第47話『夢に恋して』
第47話『夢に恋して』
信吾はゴンちゃんを小屋に休ませたあと、ふと赤荻さんの作業場を訪ねた。
ノックをすると、あのぶっきらぼうな声が返ってくる。
「開いてる」
中は木材と工具の匂いが満ちていた。赤荻さんは作業の手を止めて、ちらりと信吾を見る。
「……どうした」
鋭い視線に少し緊張しつつも、信吾は椅子を借りて腰を下ろした。
「ちょっと、お話したくて」
その一言で赤荻さんは大きくため息を吐くが、追い出すことはしなかった。
しばらく取りとめのない雑談をしていると、信吾は思い出したように切り出す。
「そういえば……権藤さんって、赤荻さんは昔からの知り合いなんですよね?」
権藤さん。
市立図書館の司書。年齢不詳。白髪で眼鏡、マントのようなカーディガンを羽織り、自称「幻獣研究のパイオニア」。
館内の伝説・民俗・オカルト・UMA関連の棚を勝手に充実させていて、ゴンちゃんを“ワイバーン・タイプD”と名付けた人物。
「……あぁ、昔、かなえと図書館に行ってた頃に顔を合わせてな。誰にでもドラゴンの話ばかりする変わった奴だった」
赤荻さんは懐かしむように目を細める。
「だが、かなえがその話をえらく気に入ってな。そこから話すようになったんだ」
「……じゃあ、権藤さんは赤荻さんが“守護者”ってこと、知ってるんですか?」
信吾が恐る恐る尋ねる。
「いや、知らん。あくまであいつから見れば、俺もただのドラゴン好きなんだろうな。だが――ドラゴンの知識だけで言えば、俺より上だ」
「えっ……そうなんですか」
信吾は素直に驚く。
「……でも、権藤さんって桜小路さんとも知り合いなんじゃ?」
問い返すと、赤荻さんは少しだけ眉をひそめ、コーヒーを口に含んでから答えた。
「あぁ、桜小路とも顔見知りだ。桜小路は生き物を大切にする人だからな。権藤とも馬が合ったんだろう」
「じゃあ、赤荻さんのことは……?」
信吾がさらに聞く。
「そこは桜小路の判断だ。俺が守護者だとまで伝えれば、権藤が深入りして危険に巻き込むことにもなりかねんからな……」
赤荻さんはふっと苦笑を浮かべ、コーヒーを啜った。
「前に山之内に権藤を紹介したのも信用できると思ったからだ。権藤ならお前の力になってくれる。そう思ってな」
「……なるほど」
信吾は顎に手を当て、納得するようにうなずいた。
「でも……逆に、赤荻さんより知識があるなら、もう一度ちゃんと会ってみたいです。前に会ったときも、本当に楽しそうだったし」
その言葉に赤荻さんは「勝手にしろ」と肩をすくめた。
信吾は笑みを浮かべ、心の中で決意する。
――また、権藤さんに会ってみよう。
数日後。
信吾はゴンちゃんをカートに乗せ、夕方の裏口から市立図書館へ入った。
前回と同じように事前に許可をもらっていたので、職員が案内してくれる。
シートの下でゴンちゃんは「きゅっ」と鼻を鳴らし、少しわくわくしているようだった。
地下の一角にたどり着くと、待ち構えていた白髪の司書がすぐに顔をほころばせた。
「おお……来ましたな!」
権藤さんは目を輝かせ、すぐにゴンちゃんに駆け寄る。
机の上には、いつの間に用意したのか、ノートと分厚いメジャーまで置かれている。
「さあ、今日も観察させていただきましょうぞ」
ゴンちゃんは尻尾を振り、嬉しそうに机に顎を乗せた。
信吾は思わず笑みをこぼす。
「そういえば、権藤さん。いつからドラゴンのことを好きになったんですか?」
問いかけに、権藤さんの目はさらに輝きを増す。
「小学生の頃ですよ。図書室でたまたま読んだ“未確認生物大図鑑”。そこに描かれていたドラゴンの姿に心を奪われましてな。以後、恐竜や古生物、さらには世界各地の伝承まで片っ端から読みあさった。周りからは“現実を見ろ”と言われましたが……私にとっては、ドラゴンこそが現実だったのです」
権藤さんは少し照れ臭そうに笑う。
「中学の自由研究では“ドラゴンの飛行メカニズム”について発表しましてな。教師には呆れられましたが、私は本気でした」
「へえ……そうだったんですね」
信吾は感心したようにうなずいた。
「私にとって、ドラゴンに出会うのは夢でした。だから、桜小路さんからあなた方のことを聞いたとき……心が震えましたよ。そして赤荻さんがあなたを紹介してくださったことには、本当に感謝しているのです」
権藤さんの真っすぐな眼差しに、信吾は言葉を失った。
しばし沈黙が流れた後、信吾は前に交わした会話を思い出して口を開いた。
「……権藤さん。前に会ったときに言ってくれましたよね。“出会いがあれば、別れもある。大切なのは、その日までどれだけ愛情を注げるか”って……」
その言葉を反芻すると、胸の奥が少しざわついた。
「ぼくは……それをちゃんと果たせてるんでしょうか」
権藤さんは驚いたように瞬きをし、それから柔らかく微笑んだ。
「それは、私が判断することではありませんよ。……あなたが一番、わかっているはずです」
信吾は言葉に詰まり、うつむく。
ゴンちゃんの穏やかな表情が、その沈黙を優しく埋めた。
その後も権藤さんはゴンちゃんの羽を測り、表情を記録し、時折「ふむ……実に貴重だ」と呟いていた。
信吾はふと「ゴンちゃんがもうすぐ旅立つ」ことを打ち明けようか迷ったが、唇を閉じる。
――この人には、今だけでも幸せな時間を味わってほしい。
別れのことまで知らせる必要はない。
ゴンちゃんは机に顎を乗せ、安心したようにまぶたを閉じている。
「……今日はいい日だったな」
信吾の呟きに合わせるように、ゴンちゃんは「きゅ」と小さく鳴いた。
人は誰しも、それぞれの「夢」と「真実」を抱えて生きている。
夢があるから、真実に立ち向かえることもある。
そして――その夢が誰かの心を温めるのなら、嘘ではなく、本当の価値になるのだから。




