしまうとそこまで怒りは持続しなかった。
それに加えて、真理亜の家庭環境を見ると、抱きたくはないのに同情の念まで発生してしまった。
こうなると、もはや憎み続けることは難しい。
せいぜいが、あんま好きじゃないっす、というくらいのレベルだ。
そんな彼女が、ちょっと前までの私のような状況に置かれているのは、あまり気分がよくなかった。
彼女は、もともとスクールカースト最上位の人間だったけれど、本質的には私に近い存在だったわけで、彼女がいじめられているのを見ると、自分と重ねて気分悪くなる。
だから、そんな現場を見ると止めたくなる。
「……やめて」
気づいたら、そう言いながら、真理亜の前に立っていた。
私の後ろには真理亜、そして視線の先には真理亜の元取り巻きたちがいた。
どうも、私をいじめられなくなって、真理亜に標的を移したのは主に彼女たちだったようである。
「なによ……あんたに何の関係があるの」
取り巻きの一人がそう言うので、
「関係はないけど気分は悪い」
と言った。
すると他の取り巻きが、
「あんたこいつにいじめられてたんじゃん! 別にこいつがひどい目にあってもいいでしょ!?」
と叫ぶ。
他の二人も同意するようにうなずいている。
まぁ、わからない理屈でもなかった。
けれど、
「それを言うなら、私はあんたたちもひどい目に遭わせたい……やってもいいの?」
と無表情に尋ねた。
実際、その権利が私にはあるはずだ。
真理亜もひどいが、それに阿って私をいじめていたのはこいつらもなのだから。
それを考えると、やっても許されるはずである。
本気でそう思った。
すると、取り巻きたちは気圧されたように後ずさった。
「な、なにをする気……」
「何って、そりゃあ色々と復讐を」
「そんなことして、ただで済むと思ってるの?」
悪者にありがちなセリフを吐いたので、私はスマホを取り出して、録音した音声を聞かせてあげることにした。
『桜花! 調子に乗ってるんじゃねぇ!』
『あんたはそうやっていつまでも這いつくばってりゃいいんだ!』
『死ね! 死ね!』
という取り巻きたちプラス真理亜の声と、断続的に何かを蹴ったり叩いたりする音、そして私のうめき声が聞こえる。
それを聞いた取り巻きたちは青くなって、私のスマホを奪おうと手を伸ばした。
けれど、私は言う。
「これはうちのパソコンにも入ってるし、地方に行った兄にも送ったから、どうやっても回収することは出来ないよ」
フェイスさんがしろと言った録音はしっかりとしていた。
ストーキング期間に撮ったもので、私にひどいことをするようにあのブレスレットは使わずに彼女たちの前に姿を現したときのものだ。
私と会う機会が減って、よっぽど腹が立っていたのだろう。
いつにもましてひどいことをしてくれたので、名作が完成した。
兄はこれを聞いて即座に警察に行こうと言ってくれたが、とりあえずやめてくれと言って止めてある。
別に大事にしたいわけではなく、ただいじめをやめてほしかっただけで、これをもって真理亜と交渉すればどうにかなるだろうと思っていたからだ。
実際には考えていたのとは別の弱みが得られてそれをネタに脅す格好になったが、取り巻きたちにはこっちの方がいいだろう。
取り巻きたちは私の言葉に青かった顔をさらに青くして、今度は頼み込んできた。
「やめて……言わないで!」
「怒られちゃう……お母さんとお父さんに!」
「退学になっちゃうじゃない! やめてよ!」
いや、今更じゃん。
と心の底から突っ込んでやりたくなったが、私は彼女たちを地獄に突き落としてやりたいわけではない。
そうではなく、ただ平和な日常がほしいだけだ。
だから言う。
「言わないであげてもいいけど、それなら、もうこんなことはやめて。私に対しても、この子に対しても、他の誰に対しても」
その言葉に、三人は土下座する勢いで頷き、それから逃げるように去っていった。
もう二度としないらしい。
本当かよ、と尋ねたいところだが、何かあれば警察に提出してやればいいかと思うことにした。
それから、後ろにいた真理亜を振り返ると、彼女は、
「……そんなものがあるならさっさと警察に提出すればよかったじゃない」
と言い始めた。
彼女は命乞いはしないらしい。
プライドからというよりは、なぜ私がそれをしないのか、単純に不思議そうな視線だった。
「そのつもりだったけど、あんたの家を見たらね。そんな気分じゃなくなった」
「……同情? だったらとっとと警察に突き出した方がいいわよ。私、またするかもしれないわ」
確かに、そうかもしれない。
一度こういうことをやったやつはまたやるものだ。
けれど、例外もある。
「私が監視しててあげるから、大丈夫。なにかあったら突き出す。いい?」
「……あんた、何を言ってるのよ……」
「なにって……別に」
なんだろう?
まぁ、なんでもいいではないか。
それから、私は特に何も言わず、教室に戻っていく。
次の授業は体育だ。
まだペアを組めとか言われそうだが、そのときは真理亜に頼めばいいだろうと思った。
気分は割と軽かった。
◇◆◇◆◇
プラネタリウムでぼんやりしていると、誰かがやってきた。
一人ではない。
複数人だ。
「……いたな。桜花」
「ふむ、そうじゃな。今日は元気そうじゃ」
『そうですね』
ヘイルさんに、フェイスさん、それにお犬様だった。
「みなさんお揃いで……お知り合いだったのですか?」
尋ねると、ヘイルさんが首を振った。
「いや、私はこの二人……一人と一匹にはついこないだまで会ったことはなかったぞ」
「ではまたどうして……」
「それがな、城の執務室で仕事をしていたら、この犬っころが突然やってきてな。聖天教の内部状況を説明したうえで、『聖廟に閉じ込められた教主を救えば、戦争は終わりますよ』と言い始めた」
それで、この間のお犬様の行動が分かった。
間接的に救う、とはヘイルさんにフェイスさんを救わせるということだったのだと。
「まぁ、さすがに教主が閉じ込められてそんなことになっているとは思わなかったが、もしそれが事実ならば教主を救うのが良さそうだとは思った。しかしそうは言っても、私は魔族だからな。ラーンの聖廟など近づける訳がないに決まっている。そう言ったら、この犬っころは神具を出してきて、これで身を隠せますと……半信半疑でつけてみれば、完全な隠形が出来るではないか。魔力もまったく漏れんし、確かにこれを使えばどうにかなると思った」
「それで……?」
「忍び込んでやったとも。誰かに言うとまた怒られるからな。黙って一人で行った。聖廟の外に封印の維持装置が結構あったが、あの程度、私にとって破壊することは簡単なことだった」
この言いぐさには、フェイスさんもイラッと来たらしい。
「外からなら壊すのは簡単なんじゃ。中からは難しいようになってるんじゃ。欠陥品のように言うでない」
「そうか? まぁそれで……教主と対面してな。ブレスレットを見せれば事情を理解してくれたぞ。それから……」
続きを説明しようとしたところで、フェイスさんが言う。
「そこから先はわしの方からじゃな。まず、聖天教の枢機卿どもの裏切りを明らかにして更迭した。教義の歪みも訂正し、もとの健全な団体に戻した。戦争についてはトップが会談して和解ということになった。ヘイルとはもう顔見知りになって戦争についてはやめるという方向で打ち合わせしてたからのう。人間魔族ともに抵抗はある程度あったが、どちらも鎮めた。今ではエンテミールは平和に戻った」
『偉く端折りましたが……まぁ、概ねそういうことですね。桜花、貴方がいたからこういうことになりました。エンテミールを支える神獣の一人として、お礼を申し上げます。ありがとう』
お犬様がフェイスさんの説明に微妙な顔をしながらそう言った。
本当はもっといろいろあったということなのだろう。
けれど、まぁ平和になったなら、それでいい。
人は争いなどしない方がいい。
もちろん、戦わなければならないこともあるのかもしれないが、戦わないで済むのなら、その方がいい。
誰がが傷ついて、楽しいことはあまりないのだかr。
「よかったです。私は何にもしてないですけど……」
実際、何もしていない。
むしろ、彼らがここにやってきたお陰で、私の方が大分楽になったくらいだ。
「誇ってもいいくらいのことを桜花はやったのだがな……」
「いえ……」
それから、二人と一匹はひたすらに私のことを褒めてくれ、宝石とか金塊とか贈るとかいう話までし始めたのだが、そんなものを唐突に手に入れてはこの世界ではおかしいのだと説得してやめてもらった。
では、褒美は何がいいかと聞かれたので、私は迷ってしまい、
「……ええと、では、たまにお話していただければ嬉しいです。いえ、もちろん、お忙しいならいいんですけど」
と控えめに言った。
彼らと話すのは、楽しい。
住んでいる世界が違うから、文字通り、私とは人生経験が違う。
それを聞いていると、面白いのだ。
だからこそのお願いだったが、彼ら三人は顔を見合わせて、こしょこしょと何かの相談をしてから、不穏な表情で、
「なるほど、検討する」
「早いところ、執務を落ち着かせなければならないのう」
『……神に許可をもらってくることといたします……』
と言いながらプラネタリウムの奥に消えていった。
何か、問題があるらしく、それが片付いてから、ということなのだろう。
私はそう思った。
◇◆◇◆◇
朝ごはんを食べている。
いつもと変わらない日常だ。
父はもうすでに家を出ており、母だけが家にいる。
ただ、母もそろそろ家を出るところで、玄関で靴を履いていた。
口にパンを加えているのは私だけだ。
がちゃり、と音がして、玄関扉の開く音がした。
母がそろそろ出るのだろう。
そう思って、パンを口からはずし、
「いってらっしゃい!」
と玄関まで響く声で言った。
いってきます、と返ってくるかと思ったが、これが意外なことにそうはならなかった。
そうではなく、
「桜花! お友達よ!」
と言う声が返って来た。
誰だ、と思って玄関に行ってみると、
「……おはよう」
と言う美少女がそこに立っていた。
三浦真理亜である。
眼帯も取れて、髪はショートカットにしている。
顔がいいからよく似合っていて、腹立たしい。
そもそも、なぜ来たのだ。
そういう視線を彼女に向けると、真理亜は母を見る。
母は、色々と察して、
「じゃあ、行ってくるわ」
と行って外に向かっていった。
それから真理亜が、
「……昨日、玲たちがあんたを突き落とすって言ってたから」
と不穏なことを言った。
玲たち、というのは元真理亜の取り巻きである。
つまり、真理亜は彼女たちの陰謀を阻止すべく来てくれたらしい。
意外だった。
とはいえ、知らせてくれたのはありがたい。
駅のホームとかそうなって死にたくはない。
素直に礼を言う。
「……ありがとう。教えてくれて」
「……別に。ほら、早く支度しなさいよ。学校行くわよ」
「はぁ? なんであんたと行くの?」
「いいから」
と真理亜が押すので仕方なく家に戻り、残っていたパンを急いで食べる。
つけていたテレビの中ではニュースがまだやっている。
「……日未明、来郷市宮代にて……」
私はリモコンを手に取ってテレビの電源を消す。
それから、鞄を持って玄関に行き、真理亜と共に学校に向かった。
もし、私がこのとき、ニュースをもっとしっかり見ていたら驚愕していたころだろう。
そこに、あの三人の顔が写っていたはずだから。
◇◆◇◆◇
学校につくと、クラスは不自然に人が少なかった。
特に私をいじめていた人物は真理亜を除いて全員いない。
しかも、ホームルームが始まって気づいたが、教師も変わっていた。
自己紹介を聞くに、今日から赴任してきたらし。
とても明るく、私にも話を振ってくれ、いつもの三分の一くらいの人数になった教室だったが、それでもなんだか楽しかった。
有能な人なのだろう。
それから、ホームルームの最後に、彼は言った。
「じゃあ、最後に……今日は転校生がいるんだ。みんなは朝のニュースを見たか?」
その言葉に、一人の男子生徒が答える。
「もしかして宮代の奴ですか?」
「そうだ。その関係で政府から直接この学校を指定されてな。彼らはまぁ、こんなこと言うとふしぎな感じもするだろうが……異世界人という奴だ」
そう言って入ってきたのは、見覚えのある三人である。
ヘイルさん、フェイスさん、そして犬耳のついた少女。
ヘイルさんはかなり若く、フェイスさんは年をとって、犬耳少女はその瞳に見覚えがあった。
「左から、ヘイル、フェイス、そしてアセナだ。向こうでは高貴な人たちらしくてな。詳しいことは先生も下っ端だから知らないんだが……まぁ、それでも普通の生徒として接してくれということだ。それで、いいんだよな?」
と先生が三人に聞くと頷いた。
それから、三人そろって私を見る。
間違いなく……あの三人だった。
一体なぜこんなことに、と思って考えてみるに、最後の私のお願いのせいだろう。
隣のクラスメイトに宮代の件ってなんだと聞いてみれば、つい先日、宮代――これは地名だ――で異次元トンネルが開き、そこから知的生命体が現れて交流を申し出てきたのだという。
さらに、交流のために留学生を数人受け入れてほしい、という話が進み、そしてそのために来たのがあの三人ということらしい。
今日の朝、テレビに映って、相当な有名人になっているということだった。
朝、見逃したから知らなかった。
話し相手も学校にいないから、情報もなかった。
真理亜はあれで妙に世間ずれしていて、ニュースとかてんで見ないし。
三人はそれぞれ、自己紹介を始める。
「私はヘイル。エンテミールの魔族の長、魔王だ。よろしく頼む」
「フェイス、と言うのじゃ。エンテミール最大の宗教派閥聖天教の教主じゃ。よろしくなのじゃ」
「私はアセナ。神獣の一柱なので人間ではありませんが、人の世を知るいい機会だと思っております。よろしくお願いします」
私は、もはや何も言えなかった。
クラスメイト達も妙な顔をしているが、しかしこれは事実なのだと先生の表情が語っている。
彼も知らないとは言ったけれど、向こうの事情をある程度は聞いているのだろう。
呻くような声で、
「え、そんなに大物だったの……」
とつぶやいている。
こんな状況で、私は一年間平穏に暮らせるのだろうか。
ふと、そう思ったが、まぁ無理だろうなという答えが一瞬にして出た。
いじめ問題は片付いたが、まだまだ私の周囲は落ち着かないようである。