第17話 :【聖なる岩嶺への進軍と、太古の誓い】
1. 不穏な吉報と、王子の決断
旧市街地での七十八名救出劇、そして対魔物自走砲百五十門が放った圧倒的な火線の余韻が残る大荒野。激闘の翌日、早朝。
大嵐が去り、不気味な薄明かりが差し込むドラゴン部隊の陣地では、束の間の休息として兵士たちとルミナが朝食をとっていた。防護服の循環加湿回路を作動させながら温かなスープを口にする兵士たちの表情には、連日の死闘による疲労とともに、七十八名の生存者を救い出したという確かな誇りが宿っている。
その時、通信魔導士が跳ね起き、双子共鳴貝を握りしめて叫んだ。
「ネレウス殿下! 前方を索敵中の三か国合同第二部隊より、緊急打電です!」
スープの椀を置いたネレウス王子が、鋭い眼光を向ける。
「第二部隊からか。何が起きた?」
『――こちら第二部隊! 索敵報告! 『聖なる岩嶺』の方角に向かって広がる、広大な大森林地帯を発見しました! 驚くべきことに……この大森林内部には、魔物の気配が一切存在しません!』
「魔物の気配が無い大森林…………?」
ネレウスは顎に手を当て、頭の中で羊皮紙の作戦図を素早く展開した。三か国合同部隊のうち、第二部隊が展開している区域は、第一部隊や第三部隊の布陣よりも、自分たちドラゴン部隊の現在地に最も近い。
「第二部隊の戦闘区域は、我々の部隊に近いな……。カリオス親父からの指示は届いているか?」
――ドカアアアアンッ!!
その直後、前線指揮所の方角から空を揺るがす重厚な爆発音が鳴り響いた。ネレウスの問いかけに、通信兵は焦燥を滲ませながら何度も共鳴貝の魔力を調整するが、返ってくるのは不自然な雑音ばかりだった。
「通信不能、原因不明! カリオス将軍と連絡が取れません! 魔導波が狂っているのか、前線指揮所との通信が完全に途絶しています!」
「カリオス親父と連絡がつかない……だと?」
ネレウスの眉間に深い皺が寄る。カリオス将軍は、アトランティス軍の最高司令官であると同時に、幼少期よりネレウスに剣を叩き込んできた絶対の師父であった。戦況が刻一刻と変化するこの局面での通信途絶。敵の罠か、予期せぬ事態が起きているのか。
その時、通信共鳴貝に第一部隊の部隊長からの緊急連絡が入った。
『前線指揮所はワイバーンの群れと巨大毒蜂キラービーの群れによる奇襲を受け、集束魔導弾の専用運搬車が次々と炎上、大爆発が発生した模様! 死傷者多数!』
「なに……っ!?」
あまりの惨状に陣幕内が騒然となる。ネレウスは激しく動揺した。
(落ち着け……! 冷静に考えろ。ここで立ち止まるべきか?)
ネレウスの脳裏に、かつて汗と血にまみれて剣を打ち合わせた日々の中で聞いた、師の厳格な声が蘇る。
『ネレウス! 戦場の好機を逃すな! 真の好機とは、つねに多くの兵士たちの血と犠牲の上にある! 迷いは全軍を滅ぼすぞ!』
カリオス親父の教えが、ネレウスの胸の奥で熱く燃え上がる。前線指揮所が奇襲で打撃を受け混乱に陥っている今、立ち止まれば遠征軍全体が魔物どもの餌食となる。第二部隊が見つけた大森林突破こそが、全軍の犠牲を無駄にせず戦局を打開する唯一の道であった。
再度、第一部隊の部隊長からの緊急連絡が入った。
『第一部隊と第三部隊は第二部隊と合流し、全部隊で大森林周辺の魔物に総攻撃を開始する!! 大至急、ドラゴン部隊は出発し、大森林を通って聖なる岩嶺へ進軍されたし!』
第一部隊の部隊長は機転を利かせ、深海司令部へ集束魔導弾の補給を緊急要請していた。
ネレウスは力強く立ち上がり、腰の長剣の柄を固く握りしめた。
「前線指揮所の混乱に惑わされ、好機を逃すわけにはいかん。……ドラゴン部隊はこれより大森林を抜け、『聖なる岩嶺』の麓への突破を敢行する!」
「ネレウス部隊長…………!」
ルミナが立ち上がり、温かな治癒の杖を強く抱きしめて頷いた。
「行こう、ルミナ。カリオス親父たちが作ってくれたこの道を無駄にはしない!」
「はいっ!」
本隊に先行し、聖なる岩嶺への突破部隊として、ドラゴン部隊は静まり返る大森林へと足を踏み入れたのだった。
2. 緑のオアシスと、太古の結界
一歩、大森林の中へと足を踏み入れた瞬間、ドラゴン部隊の兵士たちの肌を包んだのは、それまでの灼熱と泥濘が嘘のような、清涼で澄み切った空気であった。
頭上を覆い尽くす鬱蒼とした緑の天蓋が苛烈な日差しを完璧に遮り、木漏れ日が柔らかく足元を照らしている。防護服の『硝石冷却ユニット』がほとんど作動を必要としないほど、森林の中は心地よい冷気に満ちていた。
「……おい、なんだこの快適さは……?」
「暑くない……どころか、涼しいぞ!」
「あぁ……空気が綺麗だ。防護服越しでも、心が洗われるような澄んだ気配がわかる」
足首を泥に取られることもなく、乾いた腐葉土を踏みしめながら進む兵士たちから、次々と溜息交じりのつぶやきが漏れ出した。
「ここは……まるで『大森林のオアシス』じゃないか」
「灼熱の地獄のすぐ隣に、こんな神秘的な森が残っていたなんて」
「だが……妙だぞ? これほど豊かな生命力に満ちた森なのに、どうして魔物が一頭もいないんだ」
口々に感嘆と疑問を漏らしながら、静寂の森を進んでいく。
行進して半日が過ぎると、遥か後方――第一部隊や第三部隊が合流して戦っている大森林周辺から、対魔物自走砲の着弾の爆音が地鳴りのように大森林の中まで微かに鳴り響き始めていた。味方たちが自分たちの進軍のために命がけで敵を引きつけてくれていることを悟り、兵士たちは足取りをいっそう強める。
森の奥深くへと進むにつれ、地形には異質で神秘的な光景が現れ始めていた。巨大なすり鉢状のクレーターや、鋭く抉られた岩肌――それらは数世紀前、この世界を襲った『巨大隕石群の落下』による未曽有の惨害の痕跡であった。
だが、兵士たちの心を何より揺さぶったのは、破滅の傷痕そのものではない。
その時に落下した漆黒の巨大隕石や、打ち砕かれた巨岩を丸ごと呑み込むように太い根を絡め、何百年の歳月をかけて木肌の一部として取り込んで成長した、圧倒的な巨木群の姿であった。周囲に立つ樹木の樹皮には、当時の隕石の衝突によって刻まれたと思われる深い傷痕が、いたるところに残されている。
うねる巨大な根が巨大な岩をガッチリと抱きかかえ、まるで木々が隕石を喰らい、その破滅のエネルギーすらも自らの生命力へと変換してしまったかのようだった。
隕石を呑み込んだ根の表面を、しっとりと深い翡翠色の苔が絨毯となって覆い、その隙間を、氷を思わせる澄んだ清流がせせらぎを立てて駆け抜けていく。
(前世で見た……屋久島の、岩を抱く巨木たちみたい……)
見上げるルミナの脳裏に、前世の遠い記憶が鮮やかによみがえった。海洋生物学者として研究に明け暮れていた頃、休日にひとり訪れた屋久島の深い森。静寂の中に響くせせらぎの音、湿り気を含んだ豊かな風、そして果てしない時間を超えて命を繋ぎ続ける苔むした大杉の静謐な威容。
頭上の枝葉からはさえずる鳥たちの賑やかな声が響き渡り、苔むした巨大な根から根へと小動物たちが元気に飛び跳ねていく。命の躍動に満ちたその温かな光景を見つめ、ルミナは静かに呟いた。
「ああ、ここは『命の森』だ……」
人間の一生など瞬く間に過ぎ去ってしまうような長い時間を、じっと耐え、世界を見守り続けてきたその神々しい姿が、いま目の前にそびえる大森林の巨木と完璧に重なり合い、ルミナの胸を強く揺さぶっていた。
その時、前衛を歩いていたレムリアの老魔導士が足を止め、巨木の根元を指し示した。
「……ネレウス殿下、ルミナ様。ご覧ください。この森に魔物が立ち入れなかった理由がわかりましたぞ」
巨木の太い根が絡み合う岩隙。そこに半分埋もれて静かに光を放っていたのは、古びた幾何学模様が刻まれた、脈動する青い鉱石だった。
「これは……『結界魔石』…………!」
老魔導士が静かに深々と頷く。
「ええ。数世紀前のアストリア王国の魔導士がこの地に遺した、極めて強固な防衛結界の目印です。この結界を張った魔導士は、すでに傷ついたこの命の森を、さらなる災厄から守ろうと、自らの命を代償に結界魔法を発動させたのでしょう」
老魔導士は感慨深げに魔石を見つめ、静かに言葉を続けた。
「これぞ、究極の結界魔法……。この身を失い、魂だけとなってもなお、その魔導士は何世紀にもわたって結界を張り続けているのです。魔石から発せられる浄化の波動が森全体を包み込んでいるからこそ、魔物どもはこの森へ足を踏み入れることすらできなかったのですな」
ルミナは結界魔石と太古の巨木を見つめ、かつてこの森と命を守るためにすべてを捧げた名もなき魔導士へ、深い敬意と感謝を込めて、そっと胸に手を当てた。
その時、ルミナの目が、朽ち果てた大きな根に呑み込まれた一本の魔導士の杖に留まった。吸い寄せられるように歩み寄ったルミナは、静かに治癒の杖を構え、杖を包み込む古い根に、そっと温かな温泉治癒を施した。
ふわりと黄金色の柔らかな湯煙と光が芽生え、古びた根と杖を優しく包み込んでいく。
すると―――
光の粒子が一か所へ集まり、やがて青白い光の中に、生前の面影を残す一人の魔導士がゆっくりと姿を現した。息をのむルミナと兵士たちの前で、現れた魂の魔導士は優しく微笑みかけていた。
老魔導士は感慨深げに呟いた。
「杖には、持ち主の強い思いが宿ると言われておる……あのアストリア王妃の杖のように」
遠い記憶を手繰り寄せるように目を細めた老魔導士は、やがて伝説の魔導士の名を思い出し、息をのんでその名を口にした。
「もしや……伝説の大魔導士、アルヴァス様では……!?」
すると、青く澄んだ光の輪郭を持つ魂の魔導士は静かにうなずき、穏やかな声で話し始めた。
『幾百年もの時を超え、私の魂を呼び覚ましてくれた者よ……感謝する。あの滅びの日、天から降り注ぐ災いの火からこの命の森を守るため、私は自らの命をこの地に繋ぎ、結界を結んだ……』
魂の魔導士――アルヴァスは、ルミナの持つ温かな治癒の光を見つめ、慈愛に満ちた眼差しを向ける。
『そなたの放つ優しく温かな波動……数世紀ぶりに、私の枯れ果てた魂が温もりに満たされるのを感じた。……勇士たちよ。このアストリア大陸はかつて、緑豊かな大自然が各地に点在していた。私にこの身があるならば、荒廃したこの大陸を再び緑豊かな大地に変えよう。緑豊かな大地には大小さまざまな生き物が集い、命が巡る……。しかし、この肉体を失い、魂だけとなった私には叶わぬ願いだ。どうか、この荒廃した大地に苗木を植え、緑豊かな大地への『再生』を……そなたたちに懇願したい』
アルヴァスの切なる願いを受け止め、ネレウス王子はまっすぐな瞳で強くうなずいた。
「伝説の大魔導士、アルヴァス殿……我はアトランティス海底王国第一王子ネレウスである。アルヴァス殿の願いを聞き入れた。大地に苗木を植え、緑豊かな大地への『再生』に最善を尽くす!!」
王子の力強く気高き誓いの言葉に、安らぎの笑みを浮かべたアルヴァスの姿は、光の粒子となって森の空気へと静かに溶けていった。その魂は消えたのではない。今なお森に留まり、変わらず結界を張り続けているのだ。
アルヴァスの願いを胸に、ドラゴン部隊は再び森の奥へと歩を進めた。途中で二度の野営を挟み、巨大な根やクレーターを迂回しながら、静寂の巨木群の中をひたすら進んでいく。
そして、大森林へ足を踏み入れて二日半――行軍を続けたドラゴン部隊は、やっと大森林を抜けた。
木々の切れ目の向こう側に広がっていたのは、雲を突き刺すように聳え立つ『聖なる岩嶺』の漆黒の山肌であった。
3. 大森林の境界から『聖なる岩嶺』の麓へ
木々の切れ目を一歩踏み越えた瞬間、ドラゴン部隊を包み込んだのは、命の森の清涼感を一瞬で焼き払うような、暴力的な熱波と重苦しい魔気圧であった。
「―――っ! な、なんだこの熱風は……!」
「硝石冷却ユニット、最大稼働! 水膜の蒸発を抑えろ!」
結界の守りを離れた途端、防護服の『硝石冷却ユニット』がシューッと悲鳴のような白い冷却霧を激しく吹き出し始める。大森林の境界線を境に、緑豊かな腐葉土の大地は途切れ、そこから先は生命を拒絶する漆黒の溶岩石と、鋭利に切り立った黒岩の荒野がどこまでも広がっていた。
見上げる空は、正常な大気の循環を失ったことで鉛色に淀み、吹き荒れる突風には細かい火山灰が混じっている。遥か彼方にそびえる『聖なる岩嶺』。
「あれが……『聖なる岩嶺』……」
ネレウス王子は青いマントを風になびかせ、腰の長剣の柄に手をかけたまま、険しい眼光で黒い荒野を見据えた。
「全員、警戒を怠るな。大森林を出た以上、いつ敵の強襲を受けてもおかしくない。……陣形を崩さず、あの岩嶺の麓まで一気に駆け抜けるぞ!」
「「「おうっ!!」」」
ドラゴン部隊、そして合流したおとり部隊の精鋭たちは、互いの間隔を保ちながら荒涼とした岩地を突き進んだ。足元には、数世紀前の隕石落下によって穿たれた深い亀裂や、砕け散った隕石片、衝突熱で溶けて再び固まった岩石の残骸が、牙を剥くように転がっている。
大森林の中で出会った大魔導士アルヴァスの願い――『荒廃した大地への再生』。その言葉の重みが、荒れ果てた大地を踏みしめる兵士たちの一歩一歩に宿っていた。
進軍を続けて数刻。やがて部隊の前方に、巨大な影が立ちはだかるように迫ってきた。雲海を貫き、神話の時代から大地を見下ろしてきた巨峰――『聖なる岩嶺』の麓へと、ドラゴン部隊はついに到達したのである。
だが、辿り着いた彼らを迎えたのは、静寂ではなかった。
山肌を覆い尽くすように蠢く無数の影。地獄の底から湧き出たかのような禍々しい気配が、麓一帯を完全に支配していたのだった。




